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記憶旅行編
第76話 もう一人の諜報部員
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新しく追加した薪に暖炉の火が燃え移り、パチパチと弾ける音が鳴り始めた。ずっと窓際にいたからか冷たくなってしまった指先に息を吹き掛け、手を擦り合わせる。やはり今夜は特に冷えそうだ。こんな日は早めに布団に全身を潜り込ませて眠るのがベストだな。
身体を包む茶色の毛布を肩にかけ直すと、少し冷めたコーヒーを飲み、羽ペンにインクをつけて作業を続ける。バルバロッサ卿と接近したこと、子どもたちに音楽魔法とリベラメンテの使い方を教えようとしていること、そして、学院の校舎で妙なことを口走ったスンドクヴィストのことを、ゾーヤに伝えなければならない。
ここにはSNSもメールも電話ももちろんないし、遠くにいる人間に情報を伝えるテレパシーのような便利な魔法はない。伝達方法として一般的なのは、紙。大きなニュースは新聞で伝えられ、各種のやり取りは手紙で行われる。人の手を通じてが主だが、特殊な場合には、動物の手を借りてやり取りする場合もある。秘密裏に行わなければいけない今回の任務のような場合には、毛の多い鳩のような鳥、ダヴが使用可能だった。ダヴは、嗅覚が発達し、またぬいぐるみかと突っ込んでしまいたくなるほどのふさふさの毛からわかるように寒さに強いのが特徴だった。
メモを書き終えたところでチャイムにも似た鐘が掻き鳴らされた。 開けられた扉の先に見えた姿に立ち上がる。
「ニコライ執事長!」
「いやいや、今は執事長ではないぞハルト。そろそろかと思ってな」
後ろ手で音を立てずに扉を閉めると穏やかな微笑みを浮かべた。
「ええ、ちょうどいいタイミングでした」
「そうだろう。物事は何事もタイミングが重要だからな」
ゾーヤがタセットの一員であること以上に驚いたことが、ニコライ執事長、いや、ニコライ・ラーゲルレーブも「タセット」の一員──つまり、諜報部員だったということだ。僕なんかよりもニコライ執事長が部隊長になった方がいいのではないかと提案したが「執事長という立場はいろいろと忙しいのだ」という理由で間髪入れずに断られてしまった。
「それでは、手紙を受け取ろうかの」
差し出された薄手の白い手袋の上に封筒を渡す。宛名も差出人もわからぬよう黒い封筒には何も書いていない。
僕らが連絡用にしているダヴは、執事室にいるうちの1羽だ。他にも王室や軍専用に飼われているものもいるが、極力怪しまれぬよう執事長を通じてやり取りをしてもらっている。
執事長は光沢のあるジャケットの内ポケットに封筒を入れた。
「現状についてはシグルド王子から聞いているかと思いますが、宮殿内の動きはどうですか?」
「特に目立った動きはないな」
丁寧に切り揃えられた顎の白髭を指で撫でるように触る。
「各地で反乱軍と名乗る輩と住民や我が軍との小競り合いは起こっているが、王宮から軍を送るほどの事態には至っておらんから、静観状態と言ったところかの。このまま奴らの動きが鎮静化していけばいいのだが」
「クラーラ王女のご帰還後、どうなるか、ですか?」
「その通り。奴らの真の狙いは未だわからぬが、現政権にダメージを与えようとしているのは間違いない。だが、今女神が帰還している間は、国民の誰も反乱などには賛同しないだろう。ご帰還の直後が最も注視すべき状況だな」
そうなると、王女が再び宮殿を離れるこの2週間の間に敵の目的をハッキリさせなければいけない。しかし、その間にも試験があるし、ディサナスらからどれだけ情報を引き出せるか。
「問題は、ディサナスがどこまで情報を持っているのかなんです。ディサナスが反乱軍に加入した動機がわかれば、もしかしたら奴らの目的もわかるかもしれないんですが」
「ふむ」
ニコライ執事長は、顎に手をやると考え込むように視線を赤いカーペットへと向けた。
「ディサナス──複数の人格を持つ少女、か。わしにはなぜそのような状態になるのかよくわからぬが、長く生きているとふとしたときに昔の記憶がよみがえったりする。たとえば、季節の匂いをかいだとき。たとえば、カロリーナ様やマリー様の音楽を聴いたとき。たとえば、同じ境遇の誰かを見つけたとき」
優しげな眼差しが僕に注がれた。子どもを見るような。
「どれも共通してるのは、穏やかな心に充たされているときということ。おそらく、無理矢理触れようとした記憶は心は、さらに奥深くへ閉ざされてしまうのではないか」
「しかし、それが──」
また鐘が鳴らされる。ゆっくりと開けられた先にはマリーがぎこちなく佇んでいた。
「マリー!」
「あ、あの、取り込み中だよね、ごめん……」
そのままおずおずと扉を閉めようとするマリーに、ニコライ執事長は微笑みかけた。
「いえ、マリー様、もう用事は済みましたので私は退散いたします」
身体を包む茶色の毛布を肩にかけ直すと、少し冷めたコーヒーを飲み、羽ペンにインクをつけて作業を続ける。バルバロッサ卿と接近したこと、子どもたちに音楽魔法とリベラメンテの使い方を教えようとしていること、そして、学院の校舎で妙なことを口走ったスンドクヴィストのことを、ゾーヤに伝えなければならない。
ここにはSNSもメールも電話ももちろんないし、遠くにいる人間に情報を伝えるテレパシーのような便利な魔法はない。伝達方法として一般的なのは、紙。大きなニュースは新聞で伝えられ、各種のやり取りは手紙で行われる。人の手を通じてが主だが、特殊な場合には、動物の手を借りてやり取りする場合もある。秘密裏に行わなければいけない今回の任務のような場合には、毛の多い鳩のような鳥、ダヴが使用可能だった。ダヴは、嗅覚が発達し、またぬいぐるみかと突っ込んでしまいたくなるほどのふさふさの毛からわかるように寒さに強いのが特徴だった。
メモを書き終えたところでチャイムにも似た鐘が掻き鳴らされた。 開けられた扉の先に見えた姿に立ち上がる。
「ニコライ執事長!」
「いやいや、今は執事長ではないぞハルト。そろそろかと思ってな」
後ろ手で音を立てずに扉を閉めると穏やかな微笑みを浮かべた。
「ええ、ちょうどいいタイミングでした」
「そうだろう。物事は何事もタイミングが重要だからな」
ゾーヤがタセットの一員であること以上に驚いたことが、ニコライ執事長、いや、ニコライ・ラーゲルレーブも「タセット」の一員──つまり、諜報部員だったということだ。僕なんかよりもニコライ執事長が部隊長になった方がいいのではないかと提案したが「執事長という立場はいろいろと忙しいのだ」という理由で間髪入れずに断られてしまった。
「それでは、手紙を受け取ろうかの」
差し出された薄手の白い手袋の上に封筒を渡す。宛名も差出人もわからぬよう黒い封筒には何も書いていない。
僕らが連絡用にしているダヴは、執事室にいるうちの1羽だ。他にも王室や軍専用に飼われているものもいるが、極力怪しまれぬよう執事長を通じてやり取りをしてもらっている。
執事長は光沢のあるジャケットの内ポケットに封筒を入れた。
「現状についてはシグルド王子から聞いているかと思いますが、宮殿内の動きはどうですか?」
「特に目立った動きはないな」
丁寧に切り揃えられた顎の白髭を指で撫でるように触る。
「各地で反乱軍と名乗る輩と住民や我が軍との小競り合いは起こっているが、王宮から軍を送るほどの事態には至っておらんから、静観状態と言ったところかの。このまま奴らの動きが鎮静化していけばいいのだが」
「クラーラ王女のご帰還後、どうなるか、ですか?」
「その通り。奴らの真の狙いは未だわからぬが、現政権にダメージを与えようとしているのは間違いない。だが、今女神が帰還している間は、国民の誰も反乱などには賛同しないだろう。ご帰還の直後が最も注視すべき状況だな」
そうなると、王女が再び宮殿を離れるこの2週間の間に敵の目的をハッキリさせなければいけない。しかし、その間にも試験があるし、ディサナスらからどれだけ情報を引き出せるか。
「問題は、ディサナスがどこまで情報を持っているのかなんです。ディサナスが反乱軍に加入した動機がわかれば、もしかしたら奴らの目的もわかるかもしれないんですが」
「ふむ」
ニコライ執事長は、顎に手をやると考え込むように視線を赤いカーペットへと向けた。
「ディサナス──複数の人格を持つ少女、か。わしにはなぜそのような状態になるのかよくわからぬが、長く生きているとふとしたときに昔の記憶がよみがえったりする。たとえば、季節の匂いをかいだとき。たとえば、カロリーナ様やマリー様の音楽を聴いたとき。たとえば、同じ境遇の誰かを見つけたとき」
優しげな眼差しが僕に注がれた。子どもを見るような。
「どれも共通してるのは、穏やかな心に充たされているときということ。おそらく、無理矢理触れようとした記憶は心は、さらに奥深くへ閉ざされてしまうのではないか」
「しかし、それが──」
また鐘が鳴らされる。ゆっくりと開けられた先にはマリーがぎこちなく佇んでいた。
「マリー!」
「あ、あの、取り込み中だよね、ごめん……」
そのままおずおずと扉を閉めようとするマリーに、ニコライ執事長は微笑みかけた。
「いえ、マリー様、もう用事は済みましたので私は退散いたします」
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