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六章 大寧寺ショック
もう一つの顔
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「……まさかこんな分かり易い形で仕掛けてくるとは思わなかったぞ。大野 直昌を呼んできてくれ」
城を出発して二日後、予想される襲撃箇所である犬寄峠に到着すると、そこには幾つもの丸太やゴミが無秩序に捨てられており、道を塞いでいた。
明らかな妨害工作である。撤去作業が始まるのを皮切りに襲撃が始まるのだろう。折しも雨の降る昼下がり、襲撃へのお膳立てが全て整っていると言っても過言ではない。
「重治、元明、敵の伏兵がその辺にいる。左右に分かれて各個に撃退しろ。面倒なら焙烙玉を使って炙り出せ。導火線は防水仕様になっている。この程度の雨は関係無いから安心して使え。雨の影響を受けた所で、火付きが悪くなる程度だ。とにかく伏兵を機能させるな」
『はっ』
道幅約三メートルの狭さに兵達が困惑しながらひしめき合う。両側には松並木が無造作に生え揃っており、伏兵をし放題の状況だ。ここで躊躇っていては相手の思う壺となるのが見えている。特に相手の出方を伺うのはご法度の状況であった。
ならば俺が今選択をするのは攻めの行動だ。全てはお見通しだとばかりに家臣達に役割を与える指示を出す。そうすれば兵に疑心暗鬼が広がらずに士気も保てる。余計な考えを起こさせないようにするのが最も重要な場面だ。
「国虎様、大野殿が参られました」
「いきなりで悪いが任務を与える。今から俺達がこの障害物を撤去するまでの間、障害物を越えた先の最前列で敵からの攻撃を凌いでくれ。ああっ、心配するな。今は敵が見えないが、すぐにも姿を現すさ。本当はもっと良い所で久万衆を使おうと思って新装備を渡したのに、こんな形になって悪いな。この戦の勝ちは直昌に全てが掛かっているから頼むぞ」
「お任せくだされ」
「相政と茂辰は共同で障害物の撤去に当たれ。直昌が防いでくれているとは言え、流れ矢の飛んでくる危険な作業だ。作業の邪魔をされないよう、盾でしっかり守ってやれよ。梅慶は後方の警戒。小荷駄 (輸送部隊)は絶対に死守しろ。ここを襲われれば俺達は退くしかない。最も大事な役割だ。分かったら散れ!」
『はっ』
こうして各員が各々の配置に付く。
数は五〇と少ないものの、大野 直昌率いる久万衆は今回の切り札と言って良い。久万衆は山の民だけに、峠での戦いにも慣れているだろうという期待を込めたものである。また安芸 左京進との連携を考えて、伊予大野家による伊予平岡領への侵攻を阻止したいという考えもあった。
当主である平岡 房実を捕縛しているとなれば、現状の伊予平岡家は烏合の衆に等しい。大野 利直ならこの機を逃さず領地拡大へと動く可能性は十分考えられる。例え俺が「新たに接収した領地は没収する」と釘を刺していても、平気で無視する者が幾らでもいるのがこの時代の実情だ。ならば先にこちらに兵を派遣させれば、余計な真似もできなくなる。そんな思いがあった。
とは言え、こちらに合流したのが大野 利直ではなく息子の直昌である点や、兵数も五〇という少なさから、こちらの考えは読まれているかもしれない。
だからと言って不満を露わにするのも筋違いである。俺と大野 利直との関係もまだ日が浅いのだから、警戒されていても当然だ。それよりも息子の直昌を活躍させてきちんと報酬を出す。こちらの指示通りに動いた方が利になると思わせるのが、今後にも繋がるというもの。俺への信頼も得られるのではないだろうか。
だからこそ新装備を与えて出し惜しみをせずに投入をする。想定していた使い方とは異なってしまったが、久万衆の早期投入がこの戦の勝敗を決める分水嶺になると確信していた。
事実大野 直昌以下の久万衆は、この積み上がった障害物を足取り軽く難なく乗り越えていく。到着した先では、敵の攻撃を受け止める陣形が作られつつあった。後はこの犬寄峠の戦いで、久万衆がどこまで奮戦するかである。
「現れたか。予想通りだな。大方久万衆が障害物を乗り越えたのを見て焦ったという所だろう」
丁度久万衆が態勢を整え終わった辺りで、峠の頂点に幾つもの人影が出現する。報告を聞くまでもない。敵だ。
ここからが戦の本番となる。雨あられのように降らしてくる矢をひたすら耐え忍び、障害物の撤去が終わるのを待つ。幸いなのが峠での攻防であるために、敵側も全ての兵を機能させられないという点だ。後方に控える兵は役割を与えられず、何もできない遊兵となる。また雨の影響により、火矢を使用して障害物を燃やすという手段も使用できない。そこから考えるに、この戦は地味な争いになるのではないかと予想された。
ただ、後が無い河野本宗家が、こちらの想像通りの動きをしなければならない理由は何一つ無い。
「あっ、何の躊躇もなく兵が駆け降りてきやがる。遊兵を後詰と捉えずに白兵戦用にするのか。この思い切りの良さは手練れの将だな」
足止めをして一方的に攻撃をするという有利な状況が変化したのだ。いつまでも最初の計画に拘らなくて良い。しかもその変化が退路の無い孤立した部隊の突出であったなら、敵側からすれば鴨がネギを背負ってきたように見えるだろう。真っ先に標的とするには丁度良い獲物と言えた。
峠の特性を生かして遠近両方面からの攻撃を選択する。一つは峠の頂点からの矢での攻撃。もう一つは後詰の一部を近接攻撃用に回す。峠を駆け下りてくる兵数は五〇程度と少ないものの、勢いの付いた突撃は大きな脅威だ。
つまり、降ってくる矢に気を取られていては、坂を下りて勢いの増した敵の突撃に対処できない。かと言って突撃に備えれば、今度は逆に降ってくる矢の餌食となる。こちらの動きに合わせて、攻撃の方法をいとも簡単に変えてくる柔軟な発想は賞賛に値する。
ただ、
「悪いな。その動きは最初から読んでいる。だからこそ最前列には新装備で固めた久万衆を配置した。直昌、頼むぞ。何とか耐えてくれ」
この犬寄峠の戦いは、見かけ上俺達が罠に嵌まったような体であっても、その実場所指定をしたのはこちらである。それで何の対策も無く戦に臨むなどあり得はしない。新装備のお披露目をする機会を作ったというだけだ。何も恐れる必要は無い。
現在当家の弓兵の一部には、板バネを利用した新土佐弓が配備されている。バネの利用法としては正統派と言えるだろう。これにより、当家の弓の威力が格段に向上した。
しかし、バネの利用をこれで終わらせるというのは実に勿体無い。何故ならバネにはもう一つの顔がある。
それは素材として見た場合の優秀さだ。例えば「スプリング刀」という刀が第二次大戦中に製造されたという事からも分かる通り、バネ鋼の耐久性や柔軟さには目を見張るものがある。しかも折り返し鍛錬のような手を加える作業を必要とせず、そのままの素材で作られたと言われているのだから尚更だ (但し満鉄刀は中心に軟らかい心鉄を入れた模様)。これだけでも素材として完成されているのが良く分かる。
なら、そんな優秀なバネ鋼を使って防具を作ればどうなるか? これまでの防具よりもより高い防御力が得られるのは間違いない。個人的には流れ矢程度なら弾く強度はあると考えている。
しかし、その素材も生かせる名職人がいなければ全ては絵に描いた餅だ。どんなに高級食材が並んでも、素人が料理するなら素材を殺してしまう。それでは何のために新素材があるのか分からない。
その辺も勿論解決済みだ。当家が懇意にしている雑賀衆には傭兵、海賊の稼業以外にももう一つの顔があった。
それは防具製作である。雑賀衆が製作する「雑賀鎧」や「雑賀鉢 (兜)」は畿内では定評ある製品とされている。武家の中では「いつかは雑賀鎧を」というほどに名前が定着しており、それに身を包む者は憧れの的だという話もあるほど。当然それはデザイン性によるものではなく、実用面での評価となる。ここから分かる通り、雑賀衆は一般的な物よりも防御力の高い防具を製作する技術を持っていた。
さて最高級の防具製作の技術を持つ職人が、新素材であるバネ鋼を手にしたならどうなるであろうか? 答えは簡単だ。現時点での最強装備が完成する。
そんな最強装備に身を固めたのが今の久万衆だ。降ってくる矢を全て無視しても何ら問題ない。峠を駆け下りて突撃を敢行してくる敵ですら脅威と感じないだろう。ただ目の前の敵を叩き潰す。それだけに集中できる。
結果は火を見るより明らかだった。
「申し上げます。久万衆が敵の第一陣を蹴散らしました。今度は攻め上って、峠を占拠したいと具申しております」
「報告ご苦労。分かった。思い切りやれ」
鎧袖一触という言葉がこれほど似合うのも珍しい。防御を全く気にしなくとも良いというのは、まさに凶悪そのものと言える。ここまで上手く嵌まると想像以上と言うしかない。
「……ん? 俺、今何か変な指示を出していないか? ……あっ、そこの伝令、ちょっと待ってくれ!」
気付いた時には後の祭り。伝令はこの場から去っていた。どうやら、俺もこの想像以上の成果に浮足立っていたようだ。
幾ら久万衆が最強装備に身を固めていても、何の支援も無い状況で更に突出させるのは「死んでこい」と言っているのと変わらない。このままでは大野 直昌を無駄死にさせてしまう。何故俺はこの土壇場で指揮官にあるまじき大失態を犯してしまったのか。
後悔と焦りの中、少しでも早く久万衆に救助を出せるようにと、木沢 相政や吉良 茂辰に作業を急がせるように発破を掛ける。「死なないでくれ」と祈りながら、時間の流れが物凄く長く感じる錯覚に陥る。もう居てもたってもいられないと、無理を押してでも俺自身が駆けつけようかと考えている所でもう一つの報告が届いた。
「申し上げます。久万衆が犬寄峠の確保に成功致しました。将である村上 通康も捕らえたとの事です」
「……はっ、ははっ。なんてこった。もう笑うしかないな。まあ、直昌が無事なのだから良しとするか。あっ、報告ご苦労様」
この瞬間、犬寄峠の戦いは終わりを告げる。俺達の勝利となった。以後は掃討戦への移行となる。
だが戦は終わっても、道を塞いでいる障害物の撤去作業は未だ終わらない。
城を出発して二日後、予想される襲撃箇所である犬寄峠に到着すると、そこには幾つもの丸太やゴミが無秩序に捨てられており、道を塞いでいた。
明らかな妨害工作である。撤去作業が始まるのを皮切りに襲撃が始まるのだろう。折しも雨の降る昼下がり、襲撃へのお膳立てが全て整っていると言っても過言ではない。
「重治、元明、敵の伏兵がその辺にいる。左右に分かれて各個に撃退しろ。面倒なら焙烙玉を使って炙り出せ。導火線は防水仕様になっている。この程度の雨は関係無いから安心して使え。雨の影響を受けた所で、火付きが悪くなる程度だ。とにかく伏兵を機能させるな」
『はっ』
道幅約三メートルの狭さに兵達が困惑しながらひしめき合う。両側には松並木が無造作に生え揃っており、伏兵をし放題の状況だ。ここで躊躇っていては相手の思う壺となるのが見えている。特に相手の出方を伺うのはご法度の状況であった。
ならば俺が今選択をするのは攻めの行動だ。全てはお見通しだとばかりに家臣達に役割を与える指示を出す。そうすれば兵に疑心暗鬼が広がらずに士気も保てる。余計な考えを起こさせないようにするのが最も重要な場面だ。
「国虎様、大野殿が参られました」
「いきなりで悪いが任務を与える。今から俺達がこの障害物を撤去するまでの間、障害物を越えた先の最前列で敵からの攻撃を凌いでくれ。ああっ、心配するな。今は敵が見えないが、すぐにも姿を現すさ。本当はもっと良い所で久万衆を使おうと思って新装備を渡したのに、こんな形になって悪いな。この戦の勝ちは直昌に全てが掛かっているから頼むぞ」
「お任せくだされ」
「相政と茂辰は共同で障害物の撤去に当たれ。直昌が防いでくれているとは言え、流れ矢の飛んでくる危険な作業だ。作業の邪魔をされないよう、盾でしっかり守ってやれよ。梅慶は後方の警戒。小荷駄 (輸送部隊)は絶対に死守しろ。ここを襲われれば俺達は退くしかない。最も大事な役割だ。分かったら散れ!」
『はっ』
こうして各員が各々の配置に付く。
数は五〇と少ないものの、大野 直昌率いる久万衆は今回の切り札と言って良い。久万衆は山の民だけに、峠での戦いにも慣れているだろうという期待を込めたものである。また安芸 左京進との連携を考えて、伊予大野家による伊予平岡領への侵攻を阻止したいという考えもあった。
当主である平岡 房実を捕縛しているとなれば、現状の伊予平岡家は烏合の衆に等しい。大野 利直ならこの機を逃さず領地拡大へと動く可能性は十分考えられる。例え俺が「新たに接収した領地は没収する」と釘を刺していても、平気で無視する者が幾らでもいるのがこの時代の実情だ。ならば先にこちらに兵を派遣させれば、余計な真似もできなくなる。そんな思いがあった。
とは言え、こちらに合流したのが大野 利直ではなく息子の直昌である点や、兵数も五〇という少なさから、こちらの考えは読まれているかもしれない。
だからと言って不満を露わにするのも筋違いである。俺と大野 利直との関係もまだ日が浅いのだから、警戒されていても当然だ。それよりも息子の直昌を活躍させてきちんと報酬を出す。こちらの指示通りに動いた方が利になると思わせるのが、今後にも繋がるというもの。俺への信頼も得られるのではないだろうか。
だからこそ新装備を与えて出し惜しみをせずに投入をする。想定していた使い方とは異なってしまったが、久万衆の早期投入がこの戦の勝敗を決める分水嶺になると確信していた。
事実大野 直昌以下の久万衆は、この積み上がった障害物を足取り軽く難なく乗り越えていく。到着した先では、敵の攻撃を受け止める陣形が作られつつあった。後はこの犬寄峠の戦いで、久万衆がどこまで奮戦するかである。
「現れたか。予想通りだな。大方久万衆が障害物を乗り越えたのを見て焦ったという所だろう」
丁度久万衆が態勢を整え終わった辺りで、峠の頂点に幾つもの人影が出現する。報告を聞くまでもない。敵だ。
ここからが戦の本番となる。雨あられのように降らしてくる矢をひたすら耐え忍び、障害物の撤去が終わるのを待つ。幸いなのが峠での攻防であるために、敵側も全ての兵を機能させられないという点だ。後方に控える兵は役割を与えられず、何もできない遊兵となる。また雨の影響により、火矢を使用して障害物を燃やすという手段も使用できない。そこから考えるに、この戦は地味な争いになるのではないかと予想された。
ただ、後が無い河野本宗家が、こちらの想像通りの動きをしなければならない理由は何一つ無い。
「あっ、何の躊躇もなく兵が駆け降りてきやがる。遊兵を後詰と捉えずに白兵戦用にするのか。この思い切りの良さは手練れの将だな」
足止めをして一方的に攻撃をするという有利な状況が変化したのだ。いつまでも最初の計画に拘らなくて良い。しかもその変化が退路の無い孤立した部隊の突出であったなら、敵側からすれば鴨がネギを背負ってきたように見えるだろう。真っ先に標的とするには丁度良い獲物と言えた。
峠の特性を生かして遠近両方面からの攻撃を選択する。一つは峠の頂点からの矢での攻撃。もう一つは後詰の一部を近接攻撃用に回す。峠を駆け下りてくる兵数は五〇程度と少ないものの、勢いの付いた突撃は大きな脅威だ。
つまり、降ってくる矢に気を取られていては、坂を下りて勢いの増した敵の突撃に対処できない。かと言って突撃に備えれば、今度は逆に降ってくる矢の餌食となる。こちらの動きに合わせて、攻撃の方法をいとも簡単に変えてくる柔軟な発想は賞賛に値する。
ただ、
「悪いな。その動きは最初から読んでいる。だからこそ最前列には新装備で固めた久万衆を配置した。直昌、頼むぞ。何とか耐えてくれ」
この犬寄峠の戦いは、見かけ上俺達が罠に嵌まったような体であっても、その実場所指定をしたのはこちらである。それで何の対策も無く戦に臨むなどあり得はしない。新装備のお披露目をする機会を作ったというだけだ。何も恐れる必要は無い。
現在当家の弓兵の一部には、板バネを利用した新土佐弓が配備されている。バネの利用法としては正統派と言えるだろう。これにより、当家の弓の威力が格段に向上した。
しかし、バネの利用をこれで終わらせるというのは実に勿体無い。何故ならバネにはもう一つの顔がある。
それは素材として見た場合の優秀さだ。例えば「スプリング刀」という刀が第二次大戦中に製造されたという事からも分かる通り、バネ鋼の耐久性や柔軟さには目を見張るものがある。しかも折り返し鍛錬のような手を加える作業を必要とせず、そのままの素材で作られたと言われているのだから尚更だ (但し満鉄刀は中心に軟らかい心鉄を入れた模様)。これだけでも素材として完成されているのが良く分かる。
なら、そんな優秀なバネ鋼を使って防具を作ればどうなるか? これまでの防具よりもより高い防御力が得られるのは間違いない。個人的には流れ矢程度なら弾く強度はあると考えている。
しかし、その素材も生かせる名職人がいなければ全ては絵に描いた餅だ。どんなに高級食材が並んでも、素人が料理するなら素材を殺してしまう。それでは何のために新素材があるのか分からない。
その辺も勿論解決済みだ。当家が懇意にしている雑賀衆には傭兵、海賊の稼業以外にももう一つの顔があった。
それは防具製作である。雑賀衆が製作する「雑賀鎧」や「雑賀鉢 (兜)」は畿内では定評ある製品とされている。武家の中では「いつかは雑賀鎧を」というほどに名前が定着しており、それに身を包む者は憧れの的だという話もあるほど。当然それはデザイン性によるものではなく、実用面での評価となる。ここから分かる通り、雑賀衆は一般的な物よりも防御力の高い防具を製作する技術を持っていた。
さて最高級の防具製作の技術を持つ職人が、新素材であるバネ鋼を手にしたならどうなるであろうか? 答えは簡単だ。現時点での最強装備が完成する。
そんな最強装備に身を固めたのが今の久万衆だ。降ってくる矢を全て無視しても何ら問題ない。峠を駆け下りて突撃を敢行してくる敵ですら脅威と感じないだろう。ただ目の前の敵を叩き潰す。それだけに集中できる。
結果は火を見るより明らかだった。
「申し上げます。久万衆が敵の第一陣を蹴散らしました。今度は攻め上って、峠を占拠したいと具申しております」
「報告ご苦労。分かった。思い切りやれ」
鎧袖一触という言葉がこれほど似合うのも珍しい。防御を全く気にしなくとも良いというのは、まさに凶悪そのものと言える。ここまで上手く嵌まると想像以上と言うしかない。
「……ん? 俺、今何か変な指示を出していないか? ……あっ、そこの伝令、ちょっと待ってくれ!」
気付いた時には後の祭り。伝令はこの場から去っていた。どうやら、俺もこの想像以上の成果に浮足立っていたようだ。
幾ら久万衆が最強装備に身を固めていても、何の支援も無い状況で更に突出させるのは「死んでこい」と言っているのと変わらない。このままでは大野 直昌を無駄死にさせてしまう。何故俺はこの土壇場で指揮官にあるまじき大失態を犯してしまったのか。
後悔と焦りの中、少しでも早く久万衆に救助を出せるようにと、木沢 相政や吉良 茂辰に作業を急がせるように発破を掛ける。「死なないでくれ」と祈りながら、時間の流れが物凄く長く感じる錯覚に陥る。もう居てもたってもいられないと、無理を押してでも俺自身が駆けつけようかと考えている所でもう一つの報告が届いた。
「申し上げます。久万衆が犬寄峠の確保に成功致しました。将である村上 通康も捕らえたとの事です」
「……はっ、ははっ。なんてこった。もう笑うしかないな。まあ、直昌が無事なのだから良しとするか。あっ、報告ご苦労様」
この瞬間、犬寄峠の戦いは終わりを告げる。俺達の勝利となった。以後は掃討戦への移行となる。
だが戦は終わっても、道を塞いでいる障害物の撤去作業は未だ終わらない。
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