聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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スルノア王宮防衛戦

第50話 マリーの歌と結末

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 その短調のメロディは、巨大な滝のような水の壁を創り上げた。宮殿を覆い尽くすほどの遥かに高い壁は、全てを呑み込まんとするように鈍重に歩みを進めていく。

「お、おいなにか来るぞ!」「何あれ! あんなのに巻き込まれたら……」

 宮殿一帯は騒然となった。魔物ですらおののくような声を出し合い、全員が戦闘を中断せざるをえなかった。炎の網も解かれ、状況を察したカロリナが走り寄ってきた。その頭のなかにはまた「暴走」の二文字が浮かんでいるだろう。

 僕は温かな水の中で目を閉じて、マリーの声に耳を寄せた。両親の死、出なくなった声、孤独な日々──これまで経験してきたマリーの深い悲嘆が音楽に乗せて押し寄せてくる。身じろぎ一つせずにその音に向かい合っていると次第に周りの喧騒は消えてマリーの声だけに包まれていく。

 これほどの悲哀をその小さな体に閉じ込めて生きることが、どれだけすごいことか。哀しみを秘めたまま真っ直ぐに自分の声に取り組むことがどれだけすごいことか。激しい水流に翻弄されながら、初めて僕はそのことに気がついた。

 傍にいても向き合ってはいなかった。大変だとは思っても分かち合ってはいなかった。

 前にマリーは言っていた。「特別扱いしないで」と。マリーは選抜試験でも最後まで懸命に戦い抜いた。そうなんだ。マリーはただ一方的に守ってあげなきゃいけない特別な人間なんかじゃない。街で別れるときエルサは言っていた。マリーは強い、と。

 長い休符が訪れた。パッと目を開くと揺れる水面《みなも》越しにマリーと視線がぶつかり合う。そのブルーの瞳は鮮やかに輝き、柔和に僕を見つめていた。

 僕は大きくうなずいてマリーに一つの「許可」を与えた。許可と呼べるような上下関係のある間柄ではもちろんないが、マリーの求めに、マリーの答えに友人の一人として一つの安心感を与えるために。

 マリーはわずかに口角を上げると再び歌い始める。哀しみを越えて静かに穏やかにしかし悠然と自由自在に空の中を泳ぐように。

 その歌に呼応するように激しい水流は一気に空高くへと上昇し、飛散。大雨が宮殿一体に降り注いだ。冷たい雨ではない。温かな柔らかい水滴一つ一つが全てに平等に落ちてゆく。

「これは……」

 その雨に打たれた先から、グラティスに付けられた傷口が小さくなり、消えていく。それは僕だけじゃなくこの場にいる全員の身に起こっているようだった。人間だけではない傷ついた魔物も同様に。

「これは……マリーが……?」

 カロリナが僕の横に並び、濡れるのにも構わず大粒の雨を見上げた。

「そう。マリーが自分の意志で起こした魔法だ」

 僕も顔に当たる雨を見つめながら応えた。

「なんて綺麗な声。清涼で研ぎ澄まされて……」

 横目でカロリナを見る。うっすらと頬へ流れたものはきっと雨ではないだろう。僕だって視界が滲んで見えるのだから。

 周りを見渡すと敵味方問わず誰もが空高く見上げていた。マリーの声に耳を傾け、その雨に体と心を打たれながら。

 透き通るようなモデラートは、同じモチーフを何度も繰り返しながらその音を小さくしていく。最後にビブラートを微かに響かせると、雨は止み、再び陽光が照らし出された。

 それと同時に「グラティス、全員退避させろ!」と野太い号令がかかる。声が発せられた方へ顔を向けると、アルヴィスが大剣を鞘に納めていた。

「! ハルト避けて!!」

 突然のカロリナの声に地面に身体を転がすと、今いた場所にグラティスの剣が振り下ろされていた。

「なんで!? こいつら全員皆殺しにできるじゃん!! 僕一人だけでも──」

「やめろ。グラティス」

 激昂したグラティスに対し、アルヴィスは冷厳な声を投げつけた。

「頭に血が上ったか? 冷静に状況を見ろ。敵の増援が来ている。それにこれ以上の攻撃は群衆の目にマイナスに映る」

 ちらりと、宮殿の窓から顔をのぞかせるマリーに目をやると、アルヴィスはふっと口角だけを上げた。

「あの事件以降、マリー様は何もできないと言われていたが、これだけの魔法を発動させるとは。味方だけじゃなく敵まで、しかも魔物まで回復させるなんて大胆な手を。これもお前の仕業か? ハルト」

 アルヴィスは僕を一瞥すると、すぐに背を向けドラゴンにまたがった。

「行くぞ、グラティス!」

 怒鳴り声を飛ばされたグラティスは、大きなため息をついてうなだれると、そのまま片腕を高く上げた。魔物の群れが一斉に空へ舞い上がる。

「稀人──いや、ハルトくん。また戦場で会えるのを楽しみにしているよ。そのときまでに剣の腕、磨いておいてよ」

 そう別れの挨拶でもするように穏やかに笑顔を浮かべると、グラティスと全ての魔物が颯爽と飛び立っていった。

 数分後、近くの歓声と遠くの足音が入り交じったファンファーレが沸き起こった。それを聞きながら、安堵と疲れが混ざりあった体が力をなくし、意識が急速に遠のいていった。
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