116 / 116
ノーゲスト市街戦編
第111話 前へ進む不協和音
しおりを挟む
王宮は今どうなっているのか、オーケ先生は、エドは、執事長は、カロリナは──そして、マリーは無事なのか。
マリーは、もうこのことを知ったのだろうか? マリーへ宛てたダヴが届いていれば、きっと、真実に気づいてくれるはずだが。
懐かしさまで覚える碧の双眸がふっと目の前に浮かび上がり、心音が跳ねた。マリーを悲しませるようなことだけは、絶対に嫌だった。
「ハルト……大丈夫?」
別の青の瞳がまた思考の迷路に迷い込みそうになった僕を現実へと引き戻す。一緒に乗り込んだディサナスが心配そうに僕の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫、だよ。ディサナスの方こそ大丈夫?」
体格のいい男性がトナカイにエサをあげていた。その背を軽く叩くと、トナカイは鼻を鳴らした。
戦場でディサナスを救出してから、まともに話したのはこれが初めてだったかもしれない。ヘイターを自分の中に認めることで気を失うほどの労力を使ったはずだ。
「私は……大丈夫……」
深海のような濃紺のその瞳はじっと僕を見つめていた。
「ハルトと出会って……ハルトと旅をして……忘れた過去を見つけて……辛い記憶……ばかりだけど……胸の辺りが少し軽くなった……」
きっと僕の目は驚きのあまりに見開かれているだろう。ディサナスの瞳に、穏やかな灯がともったから。
「私が……起こしてしまったこと。それは……もう、取り返しがつかない……たとえヘイターがやったことだとしても……他の誰かがやったことだとしても……その罪を私は背負わないと……いけない。だけど、これで私は、やっと……誰かのために音を奏でられる」
ディサナスは手袋を外すと、小刻みに震える手でフルートを握った。誰かが叫んでいるような気がして後ろを振り向くと、2つの人影がこちらに向かって駆けてきていた。
「エルサ!」「エル姉!!」──子どもたちが歓喜の声を上げる。エルサとシグリッド王子はその勢いを保ったまま、僕らが乗っているソリへと乗り込んだ。
「エルサ、無事か?」
「うん、お待たせ~」
やはり場に似つかわしくない間延びした声が返ってきた。
トナカイが状況を察知して身体を揺する。
「これで全員揃ったか!?」
「はい! 出発してください!!」
「はいよ!!」
男性が腕を挙げて他のソリへと合図を出すと、ソリはゆっくりと分厚い氷の上を滑り始めた。
次第に速度は上がり、周りの景色が高速で移り変わっていく。吹雪でなければ、追われている身でなければ、とても幻想的な光景だと思う。広い海の上をトナカイの引くソリに乗って滑走するなんて、きっとそうそう経験できるものじゃない。
だが、今はそんな思いに浸っていられる余裕はなかった。
分厚い氷に固められているとはいえ、その下には真っ暗闇の海が広がっている。小さな穴や氷の塊も含めて、何か障害物がある度に、ディサナスのフルートで平坦な氷面に変えていく。
その音は、変わらず不協和音だった。それでもそこには希望の音が注ぎ込まれていた。不協和音であるからこそ氷が形成され、不協和音であるからこそ、力になる──そんな実感を楽しんでいるような音だった。
「前方に巨大な氷山を発見!! 迂回するぞ!?」
ディサナスは演奏をやめなかった。それどころか、フルートに大きく息を吹き込み、より一層音量を上げた。
「いえ、このまま突き進んでください!」
「正気か!?」
「大丈夫です。ディサナスなら、これくらいの壁、突破できます」
そう、今のディサナスなら、前へ進める。
「わかった! 二人を信じるぞ!!」
ディサナスの音色が揺れた。左手で管をしっかりとおさえると、右手を素早く動かし、速いリズムで音を刻む。氷というよりも炎を連想させるその激しい音の連なりは、吹き付ける吹雪をも巻き込んで無数の氷の礫を形成した。
「わあ、キレイ!」
エルサが両手を合わせて目を輝かせる。夜闇に青白く光るそれらは空に瞬く星々のようで、確かに美しかった。
息継ぎをすると、ディサナスは長く太く息を吹き込む。長い長いその一音が夜空に拡散しきったところで、氷の礫《つぶて》は一斉にソリの前の氷の上へと降り注いだ。
それらは瞬時に結び付き、新たな氷の塊を氷上に創り上げる。
「こいつは、すげぇ!」
それは氷山へと続く緩やかな坂になった。ソリは速度を緩めることなく、その坂を上っていく。
頂点に達したときに、僕は確かに見た。ディサナスの顔が綻ぶところを。
これから先何が起こるのかは不明瞭だ。だが、一つ確信にできるとしたら、僕らの旅は間違っていなかった。──そのことだけは、確かなはずだ。
マリーは、もうこのことを知ったのだろうか? マリーへ宛てたダヴが届いていれば、きっと、真実に気づいてくれるはずだが。
懐かしさまで覚える碧の双眸がふっと目の前に浮かび上がり、心音が跳ねた。マリーを悲しませるようなことだけは、絶対に嫌だった。
「ハルト……大丈夫?」
別の青の瞳がまた思考の迷路に迷い込みそうになった僕を現実へと引き戻す。一緒に乗り込んだディサナスが心配そうに僕の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫、だよ。ディサナスの方こそ大丈夫?」
体格のいい男性がトナカイにエサをあげていた。その背を軽く叩くと、トナカイは鼻を鳴らした。
戦場でディサナスを救出してから、まともに話したのはこれが初めてだったかもしれない。ヘイターを自分の中に認めることで気を失うほどの労力を使ったはずだ。
「私は……大丈夫……」
深海のような濃紺のその瞳はじっと僕を見つめていた。
「ハルトと出会って……ハルトと旅をして……忘れた過去を見つけて……辛い記憶……ばかりだけど……胸の辺りが少し軽くなった……」
きっと僕の目は驚きのあまりに見開かれているだろう。ディサナスの瞳に、穏やかな灯がともったから。
「私が……起こしてしまったこと。それは……もう、取り返しがつかない……たとえヘイターがやったことだとしても……他の誰かがやったことだとしても……その罪を私は背負わないと……いけない。だけど、これで私は、やっと……誰かのために音を奏でられる」
ディサナスは手袋を外すと、小刻みに震える手でフルートを握った。誰かが叫んでいるような気がして後ろを振り向くと、2つの人影がこちらに向かって駆けてきていた。
「エルサ!」「エル姉!!」──子どもたちが歓喜の声を上げる。エルサとシグリッド王子はその勢いを保ったまま、僕らが乗っているソリへと乗り込んだ。
「エルサ、無事か?」
「うん、お待たせ~」
やはり場に似つかわしくない間延びした声が返ってきた。
トナカイが状況を察知して身体を揺する。
「これで全員揃ったか!?」
「はい! 出発してください!!」
「はいよ!!」
男性が腕を挙げて他のソリへと合図を出すと、ソリはゆっくりと分厚い氷の上を滑り始めた。
次第に速度は上がり、周りの景色が高速で移り変わっていく。吹雪でなければ、追われている身でなければ、とても幻想的な光景だと思う。広い海の上をトナカイの引くソリに乗って滑走するなんて、きっとそうそう経験できるものじゃない。
だが、今はそんな思いに浸っていられる余裕はなかった。
分厚い氷に固められているとはいえ、その下には真っ暗闇の海が広がっている。小さな穴や氷の塊も含めて、何か障害物がある度に、ディサナスのフルートで平坦な氷面に変えていく。
その音は、変わらず不協和音だった。それでもそこには希望の音が注ぎ込まれていた。不協和音であるからこそ氷が形成され、不協和音であるからこそ、力になる──そんな実感を楽しんでいるような音だった。
「前方に巨大な氷山を発見!! 迂回するぞ!?」
ディサナスは演奏をやめなかった。それどころか、フルートに大きく息を吹き込み、より一層音量を上げた。
「いえ、このまま突き進んでください!」
「正気か!?」
「大丈夫です。ディサナスなら、これくらいの壁、突破できます」
そう、今のディサナスなら、前へ進める。
「わかった! 二人を信じるぞ!!」
ディサナスの音色が揺れた。左手で管をしっかりとおさえると、右手を素早く動かし、速いリズムで音を刻む。氷というよりも炎を連想させるその激しい音の連なりは、吹き付ける吹雪をも巻き込んで無数の氷の礫を形成した。
「わあ、キレイ!」
エルサが両手を合わせて目を輝かせる。夜闇に青白く光るそれらは空に瞬く星々のようで、確かに美しかった。
息継ぎをすると、ディサナスは長く太く息を吹き込む。長い長いその一音が夜空に拡散しきったところで、氷の礫《つぶて》は一斉にソリの前の氷の上へと降り注いだ。
それらは瞬時に結び付き、新たな氷の塊を氷上に創り上げる。
「こいつは、すげぇ!」
それは氷山へと続く緩やかな坂になった。ソリは速度を緩めることなく、その坂を上っていく。
頂点に達したときに、僕は確かに見た。ディサナスの顔が綻ぶところを。
これから先何が起こるのかは不明瞭だ。だが、一つ確信にできるとしたら、僕らの旅は間違っていなかった。──そのことだけは、確かなはずだ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
世の中は意外と魔術で何とかなる
ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。
『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』
平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる