聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

文字の大きさ
84 / 116
記憶旅行編

第79話 試験開始

しおりを挟む
「……なんだか緊張するね」

 そうだろうな、と思っていた。試験前ということで最近料理に凝り始めたカロリナの特製サンドイッチがさっきから全然進んでいない。

 かく言う僕も、さっきからコーヒーしか飲めていなかった。ベーコンにチーズにあろうことかトナカイの干し肉まで詰め込んだ脂っこすぎるサンドイッチのせい、でもあるが。

「そうだな。ある意味、この間の選抜試験のときよりも緊張する」

 マリーが驚いた顔をして僕を見た。

「ウソ、全然平然そうに見えるけど」

 平然なものか。王宮ではすれ違う人々みんなが何か言いたげな視線を寄こしてくるし、カロリナはいつも以上にやかましいし、何よりエドの助言により特別にピアノ二重奏での試験を許可してもらったのだから、落ちるわけにはいかないというプレッシャーは、胃がキリキリするほど大きなものだった。

 試験の待機所となっている教会には、試験を待つ生徒たちがそれぞれなりの過ごし方をしていた。エア楽器で何度も運指を確認する者、丹念に磨かれたユセフィナ像に祈りを捧げる者、黙々と食事をする者、談笑する者、じっとしていれられずに行ったり来たりを繰り返す者。

 ギギギギと扉が開く音に全員の視線が注がれる。誰かの息を呑む音すら聞こえる程、急に静まり返った教会に、茶色の毛むくじゃらのオーケ先生が姿を現した。僕とマリーはどちらからともなく食べ物を片付け始めた。オーケ先生が来たということは、いよいよ僕たちの試験が開始されたということ。

 オーケ先生は、手元に持った羊皮紙に目を向けると、そこに書かれているだろう名前を野太い声で読み上げた。

「ハルト。それにマリー・ジグスムント・ベルナドッデ・ユセフィナ・カールステッド」

 思わず体がピクリと動く。オーケ先生も疑われている人物――そんな思考が頭に浮かんだが、ピアノの旋律を頭の中に響かせ、それを打ち消した。今は、目の前の試験に集中するべきだ。

 僕とマリーは同時に立ち上がると、皆の視線に見送られてオーケ先生とともに教会の外へと出た。

「いよいよこの日が来たな。ハルトにマリー様、二人の演奏は陰で聞かせてもらっていた。二人ともベストを尽くせば、きっと大丈夫だ。特にハルト。今までの全てを音に託して」

 オーケ先生は誰かに聞かれぬよう小声で言うと、不器用に微笑んだ。

 試験会場となる第一演習室は、いつもの数十台のピアノの代わりに、二台のピアノが横並びに置かれていた。その前には長机が用意され、リーマン校長と声楽科のチェルナー先生が座っている。

 部屋へ入ると、オーケ先生はチェルナー先生の横に座った。

「まずは、声楽科の試験から始めます。マリーにハルト、準備して」

 僕は右側のピアノに座り、マリーはピアノの前に立つ。声楽科の試験は伴奏が必須のため、マリーにとっても僕と組むことは都合がよかった。

 まずは課題曲『フリュフティヒ』。鳥たちの会話をモチーフにしたメルヘンチックな曲で、即興でさえずりを真似するところがあるのが特徴の曲だ。

 天井を見上げたマリーはつま先立ちで大きく伸びをし、深呼吸を繰り返した。見ているだけで緊張が伝わってくる。

「準備はいいか?」

 オーケ先生の言葉にマリーは確かに頷くと、黄金色の髪の毛が揺れて、くるりとこちらを振り返る。目と目が合った次の瞬間、僕は鍵盤を片手で弾いた。

 きっちり4拍後、マリーが息を大きく吸って声を震わせた。すぐにそれは起こる。マリーの得意属性である水のエレメントが複数の泡として現出し、弾む歌声に合わせるように部屋中を動き回る。そして、音そのものを楽しむかのように弾け、生成し、次第に形を成していく。

 マリーの高音が空高く飛翔するような声が、自由に舞うと、それらは羽を生やし、嘴を携え、半透明の青い小鳥の姿を現した。

 クレッシェンドで大きくなっていく声に合わせて指先に力を入れていく。小鳥は講師陣の間を飛び回り、上空へ飛び上がる。跳ねるように、踊るように、指が舞う。マリーの軽やかなビブラートが響き渡る。小鳥は一斉に上昇し、白色の天井にぶつかる寸前に弾けた。

 後に続く静寂のなか、オーケ先生が再び口を開いた。

「続けて自由曲」

「はい」

 いつもなら拍手や歓声が飛び交う場面のはずだが、緊迫した空気が漂う。どんなに素晴らしい演奏をしても、これは試験。どんな振る舞いも見られていると考えると、一曲終わったとしても気を抜くことはできない。

 息を整えると、マリーは右腕を高く掲げた。時が止まったのかと錯覚するほどの長い一秒間の後、その腕が振り下ろされると同時に、前傾姿勢になり、音を散らす。

 マリーの腕から炎が燃え上がった。

 自由曲は『グラディエーター』。火炎が似合う情熱的な曲だ。かつての剣闘士の戦闘を描いた曲でもある。

 マリーが右手を前に突き出すと、炎は獅子の模様が描かれた槍を作り出した。次に挙げた左手からは龍の顔が彫られた長剣、斧、棍棒、小剣、大剣、そしてピアノ。マリーの得意属性とは真逆の炎が出現したことに、チェルナー先生が声を漏らす。

 スピードと迫力を増す歌に合わせるように戦場を覆う金属音を散らす。持ち主のいない武器はそれぞれが勝手に動き回り、ぶつかり合う。どこまでもいつまでも、果てるまで疾走し続けるように。

 マリーは、自由曲に全てをぶつけたいと言っていた。これまでのこと、全てを。その全てとは何なのか、僕は詳細に述べることはできない。だけど、この曲を選んだこと、苦手な火のエレメントを前面に出してきたこと、そのマリーの思いに応えるのが、僕のピアノだ。

 なおも速度を上げる歌声。暴れ回る武器の群れ。必死についていこうと指は鍵盤上を走った。引き離されて、たまるか。

 血煙が見えてくるような戦場。アドレナリンだけが突き進むその剣劇に、マリーはついに終止符を打つ。赤いピアノが自動演奏のように勝手に鍵盤を弾き始めたからだ。

 ピアノが発する火球は武器たちを爆撃し、消滅させていく。マリーの声が誰かを呪うかのように極端に低くなった。争いを忘れ、逃げ惑う武器。容赦なく襲い掛かる焔の塊。

 室内に地鳴りのようにじわりと響く最低音。その音が消えるその直前にマリーの短い息継ぎが聞こえた。

 そして、半透明の雨が全員の頭上から降り注ぐ。瞬時に青色に変わったピアノが奏でるのは美しいヴォーチェパストーサ。

 その歌声は炎を静め、やがて全ての現象を淡い水泡のように風景のなかに融かしていった。

 深く頭を下げるマリーにチェルナー先生が拍手を送った。驚いた校長がそちらを向くと、チェルナー先生は「はっ」とした顔をして両手を膝の上に戻す。

「でも、チェルナー先生の気持ちもわかりますよ。素晴らしい一曲でした」

「あ……ありがとう……ございます」

 胸を上下させてなんとか息を整えながらマリーはお礼を言うと、精一杯の笑顔を見せる。

「マリー様、本当に素晴らしい! 急に声楽科に転向したいと言われて正直心配してましたが、これなら問題ないですよね、リーマン校長!」

「ええ。さすがマリー様です。やはり、カールステッドの音楽ここにありですね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる

暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。 授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者

哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。 何も成し遂げることなく35年…… ついに前世の年齢を超えた。 ※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。 ※この小説は他サイトにも投稿しています。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...