静かに暮らしたいケモ耳少女は、シシグマ王子のお気に入り

本人は至って真面目

文字の大きさ
20 / 25

8 冬の百雷(2)

しおりを挟む

「ショコラードの香りがする……!」

 やがて台所から漂いはじめた香りに、カナタは驚いた声を上げた。少しだけ元気の出たその声に、自分のアイデアが当たったことを知ってジークは笑みを浮かべる。

「ああ。もう少しでできるから、待ってろ……と。ほら、暖炉に当たりながら一緒に飲もうか」

 出来上がったばかりの優しい栗色の液体は、ほかほかと湯気を立てた状態でカナタに渡される。

「……美味しい」

 火傷しないように気をつけながらこくりとひと口飲んで、カナタはそっと呟きを洩らした。

「ショコラードの香りによく似ているけれど、それより柔らかくて落ち着く感じ。なんだかホッとする」

 また窓の外で稲妻が光った。びくりと肩を震わせたものの、カナタの表情は先ほどよりも落ち着いている。

「気に入ってもらえたなら、良かった」

 期待していた通りの効果に、ジークも唇を緩める。

「そう。これはショコラードの原料を使って作ったんだ。後は、ミルクと蜜が入ってる。甘すぎないか心配したけど、良い感じだな」
「こんなお菓子もできるんだね……!」

 素直な賞賛が面映ゆくて、ジークは頬をかく。

「いや、こいつはそんな大層なものじゃないんだ。材料を混ぜて、鍋で温めただけだから。ショコラードはむしろ、固めてカタチにするところが大変なんだ」
「そういうものなんだ……」

「だから本物のショコラードはまた今度、な?」
「べ、別に、ネダったつもりじゃ……! 私、そんなに食いしん坊じゃないし!」

 ムキになって言い返すカナタの反応がおかしくて、ジークはつい声を上げて笑い出してしまった。最初のうちはムッとした表情だったカナタも、やがてつられて一緒に笑い出す。
 ――二人きりの空間に、明るい笑い声が満ちていった。



 ああ良かった、と笑いすぎて浮かんだ目尻の涙を拭いながら、ジークはしみじみと安堵していた。先日一方的に自分の気持ちを伝えたことで、カナタとの関係がぎくしゃくしてしまうのではないかと心配していたのだ。
 でも、偶然にも冬の百雷のおかげで、構えずにカナタと話ができた。己の幸運に、内心で感謝を捧げる。

「ああ、もうジークったら!」

 しばらく笑ってから、カナタはやっと息をついた。いつの間にか、頭にかぶっていた毛布は机の上に追いやられている。

「……でも、来てくれてありがと。義父とうさんから聞いてるかもしれないけど、私、雷の音が本当にダメなんだ」
「うん、聞いてる。もう大丈夫か?」

 こくん、と小さく頷いてからカナタは上目遣いになる。

「その……頭撫でてもらえたら、もっと安心できるんだけど」
「っ、良いのか?」

 恥ずかしいのか目を逸らしたまま、カナタは小さく頷く。
 彼女の尻尾がぱたんぱたん左右に揺れはじめたのは期待されてる……と解釈して問題ないのだろうか。

「それじゃ……触るぞ」

 喉の奥に絡まるものを感じて、咳ばらいをしてからジークはそっと手を伸ばした。心臓が痛いくらいに脈打ちはじめる。

 ――初めて会ったときだって同じことをしたはずだ。でもそれが「好きな子の髪に触れる」という行為になっただけで、緊張は一気に増す。脳を痺れさせる甘酸っぱい幸福感と眩暈を覚えるほどの高揚。

 だというのに、一方のカナタは心からリラックスした表情でジークに身体を預けてくる。その信頼が嬉しい反面、異性として認識されていないことの表われにも感じられて、ジークは身勝手な軽い苛立ちを覚えてしまった。

 避けられるのは嫌だが、だからといって無かったことにはされたくない。男心は、フクザツなのだ。



「実はな……」

 少しでも意識をしてもらいたくて、気がつけばジークは言うつもりのなかった話を始めていた。

「俺の父親、つまりは国王になるわけだが……が、早めの退位を考えているらしいんだ」
「たいい?」
「王様をやめるってことだ」

 ふーん、と首を傾げるカナタの反応は鈍い。確かにこの辺境領で王の話をされても、一般人には雲の上の出来事にしか感じられないのだろう。気にせずにジークは話を続ける。

「今の国王が退位するってことは、新しい王が生まれるってことだ。王太子である俺の弟が正式に王位に就くことになる。もともとそのつもりだったし、王が存命中の譲位なのだから場が荒れることもないだろう。そうなったら」

 いったん言葉を切り、カナタの頭を撫でる手を止めてジークは息をゆっくりと吸った。

「そうなったらもう、俺が狙われることもなくなる。クインジュ家の血を引く第二王子の王位就任……それこそが奴らの悲願だ。それが叶えば、奴らも俺に構う必要はなくなる。俺はもう、自由だ。……後はささやかな爵位でももらって、このあたりでゆっくりと暮らそうと思うんだ」
「そうなんだ。……それは良かったね!」

 ジークの独白を静かに聞き終えたカナタは、くるりと振り返って満面の笑みでジークの顔を見上げた。

「そうしたらジークの好きなこと、何でもできるね! 自由になったら、何がしたい?」
「っ……好きなこと……か」

 今の話は、「そうしたら改めて告白するから」というつもりで口にしていたのだが、カナタにはまったく通じていない。しかし、「好きなことを何でも」という表現は、ジークの心をくすぐるものであった。



「そうだな。その時には……ゆっくり本を読みたい、かな」
「本を?」

 意外なことを言われた、と言わんばかりの反応を向けられて、カナタが悪いわけでもないのに苦い笑みが浮かぶ。

「第二王子派ばかりの城の中で生き抜くためには、『俺は脅威になりません』ってアピールをし続けることが必要だった。『第一王子は剣を振り回すことしかできない無能で、とても王になるような器ではない』ってな。そう思ってもらうためには、本を読んでいる姿なんて見せられなかったんだよ」

 ――そうやって、小さな行動ひとつ取っても周囲の反応を考えなければ生き残れなかったのだ。

「そうだったんだね……」

 暗い話をしてしまったとジークは話を変えるより先に、「それならさ」とカナタが声を上げた。

「私、その時までにオススメの本いっぱい集めておくね! 冒険譚も伝記も図鑑も、私が好きな本はいっぱいあるから!」
「っ! カナタ、君は本当に……」

 言葉が出て来ず、ジークはそこで口を噤む。

 ――ああ、そうだ。俺が好きになった彼女はそういう前向きで、優しいところが魅力なんだ。

 ジークが髪を梳かしやすいよう、カナタは後ろを向いて座っている。それが本当に良かった、とジークはしみじみと感じていた。

 ――だってこんな緩んだ表情、とてもじゃないけど好きな人に見せられない。



「逆に、カナタの今やりたいコトって何なんだ?」

 平静を取り戻そうとジークが何気なく口にした質問に、「よくぞ聞いてくれました!」とカナタは嬉しそうな声を上げた。

「実はこの前、義父とうさんに『薬の調合について教えられることはもうない』って言われたんだよね! 薬師として十分な知識と腕前を持っている、って」
「先生にそう言われるなんて、大したもんじゃないか」
「へへーん、でしょでしょ? それで近い将来、正式に独立しようと思ってるんだ。義父とうさんの助手、じゃなく私個人が一人前の薬師になれるように。……まぁきっと、母さんに比べればまだまだなんだけれどね」

「カナタの母上は、その……?」

 初めて語られる母の存在に言葉を濁しながらも問いを投げれば、カナタは「ああ」とあっけらかんとした態度で答える。

「うん、私と同じ。狼が混ざってる。私が十歳のときに死んじゃったけど。それまでは薬草のことや北の森のことは母さんに教わっていたんだ。義父とうさんのところに身を寄せることになったのも、母さんの紹介があったからだよ」
「そうか……」

 立ち入っても良いものかと躊躇うが、カナタは言葉を続ける。

「母さんから学んだことが、今の私の元になってる。ただ、『人間に必要以上に関わるな』って教えだけは守れなかったけど』

 そう言ってペロリと舌を出す。

「カナタのそういう明るくて親しみやすいところ、俺は良いと思うぞ。別に秘密を保ちながら周囲と関係を築いても、良いじゃないか。周囲と馴染んでやってる方がカナタらしい」
「ん、ありがと」

「実は俺も、カナタの言っていた『皆と静かに暮らしたい』という気持ちがわかるようになってきたんだ。最初に聞いたときはピンと来なかったけれどな」
「へぇ?」

 意味ありげにニヤリと笑いかけられ、ジークは落ち着かない気持ちを覚える。それを咳払いで誤魔化して続けた。

「何というか……平凡で注目されない日常っていうのは、良いものだな。俺もいつか『何者でもない一人のジーク』になれるかもしれない、って思った時に自然とそう思えた」
「ふふ……そっか!」

「そうしたら、俺と……」

 言いかけて、ジークは口を噤んだ。――せっかく流れているこの穏やかな時間を遮って、無理に距離を詰めることはないだろう。
 カナタに意識されたいという欲求はもちろんある。でも、それと同じくらいジークは彼女と過ごすこの優しい時間が好きだった。
 まだ温もりの残るショコラードをこくりと飲んで、ひと息つく。

 ――扉の外は、まだ嵐の真っ只中だ。でも、ここを流れる二人の時間はどこまでも穏やかで落ち着いていた……。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました

下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。 そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。 自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。 そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

政略妻は氷雪の騎士団長の愛に気づかない

宮永レン
恋愛
これって白い結婚ですよね――? 政略結婚で結ばれたリリィと王国最強の騎士団長アシュレイ。 完璧だけど寡黙でそっけない態度の夫との生活に、リリィは愛情とは無縁だと思っていた。 そんなある日、「雪花祭」を見に行こうとアシュレイに誘われて……? ※他サイトにも掲載しております。

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?

はくら(仮名)
恋愛
 ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。 ※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。

【完結】精霊獣を抱き枕にしたはずですが、目覚めたらなぜか国一番の有名人がいました

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
「あなたに会いたかったの、ずっと」 秘め続けていた思いを告げ、リセの胸は高鳴っていた。が、それは人ではなく、五年程前に森でさまよっているところを助け出してくれた、リセにとって恩人(恩獣?)の精霊獣だった。 リセは助けてくれた精霊獣に並々ならぬ思い入れがあり、チャンスがあれば精霊獣を誘拐……運ぼうと鍛え抜いていた筋力で傷ついた精霊獣を寝室に担ぎ込み、念願の抱き枕を手に入れる。 嫌がる精霊獣だったが、リセは治癒能力を言い訳にして能力濫用もはばからず、思う存分もふもふを満喫したが、翌朝……。 これは精霊なら自然体でいられる(むしろ追いかけていく)のに、人前では表情が固まってしまう人見知り令嬢と、自分の体質にちょっとお疲れな魔術師の、不器用な恋の話。 *** 閲覧ありがとうございます、完結しました! ラブコメ寄り? コメディとシリアス混在の恋愛ファンタジーです。 ゆるめ設定。 お気軽にどうぞ。 全32話。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

処理中です...