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プロローグ
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慶応四年八月二十一日――、江戸城無血開城を以て幕府は名実ともに瓦解し、江戸から北上した新選組と伝習隊など旧・徳川幕府軍は会津・母成峠(※現・福島県郡山市・猪苗代町)で、薩長新政府軍と衝突した。
もともと新政府の徳川家排除の動きに抗議する事から鳥羽・伏見で戦に至ったが、戦火は東へ更に北上、遂には東北の地までをも覆った。
会津一国を納める会津松平家は徳川家康の男系男子の子孫を始祖とし、将軍家の血筋が絶えた場合などに将軍を出す役割を担うという御三家・御三卿と同等の資格を持つ親藩なのだという。
現藩主・松平肥後守容保は嘗て京都守護職を務め、実弟にして京都所司代、桑名藩主・松平定敬とともに帝が座す京を守っていた。今やその事が新政府から朝敵とされる要因になったらしい。
(逆恨みじゃないか……)
事の顛末を聞いた鉄之助は、率直にそう思った。
周りはどの顔も疲れ切った表情をしていて、負傷者もいる。
この戦いに勝利がない事は、鉄之助のような年の者でも理解できた。
――武士はな、鉄之助。武士が一旦口にした事は最後まで貫かなきゃならねぇ。自分が人として正しい道だと思うのなら、とことん突き進む。そこで死ぬような事があったとしても自分で選んだ道だ。俺は悔いはねぇよ。
鉄之助に以前そう言った男は、鉄之助の前にいた。
黒羅紗の洋装に身を包み、馬に跨がっている男――、新選組副長・土方歳三。
新選組はこの会津で会津残留組と更に北を目指す北上組の二隊に分かれ、土方率いる北上組は米沢に向かっていた。目的は米沢藩に会津への援軍嘆願だったが、土方は空を見上げ呟いた。
「これで――、誰もいなくなっちまったな……」
その日は、どんよりと曇った灰色の一日だった。
数々の修羅場を潜って来たであろう土方も、まさか北へ向かうことになろうとは予想もしていなかったであろう。
共に行動する鉄之助も、土方の隣で曇天を見上げた。
「新選組はこれからです。副長」
もはや守るべき幕府はなく、新選組も仲間の多くを失い、土方は一人になった。もちろん島田魁ら隊士もいたが、土方と共に京を目指したと云う近藤勇や沖田総司、永倉新八に原田左之助、井上源三郎はここにはいない。
そして会津でまた一人、斎藤一が去った。
彼等がいない寂しさに涙が滲みそうになるが、鉄之助は堪えた。泣くのは今ではないと
「お前に励まされるようじゃ、俺も落ちたな。鉄之助」
鉄之助の言葉に「ふんっ」と鼻を鳴らす彼は、鉄之助の知っているいつもの土方だった。
市村鉄之助は、新選組隊士としては若干十五歳の少年であった。
彼の所属は◆両長召抱人《りょうちょうめしかかえにん》という、土方の身の回りに於ける雑務を行う事を任としている。土方の側についてまだ二年、まさか戦いに巻き込まれるとは鉄之助も思っていなかったが、鉄之助に悔いはなかった。
顔を上げれば、土方の背がある。この二年間、鉄之助がずっと見続けてきた土方の背である。
戦いの怖さも、仲間を失う悲しさや寂しさも、彼の背を見れば再びやる気が漲ってくる。この曇天でも逞しく翻る、新選組の隊旗のように。
それからしばらくして、元号が慶応から明治に改元。それは秋風が吹き始めた、九月八日の事であった。
***
仙台青葉城下――、米沢藩からの援軍は得られる事はなく、新選組を含む旧幕府軍が次に目指したのがここ仙台である。
仙台青葉城下では、東北・北越諸藩からなる奥羽越列藩同盟軍も、薩長新政府軍との戦いに向けて臨戦態勢が整いつつあった。奥羽列藩同盟軍とは、会津藩・庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を行い、その目的を達成するための結成だったしい。しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、新政府軍に対抗する諸藩の軍事同盟となったという。
(そのうち仙台も、戦場になるんだろうな……)
鉄之助は宿営地から出ると「うんっ」と力んで、背伸びをした。
視線を前へ向ければ、半マンテル(※士官以下が来ていた軍服)にその上から陣羽織、頭には陣笠を被った幕兵が、ゲベール銃を肩から提げて鉄之助の前を駆けて行く。
新選組が仙台に入ったのはこの仙台青葉城で新政府軍を迎え撃つためだったが、仙台青葉城での軍議の内容は良くなかったようだ。軍議から戻って来た土方は、もの凄く不機嫌だった。
部屋に入って来るなり、どかっと椅子に身体を沈めた。
(う~ん……、今日は一段と怖いな……)
鉄之助は茶を手に部屋に入ったものの、凍結しそうな冷気を放っている土方にたじろいだ。
君子危うきに近寄らず――、ということわざがあるが、鉄之助の場合はそうはいかない。茶が冷めてしまうし、ここでの仕事もあるのだ。それなのに土方の第一声は「何か、用か?」ときた。
「――茶を……」
土方は洋装となって、一段格好いい。その顔立ちは全体的にキリッと引き締まり、意思の強そうな目をしていた。髪は肩までと短くなったが、時折顔に落ちてくる髪を煩そうに掻き上げている。
着ているものも黒羅紗のフロックコートに下はズボンと長靴、コートの下は白のシャツにベスト、首にはクラバット(※スカーフ状のタイ)と洋装も様になっている。ただ眉を寄せ、仏頂面で睨んで来る癖は京にいる頃から変わっていなかった。
茶を持って来いと命じて「何か用か」はないだろう――、と思う鉄之助だが、相手は副長の土方である。反応が遅れるのは今に始まった事ではないため、鉄之助も慣れたものだ。にこっと笑って机に茶を置いた。
鉄之助に出来るのは宿営に帰ってくる土方を待ち、こうして茶を煎れる事しかできない。
そんな土方が、おもむろに口を開く。
「新選組は、蝦夷に向かう事にする」
「蝦夷――、ですか?」
何でも仙台には榎本武揚という旧幕臣が、幕府艦八隻を奪ってやって来ているという。
本来ならば、幕府艦は新政府に徴収されるはずだったらしく、お陰で榎本自身も新政府に睨まれる事になったようだ。
「榎本さんは、蝦夷に行くそうだ。もはや、何処の藩領(※藩が治める土地)に行っても結果は同じだ。本気で新政府軍と戦おうと云う藩は、会津だけだろうよ」
奥羽列藩同盟軍は、瓦解が始まっているらしい。
相手は朝廷の正規軍で、彼らと戦う事は賊軍となる事を覚悟しなければならない。兵力も英国・仏国など最新鋭の軍備を揃えて進軍してくるだろう。傷は浅いうちに――、そういう心理が同盟軍内に働いたのかも知れない。
「俺は副長の行かれる所なら、蝦夷だろうとお供します」
「帰って来られる保証はねぇぞ。お前にはお前の道がある。無理をして俺たちに付き合う事はねぇんだぞ」
「俺もこれからは戦います。ここで離れたらきっと悔いが残るから」
鉄之助は、自身の左腰に差した刀に触れた。
まだ一度も武器として抜いた事はなかったが、鉄之助も武士であり、新選組隊士なのである。
「随分と大人びた事を言うようになったじゃねぇか。以前は鳥の雛みてぇにぴーぴー言ってたガキが」
「俺……、そんなにぴーぴー言ってませんよ?」
鉄之助としては、貶されているのか褒められているのか複雑な気分だ。
「でも――、寒いんでしょうね……?」
「そりゃあ、冬はな。鼻水も凍るらしいぜ」
「凍……っ」
慌てて鼻の下を押さえれば、土方に爆笑された。
そしてそれから数日後――。
榎本武揚率いる幕府艦六隻と更に仙台から太江丸・鳳凰丸の八隻は蝦夷へ向けて出航した。
いくらまだ秋とは云え、北の海に吹く風は既に冷たい。
見上げる空は、生憎の曇り空である。
幸い追ってくる敵艦の姿はなく、旧幕府軍を乗せた八隻は宮古湾を過ぎて津軽海峡に差し掛かろうとしていた。
「おっと……!」
海は時化て、鉄鋼製の艦だろうが荒波は軽々と船底を持ち上げてくる。その度に、鉄之助は艦の上で何度か蹌踉《よろ》めいた。 一昔前の木造船なら、鉄之助の身体など海に放り出されて鮫の餌だろう。と言っても鉄之助が船に乗ろうという時には既に蒸気機関の艦が主流で、木造船には乗った事はないのだが。
鉄之助が最初に艦に乗ったのは、伏見の地で新選組を含む幕府側が新政府軍に大敗し、江戸へ向かう時だ。その時は初めてだった所為か船酔いに悩まされ、青い顔で立っていれば「吐くなよ」と土方に睨まれた。
正直言って自分に何が出来るか、鉄之助には理解らない。
新選組隊士と言っても十五の子供で、両長召抱人である。
自分に出来るのは、些細な事ぐらいだけかも知れない。それでも前だけを見続ける土方の背を、鉄之助はずっと見て来た。 それは、これからも変わる事はない。
「鉄之助」
「え……」
顔を上げれば、隣に土方が立っていた。
「――今更云っても仕方ねぇが、恐らくこれが最後の戦いになる。生きてもう一度この海を渡れるかどうかは、俺は保証はできねぇ」
覚悟を問う土方の言葉に、鉄之助はぐっと拳を握り締めた。
「逃げません。副長は以前言われました。武士が一旦口にした事は、最後まで貫かなきゃならないと。自分が人として正しい道だと思うのなら、とことん突き進む。そこで死ぬような事があったとしても、自分で選んだ道なら悔いはないと」
「お前も自分の進む道を決めたって事か……」
「はい」
鉄之助の決意は既に、京にいる頃に決まっていた。
荒波に艦は再度大きく揺れ、受け身を取る間もなく鉄之助は転ぶ。
「……副長……、痛いですぅ……」
心も痛かった鉄之助だが、強打した鼻がもっと痛かった。
「そりゃあ、痛ぇだろうよ……」
土方が笑っている。
――これが、最後の戦い。
土方の言葉は、間違いはないのだろう。土方にとっても、新選組にとっても。
雲の彼方に夕日の影は跡形もなく消えうせて海は鈍色をしていたが、鉄之助の心の中には決意の炎が点る。
――俺は逃げない。絶対に。
これは市村鉄之助が新選組副長・土方歳三の小姓となり、後に日野の土方の義兄・佐藤彦五郎を訪ねるまで約二年間の物語である。
もともと新政府の徳川家排除の動きに抗議する事から鳥羽・伏見で戦に至ったが、戦火は東へ更に北上、遂には東北の地までをも覆った。
会津一国を納める会津松平家は徳川家康の男系男子の子孫を始祖とし、将軍家の血筋が絶えた場合などに将軍を出す役割を担うという御三家・御三卿と同等の資格を持つ親藩なのだという。
現藩主・松平肥後守容保は嘗て京都守護職を務め、実弟にして京都所司代、桑名藩主・松平定敬とともに帝が座す京を守っていた。今やその事が新政府から朝敵とされる要因になったらしい。
(逆恨みじゃないか……)
事の顛末を聞いた鉄之助は、率直にそう思った。
周りはどの顔も疲れ切った表情をしていて、負傷者もいる。
この戦いに勝利がない事は、鉄之助のような年の者でも理解できた。
――武士はな、鉄之助。武士が一旦口にした事は最後まで貫かなきゃならねぇ。自分が人として正しい道だと思うのなら、とことん突き進む。そこで死ぬような事があったとしても自分で選んだ道だ。俺は悔いはねぇよ。
鉄之助に以前そう言った男は、鉄之助の前にいた。
黒羅紗の洋装に身を包み、馬に跨がっている男――、新選組副長・土方歳三。
新選組はこの会津で会津残留組と更に北を目指す北上組の二隊に分かれ、土方率いる北上組は米沢に向かっていた。目的は米沢藩に会津への援軍嘆願だったが、土方は空を見上げ呟いた。
「これで――、誰もいなくなっちまったな……」
その日は、どんよりと曇った灰色の一日だった。
数々の修羅場を潜って来たであろう土方も、まさか北へ向かうことになろうとは予想もしていなかったであろう。
共に行動する鉄之助も、土方の隣で曇天を見上げた。
「新選組はこれからです。副長」
もはや守るべき幕府はなく、新選組も仲間の多くを失い、土方は一人になった。もちろん島田魁ら隊士もいたが、土方と共に京を目指したと云う近藤勇や沖田総司、永倉新八に原田左之助、井上源三郎はここにはいない。
そして会津でまた一人、斎藤一が去った。
彼等がいない寂しさに涙が滲みそうになるが、鉄之助は堪えた。泣くのは今ではないと
「お前に励まされるようじゃ、俺も落ちたな。鉄之助」
鉄之助の言葉に「ふんっ」と鼻を鳴らす彼は、鉄之助の知っているいつもの土方だった。
市村鉄之助は、新選組隊士としては若干十五歳の少年であった。
彼の所属は◆両長召抱人《りょうちょうめしかかえにん》という、土方の身の回りに於ける雑務を行う事を任としている。土方の側についてまだ二年、まさか戦いに巻き込まれるとは鉄之助も思っていなかったが、鉄之助に悔いはなかった。
顔を上げれば、土方の背がある。この二年間、鉄之助がずっと見続けてきた土方の背である。
戦いの怖さも、仲間を失う悲しさや寂しさも、彼の背を見れば再びやる気が漲ってくる。この曇天でも逞しく翻る、新選組の隊旗のように。
それからしばらくして、元号が慶応から明治に改元。それは秋風が吹き始めた、九月八日の事であった。
***
仙台青葉城下――、米沢藩からの援軍は得られる事はなく、新選組を含む旧幕府軍が次に目指したのがここ仙台である。
仙台青葉城下では、東北・北越諸藩からなる奥羽越列藩同盟軍も、薩長新政府軍との戦いに向けて臨戦態勢が整いつつあった。奥羽列藩同盟軍とは、会津藩・庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を行い、その目的を達成するための結成だったしい。しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、新政府軍に対抗する諸藩の軍事同盟となったという。
(そのうち仙台も、戦場になるんだろうな……)
鉄之助は宿営地から出ると「うんっ」と力んで、背伸びをした。
視線を前へ向ければ、半マンテル(※士官以下が来ていた軍服)にその上から陣羽織、頭には陣笠を被った幕兵が、ゲベール銃を肩から提げて鉄之助の前を駆けて行く。
新選組が仙台に入ったのはこの仙台青葉城で新政府軍を迎え撃つためだったが、仙台青葉城での軍議の内容は良くなかったようだ。軍議から戻って来た土方は、もの凄く不機嫌だった。
部屋に入って来るなり、どかっと椅子に身体を沈めた。
(う~ん……、今日は一段と怖いな……)
鉄之助は茶を手に部屋に入ったものの、凍結しそうな冷気を放っている土方にたじろいだ。
君子危うきに近寄らず――、ということわざがあるが、鉄之助の場合はそうはいかない。茶が冷めてしまうし、ここでの仕事もあるのだ。それなのに土方の第一声は「何か、用か?」ときた。
「――茶を……」
土方は洋装となって、一段格好いい。その顔立ちは全体的にキリッと引き締まり、意思の強そうな目をしていた。髪は肩までと短くなったが、時折顔に落ちてくる髪を煩そうに掻き上げている。
着ているものも黒羅紗のフロックコートに下はズボンと長靴、コートの下は白のシャツにベスト、首にはクラバット(※スカーフ状のタイ)と洋装も様になっている。ただ眉を寄せ、仏頂面で睨んで来る癖は京にいる頃から変わっていなかった。
茶を持って来いと命じて「何か用か」はないだろう――、と思う鉄之助だが、相手は副長の土方である。反応が遅れるのは今に始まった事ではないため、鉄之助も慣れたものだ。にこっと笑って机に茶を置いた。
鉄之助に出来るのは宿営に帰ってくる土方を待ち、こうして茶を煎れる事しかできない。
そんな土方が、おもむろに口を開く。
「新選組は、蝦夷に向かう事にする」
「蝦夷――、ですか?」
何でも仙台には榎本武揚という旧幕臣が、幕府艦八隻を奪ってやって来ているという。
本来ならば、幕府艦は新政府に徴収されるはずだったらしく、お陰で榎本自身も新政府に睨まれる事になったようだ。
「榎本さんは、蝦夷に行くそうだ。もはや、何処の藩領(※藩が治める土地)に行っても結果は同じだ。本気で新政府軍と戦おうと云う藩は、会津だけだろうよ」
奥羽列藩同盟軍は、瓦解が始まっているらしい。
相手は朝廷の正規軍で、彼らと戦う事は賊軍となる事を覚悟しなければならない。兵力も英国・仏国など最新鋭の軍備を揃えて進軍してくるだろう。傷は浅いうちに――、そういう心理が同盟軍内に働いたのかも知れない。
「俺は副長の行かれる所なら、蝦夷だろうとお供します」
「帰って来られる保証はねぇぞ。お前にはお前の道がある。無理をして俺たちに付き合う事はねぇんだぞ」
「俺もこれからは戦います。ここで離れたらきっと悔いが残るから」
鉄之助は、自身の左腰に差した刀に触れた。
まだ一度も武器として抜いた事はなかったが、鉄之助も武士であり、新選組隊士なのである。
「随分と大人びた事を言うようになったじゃねぇか。以前は鳥の雛みてぇにぴーぴー言ってたガキが」
「俺……、そんなにぴーぴー言ってませんよ?」
鉄之助としては、貶されているのか褒められているのか複雑な気分だ。
「でも――、寒いんでしょうね……?」
「そりゃあ、冬はな。鼻水も凍るらしいぜ」
「凍……っ」
慌てて鼻の下を押さえれば、土方に爆笑された。
そしてそれから数日後――。
榎本武揚率いる幕府艦六隻と更に仙台から太江丸・鳳凰丸の八隻は蝦夷へ向けて出航した。
いくらまだ秋とは云え、北の海に吹く風は既に冷たい。
見上げる空は、生憎の曇り空である。
幸い追ってくる敵艦の姿はなく、旧幕府軍を乗せた八隻は宮古湾を過ぎて津軽海峡に差し掛かろうとしていた。
「おっと……!」
海は時化て、鉄鋼製の艦だろうが荒波は軽々と船底を持ち上げてくる。その度に、鉄之助は艦の上で何度か蹌踉《よろ》めいた。 一昔前の木造船なら、鉄之助の身体など海に放り出されて鮫の餌だろう。と言っても鉄之助が船に乗ろうという時には既に蒸気機関の艦が主流で、木造船には乗った事はないのだが。
鉄之助が最初に艦に乗ったのは、伏見の地で新選組を含む幕府側が新政府軍に大敗し、江戸へ向かう時だ。その時は初めてだった所為か船酔いに悩まされ、青い顔で立っていれば「吐くなよ」と土方に睨まれた。
正直言って自分に何が出来るか、鉄之助には理解らない。
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「鉄之助」
「え……」
顔を上げれば、隣に土方が立っていた。
「――今更云っても仕方ねぇが、恐らくこれが最後の戦いになる。生きてもう一度この海を渡れるかどうかは、俺は保証はできねぇ」
覚悟を問う土方の言葉に、鉄之助はぐっと拳を握り締めた。
「逃げません。副長は以前言われました。武士が一旦口にした事は、最後まで貫かなきゃならないと。自分が人として正しい道だと思うのなら、とことん突き進む。そこで死ぬような事があったとしても、自分で選んだ道なら悔いはないと」
「お前も自分の進む道を決めたって事か……」
「はい」
鉄之助の決意は既に、京にいる頃に決まっていた。
荒波に艦は再度大きく揺れ、受け身を取る間もなく鉄之助は転ぶ。
「……副長……、痛いですぅ……」
心も痛かった鉄之助だが、強打した鼻がもっと痛かった。
「そりゃあ、痛ぇだろうよ……」
土方が笑っている。
――これが、最後の戦い。
土方の言葉は、間違いはないのだろう。土方にとっても、新選組にとっても。
雲の彼方に夕日の影は跡形もなく消えうせて海は鈍色をしていたが、鉄之助の心の中には決意の炎が点る。
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