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第17話 泣きっ面に蜂
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頭がグァングァンしている。脳裏に浮かぶのは昨日の配信。学生時代の大切な思い出の曲が一夜にして黒歴史曲に早変わりだ。マレ熊は酔っても記憶を失わないタイプだった。その体質を今心から恨む。忘れる事ができたらどんなによかっただろう。
歌の他にも色々やらかした。社会への不満とか会社への愚痴とか。特定されるような事は漏らしてないと思うが……。
その時、スマホが鳴った。慌てて手に取り、表示されている名前を見てギクリとする。
黒白会社。それはマレ熊が配信で散々こき下ろした会社の名前だった。頭の中で昨夜の配信が高速再生され、訴えられるような発言がなかったかどうか確認する。そうやってぐるぐる考えている間にも電話は鳴り続ける。
(と、とりあえず出なくちゃ……)
マレ熊は息を呑んで、スマホの応答ボタンをタッチした。
「仁子さんのお電話でしょうか。お久しぶりです、保健師の佐藤です。」
電話を切ったマレ熊は緊張の糸が切れて、深くためいきをついた。電話の相手は職場の保健師だった。
飲酒配信では会社勤めは過去のことであるかのように話したが、本当はまだ会社に所属していた。現在のマレ熊、いや仁子は休職中。保健師の用件は、休職に入ってしばらく経つ仁子と直接面談して身体の調子を確かめたいというものだった。
正直会社の人と会いたくなんてなかった。しかし、まだ社会に片手をかけている者として、断るという選択肢は最初からない。
面談は数日後だ。その日までどう過ごそうか。とても配信してゲームや雑談に興じる心の余裕はない。迷った末、仁子はマレ熊アカウントのSNSに一件の投稿をした。
『重大な精神的ダウンのため、数日間配信はお休みします。ヒントは飲酒配信。察してください』
実際飲酒配信での失態も仁子の精神にダメージを与えているため、嘘ではない。
投稿にはすぐ数件のコメントがついた。
コメント:あまり落ち込むな、歌良かったぞw
コメント:お休み了解。復活配信は歌枠希望w
コメント:ゆっくり休んで心の傷を癒してね
リスナーのコメントを見ると少し救われる気がした。
どんなに嫌でもXDAYはやってくる。今日は仁子が会社の保健師と面談をする日だ。久しぶりにスーツに袖を通す。大嫌いな服を着ると、なんとなく息苦しい。鏡で全身をチェックして、仁子は数か月ぶりに会社に向かった。
面談室の扉をノックして開けると、保健師の女性が出迎えてくれた。ひと回りほど年上の穏やかな雰囲気の女性だ。どことなく見覚えがあるのは、仁子が休職手続きを取った際にも彼女は同席していたからだろう。
「仁子さんお久しぶりです。さあ、こちらにどうぞ」そうして面談が始まった。
「仁子さん、夜は眠れてますか?」
「食欲はあります?」
「身体を動かす時間は作れてます?」
仁子は全ての問いに無難に答えていった。まさかVtuberとしての配信生活を赤裸々に語れるはずもない。ある程度生活状態に関する質問が終わった後、保健師は声のトーンを一段上げ、明るい口調で話し出した。
「実はね、仁子さんの調子が良さそうだったら、会社に復帰する準備を始めてみるのはどうかという話がありまして……」
「えっ……」
仁子は自分の身体がみるみる冷たくなっていき、顔がこわばるのを感じた。
そんな仁子の様子を敏感に察した女性が「あくまで仮定の話よ?無理に復帰という話じゃないから安心してね」と慌ててフォローを入れた。仁子はもうちいさく頷くことぐらいしかできなかった。
明らかに覇気がなくなった仁子を見て「今日の面談はこれでおしまいです。仁子さん、身体を大事にね」と声をかけてくれた。
そこからどうやって退席したかはよく覚えていない。気づいたら仁子は人気のないトイレで涙を流していた。アニメで聞くような嗚咽が自分の喉から出てきて止めることができない。
自分は一体何に対して泣いているんだろう?保健師の女性は優しかった。態度も声も仁子を追いつめるものではなかったはずだ。『会社に復帰する』その言葉だけで、こんなふうに追い詰められてしまうのか。
しばらくして嗚咽はおさまり、仁子は人目を気にしながら家路に着いた。
家に着くと身体から力が抜けて、ずるずると床に座り込む。自分の傷の深さを再認識した。そして会社に対する嫌悪感も。仁子に与えられた休職期間は実質1年間。その期間を仁子は自分の好きなこと、Vtuber活動に使うと決めたのだ。
(そうして1年後、どうするつもりなの?)
自分の理性の声を頭を振って拒絶する。1年後のその先なんて……知らない。
「会社に復帰なんかしない。私はVtuberやるって決めたんだから」
床に座り込んだ仁子は半ば朦朧としながら、数か月前のことを思い出していた。自分がVtuberとして歩みだすことになったきっかけを。
数か月前。
「あーもうやってらんない」仕事を終えた仁子は友世相手にくだを巻いていた。
「どうした、仁子。また例の上司と何かあったのか」
「アイツの話始めたら今日だけじゃ時間足りないんだけど!ハァー……なんかさ上司が意味わかんない仕事の振り方するせいで全然仕事が進まないんだよね。そうしたら一日が本当に仕事して家に帰るだけで終わっちゃう。趣味の時間も取れなくて、何のために生きてるのか分からなくなってきたよ……」
「人は何のために生きるべきか、非常に哲学的な問題だな」
「いや、私はただ早く帰ってゲームしたいだけなんだよね。もうさ、最近はVtuberの配信を見ながら寝落ちする時間が唯一の救い……。自分でゲームする時間はないけど、人の配信なら何とか追えるからさ」
「ふむ、Vtuberか……」
「みんなさ、ほんと楽しそうにゲームするんだ。リスナーと話したり、Vtuber同士で楽しく協力ゲームしたり……あ~!私も仕事辞めてVtuberになりたーーい!……なんちゃって」
「Vtuberになりたい。いい夢じゃないか」
「へへっ、夢のまた夢ってやつだね~あはは……」
仁子が壊れたのはそれから一ヶ月のことだった。
歌の他にも色々やらかした。社会への不満とか会社への愚痴とか。特定されるような事は漏らしてないと思うが……。
その時、スマホが鳴った。慌てて手に取り、表示されている名前を見てギクリとする。
黒白会社。それはマレ熊が配信で散々こき下ろした会社の名前だった。頭の中で昨夜の配信が高速再生され、訴えられるような発言がなかったかどうか確認する。そうやってぐるぐる考えている間にも電話は鳴り続ける。
(と、とりあえず出なくちゃ……)
マレ熊は息を呑んで、スマホの応答ボタンをタッチした。
「仁子さんのお電話でしょうか。お久しぶりです、保健師の佐藤です。」
電話を切ったマレ熊は緊張の糸が切れて、深くためいきをついた。電話の相手は職場の保健師だった。
飲酒配信では会社勤めは過去のことであるかのように話したが、本当はまだ会社に所属していた。現在のマレ熊、いや仁子は休職中。保健師の用件は、休職に入ってしばらく経つ仁子と直接面談して身体の調子を確かめたいというものだった。
正直会社の人と会いたくなんてなかった。しかし、まだ社会に片手をかけている者として、断るという選択肢は最初からない。
面談は数日後だ。その日までどう過ごそうか。とても配信してゲームや雑談に興じる心の余裕はない。迷った末、仁子はマレ熊アカウントのSNSに一件の投稿をした。
『重大な精神的ダウンのため、数日間配信はお休みします。ヒントは飲酒配信。察してください』
実際飲酒配信での失態も仁子の精神にダメージを与えているため、嘘ではない。
投稿にはすぐ数件のコメントがついた。
コメント:あまり落ち込むな、歌良かったぞw
コメント:お休み了解。復活配信は歌枠希望w
コメント:ゆっくり休んで心の傷を癒してね
リスナーのコメントを見ると少し救われる気がした。
どんなに嫌でもXDAYはやってくる。今日は仁子が会社の保健師と面談をする日だ。久しぶりにスーツに袖を通す。大嫌いな服を着ると、なんとなく息苦しい。鏡で全身をチェックして、仁子は数か月ぶりに会社に向かった。
面談室の扉をノックして開けると、保健師の女性が出迎えてくれた。ひと回りほど年上の穏やかな雰囲気の女性だ。どことなく見覚えがあるのは、仁子が休職手続きを取った際にも彼女は同席していたからだろう。
「仁子さんお久しぶりです。さあ、こちらにどうぞ」そうして面談が始まった。
「仁子さん、夜は眠れてますか?」
「食欲はあります?」
「身体を動かす時間は作れてます?」
仁子は全ての問いに無難に答えていった。まさかVtuberとしての配信生活を赤裸々に語れるはずもない。ある程度生活状態に関する質問が終わった後、保健師は声のトーンを一段上げ、明るい口調で話し出した。
「実はね、仁子さんの調子が良さそうだったら、会社に復帰する準備を始めてみるのはどうかという話がありまして……」
「えっ……」
仁子は自分の身体がみるみる冷たくなっていき、顔がこわばるのを感じた。
そんな仁子の様子を敏感に察した女性が「あくまで仮定の話よ?無理に復帰という話じゃないから安心してね」と慌ててフォローを入れた。仁子はもうちいさく頷くことぐらいしかできなかった。
明らかに覇気がなくなった仁子を見て「今日の面談はこれでおしまいです。仁子さん、身体を大事にね」と声をかけてくれた。
そこからどうやって退席したかはよく覚えていない。気づいたら仁子は人気のないトイレで涙を流していた。アニメで聞くような嗚咽が自分の喉から出てきて止めることができない。
自分は一体何に対して泣いているんだろう?保健師の女性は優しかった。態度も声も仁子を追いつめるものではなかったはずだ。『会社に復帰する』その言葉だけで、こんなふうに追い詰められてしまうのか。
しばらくして嗚咽はおさまり、仁子は人目を気にしながら家路に着いた。
家に着くと身体から力が抜けて、ずるずると床に座り込む。自分の傷の深さを再認識した。そして会社に対する嫌悪感も。仁子に与えられた休職期間は実質1年間。その期間を仁子は自分の好きなこと、Vtuber活動に使うと決めたのだ。
(そうして1年後、どうするつもりなの?)
自分の理性の声を頭を振って拒絶する。1年後のその先なんて……知らない。
「会社に復帰なんかしない。私はVtuberやるって決めたんだから」
床に座り込んだ仁子は半ば朦朧としながら、数か月前のことを思い出していた。自分がVtuberとして歩みだすことになったきっかけを。
数か月前。
「あーもうやってらんない」仕事を終えた仁子は友世相手にくだを巻いていた。
「どうした、仁子。また例の上司と何かあったのか」
「アイツの話始めたら今日だけじゃ時間足りないんだけど!ハァー……なんかさ上司が意味わかんない仕事の振り方するせいで全然仕事が進まないんだよね。そうしたら一日が本当に仕事して家に帰るだけで終わっちゃう。趣味の時間も取れなくて、何のために生きてるのか分からなくなってきたよ……」
「人は何のために生きるべきか、非常に哲学的な問題だな」
「いや、私はただ早く帰ってゲームしたいだけなんだよね。もうさ、最近はVtuberの配信を見ながら寝落ちする時間が唯一の救い……。自分でゲームする時間はないけど、人の配信なら何とか追えるからさ」
「ふむ、Vtuberか……」
「みんなさ、ほんと楽しそうにゲームするんだ。リスナーと話したり、Vtuber同士で楽しく協力ゲームしたり……あ~!私も仕事辞めてVtuberになりたーーい!……なんちゃって」
「Vtuberになりたい。いい夢じゃないか」
「へへっ、夢のまた夢ってやつだね~あはは……」
仁子が壊れたのはそれから一ヶ月のことだった。
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