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18 裕介、ヴィクトルに口説かれる
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「はぁ……」
裕介は自室の窓辺で頬杖をつき、空を見上げた。
頭上は雲一つない快晴である。陽の光が眩しい。
心地よい風が庭先を通り抜け、窓の近くの木々からは小鳥のさえずりが聞こえる。
平和そのものな光景が広がっていた。
にもかかわらず、裕介の心は沈みきっている。
告白を強制されてから数日後。
あの日以来、ジェイドは裕介を訪ねてこなくなった。避けられている。完全に。
気まずいのは裕介も同じだ。
顔を合わせなくていいのは好都合である。
(だからってお互い、いつまでも逃げ回ってるわけにはいかないよな)
このまますれ違って、ジェイドに愛想を尽かされたとする。そうなれば遠からず、ここを追い出されるだろう。
「異世界で再就職か……不安しかないわ」
慣れない土地で働くよりも、ジェイドと和解するほうが賢明である。
論理的に考えれば明白なのだが、裕介は出て行く選択肢を模索していた。
(だって、お情けで番になってもらったって、嬉しくないじゃないか)
先日までのいい雰囲気はどこへやら。
なぜこんなにも拗れてしまったのか。
ヴィクトルが帰還した直後、部屋を訪ねてきたジェイドは何やら思い詰めているようだった。
(兄貴と喧嘩して、俺に八つ当たりした、とか……?)
いやまさか。
あのジェイドが?
他人のせいにしてはいけないと思いつつも、裕介はヴィクトルを恨みたくなった。
本日何度目かになるため息をついた矢先、
「世界が終わるとでも言いたげだな、麗しの災厄殿」
「……ヴィクトル殿下?」
ヴィクトルは窓の正面、木の上にいた。
窓とほぼ同じ高さにある枝に腰掛け、優雅に脚を組んでいる。
窓との距離は二メートルほどだろうか。
届きそうで届かない距離である。
(待て待て、ここ三階だぞ……)
窓が面しているのは、左翼棟と塀の間にある外庭だ。騎士団施設の建物群をぐるりと囲む外庭には、塀に沿って背の高い木々が植えられている。
樹木には、地上から手の届く範囲に枝葉はない。
つまり、足場のない木に登るのは難しいはずなのだが……。
(αって奴は、サイボーグか何かなのか……?)
ジェイドもそうだが、兄弟揃って身体能力がやけに高い。
どこからツッコめばいいのやら。
「あの、殿下はそこで一体何を……?」
「ヴィクトルで良い良い。なに、麗しの災厄殿のご機嫌伺いだ。窓際で悩ましげにため息とは、物語の姫君のようではないか」
「……殿下はご多忙な方だとお聞きしてましたが。こんなところにいらっしゃって大丈夫なのですか?」
「真っ先に俺の身の上を案じてくれるとは。余程俺に興味があるとみえる」
ハハハハッと高笑いする声は、かなり大きい。
裕介は扉を振り返った。外にはヨシュアがいる。
異変を察知されるのは時間の問題だ。
「あの、早くお戻りになられたほうが……」
「いかん。追っ手だ」
裕介の右側、騎士棟のほうからヴィクトルを呼ぶ声がする。
「麗しの災厄殿。少し下がってくれないか?」
「え……、うわっ!」
ヴィクトルは音もなく枝を蹴り、窓から軽やかに部屋のなかへ飛び込んだ。
「ちょっと、何して」
「哀れなる者に、ひとときの安らぎを与えてくれないだろうか?」
「声が大きいです」
扉に目をやり慌てる裕介に、ヴィクトルは「見張りなら心配するな」とお茶目にウィンクする。
「……まさかヨシュアさんに何かしたんですか?」
「するわけなかろう。俺の軍服には消音魔法が付与されている。俺が認めた者にのみ、俺が発する音が聞こえる仕様なのだが……」
ヴィクトルはやおら、窓際で片膝立ちになる。
同時に階下の外庭から複数の男の声が聞こえた。
「お前も隠れるのだ」
ヴィクトルに促され、勢いで裕介は彼の隣にしゃがみ込んだ。
恐る恐る窓枠から顔を出し、外庭を見下ろす。
「ヴィクトル様はいたか?」
「いや。いらっしゃらない」
「おかしいな。こっちの方で声がしたんだが……」
「ここらは【災厄】の部屋の近くだ。長居してたら副騎士団長にどやされる」
騎士団員たちはそそくさとその場を後にした。
「殿下の声、聞こえているようですが?」
またもハッタリだろうと、裕介はジト目になる。
「耳の良い者には効果が薄いのが難点だ。……ふむ、見張りの者には効いているのであれば、問題あるまい」
ヴィクトルはイタズラが成功した子供のように、無邪気に笑った。
嘘か真か真相は判然としない。
ヨシュアが乗り込んでくる気配はないので、今回は信じておこう。
ヴィクトルは軍服についた埃を払い、ベッドに腰をおろした。
彼に、騎士団員たちから逃げるジェイドの姿が重なり、裕介は苦笑する。
「何かおかしなことでもあったか?」
「今、殿下が目の前にいらっしゃることが不可解ですよ」
「今のは思い出し笑いだろう。話して聞かせろ」
「……俺が世話になり始めた頃、ジェイドさんもよく仕事をサボって俺に会いに来てたのを、思い出しただけです」
「なんと。あの仕事人間が? 真か」
ヴィクトルは青色の瞳を見開いた。
「ええ、よっぽど俺が頼りなく見えたのでしょうね」
裕介は床にあぐらをかき、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「全てを投げ打って愛しい者に会いに来る。自然ではないか」
「ジェイドさんは義務感で俺の面倒を見ているだけですよ」
「……俺は生まれて初めて、異母弟殿に同情を覚えたぞ」
ヴィクトルは額に指先をあて、芝居がかった溜息を落とした。
「そうですね。俺なんかに構ってるから気苦労も絶えないでしょうし」
「お前、本気で言っているのか?」
ヴィクトルは眉を顰める。
「冗談を言ったつもりはありませんが」
「……まあよい。その方が好都合だ」
ヴィクトルはしかめ面を一転させ、ニヤリと頬を歪めた。話についていけない裕介は首を傾げる。
「それにしても、何故、お前は床に座るのだ。もっと近くに寄れ」
「俺のことはお気になさらず」
皇子様と同じ目線では失礼にあたるだろうし、何となくヴィクトルに近づくのは躊躇われた。
するとヴィクトルは青い瞳をパチクリとさせる。
「……お前は噂に違わず、Ωらしくないな」
「そんなにΩって図々しい方々ばかりなんですかね」
「そうだな。特殊性に目覚めるということは、神に選ばれたも同然。利用しない手はないぞ」
そんなものなのだろうか。
Ωになってから散々な目に遭ってきた祐介にとって、特殊性は呪いである。
(ジェイドに拾われたのは、まあ、ラッキーだったけど)
「正直、俺の手には余ります」
ヴィクトルは「ふむ」と親指と人差し指を顎に添え、沈黙した。
(黙ってれば、めちゃくちゃイケメンだよな……)
【残念イケメン】ヴィクトルを、裕介は見るともなしに見つめる。
すっきりとしていながら、逞しさを感じさせる顎のライン。青い瞳は晴れた空のように澄み渡り、金髪は太陽の輝きを放っている。
人間離れした美貌の持ち主である。
(ヴィクトルは金色、ジェイドが銀色。二人並んだら太陽と月みたいだ)
なんてことのない連想ゲームに耽っていると、
「麗しの災厄殿。俺に見惚れているのか」
ヴィクトルは白い歯を見せ笑う。
見惚れていたのは事実なので、正直に認めた。
「そうですね。殿下は大変お美しいです」
「何を言う。お前のほうが見目麗しいではないか」
「冗談がお上手で」
裕介は毒気を抜かれ、力なく笑った。
対して、ヴィクトルは真剣な表情を浮かべる。
「無理をして笑うでない。悩みがあるなら、俺に話してみろ」
(あなたが原因でジェイドと喧嘩をしているかもしれないなんて……言えないよ)
他にも悩みならたくさんある。
異世界でどうやって生きていけばいいのか。
ジェイドとどうなりたいのか。
Ωであることと、どう向き合っていけばいいのか。
毎日が不安だ。
「殿下に申し上げるほどのことでは……」
愛想笑いを繰り返すと、ヴィクトルはふむ、とふたたび顎に指をあてる。
「ならば俺がお前の悩みを言い当ててやろう」
できればそっとしておいてほしい。
裕介の願いは届かず、皇子様は腕を組んで真剣に考え込んでいる。
「ジェイドと喧嘩でもしたか?」
ヴィクトルは裕介ににじり寄り、探るように目を覗き込んできた。
吸い込まれそうな青い瞳に、裕介は息を飲む。
「ふむ。首筋にうっすらと歯型があるな。発情期でもないのに、噛むとは、ジェイドもなかなか執着心の強い男だったのだな」
裕介は手のひらでチョーカーを隠した。
「図星か?」
「……ジェイドさんと喧嘩はしていません」
「お前はまことに嘘が下手だな」
ヴィクトルはベッドから降り、裕介の左手薬指を掴んだ。
銀色の指輪を軽く撫で、
「ジェイドにこれほど愛されておきながら、何が不満なのだ?」
「これはフェロモンを抑えるための道具ですよ……」
「確かにα除けの術は掛けてある。だがな、わざわざ【誓いの指輪】に施す必要はない」
ジェイドめ、粋なことをする。
ヴィクトルは肩を震わせ、笑った。
「この指輪自体に意味はない、と……?」
「意味はあるぞ。己のモノだと示す証だ。本来は番同士で交換し合うのが習わしだが……そういえばジェイドも指輪をつけていたな。お前が贈ったのか?」
(ジェイドはそんなこと、一言も言ってなかったぞ)
些細な隠し事である。
だがタイミングが悪すぎる。
ジェイドとの溝が深くなったような気がして、裕介は落ち込んだ。
「ジェイドの番ではなく、俺の番にならないか」
ヴィクトルの言葉に、裕介は「え」と気の抜けた声を発する。
(こいつ、突然、何を)
「お前は【災厄】であるがゆえに、異母弟を、ジェイドを拒んでいるのだろう。己と結ばれれば、奴にハーレムを作らせることができず、立身出世する可能性を潰してしまう、と。立派な心掛けだ。古き良きΩの鑑と言える。お前のような者こそ、俺の伴侶にふさわしい。どうだ? 俺の番となれば、奴を思う存分、近くで見守れるぞ。事務処理が得意だそうだな。であれば、俺の番兼、専属の秘書官に任じようではないか」
ヴィクトルは早口に捲し立てた。澄み渡っていた青色の瞳に、暗く怪しい光が宿っている。
よくもまあ、都合の良い未来を思い描くものだと、裕介は呆れを通り越して、感心した。
案外悪くない選択肢だ。
ヴィクトルには何の感情も持ち合わせていない。彼が自分以外と番えなくとも良心は痛まないはずだ。
セックスはΩ性にゆだねれば何とでもなるだろう。風俗に行くのと同じである。
性欲処理だと割り切ればいいのだ。
それでジェイドの将来を潰さずにいられるのなら、願ってもない――。
(本当にそれでいいのか?)
ヴィクトルの番になると告げたら、ジェイドはどんな顔をするのか。
失望、落胆、憎悪。
どれもしっくりとこない。
ただ「そうか」と静かに裕介の決断を受け入れてくれるような気がする。
言葉とは裏腹に、痛みに耐えるような表情で――。
(ジェイドの将来が心配だなんて建前だ。俺は自分が傷つきたくないから、好きな人から逃げ回っている、チキン野郎だ)
年上の自分がリードすべきところ、十以上年下の彼に甘えてばかりでいいのか。
それではあまりにも不甲斐なさ過ぎる。
裕介は頭を垂れ、ヴィクトルに言った。
「身に余るお言葉です」
「うむ。俺みずから番にと打診しているのだ。光栄に思え。よし、決まりだ。さっそく議会を招集し、番の契約を結ぶとしよう――」
「ですが、俺は殿下の番になるつもりはございません」
逃げてばかりでは駄目だ。やはり、正々堂々、ジェイドと向き合おう。
ヴィクトルのおかげで迷いはなくなった。
晴れやかな気持ちで裕介は告げる。
「殿下。ありがとうございます。俺、ジェイドさんともう一度話をしてみます」
「ふむふむ。俺の申し出を断るということか」
「殿下にはもっとふさわしい方がいらっしゃいます」
【災厄】だなどと言われる自分が、次期国王の伴侶になるのはお門違いだ。
裕介は眼鏡のブリッジを押し上げ、微笑んだ。
「それでは困るのだ」
次の瞬間、ヴィクトルは裕介のうなじに手刀を繰り出した。
超人であるヴィクトルの一撃を、裕介が回避できるはずもない。
首筋に激痛が走り、床に倒れ込んだ。
(え……身体が、うごかない……)
「素直に頷けば俺の第一妃になれたというのに……麗しの災厄殿は、まことに要領が悪い」
(俺って、ほんと、間抜けだな……)
ジェイドの顰め面を思い浮かべ、裕介は気を失った。
裕介は自室の窓辺で頬杖をつき、空を見上げた。
頭上は雲一つない快晴である。陽の光が眩しい。
心地よい風が庭先を通り抜け、窓の近くの木々からは小鳥のさえずりが聞こえる。
平和そのものな光景が広がっていた。
にもかかわらず、裕介の心は沈みきっている。
告白を強制されてから数日後。
あの日以来、ジェイドは裕介を訪ねてこなくなった。避けられている。完全に。
気まずいのは裕介も同じだ。
顔を合わせなくていいのは好都合である。
(だからってお互い、いつまでも逃げ回ってるわけにはいかないよな)
このまますれ違って、ジェイドに愛想を尽かされたとする。そうなれば遠からず、ここを追い出されるだろう。
「異世界で再就職か……不安しかないわ」
慣れない土地で働くよりも、ジェイドと和解するほうが賢明である。
論理的に考えれば明白なのだが、裕介は出て行く選択肢を模索していた。
(だって、お情けで番になってもらったって、嬉しくないじゃないか)
先日までのいい雰囲気はどこへやら。
なぜこんなにも拗れてしまったのか。
ヴィクトルが帰還した直後、部屋を訪ねてきたジェイドは何やら思い詰めているようだった。
(兄貴と喧嘩して、俺に八つ当たりした、とか……?)
いやまさか。
あのジェイドが?
他人のせいにしてはいけないと思いつつも、裕介はヴィクトルを恨みたくなった。
本日何度目かになるため息をついた矢先、
「世界が終わるとでも言いたげだな、麗しの災厄殿」
「……ヴィクトル殿下?」
ヴィクトルは窓の正面、木の上にいた。
窓とほぼ同じ高さにある枝に腰掛け、優雅に脚を組んでいる。
窓との距離は二メートルほどだろうか。
届きそうで届かない距離である。
(待て待て、ここ三階だぞ……)
窓が面しているのは、左翼棟と塀の間にある外庭だ。騎士団施設の建物群をぐるりと囲む外庭には、塀に沿って背の高い木々が植えられている。
樹木には、地上から手の届く範囲に枝葉はない。
つまり、足場のない木に登るのは難しいはずなのだが……。
(αって奴は、サイボーグか何かなのか……?)
ジェイドもそうだが、兄弟揃って身体能力がやけに高い。
どこからツッコめばいいのやら。
「あの、殿下はそこで一体何を……?」
「ヴィクトルで良い良い。なに、麗しの災厄殿のご機嫌伺いだ。窓際で悩ましげにため息とは、物語の姫君のようではないか」
「……殿下はご多忙な方だとお聞きしてましたが。こんなところにいらっしゃって大丈夫なのですか?」
「真っ先に俺の身の上を案じてくれるとは。余程俺に興味があるとみえる」
ハハハハッと高笑いする声は、かなり大きい。
裕介は扉を振り返った。外にはヨシュアがいる。
異変を察知されるのは時間の問題だ。
「あの、早くお戻りになられたほうが……」
「いかん。追っ手だ」
裕介の右側、騎士棟のほうからヴィクトルを呼ぶ声がする。
「麗しの災厄殿。少し下がってくれないか?」
「え……、うわっ!」
ヴィクトルは音もなく枝を蹴り、窓から軽やかに部屋のなかへ飛び込んだ。
「ちょっと、何して」
「哀れなる者に、ひとときの安らぎを与えてくれないだろうか?」
「声が大きいです」
扉に目をやり慌てる裕介に、ヴィクトルは「見張りなら心配するな」とお茶目にウィンクする。
「……まさかヨシュアさんに何かしたんですか?」
「するわけなかろう。俺の軍服には消音魔法が付与されている。俺が認めた者にのみ、俺が発する音が聞こえる仕様なのだが……」
ヴィクトルはやおら、窓際で片膝立ちになる。
同時に階下の外庭から複数の男の声が聞こえた。
「お前も隠れるのだ」
ヴィクトルに促され、勢いで裕介は彼の隣にしゃがみ込んだ。
恐る恐る窓枠から顔を出し、外庭を見下ろす。
「ヴィクトル様はいたか?」
「いや。いらっしゃらない」
「おかしいな。こっちの方で声がしたんだが……」
「ここらは【災厄】の部屋の近くだ。長居してたら副騎士団長にどやされる」
騎士団員たちはそそくさとその場を後にした。
「殿下の声、聞こえているようですが?」
またもハッタリだろうと、裕介はジト目になる。
「耳の良い者には効果が薄いのが難点だ。……ふむ、見張りの者には効いているのであれば、問題あるまい」
ヴィクトルはイタズラが成功した子供のように、無邪気に笑った。
嘘か真か真相は判然としない。
ヨシュアが乗り込んでくる気配はないので、今回は信じておこう。
ヴィクトルは軍服についた埃を払い、ベッドに腰をおろした。
彼に、騎士団員たちから逃げるジェイドの姿が重なり、裕介は苦笑する。
「何かおかしなことでもあったか?」
「今、殿下が目の前にいらっしゃることが不可解ですよ」
「今のは思い出し笑いだろう。話して聞かせろ」
「……俺が世話になり始めた頃、ジェイドさんもよく仕事をサボって俺に会いに来てたのを、思い出しただけです」
「なんと。あの仕事人間が? 真か」
ヴィクトルは青色の瞳を見開いた。
「ええ、よっぽど俺が頼りなく見えたのでしょうね」
裕介は床にあぐらをかき、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「全てを投げ打って愛しい者に会いに来る。自然ではないか」
「ジェイドさんは義務感で俺の面倒を見ているだけですよ」
「……俺は生まれて初めて、異母弟殿に同情を覚えたぞ」
ヴィクトルは額に指先をあて、芝居がかった溜息を落とした。
「そうですね。俺なんかに構ってるから気苦労も絶えないでしょうし」
「お前、本気で言っているのか?」
ヴィクトルは眉を顰める。
「冗談を言ったつもりはありませんが」
「……まあよい。その方が好都合だ」
ヴィクトルはしかめ面を一転させ、ニヤリと頬を歪めた。話についていけない裕介は首を傾げる。
「それにしても、何故、お前は床に座るのだ。もっと近くに寄れ」
「俺のことはお気になさらず」
皇子様と同じ目線では失礼にあたるだろうし、何となくヴィクトルに近づくのは躊躇われた。
するとヴィクトルは青い瞳をパチクリとさせる。
「……お前は噂に違わず、Ωらしくないな」
「そんなにΩって図々しい方々ばかりなんですかね」
「そうだな。特殊性に目覚めるということは、神に選ばれたも同然。利用しない手はないぞ」
そんなものなのだろうか。
Ωになってから散々な目に遭ってきた祐介にとって、特殊性は呪いである。
(ジェイドに拾われたのは、まあ、ラッキーだったけど)
「正直、俺の手には余ります」
ヴィクトルは「ふむ」と親指と人差し指を顎に添え、沈黙した。
(黙ってれば、めちゃくちゃイケメンだよな……)
【残念イケメン】ヴィクトルを、裕介は見るともなしに見つめる。
すっきりとしていながら、逞しさを感じさせる顎のライン。青い瞳は晴れた空のように澄み渡り、金髪は太陽の輝きを放っている。
人間離れした美貌の持ち主である。
(ヴィクトルは金色、ジェイドが銀色。二人並んだら太陽と月みたいだ)
なんてことのない連想ゲームに耽っていると、
「麗しの災厄殿。俺に見惚れているのか」
ヴィクトルは白い歯を見せ笑う。
見惚れていたのは事実なので、正直に認めた。
「そうですね。殿下は大変お美しいです」
「何を言う。お前のほうが見目麗しいではないか」
「冗談がお上手で」
裕介は毒気を抜かれ、力なく笑った。
対して、ヴィクトルは真剣な表情を浮かべる。
「無理をして笑うでない。悩みがあるなら、俺に話してみろ」
(あなたが原因でジェイドと喧嘩をしているかもしれないなんて……言えないよ)
他にも悩みならたくさんある。
異世界でどうやって生きていけばいいのか。
ジェイドとどうなりたいのか。
Ωであることと、どう向き合っていけばいいのか。
毎日が不安だ。
「殿下に申し上げるほどのことでは……」
愛想笑いを繰り返すと、ヴィクトルはふむ、とふたたび顎に指をあてる。
「ならば俺がお前の悩みを言い当ててやろう」
できればそっとしておいてほしい。
裕介の願いは届かず、皇子様は腕を組んで真剣に考え込んでいる。
「ジェイドと喧嘩でもしたか?」
ヴィクトルは裕介ににじり寄り、探るように目を覗き込んできた。
吸い込まれそうな青い瞳に、裕介は息を飲む。
「ふむ。首筋にうっすらと歯型があるな。発情期でもないのに、噛むとは、ジェイドもなかなか執着心の強い男だったのだな」
裕介は手のひらでチョーカーを隠した。
「図星か?」
「……ジェイドさんと喧嘩はしていません」
「お前はまことに嘘が下手だな」
ヴィクトルはベッドから降り、裕介の左手薬指を掴んだ。
銀色の指輪を軽く撫で、
「ジェイドにこれほど愛されておきながら、何が不満なのだ?」
「これはフェロモンを抑えるための道具ですよ……」
「確かにα除けの術は掛けてある。だがな、わざわざ【誓いの指輪】に施す必要はない」
ジェイドめ、粋なことをする。
ヴィクトルは肩を震わせ、笑った。
「この指輪自体に意味はない、と……?」
「意味はあるぞ。己のモノだと示す証だ。本来は番同士で交換し合うのが習わしだが……そういえばジェイドも指輪をつけていたな。お前が贈ったのか?」
(ジェイドはそんなこと、一言も言ってなかったぞ)
些細な隠し事である。
だがタイミングが悪すぎる。
ジェイドとの溝が深くなったような気がして、裕介は落ち込んだ。
「ジェイドの番ではなく、俺の番にならないか」
ヴィクトルの言葉に、裕介は「え」と気の抜けた声を発する。
(こいつ、突然、何を)
「お前は【災厄】であるがゆえに、異母弟を、ジェイドを拒んでいるのだろう。己と結ばれれば、奴にハーレムを作らせることができず、立身出世する可能性を潰してしまう、と。立派な心掛けだ。古き良きΩの鑑と言える。お前のような者こそ、俺の伴侶にふさわしい。どうだ? 俺の番となれば、奴を思う存分、近くで見守れるぞ。事務処理が得意だそうだな。であれば、俺の番兼、専属の秘書官に任じようではないか」
ヴィクトルは早口に捲し立てた。澄み渡っていた青色の瞳に、暗く怪しい光が宿っている。
よくもまあ、都合の良い未来を思い描くものだと、裕介は呆れを通り越して、感心した。
案外悪くない選択肢だ。
ヴィクトルには何の感情も持ち合わせていない。彼が自分以外と番えなくとも良心は痛まないはずだ。
セックスはΩ性にゆだねれば何とでもなるだろう。風俗に行くのと同じである。
性欲処理だと割り切ればいいのだ。
それでジェイドの将来を潰さずにいられるのなら、願ってもない――。
(本当にそれでいいのか?)
ヴィクトルの番になると告げたら、ジェイドはどんな顔をするのか。
失望、落胆、憎悪。
どれもしっくりとこない。
ただ「そうか」と静かに裕介の決断を受け入れてくれるような気がする。
言葉とは裏腹に、痛みに耐えるような表情で――。
(ジェイドの将来が心配だなんて建前だ。俺は自分が傷つきたくないから、好きな人から逃げ回っている、チキン野郎だ)
年上の自分がリードすべきところ、十以上年下の彼に甘えてばかりでいいのか。
それではあまりにも不甲斐なさ過ぎる。
裕介は頭を垂れ、ヴィクトルに言った。
「身に余るお言葉です」
「うむ。俺みずから番にと打診しているのだ。光栄に思え。よし、決まりだ。さっそく議会を招集し、番の契約を結ぶとしよう――」
「ですが、俺は殿下の番になるつもりはございません」
逃げてばかりでは駄目だ。やはり、正々堂々、ジェイドと向き合おう。
ヴィクトルのおかげで迷いはなくなった。
晴れやかな気持ちで裕介は告げる。
「殿下。ありがとうございます。俺、ジェイドさんともう一度話をしてみます」
「ふむふむ。俺の申し出を断るということか」
「殿下にはもっとふさわしい方がいらっしゃいます」
【災厄】だなどと言われる自分が、次期国王の伴侶になるのはお門違いだ。
裕介は眼鏡のブリッジを押し上げ、微笑んだ。
「それでは困るのだ」
次の瞬間、ヴィクトルは裕介のうなじに手刀を繰り出した。
超人であるヴィクトルの一撃を、裕介が回避できるはずもない。
首筋に激痛が走り、床に倒れ込んだ。
(え……身体が、うごかない……)
「素直に頷けば俺の第一妃になれたというのに……麗しの災厄殿は、まことに要領が悪い」
(俺って、ほんと、間抜けだな……)
ジェイドの顰め面を思い浮かべ、裕介は気を失った。
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その後、カイを〝番〟だと主張する美青年騎士のせいで今まで何をしていたのかを文官の前で語ることを強要される。
語らなければ罪に問われると言われ、カイは渋々語ることにしたのだった、生まれてから36年間の出来事を。
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