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3 少年とアッシュ(1)
しおりを挟む「……これぐらいで良いかな。そろそろ帰らない?」
しばらくジェリーチについて話をしながら採集をしていたカナタは、時機を見て切り出した。採集用のカゴももういっぱいだ。帰るには良いタイミングだろう。
おう、とジークも快く頷いて立ち上がる。
「そうだな。今日は実りの多い探索だったよ。……あ、後もう一箇所だけ、行きたい場所があるんだが……」
「?」
――ジークが最後に希望したのは、二人が初めて出会った広場であった。
北の森全体で言えばほぼ入り口のような場所だが、それでもここを知る人間は地元民でもほとんど居ない。一体どうやってジークはここを知ったのだろう。
「ああ、やっぱり微かに見覚えがある気がする」
「ジーク、ここに来たことあるの?」
ポツリと洩れた彼の呟きに、訊き返す。しかし、ジークの答えは返ってこなかった。黙々と足を進め、彼は記憶を掘り起こすように時折足を止めては考えにふける。
――しばらくして、ようやくカナタの存在を思い出したかのようにジークはゆっくりと振り返った。
「なぁ、このあたりに……子供が入れるくらいの大きな洞が空いた木がなかったか?」
「どうしてそれを……!」
思わず声が厳しくなる。確かにここには、カナタにとっても大切な大樹がそびえていた。
しかし、それも五年前までの話。樹はもう雷に倒されて、見る影もなくなっている。そんな昔のことを何故ジークが知っているのだろう。まさか――。
息を呑むカナタに力なく微笑みかけると、ジークは空を見上げる。
「やっぱりそうか。ここは昔……俺と友達の秘密基地があった場所なんだ」
「友達……?」
ああ、と頷くと、ジークは目を細めて思い出を眩しそうに振り返る。
「ずっともう一度会いたいと願っている、俺の大事な秘密の親友。……誰にも伝えたことが無いけど、なんでだろうな。カナタには聞いてほしいんだ」
そうして彼はゆっくりと語りはじめたのだった――。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
実は俺が辺境領に来たのは、初めてじゃない。六年前……まだ十二歳だった頃、俺は一時期ここで暮らしていたことがあるんだ。
母の故郷がこの地でね、当時病に臥せっていた彼女が故郷で療養したいと……そう押し切っての帰省だった。
幼かった頃の俺はわからなかったけれど、今ならわかる。それは単なる名目上の理由で、実際の理由は別にあったんだと。
もちろん、本当に療養の意味合いもあったんだろう。でも、多分それ以上に俺の身の安全確保のために、母は無理にでも故郷へ帰って来たんだと思う。
というのも……カナタも噂で聞いているだろうけど、俺の母は側妃なんだ。それも、若かりし頃の王が惚れ込んで強引に据えた、後ろ盾も支持者も何もない側妃だ。
そんな弱い立場で、彼女は第一王子である俺を産んでしまった。……そう、産んでしまったとしか言いようがない。それこそが彼女の不幸の始まりだったんだから。
……それから、三年後だ。正妃が男児を出産したのは。
それ以来、俺たちの立場は目に見えて悪くなった。何しろ、母親の違う第一王子と第二王子だ。年だって近い。どちらが王位を継ぐか、なんて気の早い噂はあっという間に国中を駆け巡った。
王は国が乱れることがないようにと、早いうちから王太子は俺の弟である第二王子を指名するという声明を出していた。俺の母だって、それに異論のあろうはずがなかった。
実際、その後しばらくの間は表面上、母と正妃は穏健な関係を築いていたんだ。
それが崩れた原因なんて、今となってはわからない。俺が暗殺者に狙われるようになった時期と同じ頃に母が体調を崩すようになった背景も、あまり考えたくはない。
ひとつだけ言えるのは、母も俺も王位になんて興味はなかった。ただ、静かに暮らしたかった。その願いのために、辺境領へとやってきたんだ。
……前置きが長くなってしまったな。まぁそんな事情があって、幼かった俺は辺境領を訪れた。
といっても事情が事情だ、気安く遊べる友人も居ないし、周囲の人間も巻き添えをおそれて遠巻きにしてくるばかり。母も心労が祟ったのか、砦に到着した途端倒れてしまった。その結果、放っておかれた俺は、常に時間を持て余していてね。
――そんな時だ。母の病気に効くかもしれない薬草が、北の森に生えている……なんて噂を耳にしたのは。
いや、他人事のように言ってしまうけど、子供の行動力ってすごいよな! 一人前の大人だって北の森に足を踏み入れることを嫌がるだろうに、その時の俺は迷うことなく即座に北の森へと向かったんだから。
運も味方したのか、俺は魔物に襲われることもなくここ、この広場までやってきた。
――そして出会ったんだ。俺の友達、唯一無二の親友……銀色の神狼に。
辺境領に済んでいるカナタなら、神狼の伝説のことは当然知っているだろう? 北の森を統べる絶対的な王、戦女神の血に連なる神獣、神狼……その存在の前には魔物すら頭を垂れるというんだから驚きだ。
魔物が人里に溢れることなく辺境領が成り立っているのはその神狼の存在があってこそ、なんて話はこっちでは有名だよな。
――そう。俺が出会ったのは、疑いようもなくその伝説の神狼だったんだ。そんな顔するなよ、カナタ。本当なんだって!
身体は意外と小さいけれど見事な銀色の毛並みをしていて、そして夜空のような紺色の瞳は深い知性の光を宿していた。纏うオーラからして、野生の狼なんかとは全然違う。
今でもまざまざと思い出せるよ、あの神々しくて可愛らしい銀色の親友の姿を! 美しくて気高くて……本当に惚れ惚れするくらい綺麗な姿をしていたんだ。
その時の俺はあっという間に神狼に懐いた。人間の方が懐くっていう言い方も変な話だけど……まぁでも実際そうだったんだから、しょうがない。
毎日この広場を訪れてはアッシュに――ああ、アッシュって言うのは俺がつけた名前な――じゃれついていた。ここにあった大木の洞の中が、約束の場所だった。
おかげで、その頃の寂しさは完全に霧散したよ。アッシュは人語こそ話さないものの、明らかに俺の言葉を理解していた。なんてったって、出会って二回目には俺が探していた薬草を咥えてきてくれたんだから。
言葉を交わすことはできなかったけれど、間違いなく俺たちは、通じ合っていた。アッシュはいつもじっと静かに俺の話を聞いて、傍に寄り添ってくれていた。
温もりを分け与えてくれるその温かな体温が、孤独だった俺をどれだけ救ってくれたことか……口では到底言い表せないぐらいだ。
そうしてアッシュとそのまま暮らしていければ、それで良かったんだけどな……。そんな日々は唐突に終わりを迎えた――母が亡くなったんだ。それは同時に、俺がここで生活する大義名分も失われたことを意味していた。
王都への帰還命令は驚くほど早かったよ。葬儀の翌日にはもう、俺は馬車の中に押し込められていた。アッシュに別れを告げる時間すらなかった。
そしてひたすら馬車で揺られること丸五日。そこで、俺の暗殺計画は遂行された。
――おそらく、馬車に魔物寄せの仕掛けがされていたんだろう。気がつけばどの街からも離れた平原のど真ん中で、俺たちはたくさんの魔物に囲まれていた。
いくら馬を走らせても執拗に後を追ってくる魔物、徐々に縮まる奴らとの距離……馬は狂ったように走ったけど、いつまで経っても魔物は諦めなくて……地平線に日が沈む頃。もうこれ以上走れないとばかりに、馬は突然ピタリと走るのをやめてしまった。
もうその頃には、魔物は姿がはっきり見える距離にまで迫っていた。数えることを理性が拒否してしまったけど、間違いなく二十体以上は居ただろう。絶体絶命の状況の中、俺はただ馬車の中で震えていることしかできなかった。
……でも、そこで思いも寄らない出来事が起きた。突然、魔物のたちの目の前に何かが躍り出たんだ。
馬車を守るように立ち塞がる銀色の影――そう、アッシュだ!
信じられるか? そこはもう、辺境領から遠く離れた場所だった。神狼は縄張りを重要視する生き物だ。それなのに、アッシュは俺を守るために駆けつけてくれたんだよ!
ただ、残念なことにそこから先のことはあまりよく覚えていない。
轟くようなアッシュの遠吠えがビリビリと空気を震わせたのが最後の記憶で……多分、そこから俺は意識を失ってしまったんだろう。
気がついた時にはもう俺は兵士たちに保護されていて、魔物は一匹残らず息絶えて地面に伏していた。
そして。どれだけ声を枯らして名前を呼んでも、アッシュはそれから二度と姿を見せてはくれなかった――。
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