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第8章 カウンセラー

朝食

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 あくを制するためにあくになる。



 僕がやると決めたその行為は、道徳的に正しいとは言えないことなんだろう。

 法的に犯罪となる悪行あくぎょうは、公的な裁きの対象となり罰せられる。
 ただし、それは罪がおおやけに認められればだ。
 そして。
 罪が認められ罰せられても、その罪人が悪じゃなくなるとは限らない。

 法的に罪を償った小児性犯罪者が、再び同じ罪を犯す確率は高い。
 その分だけ、被害者はまた増える。

 罰則が甘いのか。
 人の性嗜好は変えられず。罪人つみびとの烙印を押されたくらいでは、自分の悪をコントロールするには至らないのか。

 だからといって。その悪をなくすために、人が人を破壊する行為を正当化することは出来ない。
 その事実を、僕は十分に理解している。



 それでも、悪になって制したい悪がある場合……必要となるのは何だろう。

 悪になる覚悟をすること。
 それは……。

 人として同じレベルまで堕ちること。
 そこに行ったら二度と戻れないと了承すること。
 引き起こされた結果を受け入れること。
 自分が傷つけたものから目を背けないこと。
 決して後悔しないこと。

 そして、勘違いしないこと。

 生きる価値のない小児性犯罪者を同じ目に合わせて苦しめるのは、正義とは呼べない。
 たとえ救われる誰か、守られる何かがあったとしても。

 僕がやろうとしていることは、正義じゃない。
 それで、全くかまわない。



 世の中でいう正義は、僕たちを救ってくれはしないから。



 翌朝。
 寝坊したい誘惑をなんとか振り払ってダイニングに向かう途中、そこから出てきたれつに会った。

「おはよ、ジャルド。眠いね」

「うん。おはよう。学校、がんばってね」

「僕は寝不足なだけだから、平気」

 その言葉と呆れ気味な微笑みの意味することがわかり、目を見開いた。

かい……ほんとに今日学校行くんだ!?」

「タフだよね。じゃ、いってきます」

「いってらっしゃい……」

 烈の後姿を見送りながら、昨夜の凱を思い返す。



 森の小屋での、両手を拘束され強いられた苦痛に満ちたセックス。
 血にまみれた身体。

 人によって故意につけられた傷は、今もその痕を生々しく残しているはず。
 歩くのも難しい状態にさせるほどの肉体的ダメージは、ほんの6、7時間の休息で学校に行けるくらい回復するものなのか。
 それに……昨日の今日であの男と顔を合わせることに、何の抵抗もないんだろうか。



『タフだよね』



 烈の言う通り。
 身体もだけど、精神がタフだ。
 そのタフさを身につけるまでに、何を見て何を経験してきたんだろう。

 僕の中で、凱への興味は膨らむばかりだ。



 ダイニングに入ると、烈以外の全員が揃っていた。

 おはようの挨拶を交わしながら、空いている席に座る。



 ほんとにいる……しかも、普通に元気そうに。



 僕の斜め右前の席で、凱は食欲旺盛にトーストを食べていた。

 ちゃんとシャワーを浴びたであろうサッパリとした頭。
 薄いミントグリーンのシャツ。
 シャツの袖口から覗く両手首の皮膚が紫色に染まっている以外に、昨夜の出来事を窺わせるところはない。

「お! ジャルド。おはよー」

 僕に気づいた凱が、明るく声をかけてきた。

「おはよう……元気?」

 つい『大丈夫?』と言いそうになるのを堪え、自然な調子で尋ねる。

「ん、元気。ちょっと腰痛めちゃったけどさ」

「昨夜、どこかの店の階段で、足踏み外して腰打ったんだって。遅くなっても帰って来ないから何やってるのかと思えば……ほんと、気をつけなさいよ。頭でも打ってたら大変なんだから」

 僕の前に野菜ジュースを置きながら、ショウが言う。

「はい、どうぞ。パンやほかのものは好きなのを取って」

「ありがとう」



 やっぱり。
 凱の身体には、隠しきれないくらい昨夜のダメージがまだ残ってるんだ。
 だから、みんなに怪しまれないよう転んだことにしてあるんだろう。



 大皿からトーストとチーズを自分の皿に移し、凱と視線を合わせる。
 昨夜と同じ無邪気な笑みを浮かべる凱に、僕も笑みを返す。

「頭は絶好調。もう同じドジは踏まねぇよ。今日は夕食までに帰るから」

「まっすぐ帰りなさい。調子悪いのに遊んでんじゃないわよ」

「平気平気。ひとつだけ、今日済ましとかなきゃならねぇ用事があんの」

 凱はショウの小言を軽く受け流し、声を落として僕を見て言う。

「昨日のディールを完了させねぇとな」



 ディールって……あの男との取引……?
 会うの!?



「大丈夫……なの?」

 少し前まで烈がいただろう僕の正面の席は空いている。
 だけど、僕の右隣り……凱の正面にはあやさんがいるから、何が大丈夫か詳しくは口に出来ない。

 だから。
 とにかく。
 いろんな意味を込めて聞いた。

 身体も、気持ちも、そのディールも、あの男と会うことも。

「もちろん。オレにとっては今日がベスト」

 コーヒーを一気に飲み干して、凱が唇の端を舐めた。



 僕の方を向いてはいるけど、凱の目が見ているのはここにない別の何かだ。
 狙った獲物のどこに牙を立てようかとワクワクしているかのように舌なめずりするその瞳は、暗い光を内包している。

 はじめて。
 凱に、危険な男の印象を持った。



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