聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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スルノア王宮防衛戦

第52話 残酷で、価値ある魔法

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 ルイスに背中を押されて校舎の中へ入る。廊下に並んだステンドグラス一枚一枚がロウソクの火に灯され、外とは打って変わって厳かで幻想的な雰囲気を作り出していた。

 静かな空間に自分の足音だけが響く。本当にマリーはいるのだろうかと疑いながら、教会へと続く扉を押し開けた。

 果たしてマリーはそこにいた。廊下と同じように明かりに照らされたステンドグラスが色とりどりに輝いている。

 その教会に配置されたグランドピアノの椅子にマリーは座り、そのまばゆいほどの黄金色の髪の毛と海の音がする藍色の瞳をこちらに向けてにっこりと微笑んだ。

「マリー?」

 なぜ疑問系なのかは自分でもわからなかった。間違いなくその人物は目の前にいるはずなのに。

 マリーは小さくうなずくと、閉じたピアノのふたの上に置かれたノートにさらさらと文字を書いた。まさか、まだしゃべれないのか!?

 慌ててその横に並ぶと、マリーは立ち上がって真新しいノートを僕の視界に映るよう持ち上げる。そこには、こう書かれていた。

〈そう。私は、ハルトがよく知っている、マリー・ジグスムント・ベルナドッテ・ユセフィナ・カールステッド。だけど、改めて自己紹介させて〉

 視線を文字からマリーの顔へと移す。形のいい小さな口は息を吸い込み、そして、生き生きと動く。

「初めまして、ハルト。私は、マリー・ジグスムント・ベルナドッテ・ユセフィナ・カールステッド」

 その音を聞くと、自動的に海色が浮かんだ。どこまでも広がる青い蒼い海はどこまでも深くて、どこまでも寂しげで、でも、どこまでも優しくて──その色と同じ両の瞳から涙雨が溢れ出てくる。

「やっと、やっと、話せました。もっと、ずっと話したかった。文字を通してじゃなくて、私の声で私の想いを真っ直ぐにハルトに伝えたかった……やっとだよ……」

 思わず抱きしめたくなる衝動を抑えながら、一方で目からこぼれそうになる涙を止めるのにも必死だった。

「あのとき、この教会で倒れてからずっと夢を見ていたの。私が、両親を殺す夢。ピアノが弾けなくなる夢。声が出なくなる夢。何度も何度も同じ場面を繰り返してた。でもね、最後はハルトが出てきてくれた。ハルトが手を差し伸べて私の手を掴んでくれた」

 視界が揺れる。ぼやけたマリーは微笑みながら僕の手を取ると、ぎゅっと強く握った。涙が頬を伝うのがわかる。

「こんなふうに。そしたら目が覚めて──外の物音から戦闘中だってすぐにわかった。そしてハルトからの手紙を見て事態を察した。でもね、ダメだよ。遺書みたいなこと書いたら」

 マリーが真剣な眼差しで訴えかけてくる。マリーに残した手紙には、今までの出来事と経過、それに付随する思いを書き記しておいた。

「ハルトの手紙には、声を取り戻す必要はないって書いてあった。そのままの私でいいって。でも、あのときハルトが殺されそうになってるのを見て、今こそ声を出したい、魔法を使いたいって強く思ったの」

 マリーは顔を伏せると握っていた僕の手を解放した。

「私が魔法を使えなくなったのは、声を出せなくなったのは、私の魔法が、暴走した魔力が両親を殺めてしまったから。コントロールしようと思ったのに。感情が暴走するばかりで止められなかった。両親は必死に魔法を封じようとしてくれたのに、私の目の前で……そのあと私は、目覚めてしまった。一人で、一人だけ目が覚めてしまった。そうしたらもう声が出なくなっていた……」

 やはりそうだったのか。暴走した魔力のせいでマリーの両親は……。

「でも、マリー! それは──」

 僕の言葉の先を読んだのか、マリーは哀しげに微笑むと首を横に振った。

「ハルトは優しいから、私のせいじゃないって言ってくれる。だけどね、私はきちんとこの罪を、現実を受け止めなければいけないの」

 マリーは後ろを向いた。肩が震えている。また泣いているのかもしれない。だけど、かける言葉がどこにも見当たらなかった。

 僕はピアノの上に置かれたノートを取ると、まだ空白がたくさんある紙の上に文字を書き殴った。

 マリーがゆっくりとこちらを向く。その小さな顔を覆うようにノートを広げた。

〈マリーが罪や現実を背負うというのなら、僕は音楽を奏でる。この世界の魔法は確かに残酷だけど、それ以上にきっと価値あるものを残せるはずだ。だから〉

「だから。もっとマリーの音を聴かせてほしい」

 マリーは口元を両手で押さえた。目には涙が溜まり、堪えきれず溢れていく。透き通った涙を流したまま、マリーは口を開いた。

「ハルトといるときだけは、声が出ないとか、魔法が使えないとか、カールステッドとか、昔のこととか、何も気にしないでいられたの。でも、ピアノと向き合うときはどうしたって一人だし、魔法を使わなきゃいけない、声を出さなきゃいけないって思ってしまって……。上手く言えないんだけど、ハルトと過ごしていろんな言葉をもらって、自分が自然に話したいと思えたら、声は出せるんだってことに気がついた」

 指の先で涙を拭うと、マリーは笑顔を見せてくれた。

「……それで、あのとき魔法を?」

 マリーは首を縦に振って僕の横へと並んだ。フワッとした石鹸の香りが広がっていく。

「……なんか疲れちゃった。話すの久しぶりだから。たくさん泣いちゃったし」

 マリーは僕の手からノートとペンを取ると、文字を綴っていく。

〈だから、またときどきでいいからノートで会話したいな〉

 マリーが差し出したペンを受け取ると、その下に文字を書き連ねた。なぜか、くすぐったいような気持ちが襲う。

〈いいよ。マリーの気が済むまで〉

〈ありがとう。今度はハルトの話も聞かせてね〉

 僕の話か。人に話せるようなことは何もないのだけど。

〈最後に。ピアノの演奏を聴いていって〉

 マリーはノートを閉じて鞄にしまうと、ピアノのイスに座り鍵盤の上に指を滑らせた。

 顔を天井に向けると目を閉じて、深く息を吸い込み、白鳩《しろばと》の羽根をつかむように、そっと一音を響かせた。

 ピアニシッシモから始まったその演奏は、淀みなく流れる清流のように絶え間なく音の粒を重ねて、音量を増していく。同時にいくつもの水泡が出現し、一つの大きなまとまりをつくっていった。

 それは最初、馬に見えた。しかし演奏が進むごとに増えていく水泡は馬の背に翼を形成していく。

 最後の一音が跳ねると、透き通る青色のペガサスは空を蹴り、教会を一周するとステンドグラスに向かい、その姿を消した。

 マリーはペガサスのいなくなった空間を眺めて、穏やかに、しかし満足気に微笑みを浮かべた。
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