この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

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第9章 それぞれの役目

狩りの始まり -1

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 涼醒は、険しいひとみで窓ガラスの外を凝視している。

「どうかしたの?」

 キノが小声でたずねる。

「朝通った道と違うな…。本当にN橋に向かってるのか?」

 疑いの声を上げる涼醒をサイドミラーにとらえ、運転手が笑った。

「タクシーは抜け道を通るもんです。心配しなくても、もうすぐそこだ。で、どっちにします?」

「どっちって、何がだよ?」

「お客さんたち…ラブホテルに行くんじゃないの? あそこに行きたいカップルは皆、N橋のところって言うからてっきり…」

「N橋の近くの家に用があるだけだ。女を連れ込む時だったら、もっと楽しそうな顔してるさ」

 鏡の中で涼醒と目を合わせた運転手が、苦笑した。タクシーを路肩に停め、二人を振り返る。

「もうここがN橋だけど…この辺りでいいんですかい?」

 キノは辺りを見まわした。
 10メートルほど行った先の右手に、2、3軒あるラブホテルのネオンサインが煌々こうこうと光っている。けれども、館のある丘へと続く森どころか、橋らしきものの姿さえも見当たらない。

「橋はどこなの?」

 キノの言葉に、運転手が微笑む。

「お客さん、地元の人じゃないね。N橋ってのは、昔あった湖にかかってた橋で、今はもうないんですよ。その跡地あとちのことを、この辺の人間は何故なぜかそう呼んでるんです。桜やなんかの木が植えられてて、春はにぎわいます。池もあってね」

「それがここ?」

「そこに土手を降りる階段があるが…何せ広い場所でね。お客さんの行きたい家の近くに、ほかの目印はないの?」

「丘があって…そこを下りた大通りにあるバス停が、N橋って書いてあったから、近くにそんな名前の橋があるんだろうと思ってたの。その家の人も、N橋って言えばわかるって」

「ああ、そりゃあっち側だ。ここからじゃ建物に隠れて見えないが、向こうに小高い森がある」

 運転手は左前方を指差した。

「私の早とちりから遠回りすることになっちまって…すいません」

「ううん、平気よ。無事に着けば、問題ないよね?」

 キノが隣を見ると、涼醒は無言で前方に目をらしている。

「涼醒?」

「前の車…何か気になるな」

 タクシーの30メートル前、ラブホテルの真向かいの路肩に、一台の車が停車している。

「バス停は、この反対側なんだろ? そこに行く前に、あの車の横…出来るだけゆっくり通ってくれないか」

 涼醒がそう言うと、運転手は怪訝けげんそうな顔でうなずいた。

「希音、頭引っ込めてろ」

 キノは言われた通り、運転席のシートのかげに身をかがめる。涼醒も同じように頭を下げ、左に目を向けている。

 発進したタクシーは、しばらくの間のろのろと走り加速した。身体からだを起こす涼醒を見つめながら、キノもそれにならう。

「涼醒…?」

「…リシールが二人乗ってた」

 キノと涼醒は同時に後ろを振り返った。追ってくる気配はない。遠ざかる車が、闇に飲み込まれて行く。

「あの車がどうかしたんですかい?」

 二人の様子を見て、運転手がたずねる。

「何でもないんだ。喧嘩してる友だちの車に似てたから、会いたくない奴らが乗ってるかと思ってさ。でも、違ったらしい」

 涼醒は前に向き直り、息をついた。運転手がおかしそうに笑う。

「お客さんたちくらいの、若いカップルでしたよ。ホテルの前まで来て、喧嘩でもしたんでしょう。そういや二人とも、じっとこっちを見てたな」

 キノと涼醒の視線が絡む。

「大丈夫だ」

 口を開きかけたキノの手を優しく握り、涼醒がささやいた。



 5分足らずで、今朝奏湖の車で通った大通りに出た。見覚えのあるバス停留所の標識が見えて来る。

「バス停のところでいいのかい? 何だったら、その家まで乗せて行きますよ。回り道したお詫びにサービス料金で」

 タクシーの速度を徐々に落としながら、運転手が言った。

「…その先を右に入って、少し行ったところで停めてくれ」

 涼醒の指示した場所で停まったタクシーの左手に、鬱蒼うっそうとした森へと続く道がある。そして、その先には、闇への入口のような門があった。

 鉄柵で出来たその黒銀の扉は、わずかに口を開けているように見える。

「あの門…夜は閉まってるって、奏湖さん言ってたよね…」

 キノが静かにつぶやいた。その心が感じているのは、嫌な予感ではない。目前に迫るつつある危機への警告だった。

「この後はどうします?」

 呑気な声でたずねた運転手が、窓の外を真剣に見入っている二人の姿に眉を寄せる。

「お客さん?」

「運転手さんなら…この辺りの地理には詳しいはずだし、運転にも自信あるよな?」

 涼醒が、つとめて自然な調子で言った。

「そりゃあもちろんだが…いったいどうしたっていうんです?」

「少しここで待っててくれないか? すぐに戻る」

「何かまずいことでも?」

「仲間とゲームをしてる。つかまらずに、早く家に着いた方が勝ちなんだ。鬼がいないかどうか…見て来るだけさ」

「…め事は困りますよ」

「それなら心配要らない。警察を呼ぶようなことは起きない。ただの鬼ごっこだからな。金は今払う」

 涼醒が多めの金を手渡すと、運転手は呆れ顔で笑い、後部座席のドアを開けた。

「すぐ出せるようにしときますかい?」

「そうしてくれ…。馬鹿げた遊びにつき合わせて悪いな」

 タクシーから降りた涼醒は、キノの手をしっかりと握る。

「希音、奴らがいたら、全力で走れ」

「わかった」

 それが道のどちらに向かってなのか、確認の必要はなかった。
 この暗闇の森の中、追っ手をかわしながら2キロの道のりを館まで走り抜けることが可能だと思うほど、キノの思考は不安におかされ麻痺まひしてはいない。

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