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8話
第八話 女囚と仲間たち③
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第八話 女囚と仲間たち③
━━━━━━━━━━━━━━━
「ズッ!ズッ!ズッ」
ん?
ふいに、ミュリュイちゃんは、そんな音を出し始めた。
「ズッ!ズッ!」
「ミュリュイちゃん?どうした……あっ」
そうだ、思い出した。
この、ズッ!ってやつ、刑務所内での合図なんだった。
ミュリュイちゃんは素早く、布ナプキンの山と裁縫セットを片付けて、テーブルの上を拭いたり散らかった糸くずや布切れのごみをまとめたりし始めた。
その後は、前髪を撫でつけたり、前衣の合わせを首元まできっちりと閉じ合わせたり、身だしなみを整えるのだった。
ああ、そうだった。
私も、崩して放り出していた足を正し、きちんと行儀よく座り直す。
背筋をピンと伸ばし、姿勢よく、両手は膝の上に置いた。
そうして二人、私たちは、自由時間は品よく寡黙に模範的に過ごしていますよ、という風を装うのだった。
刑務官の抜き打ち見回りだ。
ズッ!とは、刑務官、看守が近寄ってくる合図である。
来た、とか教えたり会話しちゃうと、まずいんである。
バレないように、口を動かさないで閉じたまま発せるのが、このズッ!なのだ。
所内では、目配せとかの合図も禁止されていた。視線を下げろ、目線を送るな、とも言われるし。
結果、私たちは不自然に俯いたまま、目線を逸らしたまま。
そうして対象が過ぎ去るのを待った。
やっと、そいつが去ったらしい。ミュリュイちゃんが大きく息をつく。
過ぎ去った対象、その後ろ姿を指差した。
「あいつ、刑務官ね」
あ、スヴィが来てたんだな。
刑務官スヴィドリガイリョフの正体を、一目で見破ったミュリュイちゃんだった……。
す、すげぇなあ。
「やだ、次から次に!また別の男が近づいてくるんだけど!」
ミュリュイちゃんは、心底いやそうに、吐き捨てるように言い放つ。
「もう!せっかく壽賀子ちゃんと二人で、楽しくお茶してるのにね!邪魔しないでほしいわ!あいつ、グエンって言うの?刑務官じゃないだけましだけど!」
グエンが近寄って来ていた。
この昼休憩の間はもちろん、道中、聖者様は尼僧様にべったり張り付かれていた。
すっかり気に入られ、おそばを離れられない状態にされてしまっている。
警護は尼僧様の側に任せられるから、グエンの仕事も減ったり暇になるかと考えていたが、そうではなかった。
グエンは、なにかと忙しなく、あちこち飛び回り、色んな人間に話を聞いて回ったりしているようだった。
「何か、ご用ですかぁ?グエンさん」
ミュリュイちゃんが牽制する。
グエンは、おずおずと話を切り出そうとする。ミュリュイちゃんの放つ、男嫌い近寄るなオーラにたじろぎながら。
「あ、ああ。ごめん。ミュリュイちゃんさん」
ミュリュイちゃんさん……。
そう呼んでしまうのも無理はない。
すごく若くて可愛らしいのに、しっかりしていて頼もしい子だからなぁ。
思わず敬意を払って、さん付けしてしまうのだろう。
「ごめん、ちょっとだけいいかな。気を悪くしないで答えてほしいんだが、これは尼僧様の隊にいる全員に聞いていることで……すまない、俺も仕事でな。同行の者の素行や経歴など不審な点がないかどうかは一応把握しておかないといけなくて……その、ミュリュイちゃんさんの、過去の話、経歴や賞罰。話してもらっていいかな」
あー。
聞き取り調査。
過去の話、経歴や賞罰。罪状とか、どうして捕まったのか、とかか。
聖者様の周辺に危険がないように、取り仕切る役目だものな。
そうか、初対面で素性の知れない同行者が増えたらグエンのこういった仕事も、比例して増えるわけか。
ご苦労なこった。
そういやあ、初めてグエンと会った時も。
こいつってば、そういった職務でいっぱいいっぱいで余裕がなかったんだよなぁ。
大好きな聖者様のおそばにいられてラッキーハッピーな役得、天職!ってかんじで、お気楽に構えてるんじゃないかと勝手に思っていたんだが。
いざ外部の者が聖者様の身近に現れると途端、緊張が張り詰めているし、意外にピリピリしていてストレスも溜まる仕事内容なのかもしれんな。
「壽賀子、話をしている間、みんなのところに行っててくれないか?」
「ああ、そうだな。ミュリュイちゃん、私は席を外しておくよ」
プライベートな話を聞かれないようにするための配慮か。
まあそうだよな。
私は、立ち上がろうとした。
だが、隣に座るミュリュイちゃんが腕を掴み、許さなかった。
「ここにいて壽賀子ちゃん。あたし、壽賀子ちゃんになら聞かれてもいいから」
ミュリュイちゃんは、私を引き留める。
「一緒にいて、壽賀子ちゃん」
「わ、わかったよミュリュイちゃん」
私はそのまま、ミュリュイちゃんの隣に座ったままになった。
少し、グエンと顔を見合わせた。
「いいですよぉグエンさん。あなたのお仕事内容はわかりました。心配しなくても、あたし、聖者様には興味もないですし近寄ろうとも思いませんし、安心していいですよぉ。罪状もねぇ、あたし別に悪くないですし、たいしたことはしてないですし、危険人物視とか警戒とかしなくて大丈夫ですよぉ」
ミュリュイちゃんは乾いた笑いを飛ばして、皮肉っぽく応える。
「なんでしたっけ、ああ、罪状でしたね。あたしの犯した罪は……」
罪状なぁ。
私は、政府や政治家の悪口言った罪での思想犯なわけだが。ミュリュイちゃんは何で捕まったんだっけな?
そういや刑務所にいた頃は、みんなの罪状なんて、あえて聞かなかったから全然知らなかったなぁ。
女子受刑者だと、窃盗とか、薬物の所持や使用ってあたりかな。
社会人なら、会社での横領や証書偽造、詐欺なんかの、知能的な方法で実行する知能犯が多いのかも。
「傷害です」
お、おう。
意外にパワー系。強行犯係の管轄。
直接的他害行為なアレだった。
「元恋人を刺しました」
そ、そっか。
「そいつ、独身だって言ってたのに。嘘ついてたんですよ。あたしをだましたんですよ。本当は奥さんもお子さんもいたんですよ」
ミュリュイちゃんは落ち着き払って、冷静に、淡々とグエンに答えているように見えた。
だが、少しづつ、小刻みに震え出した。
「わかったよ、答えてくれてありがとう。嫌なことを思い出させてしまって悪かったね」
グエンはその様子を見て、頭を下げた。
そこで調査を切り上げようとしてくれたのだが、震え出したミュリュイちゃんの感情は、そう簡単には切り替わらなかった。
「許せないですよね⁈そんなやつ刺して当然ですよね⁈あたしのことだけじゃなく奥さんのこともお子さんのことも、どん底に突き落として不幸にしたんですよ⁈あたし正しいことをしましたよね⁈悪くないですよね⁈」
声を荒らげるミュリュイちゃん。
感情をぶつけられたグエンは、何も応じることができず、ただ黙って聞いていた。黙って、彼女の荒らげた言葉を受け止め耐えていた。
「あたし悪くないですよね⁈」
そこで私は、とうとう話に割り込んでしまった。
「いや、悪いよ!」
思わず、口をついて出ていた。
「そんな不倫ヤロウのせいで、ミュリュイちゃんが犯罪者になるなんて間違ってるだろ!そんな男のために人生棒に振るなんて、悪いに決まってる!ミュリュイちゃんが手を下すまでもないんだよ、そんなクソヤロウを刺すためにミュリュイちゃんの綺麗な手が汚れるなんてなぁ、正しいわけがない!」
「壽賀子ちゃん……」
「ミュリュイちゃんが男性不信になった理由がやっとわかったよ。でも、何も男そのものを嫌いにならなくてもいいんだよ。男の中には、悪い奴もいれば、いい奴もいるんだから」
たまたま今回は浮気ヤロウに引っかかっちゃっただけでさ。
大丈夫。この世界の男なんか特に、いい奴が多いよ。たとえば、うちの一行。聖者様もグエンも、警護兵団の連中なんか見ても、みんな気のいい奴らばかりだしさ。
「ミュリュイちゃんはいい子なんだし、他に素敵な人から愛される機会なんか、たくさんあるよ。これからの人生、誠実な男とのいい出会いが、たくさん待ってるんだから。あきらめないで、失望しないで、男のこと、もうちょっと信じて、期待してもいいんだよ」
ミュリュイちゃんを諭して、語った、そんな言葉の数々。
自分の口から、こんなかんじの内容が出ることに、自分でも少し驚いていた。
恋愛や異性に対する、ものの考え方が、少し柔和になっているような気がした。
誰かの影響か。
そうだ、聖者様やグエン、警護兵団のみんな。それと、旅の道中で知り合った幾多の人々との出会いや別れ。
こちらの世界に来てから、ずいぶんと私にも変化があったのかもしれない。
つづく! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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「ズッ!ズッ!ズッ」
ん?
ふいに、ミュリュイちゃんは、そんな音を出し始めた。
「ズッ!ズッ!」
「ミュリュイちゃん?どうした……あっ」
そうだ、思い出した。
この、ズッ!ってやつ、刑務所内での合図なんだった。
ミュリュイちゃんは素早く、布ナプキンの山と裁縫セットを片付けて、テーブルの上を拭いたり散らかった糸くずや布切れのごみをまとめたりし始めた。
その後は、前髪を撫でつけたり、前衣の合わせを首元まできっちりと閉じ合わせたり、身だしなみを整えるのだった。
ああ、そうだった。
私も、崩して放り出していた足を正し、きちんと行儀よく座り直す。
背筋をピンと伸ばし、姿勢よく、両手は膝の上に置いた。
そうして二人、私たちは、自由時間は品よく寡黙に模範的に過ごしていますよ、という風を装うのだった。
刑務官の抜き打ち見回りだ。
ズッ!とは、刑務官、看守が近寄ってくる合図である。
来た、とか教えたり会話しちゃうと、まずいんである。
バレないように、口を動かさないで閉じたまま発せるのが、このズッ!なのだ。
所内では、目配せとかの合図も禁止されていた。視線を下げろ、目線を送るな、とも言われるし。
結果、私たちは不自然に俯いたまま、目線を逸らしたまま。
そうして対象が過ぎ去るのを待った。
やっと、そいつが去ったらしい。ミュリュイちゃんが大きく息をつく。
過ぎ去った対象、その後ろ姿を指差した。
「あいつ、刑務官ね」
あ、スヴィが来てたんだな。
刑務官スヴィドリガイリョフの正体を、一目で見破ったミュリュイちゃんだった……。
す、すげぇなあ。
「やだ、次から次に!また別の男が近づいてくるんだけど!」
ミュリュイちゃんは、心底いやそうに、吐き捨てるように言い放つ。
「もう!せっかく壽賀子ちゃんと二人で、楽しくお茶してるのにね!邪魔しないでほしいわ!あいつ、グエンって言うの?刑務官じゃないだけましだけど!」
グエンが近寄って来ていた。
この昼休憩の間はもちろん、道中、聖者様は尼僧様にべったり張り付かれていた。
すっかり気に入られ、おそばを離れられない状態にされてしまっている。
警護は尼僧様の側に任せられるから、グエンの仕事も減ったり暇になるかと考えていたが、そうではなかった。
グエンは、なにかと忙しなく、あちこち飛び回り、色んな人間に話を聞いて回ったりしているようだった。
「何か、ご用ですかぁ?グエンさん」
ミュリュイちゃんが牽制する。
グエンは、おずおずと話を切り出そうとする。ミュリュイちゃんの放つ、男嫌い近寄るなオーラにたじろぎながら。
「あ、ああ。ごめん。ミュリュイちゃんさん」
ミュリュイちゃんさん……。
そう呼んでしまうのも無理はない。
すごく若くて可愛らしいのに、しっかりしていて頼もしい子だからなぁ。
思わず敬意を払って、さん付けしてしまうのだろう。
「ごめん、ちょっとだけいいかな。気を悪くしないで答えてほしいんだが、これは尼僧様の隊にいる全員に聞いていることで……すまない、俺も仕事でな。同行の者の素行や経歴など不審な点がないかどうかは一応把握しておかないといけなくて……その、ミュリュイちゃんさんの、過去の話、経歴や賞罰。話してもらっていいかな」
あー。
聞き取り調査。
過去の話、経歴や賞罰。罪状とか、どうして捕まったのか、とかか。
聖者様の周辺に危険がないように、取り仕切る役目だものな。
そうか、初対面で素性の知れない同行者が増えたらグエンのこういった仕事も、比例して増えるわけか。
ご苦労なこった。
そういやあ、初めてグエンと会った時も。
こいつってば、そういった職務でいっぱいいっぱいで余裕がなかったんだよなぁ。
大好きな聖者様のおそばにいられてラッキーハッピーな役得、天職!ってかんじで、お気楽に構えてるんじゃないかと勝手に思っていたんだが。
いざ外部の者が聖者様の身近に現れると途端、緊張が張り詰めているし、意外にピリピリしていてストレスも溜まる仕事内容なのかもしれんな。
「壽賀子、話をしている間、みんなのところに行っててくれないか?」
「ああ、そうだな。ミュリュイちゃん、私は席を外しておくよ」
プライベートな話を聞かれないようにするための配慮か。
まあそうだよな。
私は、立ち上がろうとした。
だが、隣に座るミュリュイちゃんが腕を掴み、許さなかった。
「ここにいて壽賀子ちゃん。あたし、壽賀子ちゃんになら聞かれてもいいから」
ミュリュイちゃんは、私を引き留める。
「一緒にいて、壽賀子ちゃん」
「わ、わかったよミュリュイちゃん」
私はそのまま、ミュリュイちゃんの隣に座ったままになった。
少し、グエンと顔を見合わせた。
「いいですよぉグエンさん。あなたのお仕事内容はわかりました。心配しなくても、あたし、聖者様には興味もないですし近寄ろうとも思いませんし、安心していいですよぉ。罪状もねぇ、あたし別に悪くないですし、たいしたことはしてないですし、危険人物視とか警戒とかしなくて大丈夫ですよぉ」
ミュリュイちゃんは乾いた笑いを飛ばして、皮肉っぽく応える。
「なんでしたっけ、ああ、罪状でしたね。あたしの犯した罪は……」
罪状なぁ。
私は、政府や政治家の悪口言った罪での思想犯なわけだが。ミュリュイちゃんは何で捕まったんだっけな?
そういや刑務所にいた頃は、みんなの罪状なんて、あえて聞かなかったから全然知らなかったなぁ。
女子受刑者だと、窃盗とか、薬物の所持や使用ってあたりかな。
社会人なら、会社での横領や証書偽造、詐欺なんかの、知能的な方法で実行する知能犯が多いのかも。
「傷害です」
お、おう。
意外にパワー系。強行犯係の管轄。
直接的他害行為なアレだった。
「元恋人を刺しました」
そ、そっか。
「そいつ、独身だって言ってたのに。嘘ついてたんですよ。あたしをだましたんですよ。本当は奥さんもお子さんもいたんですよ」
ミュリュイちゃんは落ち着き払って、冷静に、淡々とグエンに答えているように見えた。
だが、少しづつ、小刻みに震え出した。
「わかったよ、答えてくれてありがとう。嫌なことを思い出させてしまって悪かったね」
グエンはその様子を見て、頭を下げた。
そこで調査を切り上げようとしてくれたのだが、震え出したミュリュイちゃんの感情は、そう簡単には切り替わらなかった。
「許せないですよね⁈そんなやつ刺して当然ですよね⁈あたしのことだけじゃなく奥さんのこともお子さんのことも、どん底に突き落として不幸にしたんですよ⁈あたし正しいことをしましたよね⁈悪くないですよね⁈」
声を荒らげるミュリュイちゃん。
感情をぶつけられたグエンは、何も応じることができず、ただ黙って聞いていた。黙って、彼女の荒らげた言葉を受け止め耐えていた。
「あたし悪くないですよね⁈」
そこで私は、とうとう話に割り込んでしまった。
「いや、悪いよ!」
思わず、口をついて出ていた。
「そんな不倫ヤロウのせいで、ミュリュイちゃんが犯罪者になるなんて間違ってるだろ!そんな男のために人生棒に振るなんて、悪いに決まってる!ミュリュイちゃんが手を下すまでもないんだよ、そんなクソヤロウを刺すためにミュリュイちゃんの綺麗な手が汚れるなんてなぁ、正しいわけがない!」
「壽賀子ちゃん……」
「ミュリュイちゃんが男性不信になった理由がやっとわかったよ。でも、何も男そのものを嫌いにならなくてもいいんだよ。男の中には、悪い奴もいれば、いい奴もいるんだから」
たまたま今回は浮気ヤロウに引っかかっちゃっただけでさ。
大丈夫。この世界の男なんか特に、いい奴が多いよ。たとえば、うちの一行。聖者様もグエンも、警護兵団の連中なんか見ても、みんな気のいい奴らばかりだしさ。
「ミュリュイちゃんはいい子なんだし、他に素敵な人から愛される機会なんか、たくさんあるよ。これからの人生、誠実な男とのいい出会いが、たくさん待ってるんだから。あきらめないで、失望しないで、男のこと、もうちょっと信じて、期待してもいいんだよ」
ミュリュイちゃんを諭して、語った、そんな言葉の数々。
自分の口から、こんなかんじの内容が出ることに、自分でも少し驚いていた。
恋愛や異性に対する、ものの考え方が、少し柔和になっているような気がした。
誰かの影響か。
そうだ、聖者様やグエン、警護兵団のみんな。それと、旅の道中で知り合った幾多の人々との出会いや別れ。
こちらの世界に来てから、ずいぶんと私にも変化があったのかもしれない。
つづく! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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