この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

文字の大きさ
22 / 83
第5章 悲しみ、涙、そして、願い

悲しみと苦しみのファクター -2

しおりを挟む
 キノの脳が、何かにとどめの一撃で噛み付かれるような、重いくさびを一気に打ち込まれるような、鋭利な刃物で真っ二つに裂かれるような衝撃を受け、身体のバランスを崩した。
 椅子から落ちそうになるキノを、浩司の腕が支える。

「大丈夫か?」

 開いたキノの目が、浩司を見上げる。

「本当にあのメールを打ったの? 浩司が、希由香に?」

「そうだ。それ以来、あいつからの電話には一切出なかった。メールも全て、読まずに消した」

 キノは初めて、憎しみを込めた視線を浩司にぶつけた。

「希由香を…徹底的に傷つけようと思った。二度と、俺に会いたいとは思わないくらいにな」

 キノは黙ったままだった。

「泣かせるのは、これで最後にしたかった。あいつの人生に、俺は不要なんだ」

「…泣いてなかったよ、まだ」

 ぼんやりとした視線を宙に投げ、キノがつぶやく。

「私、膝をえぐったことがあるの。原付きで転んじゃって。傷跡きずあとが一生残るほどのかなりの怪我。でも、最初は全く痛みを感じなかった。肉のがれた膝を抱えて、呆然と皮膚の中を見てた。白い骨とピンク色の肉。少しして、一気に血があふれ出した。それでも、全然痛くなかった。衝撃が大き過ぎると、痛みをすぐに感じることが出来ないみたい。心も…同じよ」

 浩司の目元が険しくなる。

「希由香が別れを実感するのに、どれだけの時間がかかると思う? しかも、じかに聞いたわけじゃない。手酷てひどく突き放すのなら、どうして直接言わなかったの?」

「…何度も言おうとしたが、結局…言えなかった」

「目の前で泣かれるのは、もううんざりだったから?」

 浩司は何も言わない。

「希由香に逆上されたら困るから?」

「そうじゃない…」

 キノのが鋭く光る。

「会って言うべきだった。去って行くなら、せめて、その後姿うしろすがたを見せてやるべきだった。たとえ、あなた自身が…別れを辛く思ったとしても」

 浩司はキノから目を逸らし、頭を振った。

「本当は手放したくなかった? そばにいて欲しかった? 希由香にひどい言葉を投げつけるたび、あなたも傷ついてたんでしょう?」

「違うとしか言えないのを…知ってて俺に聞くのか」

 浩司の声が、かすかに震える。

「ごめんなさい…」

 キノは自分の放った言葉を後悔した。

「でも、こんなの納得いかない。希由香も、浩司も、何のために悲しむの? 何で苦しまなきゃならないの?」

 深い、海峡に落ちて行くような沈黙が流れる。静かで暗い場所。成す術のないことを、知る者の境地きょうちへと。

「二人の幸せを願っちゃ、いけないの?」

 誰に向けられたものでもないつぶやきが、キノの口から漏れる。

「私に出来ることは…ないの?」

「護りを、見つけてくれ」

 浩司は抱えていた頭を上げる。その声はもう震えておらず、目に涙のあとはない。

「俺と別れた後の希由香が何を思い、どうして俺の住んでいた街に行ったのか、そして、何を祈ったのか。俺自身も、知らなけりゃならないことだ」

「辛いでしょう?」

「…あいつほどじゃない」

 その言葉に、キノの胸が詰まる。

「浩司も、泣きたい時は…泣いていいんだよ」

「俺に泣く資格はないからな」

 キノを見て微笑みを作る浩司は、流すはずの全ての涙で、自らの心を覆うくさりを濡らし凍らすのだろうか。外部から心を守るのではなく、近寄る者の身を守るためにある鉄条網てつじょうもう。自分の思いを封じ込めるための頑丈頑丈おり

 キノはかつてないほどの無力感にさいなまれ、苛立いらだち、打ちのめされる。

「それに、感傷に浸ってる暇はない。ここから先は、更に集中力が要る。俺のいない、希由香だけの記憶だからな」

「あと半年…」

 その間に、希由香は何をあきらめて、何を選んだんだろう。ずっと、彼女の思いを追って来た。どんなふうに、その思いを深めて行ったのか。浩司の存在が、どうやって心を占めていったのか…。感情だけじゃなく何を思ってるのか、今では、だいぶ感じ取れる。考えてることまでは無理だけど…。

「ねえ…どうして、出会った頃のことから思い出させたの? 発動の時の記憶だけならすぐなのに」

 浩司は許しをうような眼差まなざしで、キノを見つめた。

「汐のしたことは、希由香の心を要塞ようさいに閉じ込めた。もし、急にまたあの日の記憶に触れようとすれば、たとえ同じ魂を持つ者であっても、過剰に反応するかもしれない。だから、少しずつ記憶を共有させていった。同じ気持ちがある者なら、敵と認識しないだろうからな。おまえには…すまないと思ってる」

「希由香の心を壊す危険はおかせない?」

「それが、おまえに、あいつの苦しみを辿たどらせることになるとわかっていてもな」

 二人の視線は、絡んだまま動かない。キノが微笑んだ。

「知ってよかったよ」

 希由香の思いも、浩司の悲しみも…。

 浩司が目を閉じる。キノは時計を見た。0時14分。

「まだ、続けられる? あと3日…護りは、私が必ず見つけるから」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

忖度令嬢、忖度やめて最強になる

ハートリオ
恋愛
エクアは13才の伯爵令嬢。 5才年上の婚約者アーテル侯爵令息とは上手くいっていない。 週末のお茶会を頑張ろうとは思うもののアーテルの態度はいつも上の空。 そんなある週末、エクアは自分が裏切られていることを知り―― 忖度ばかりして来たエクアは忖度をやめ、思いをぶちまける。 そんなエクアをキラキラした瞳で見る人がいた。 中世風異世界でのお話です。 2話ずつ投稿していきたいですが途切れたらネット環境まごついていると思ってください。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...