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第11章 守るべきもの、切望するもの
対峙
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「お帰り、希音さん。あなたも護りも、無事で何よりだね…待ってたよ」
キノに微笑みを投げかけながら、ジャルドが言った。その瞳が輝いているのは、窓から射し込む朝陽のせいばかりではない。
金色の瞳の奥に潜む狂喜が、祝杯を手に踊る出番を待っている。けれども、その舞台を縁取るのは勝利の光ではなく、歪められた渇望の作り出す闇なのかもしれない。
「やっと館に戻れて嬉しいよ。夜は歓迎されなくて残念だったけど」
素っ気ない声で、キノが答える。
「ジーグのいないところで話したかったからね。想像はつくだろう? 奏湖と楽しい会話をしたらしいし」
キノは、ジャルドの横で笑顔を見せる奏湖に目を向けた。
「ここで続きを話そうってわけ?」
「まあね。でも…それはジャルドにまかせるわ」
奏湖を見やったジャルドの視線が、浩司へと移る。
「あなたとは、後でゆっくり話さなければならないと思ってるよ。これからのことなんかをね。だけど…まずは今必要なことから始めようか」
浩司は、静かな眼差しでジャルドを見据えたまま黙っている。
「希音さんは、護りをラシャに戻すためにここにいるんだろう?」
「…そうよ」
つぶやくように、キノが答える。
「浩司、あなたがそれに協力してる理由は前回の発動者だって聞いてるけど、その通りかな? 紫野希由香と、彼女と同じ魂を持つ者を危険な目に合わせたくない。だから、自らイエルまで行って、護りの発見に尽くした。そのかいあって…今、護りは希音さんの手にある」
浩司は何も言わない。
「だけど、私たちも護りに用があってね。貴重な時間を無駄にしたくないから…率直に言うよ」
ジャルドがキノを見る。
「護りを渡してほしい。無理矢理奪うより、あなたが自分から差し出してくれればと思うんだ。もちろん、世界の崩壊は阻止するから心配は要らないよ」
キノは、微笑むジャルドの瞳を見つめる。
「嫌と言ったら?」
「聞かなくても、わかってるんだろう?」
右手を上げたジャルドが、続き部屋のドアを指し示す。
「あそこには、汐を含め3人がいる。ほかの継承者たちは、涼醒君を探しに出掛けたよ。いくら浩司でも…あなた一人を守るので手一杯だろうね」
今、ジャルドと対峙する間は、感情を顔に出さない。そう決めたキノの心は、穏やかで無感情の仮面に隠されている。
「脅してるの?」
今日の天気でも尋ねるかのように落ち着いた声を出せる自分に驚きながら、キノはごく自然に笑った。奏湖が眉を寄せる。
「笑える状況なの? 血なまぐさいことは好きじゃなくても、必要ならやるわ。実際に傷つけるつもりのない脅しじゃない。命があるかぎり、人質には価値がある。特に、大切に思う者が相手ならね」
「知ってるよ」
キノはジャルドを見る。
「護りを渡さなかったらどうなるか、ほかにもあるなら教えて」
ジャルドが考えるように首を傾げる。
「その余裕ぶりはどこからくるのかな。あなたにラシャの者と同じ考え方が出来るとは思えないし…。まあ、いつまで保つかは疑問だね。浩司は黙ったままだけど、話し合いに加わらなくてもいいのかな? 大事な女なんだろう?」
炎の矢のような視線をキノから浩司へと刺し替えながら、ジャルドが言う。
「誰がどうなろうと知ったことじゃないなんてのはいただけないな。ハッタリの通用しない相手だと、お互いにわかってるんだから…そろそろ本気で話さないか?」
自分に向けられる六つの瞳からキノのものを選び、浩司が微笑んだ。キノがうなずくと、ジャルドへと視線を移す。
「まず、おまえの思い違いを正そう」
この部屋に入ってから初めての浩司の言葉に、ジャルドが問うように眉を上げる。
「キノが護りをラシャに戻そうとしているのは、ラシャの…つまり、世界を救うためじゃない。俺のためだ」
ジャルドの瞳が笑う。
「交渉はあなたとしろって? 希音さんはあなたの言いなりだと?」
「そうだ」
浩司の声に、特別な感情の響きはない。紙に書かれた原稿を熱意なく読み上げるかのように、わかりきった事実を伝えてでもいるかのように、ただ静かだった。
「キノは、俺の言うことに異論はない」
「…あなたが全てを負うと言うんだね。護りも、希音さんも、紫野希由香も」
「そうだ」
「希音さん?」
ジャルドがキノを見る。
「浩司に全て従う、命さえも託す…そう思っていいのかな? 紫野希由香のことも、ここに現れるかもしれない涼醒君のことも、どうなるかは浩司次第だよ」
「そうね」
キノの返事が、ジャルドを真顔にする。
「私は浩司をよく知らない。だけど、これだけはわかる。彼は普通の人間より強い精神を持ってる。あなたの耐えられないことにも耐え得るはずだ。そして、世界にとって何が最良かを常に頭に置くラシャの者とも違う。自分の決めたことのためには、どんな犠牲も厭わないだろう。それでも…魂の片割れが愛する男に全信頼を?」
「その通りよ」
キノはジャルドに微笑んだ。
「浩司を信じてる。それでどうなっても、信じると決めたのは自分…自分の選んだことで、誰も責める気はないよ。護りは、必要な時あるべきところにある。それがどこか、決めるのは私じゃない」
「ただの人間にしては、達観してる物言いだね。使命を与えられただけのことはある。護りは然るべきところへ、その手助けをするのが自分の役目だってことか」
「それはもう終わったの」
キノが浩司へと視線を向けると、ジャルドもそれを追った。浩司が口を開く。
「俺は、取引をしようと思ってここに座ってるんじゃない。おまえを諦めさせるためだ。実のない、無意味な計画をな」
ジャルドの顔が、微かな怒りを浮かべる。
「私の望みを知っているんだとしても、あなたにその意味を否定されたくないな。なりたての継承者にはわからないことが、たくさんあるんだよ」
「だろうな。リシールを増やして何になるのか何をしたいのか、俺にはさっぱりわからない。だが、おまえの知らないこともある。護りを手にするのも、そして、一族の繁栄を願うのも無駄だ…諦めろ」
しばしの沈黙の後、ジャルドの溜息が滞った空気を揺らす。
「あなたがそう言う理由を、是非聞かせてもらいたいね。まさか…護りを持ち帰らないと力を返すっていう戯言を繰り返すつもりじゃないだろう?」
「ラシャにとっては、願ってもない約束だと思わないか? 使いに立てた男は、護りとその在処を知る者を守り、最善を尽くすに違いない。ラシャに護りを戻せなけりゃ、死ぬことにもなるんだからな。おまけに、9人揃うはずの継承者のひとりだ。たとえおまえたちに護りを奪われようと、ヴァイの世界まで奪われることはない」
まるで人事のように淡々と話す浩司を見て、ジャルドの瞳が一瞬険しくなり、怪しく光る。
「私たちが護りを手にいれ、雲隠れしている継承者を見つけた時には、繁栄を願うのに必要な9の継承者を失ってるということか。もし、それが本当なら…」
ジャルドがキノを見やる。
「護りはラシャに戻せばいい。その前に、発動はしてもらうけどね」
キノは何も言わず、顔色も変えない。
「俺がそんなことをさせると思うのか?」
自分へと戻されたジャルドの視線を捉え、浩司が言った。
「あの約束に命を賭けたのは、しなけりゃならないことがあるからだ。明日ラシャに戻った護りが発動する祈りは、もう決まってる。世界の崩壊とは関係ないがな」
穏やかだった浩司の瞳が、その心をわずかに見せる。囚われ同化することを拒み、解放することも叶わぬ闇に隠された、動かすことの出来ぬ思いの片鱗。
「発動しないままの護りを持って、キノは明日ラシャに降りる。どんな脅しも通用しないと思え」
「…紫野希由香は、私たちの好きにしていいんだね? 彼女があなたにとって大事な存在というのは、私の見込み違いだったかな。あなたが、別れた女には興味がないと言うのなら…」
ジャルドはふいに言葉を止めた。浩司が廊下への扉をちらりと見やる。
「いいか、ジャルド。俺はどんなことをしてでも、おまえたちに希由香を傷つけさせはしない。キノと…キノにとって大事な奴もな」
浩司とジャルドの視線が絡む。ジャルドの瞳には狂喜の光が灯り、浩司のそれは、変わらぬ闇に強い意志が透かし見える。
奏湖が椅子から立ち上がった。ほかの三人から数秒遅れ、キノの目も扉へと向けられる。キノにリシールを感知する力はない。けれども、人並みの聴覚は、廊下で起きている喧噪の原因を知るに足る。
「逃げる気があったら、最初から大人しくここまで来ないさ。付き添いなら、一人いれば充分だろ?」
壁を隔てたすぐ向こうから聞こえて来るのは、キノを励まし続け、守るためにやむなくそばを離れた涼醒の声だった。
キノに微笑みを投げかけながら、ジャルドが言った。その瞳が輝いているのは、窓から射し込む朝陽のせいばかりではない。
金色の瞳の奥に潜む狂喜が、祝杯を手に踊る出番を待っている。けれども、その舞台を縁取るのは勝利の光ではなく、歪められた渇望の作り出す闇なのかもしれない。
「やっと館に戻れて嬉しいよ。夜は歓迎されなくて残念だったけど」
素っ気ない声で、キノが答える。
「ジーグのいないところで話したかったからね。想像はつくだろう? 奏湖と楽しい会話をしたらしいし」
キノは、ジャルドの横で笑顔を見せる奏湖に目を向けた。
「ここで続きを話そうってわけ?」
「まあね。でも…それはジャルドにまかせるわ」
奏湖を見やったジャルドの視線が、浩司へと移る。
「あなたとは、後でゆっくり話さなければならないと思ってるよ。これからのことなんかをね。だけど…まずは今必要なことから始めようか」
浩司は、静かな眼差しでジャルドを見据えたまま黙っている。
「希音さんは、護りをラシャに戻すためにここにいるんだろう?」
「…そうよ」
つぶやくように、キノが答える。
「浩司、あなたがそれに協力してる理由は前回の発動者だって聞いてるけど、その通りかな? 紫野希由香と、彼女と同じ魂を持つ者を危険な目に合わせたくない。だから、自らイエルまで行って、護りの発見に尽くした。そのかいあって…今、護りは希音さんの手にある」
浩司は何も言わない。
「だけど、私たちも護りに用があってね。貴重な時間を無駄にしたくないから…率直に言うよ」
ジャルドがキノを見る。
「護りを渡してほしい。無理矢理奪うより、あなたが自分から差し出してくれればと思うんだ。もちろん、世界の崩壊は阻止するから心配は要らないよ」
キノは、微笑むジャルドの瞳を見つめる。
「嫌と言ったら?」
「聞かなくても、わかってるんだろう?」
右手を上げたジャルドが、続き部屋のドアを指し示す。
「あそこには、汐を含め3人がいる。ほかの継承者たちは、涼醒君を探しに出掛けたよ。いくら浩司でも…あなた一人を守るので手一杯だろうね」
今、ジャルドと対峙する間は、感情を顔に出さない。そう決めたキノの心は、穏やかで無感情の仮面に隠されている。
「脅してるの?」
今日の天気でも尋ねるかのように落ち着いた声を出せる自分に驚きながら、キノはごく自然に笑った。奏湖が眉を寄せる。
「笑える状況なの? 血なまぐさいことは好きじゃなくても、必要ならやるわ。実際に傷つけるつもりのない脅しじゃない。命があるかぎり、人質には価値がある。特に、大切に思う者が相手ならね」
「知ってるよ」
キノはジャルドを見る。
「護りを渡さなかったらどうなるか、ほかにもあるなら教えて」
ジャルドが考えるように首を傾げる。
「その余裕ぶりはどこからくるのかな。あなたにラシャの者と同じ考え方が出来るとは思えないし…。まあ、いつまで保つかは疑問だね。浩司は黙ったままだけど、話し合いに加わらなくてもいいのかな? 大事な女なんだろう?」
炎の矢のような視線をキノから浩司へと刺し替えながら、ジャルドが言う。
「誰がどうなろうと知ったことじゃないなんてのはいただけないな。ハッタリの通用しない相手だと、お互いにわかってるんだから…そろそろ本気で話さないか?」
自分に向けられる六つの瞳からキノのものを選び、浩司が微笑んだ。キノがうなずくと、ジャルドへと視線を移す。
「まず、おまえの思い違いを正そう」
この部屋に入ってから初めての浩司の言葉に、ジャルドが問うように眉を上げる。
「キノが護りをラシャに戻そうとしているのは、ラシャの…つまり、世界を救うためじゃない。俺のためだ」
ジャルドの瞳が笑う。
「交渉はあなたとしろって? 希音さんはあなたの言いなりだと?」
「そうだ」
浩司の声に、特別な感情の響きはない。紙に書かれた原稿を熱意なく読み上げるかのように、わかりきった事実を伝えてでもいるかのように、ただ静かだった。
「キノは、俺の言うことに異論はない」
「…あなたが全てを負うと言うんだね。護りも、希音さんも、紫野希由香も」
「そうだ」
「希音さん?」
ジャルドがキノを見る。
「浩司に全て従う、命さえも託す…そう思っていいのかな? 紫野希由香のことも、ここに現れるかもしれない涼醒君のことも、どうなるかは浩司次第だよ」
「そうね」
キノの返事が、ジャルドを真顔にする。
「私は浩司をよく知らない。だけど、これだけはわかる。彼は普通の人間より強い精神を持ってる。あなたの耐えられないことにも耐え得るはずだ。そして、世界にとって何が最良かを常に頭に置くラシャの者とも違う。自分の決めたことのためには、どんな犠牲も厭わないだろう。それでも…魂の片割れが愛する男に全信頼を?」
「その通りよ」
キノはジャルドに微笑んだ。
「浩司を信じてる。それでどうなっても、信じると決めたのは自分…自分の選んだことで、誰も責める気はないよ。護りは、必要な時あるべきところにある。それがどこか、決めるのは私じゃない」
「ただの人間にしては、達観してる物言いだね。使命を与えられただけのことはある。護りは然るべきところへ、その手助けをするのが自分の役目だってことか」
「それはもう終わったの」
キノが浩司へと視線を向けると、ジャルドもそれを追った。浩司が口を開く。
「俺は、取引をしようと思ってここに座ってるんじゃない。おまえを諦めさせるためだ。実のない、無意味な計画をな」
ジャルドの顔が、微かな怒りを浮かべる。
「私の望みを知っているんだとしても、あなたにその意味を否定されたくないな。なりたての継承者にはわからないことが、たくさんあるんだよ」
「だろうな。リシールを増やして何になるのか何をしたいのか、俺にはさっぱりわからない。だが、おまえの知らないこともある。護りを手にするのも、そして、一族の繁栄を願うのも無駄だ…諦めろ」
しばしの沈黙の後、ジャルドの溜息が滞った空気を揺らす。
「あなたがそう言う理由を、是非聞かせてもらいたいね。まさか…護りを持ち帰らないと力を返すっていう戯言を繰り返すつもりじゃないだろう?」
「ラシャにとっては、願ってもない約束だと思わないか? 使いに立てた男は、護りとその在処を知る者を守り、最善を尽くすに違いない。ラシャに護りを戻せなけりゃ、死ぬことにもなるんだからな。おまけに、9人揃うはずの継承者のひとりだ。たとえおまえたちに護りを奪われようと、ヴァイの世界まで奪われることはない」
まるで人事のように淡々と話す浩司を見て、ジャルドの瞳が一瞬険しくなり、怪しく光る。
「私たちが護りを手にいれ、雲隠れしている継承者を見つけた時には、繁栄を願うのに必要な9の継承者を失ってるということか。もし、それが本当なら…」
ジャルドがキノを見やる。
「護りはラシャに戻せばいい。その前に、発動はしてもらうけどね」
キノは何も言わず、顔色も変えない。
「俺がそんなことをさせると思うのか?」
自分へと戻されたジャルドの視線を捉え、浩司が言った。
「あの約束に命を賭けたのは、しなけりゃならないことがあるからだ。明日ラシャに戻った護りが発動する祈りは、もう決まってる。世界の崩壊とは関係ないがな」
穏やかだった浩司の瞳が、その心をわずかに見せる。囚われ同化することを拒み、解放することも叶わぬ闇に隠された、動かすことの出来ぬ思いの片鱗。
「発動しないままの護りを持って、キノは明日ラシャに降りる。どんな脅しも通用しないと思え」
「…紫野希由香は、私たちの好きにしていいんだね? 彼女があなたにとって大事な存在というのは、私の見込み違いだったかな。あなたが、別れた女には興味がないと言うのなら…」
ジャルドはふいに言葉を止めた。浩司が廊下への扉をちらりと見やる。
「いいか、ジャルド。俺はどんなことをしてでも、おまえたちに希由香を傷つけさせはしない。キノと…キノにとって大事な奴もな」
浩司とジャルドの視線が絡む。ジャルドの瞳には狂喜の光が灯り、浩司のそれは、変わらぬ闇に強い意志が透かし見える。
奏湖が椅子から立ち上がった。ほかの三人から数秒遅れ、キノの目も扉へと向けられる。キノにリシールを感知する力はない。けれども、人並みの聴覚は、廊下で起きている喧噪の原因を知るに足る。
「逃げる気があったら、最初から大人しくここまで来ないさ。付き添いなら、一人いれば充分だろ?」
壁を隔てたすぐ向こうから聞こえて来るのは、キノを励まし続け、守るためにやむなくそばを離れた涼醒の声だった。
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