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第2話 武士が背中を晒すということ
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新選組参謀・伊東甲子太郎が新選組に加入したのは、元治元年の師走の事であった。
江戸で北辰一刀流剣術道場の主となっていた伊東に新選組加入を勧めたのは、嘗て伊東の道場にも出入りしていた新選組八番隊組長の藤堂平助である。
聞けば、新選組の隊士を募りに江戸に来ているのだという。
「君が京に行ったとは聞いていたが、新選組にいるとはねぇ? 藤堂くん」
「伊東先生も、京へ来ませんか? 是非先生のお力をお貸し下さい」
「確か……、何と言ったか? 君がこの江戸で厄介になっていたという道場」
「試衛館ですか?」
「そう、試衛館だ。北辰一刀流の君とは流派が違う。私はね同時、どうして君がそんな所に居着いているのか、聞いた時は不思議だった。しかも今度は新選組だ」
伊東は藤堂の腕をかっている。その気になれば神田お玉ヶ池の千葉道場でも腕は磨ける。それをどうして、無名な道場で腐らせておくのか。しかも今度は新選組にいるという。
「試衛館の仲間は気兼ねがいらないし、道場主の近藤さんも人がいいんですけど……」
藤堂曰く、局長となった近藤は、人望はあるが決断力にはいまいち欠け、更に天狗になりやすいという。
「ほう……」
伊東は目を細め、開いていた扇子をぱちんと鳴らした。
人間というのは、褒め言葉や煽てに弱い。
これは利用できる――、伊東は本心を隠し、新選組加入を承諾した。
藤堂にすれば、伊東の剣の腕と人望を新選組で生かせるかも知れないと思っての事だろうが、伊東は根っからの勤王派である。尊王佐幕である新選組の思想とは、反対の立場だ。
伊東が勤王思想となったのは若い頃に水戸へ遊学し、水戸学を学んだのが始まりだった。
開国以降世は混沌とし、幕府の威信は傾きつつある。伊東の考えは、朝廷による政治回復である。だが一介の武士が勤王と叫んだところで、一笑に付されるだけである。
やはり長州など幕府と堂々と渡り合える藩でもなければ、朝廷すら見向きもしないだろう。
さてどうすべきか――、伊東がそう思案している所に、新選組加入の誘いが来たのである。
その伊東は、祇園の料亭『紅梅楼』の奥まった座敷にいた。
「伊東先生、薩摩は話に乗って来るでしょうか?」
そう言ったのは、伊東の片腕と言ってもいい篠原泰之進である。
「どうだろうね。向こうにすれば新選組が何処まで掴んでいるか知りたいだろうねぇ」
伊東は扇子を広げ「ククク」と嗤った。
伊東はこの時、薩摩藩の協力を得るべくある男に密書を送っていた。
近藤や土方に気づかれる危険があったが、そこは伊東である。用心の上に用心を重ねた。
今回の密談もそうだ。誰と会おうとしているか知られれば、今後の展開に障る。
伊東が協力を得ようとしている薩摩藩は、公武合体(※朝廷(公)の権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論)派として幕府寄りの雄藩であった。
その薩摩の動きが怪しいと、伊東の元に篠原が報せて来たのは一月前の事だった。
世に合わねば古きものは何れ壊される。それがこれまでの歴史だ。
(これからの世は、武士道など通じないよ。土方くん)
伊東は口の中に広がる酒の味を感じながら、脳裏に新選組副長・土方歳三の顔を浮かべた。
伊東は剣の腕はもちろん、話術にも自信があった。
既に局長の近藤は伊東に心を開いていたが、土方は未だ頑として心を開かない。
これが伊東の自尊心に障った。
新選組も変わらねばならない。何も傾き掛けた徳川と心中しなくてもよかろうに――、伊東はそう思った。
「お客はん、お連れさんがお見えどす」
障子越しに女将の声が聞こえ、伊東は口に運ぶ盃の手を止めた。
「通してくれたまえ」
「――伊東せんせ、懐かしかぁ。遅うなりもうした。許したもんせ」
障子を開けるなり伊東の待ち人は、密会しに来たにも関わらず声を張った。
「君と最後に会ったのは、江戸の薩摩藩近くだったか。ま、座りたまえ」
男は薩摩藩士で、名を岡崎という。伊東がまだ江戸にいる頃、伊東が道場主を務める北辰一刀流剣術道場に、藤堂と同じく出入りしていた事があった。
岡崎は最初は嬉しそうな顔をしていたが、直ぐに表情を強ばらせた。伊東が新選組にいるという事実が、気になるようだ。
「伊東せんせ。おいば呼び出したか理由ば、聞かせてもんせ」
「岡崎くん、私の想いは密書に認めた通りだ」
伊東が送った密書には――。
――我、伊東甲子太郎、帝の恩ため赤誠を尽くし候。
この密書も危険な行為だ。他の新選組隊士に気づかれば元の木阿弥。薩摩が反幕府派に転じていない可能性もある。
ゆえに伊東は、顔見知りの岡崎に目を付けたのだ。
岡崎の癖は、態度や顔に正直に出るのだ。案の定、顔色を変えた。
「伊東せんせは、なして新選組ば入ったごわすか? 伊東せんせと考えとは違いもうそ」
「新選組を勤王の徒としたいと思ってね」
「ぞけんこつなったら、幕府ば黙っておりもはん」
「ゆえに――、薩摩の力が必要なのだよ。朝廷の正規組織となれば、幕府は潰せない。薩摩には朝廷との橋渡しになってくれればそれでいい」
「じゃっどん……」
「私はね、岡崎くん。薩摩が徳川を倒そうと企んでいても、邪魔をするすもりはない」
「そげんこつ……」
やはりなと、伊東は思った。伊東はあくまで想像で言っただけだったが、岡崎は明らかに動揺していた。
(やはり、薩摩も徳川を見限ったか……)
第二次長州討伐の時、薩摩藩は兵を出す事を拒んだという。薩摩がどういう経緯で幕府に反旗を翻したのか、伊東は知らない。長州が去ったこの京で反幕府派となりうる藩は薩摩と睨んだ伊東だが、勘は当たっていたようだ。
「おい一人では、どうにもなりもはん」
「理解っている。急いては事をし損じる、だよ。先ずは外堀から埋めていく。嘗て徳川が使った手と同じようにね」
嘗ての天下人・豊臣秀吉の大阪城――、難攻不落と言われた城は徳川家康の命のもと、外堀を埋められやがて炎上し豊臣家は城とともに滅んだ。
伊東には、それがいまの幕府と重なった。もはや外堀は気づかぬ内に埋められているかも知れないと。
「怖かぁこつ、考える御方じゃ」
伊東甲子太郎は策士でもある。念願を果たすためなら味方を欺き弄する事も、彼にとっては策の一つに過ぎない。
「じゃっどん、そううまくいきますかの。新選組の後ろには会津ばあいもす」
「貴様っ!」
今にも抜刀しかねない篠原を、伊東は制した。
岡崎は篠原の剣幕に気圧される事なく、口を開いた。
「おいば、江戸では世話になり感謝しておりもうそ。じゃっどん、不確かな策に薩摩ば乗る訳にはいきもはん」
岡崎は薩摩が今この京で騒ぎを起こせば、長州の二の舞になると思っているらしい。
伊東はそれでも諦めない。勤王の徒となる為には朝廷と繋がる必要がある。
扇子で口を覆った。
(まぁ、みていたまえ。この伊東、狙った獲物は決して逃さぬ)
伊東は扇子の裏で、口の端を「にいっ」と吊り上げたのだった。
◆◆◆
午は男たちの賑やかな声に包まれる西本願寺・新選組屯所――。
夜も更けて、夜間巡察担当の組が出掛けて行けば、聞こえてくるのは過ぎ行く季節を惜しむ虫の声と、夜回りが打ち鳴らす拍子木、夜鳴き蕎麦屋の売り声などだ。
霜降月とは良くいったもので、十一月も終わりに近づけば朝には霜が降り、寒さも増す。
夕餉を済ませても小腹は空くもので、この寒さともなれば暖かい蕎麦はさぞ売れることだろう。
「へ……、へ、へーーくしょんっ!」
人気のない炊事場に、鉄之助の嚏が響く。
竈に火は入っていても、既に九つ(午後十一時~午前〇時)である。賄い方は既に仕事を終えていて、炊事場にいる人間は鉄之助一人しかいない。怖いやら寒いやらで、いつまでもいたくはないのだが。
鉄之助はまだ幽霊などの類いに出会った事は未だないが、何しろ新選組の屯所は寺の敷地内にある。
鼻の下を擦りながら、鉄之助はこの日も愚痴った。
「第一さぁ、こんな夜中に茶などを飲んだら小便に行きたくなるだろうに」
副長・土方歳三は、夜更けだろうが茶を口にする。
夜更けの刻が書物を読んだり文を書いたりするには集中できるらしく、茶も欲しくなるらしい。
新選組隊士全員が床に着くのは夜の巡察が終わる丑の刻(※午前二時)で、巡察組の報告を聞くまでは副長だけは起きて待っていなければいけないらしい。となれば両長召抱人である鉄之助も起きていないといけない訳で、新選組に入った当初は寝不足に悩まされたものだ。
この夜は、久しぶりの月夜である。庭の松や石灯籠を照らした月明かりは文机に向かう土方の所まで伸びて、行灯に頼らずとも書が読めるほどの明るさであった。
鉄之助は土方の文机に茶器を置くと、視線を空に運んだ。軒下からは、丼を二つに割ったような半円の月が顔を覗かせている。
(腹減ったな……)
月が丼に見えてしまうほどである。腹の虫は正直だ。こういう時に限って秋虫も鳴き止み、もう一匹の虫が何とも形容しがたい声で鳴いた。
「冷えてきたましたね。障子、閉めましょうか……? 副長」
焦る鉄之助に、土方の視線が突き刺さる。
「いや、いい。このくらいの風でおかしくなるほど俺は柔じゃねぇよ。何処かのガキと違ってな」
「その何処かのガキって、俺の事ですかぁ?」
土方に鉄之助の腹の音は、しっかり聞こえていたようだ。
「鉄之助、もしここに刺客が現れたらお前はどうする?」
何故土方はそんな怖い話をするのだろう――、鉄之助は思わず周りを見渡した。
「い、いるんですか?」
「以前はよーく、出没していたぜ。何せ新選組は不逞浪士をはじめ、反幕府派の人間も斬っている。現在でも、恨んでいる奴は多いだろうよ。隊士が百も超えりゃあ、一人や二人曲者が混じっていてもおかしくねぇな」
一人いてもまずいと鉄之助は思うのだが、土方は落ち着いたものだ。無理に探そうとはしないらしい。
「こ、怖くないんですが……? そんな恐ろしい奴が混ざっているとしたら……」
鉄之助は自分に置き換えて考えて見た。もし自分ならば、怖くて怖くて仕方がないだろう。もしかしたら、逃げ出しているかも知れない。幽霊に遭遇しても命までは奪おうとしないだろうが、刺客はその命を奪うために現れる。
鉄之助だって死にたくはないし、食べたい物はまだあるしや行きたい所もある。父が適わなかった美濃大垣にも、いつかは帰りたい。煩悩だらけの鉄之助だが、刺客が来ると聞くと怖くなった。
土方は言う。
「そんな奴を怖がっていたら、新選組副長なんぞやってねぇよ。武士ならば襲ってくるかも知れない相手に対して、いつでも刀を抜けるようにしておくもんだ」
「襲ってきたらどうするんですか?」
「そのまま背中を見せたら、間違いなくバッサリだろうよ」
武士にとって、背中は死角となるという。背を向けた瞬間、相手に「斬ってくれ」と言っているようなものらしい。
「それに武士にとって卑怯な事は――」
土方はそう言って、紙面に筆を下ろした。
「何ですか?」
「無防備の相手に、背中から斬りつけることさ」
鉄之助にはまだ難しい事は理解らなかったが、武士にとって背中は重要らしい。
実践に於いて敵に背中を向けることは逃げる事であり、武士ならば恐れることなく刀を抜いて戦わねばならぬという。更にいきなり背中なら斬りつける事もしてはならぬという。
「――そういやぁ、あの野郎は出掛けたらしいな?」
鉄之助が誰の事かと首を傾げれば、伊東甲子太郎の事らしい。
「副長は、伊東さんがお嫌いなんですか?」
「好きじゃねぇな。奴は勤王思想が元々強ぇし、あの胸クソ悪くなるような態度が気にいらねぇ」
理解る気がする、鉄之助であった。
そもそも土方は伊東甲子太郎が新選組にやって来た頃から胡散臭い奴、と感じていたらしい。しかし局長の近藤が、伊東を気に入っているという。勤王思想が強いという事に近藤も眉を寄せたらしいが、腕も確かで弁も立つ。文学師範兼参謀という最高待遇で、新選組に迎えたらしい。
鉄之助は土方ほどはっきりとした嫌悪感はないものの、伊東の事は苦手である。
じっと見てくる上に、鉄之助は伊東との間に妙に気まずいものを感じるのだった。
「副長は伊東さんが何かをすると思うんですか? 同じ新選組なのに」
「鉄之助、うちには厳しい掟があるが、考えまでは縛る事はできねぇ。勤王だろうが佐幕だろうが、そいつがこうと信じたものは、そいつにとっては正義。それを否定する権利はお互いねぇよ。ただ――」
「ただ?」
「伊東がもし、新選組を利用しようなど考えるようならその時は容赦はしねぇ」
その時土方はどうするのか――、鉄之助は聞かなかった。
伊東は勤王、新選組は尊王佐幕。一見同じようで、勤王と尊王は違うらしい。
勤王は帝のために忠義を尽くして戦う事で、尊王は帝を尊び幕府を補佐して戦う事だという。
相反する両者の想いがこの新選組で絡み合うとは鉄之助には思えなかったが、鉄之助は新選組に入ってまだ一月である。
廊下に出れば眠気に襲われて、彼が床に着いたのは巡察隊が戻った丑の刻の事であった。
2
「はい~!?」
午近く――、鉄之助の声に土方が眉を寄せた。
「……変な声を出すんじゃねぇ。飛脚屋に行けと言ったくらいで」
「あ、あ、あの――、俺一人で、ですか?」
鉄之助の方向音痴は相変わらずだが、簡単な道はさすがに覚えた。覚えたが、一人では殺生なと訴えれば「たかが使い」と切り捨てられた。鉄之助にすればその「たかが使い」が問題なのだが、鉄之助に使いに出す気満々の男は容赦がない。
「気をつけて行けよ。ま、馬鹿どもも刺激しなけりゃ、お前に斬りかかって来るとはねぇと思うぜ」
だからこそ生きたくないのだが、土方という男は「可哀想」と思う男ではなかった。
「副長……、人の話、聞いてます……?」
最後ろの訴えも空しく、鉄之助は文を託されて屯所を出た。
しかし悔しさは消えず、鉄之助はこの日も吠えた。
「鬼副長のの、薄情者ーーーーーー!!」
鉄之助の絶叫は寺の梵鐘の音と重なり、辻を曲がれば何処かの犬と目が合った。どうやら用足しをしていたらしい。片足をあげ、寺の塀に小便をかけるという何とも罰当たりな犬である。
土方が利用しているという飛脚屋は、四条木屋町にあるという。
木屋町通りは京の通りの一つであり、北は二条通から南は七条通まで、全長約22町55間(※2.5㎞)の路だという。
通りの近くには鴨川と共に京を流れる高瀬川、道沿いには旅籠や酒屋と店も多く、行き交う人々は老若男女様々だ。
だが鉄之助は、橋のたもとで「う~ん……」と唸った。
橋を渡れば団子に饅頭や、更に飴屋が否応なく視界に入る。
どれも嫌いではないだけに、困りものである。目的地である飛脚屋『伊勢屋』まで寄り道せずに辿り着くかはっきり言って自信はなかった。なんだかんだと云っても、鉄之助はまだ十四歳の少年である。
甘いものは嫌いではないし、寧ろ大好物である。これが頼まれごとではなく私的な散歩なら店に寄りたいが、そんな事をして帰れば土方の、飛び上がるほどの雷が落ちる事が容易に推測できた。
「へっ……、くしょんっ」
晩秋の京、藁草履に素足はさすがに失敗したなと鉄之助は後悔する。
鼻の下を擦り進行方向へ視線を運べば、善哉と書かれた文字が鉄之助を誘惑してくる。餡は汁ありだろうか、それとも汁なしの亀山(※餅につぶ餡)だろうか。心は誘惑に負けかけ、ふらりと身体が揺れた。
(いかん、いかんっ! 寄り道なんぞして帰れば間違いなく副長に怒鳴られる……)
鉄之助の脳裏には、彼を使いに出した副長・土方の顔が再び浮かんでいた。
幸い恐れていた不逞浪士と遭遇する事はなく、鉄之助は『伊勢屋』の暖簾を潜った。
四条木屋町に店を構える飛脚屋『伊勢屋』は、飛脚屋としては大店である。
伊勢屋の主・伊勢屋清兵衛はと聞けば彼は接客中で、彼の前には上がり框に腰を下ろしている羽織袴の武士がいた。
どうやら帰るところらしい。脇に置いた刀を掴み立ち上がった。
「では頼んだぞ。伊勢屋」
「畏まりました。お殿様にはよろしゅう」
飛脚屋『伊勢屋』の主・伊勢屋清兵衛は齢五十七、会津藩出入りの飛脚屋とあって店は繁盛しているらしい。
本来大名家は大名飛脚(※江戸と国元との連絡に従事した飛脚)を使うらしいが、費用がすべて大名自身にかかるために衰微していったという。
新選組は、その会津藩と深い関係にある。
会津藩主・松平肥後守容保はこの京に於いて京都守護職の地位にあり、新選組はその傘下にあったからだ。そんな縁もあり、土方はこの飛脚屋を利用するらしい。
男を見送って、伊勢屋清兵衛が鉄之助の応対を始める。
「お手紙で?」
「土方の使いです」
伊勢屋清兵衛には「土方の」と言えば通じるらしく、何故か鉄之助は大歓迎された。
「土方せんせの? それはそれは。まずはお上がりください。ちょうど《下鴨のみたらし》がおますよって」
下鴨のみたらしとは、下鴨神社の境内で売られている醤油の味が香ばしい串団子である。(※現代では醤油と黒砂糖を使ったたれ)
みたらし団子に興味はもの凄く惹かれる鉄之助だが、返ったらその『土方せんせ』に何を言われるか理解らない。想像しただけで、怖い鉄之助である。
「いえ、これを届けたら帰ります」
「そないな事いわんと。わてからあんじょう言っておきますさかい、新選組のお人には感謝しとるんですわ」
伊勢屋清兵衛は何でも、以前に長州藩の人間に斬られそうになった事があるという。
伊勢屋は過激行為に走る彼らを取り締まる京都守護職・会津藩出入りの店とあって、火付けやら度々襲われたという。
そんな伊勢屋を救ったのが巡察中の、土方だったらしい。
「ほんに、土方せんせには助けられましたわ」
飛脚屋『伊勢屋』の座敷で、伊勢屋清兵衛はにこにこと笑っている。
鉄之助は土方の用事以外に、何かしなければいけない事があったような気がするのだが思い出せずにいた。
(掃除はすんでいるし、あとは――、何かあったか……?)
結局それは思い出される事はなく、鉄之助が新選組の屯所がある西本願寺山門を潜ったのは未の刻であった。
使いに出てから一刻以上は経っているため、鉄之助は副長・土方歳三の部屋には行きたくはなかった。といって行かない訳にはいかない。
「ただいま、戻りました」
入れという土方の声で障子を開けると、案の定土方に睨まれた。
「――随分と、長ぇ使いだったな? 鉄之助。斬られて野垂れ死んでいるかと思ったぜ」
「い、伊勢屋さんが離してくれなくて……」
「鉄之助くん――、みたらし団子を食べたね?」
「え……」
何故か土方の部屋には、沖田もいた。
土方と沖田の前には茶があり、鉄之助が帰っていない為に土方の茶は他の隊士が煎れたようだ。
しかし何故沖田には、鉄之助がみたらし団子を馳走になったのが理解ったのか。
「いいなぁ。私が伊勢屋さんに行った時はお茶しか出なかったのに」
「くだらん……」
「くだらんといいますけどね、土方さん。下鴨のみたらしは絶品なんですよ。何処かの誰かさんは、ご馳走する気は全くないケチだし、こうしていも茶菓子もでないし」
そう言って沖田は、茶をズッと啜る。
どうやら伊勢屋は接客の時には、茶請けにみたらし団子を用意するらしい。
「総司、お前はいったい何をしに来た? まさか、茶だけ飲みに来た――、ンじゃねぇだろうな」
「やっぱり、宇治の最高茶葉は違いますねぇ。永倉さんが言ってたんですが、隊士部屋で飲む茶は馬の――……」
「総司、それ以上は言うな。茶がまずくなる」
二人の会話は明らかに脱線しかけ、鉄之助が説教される事はなかった。
沖田と共に廊下に出れば、庭で稽古着姿の斉藤一が腕を組んで睨んでいた。
「遅い! 市村!!」
「あ、あれ……?」
鉄之助は漸く忘れていた事を、思い出した。
鉄之助は斉藤と剣の稽古をする事を、すっかり忘れていたのだ。
「一くんはまるで、巌流島の佐々木小次郎だね」
「じゃあ、俺は宮本武蔵ですかぁ? 沖田さん」
「市村、お前の何処が宮本武蔵だ。俺たちを負かしてからほざけ」
鉄之助に待たされた挙げ句に沖田に冷やかされ、斉藤の機嫌は悪化を辿ったようだった。
◆◆◆
――カン!
木刀のぶつかる音が庭に響き、鉄之助の木刀は何度も宙を舞う。
「脇が甘い。市村!」
「ひい……」
普段は表情を崩さない斉藤一が、この時は鬼となる。鉄之助が子供だろうが斉藤は一切手加減する事もなく、その木刀は鉄之助に振り下ろされた。
「鉄之助くん、頑張ってね。こういう時の一くんは、怖いから」
「沖田さんの薄情者~」
沖田は縁側に座って頬杖をつき、斉藤に扱かれる鉄之助を楽しそうに見ていた。
「市村っ! お前のそうしたやる気のなさが気に入らん! しかも本日の稽古を忘れるとは」
「忘れるつもりはなかったんですが――」
木刀を持ち直し視線を上げてみれば、斉藤の木刀が鉄之助の頭上めがけ振り下ろされようとしていた。
(駄目だ! 間に合わない!!)
鉄之助はぎゅっと瞼を閉じた。
――カッ!!
(……え?)
これまで聞いた事にない音と確かな重みを自身の木刀に感じ、鉄之助はゆっくりと瞼を開けた。
「凄ーい。一くんの剣を受け止めるなんて」
沖田は手を叩きながら感心している。
信じられないのは、鉄之助自身である。鉄之助の木刀はしっかり両手で握られ、斉藤の木刀を頭上で受け止めていたのである。
(うそだろ……)
「市村、お前もやればできる。しっかり剣を学べば、副長助勤にもなれるんだぞ」
斉藤の言葉は嬉しかったが、鉄之助は喜べなかった。木刀を受け止めたからと、簡単に副長助勤になれるものではない事くらい鉄之助も知っている。
「お、俺が副長助勤!? とんでもないです!」
副長助勤――、新選組の花形。
平隊士たちは、副長助勤になるのが夢だという。幹部であり、常に先頭を歩くその姿に、隊士たちはいつかは自分もと思うそうだ。
「鉄之助くんは、欲がないねぇ。もしかして、ずーっとあの鬼のような土方さんの側にいるわけ?」
「そ、それは……その……」
鉄之助の脳裏に、眉間に小さな縦皺を刻んでいる土方の顔が浮かぶ。
「ま、それも私にしたら羨ましいんだけど」
「羨ましい……ですか?」
副長助勤である沖田が、鉄之助の事を羨ましいという。剣の腕がよく、一番隊を任されている沖田が、である。
鉄之助は首を傾げた。
「だって君は、あの人の背中を長く見ていれられるじゃないか。武士は決して敵に背中は晒さない。特に新選組副長ともなれば尚更さ。いつなんどき、後ろから斬りかかって来られるか理解らないからね」
以前――、土方も同じ事を言った。
――武士は決して向かってくる敵に、背中を向けちゃあならねぇ。その逆も然りだ。無謀な相手を後ろから斬りつける行為は武士はしちゃあならねぇ。
確かに鉄之助は、土方の背中を見る事が多い。武士はなんどきも油断なく、事に備えるのだという。
以前は間者や刺客も紛れ込んでいたという屯所の中、背後に忍び寄る危機を感じながら暮らす事は、は鉄之助には出来そうもない。怖くて怖くて、逃げ出しているだろう。
「市村、お前といる時の土方さんの刀はいつも何処にある?」
斉藤の言葉に、鉄之助は考えを巡らせる。
武士はよほどの事がなければ、刀を側に置くという。腰に差していない時は床の間の刀掛け、寝るときは枕元、人によって刀の取り扱いは様々らしく、大抵は刀掛けか脇に置くという。
「何処って――、刀掛けですか?」
「だから私は君が羨ましいんだよ、鉄之助くん。たぶん、君が後ろからぶん殴りに行っても土方さんは、受け身を取るのが精一杯だろうね。試してみる?」
鉄之助はとんでもないと、ぶるぶると首を激しく横に振った。
何でも沖田は一度土方の背後に忍び寄り、脅かそうとした事があったらしい。
「どうなったんですか?」
「いつもの通りさ。気づかれて馬鹿野郎ってね」
「総司の場合は悪戯の所為だろう。警戒されて当然だ」
「酷いなぁ、一くん」
鉄之助にはまだ理解らなかった。
「市村、それだけ武士にとって背中は大切なんだ。刀と離れれば死角となる背後は無防備になる。刀が近くにあればいいが少しでも距離があり、その間に後ろから来られたらどうなると思う?」
「良くて怪我をするか、最悪死ぬか」
「そうだ。俺たちは常に死と隣り合わせの状態にいる。一歩外に出ればそこは戦いの場。唯一気を抜けるのは自分の部屋に戻った時だ。だがな、市村。あの人は自分部屋にいても気が抜けない。お前が来るまでな」
「俺は、何もしていませんよ」
鉄之助は失敗ばかりで、いつも土方に怒鳴られてばかりだ。
土方が背中を鉄之助に晒すのは、単に鉄之助が子供で襲ってくる訳がないと思っているかも知れない――、鉄之助はそう思った。
「鉄之助くん、たとえそれでも私は羨ましいと思うよ。あの土方さんが背後に人の気配を感じても緊張をせずにいられる。安心して背を晒すことが出来る。それはね、背中を預けるっていう意味なんだよ」
武士にとってそれほど大事な背中、鉄之助にとっては当たり前のように見ている土方の背中には新選組副長という責任の重みと共に、仲間である筈の隊士から怒りや憎しみも向けられるという。
亥の刻(※午後22時)――、いつもの通り茶を持って土方の部屋へ行くと、土方はいつの通り文机の前に座った。
(副長の背中……)
この日も背に流した土方の長い髷が、その背で揺れている。
鉄之助が新選組に入ってもうすぐ一月、何度となく当たり前のように見て来た土方の背中。
彼の打ち刀・和泉守兼定と脇差し・堀川国広は、土方の座るやや後ろの刀掛けにある。
つまり今の土方は完全無防備の背を、鉄之助に晒しているのだ。
沖田が言う通りにぶん殴りに行こうとは思わないが、本当に可能か気になる鉄之助であった。
「なんだ?」
鉄之助の視線を感じ取ったのか、土方が眉を寄せて振り返った。
「えっ、えっとぉ……、お、お茶のおかわりは如何でしょうか? 副長」
「いらん。それよりもう寝ろ」
ぷいっと書面に視線を戻した土方に安堵して、鉄之助は廊下に出た。
明日はいい一日になるだろうか。
見上げた月に問うても、返事は返っては来ない。
「ふぁ……、寝よ……」
鉄之助は欠伸をしつつ、土方の部屋の前を後にするのだった。
3
月が改まり師走――、この日の空はこの時期らしく凍曇で、あと何日かすればこの町は白一色に覆われる事だろう。
このところ事件らしい事件もなく、町は平和である。
師走は僧が走り回るというが、この町で走り回るのは僧だけではない。不逞浪士は相変わらず暴れ、捕縛に向かう新選組も走る。京の町は一見穏やかに見えるが実際は災いの炎が下火になっただけで、鎮火した訳ではない。きっかけさえあれば再び燃え上がり、この町はまた乱れる。
まだ終わっていねぇ――。
西本願寺・新選組屯所――、副長・土方歳三は腕を組んで空を見上げていた。
嘗ては攘夷だ天誅だと叫んでいた長州を初めとする反幕府派が、そう簡単にこの京から手を引くとは彼は思っていない。
それに、何かしそうな人間は、土方の身近にもいた。
この新選組を操り、意のままにしようとしかねない人間――、伊東甲子太郎だ。
土方は最初に伊東に会ってから、気に入らなかった。勤王思想が強いのはもちろんだが、人を見下すような物言いが気にいない。
「――彼は今でも、怪しいと思っているのか? トシ」
土方の隣に、男が立った。局長・近藤勇である。
「あんたの期待を裏切っちゃ悪いが、奴は俺たちを利用するするつもりだぜ? あくまでも勘だがな」
「以前、同じ台詞を聞いたな。あれはそう――、俺たちがこの京に着いて間もない頃だったな」
将軍警護のため浪士組としてやってきた当時、その浪士組を利用しようと動いた人間がいた。
あの時も土方はその男の弁に胡散臭さを感じ、浪士組は解体の危機となった。
当時は近藤も土方もまだ一介の浪士である。だが今は違う。
近藤は新選組の局長であり、土方は副長である。
「あの頃のように路頭に迷う事はねぇが、うちの連中が割れ始めている。百も超す大所帯となると考えが違う人間がいてもおかしくはねぇが、半数となると目も当てられん。伊東は間違いなく第二の清河さ」
浪士組の発案者だという清河八郎は、京に着いた途端に浪士組を勤王の士とし、尊皇攘夷の魁となると言い出した。
当時と現在と状況は違うかも知れないが、伊東甲子太郎は勤王思想が強い。
「半数?」
「仮定の話さ、近藤さん。あんたにはっきり言えるのは、伊東には気をつけろと言う事だ。あんたはもう、以前のような町道場の若先生じゃねぇんだぜ? 近藤さん。局長のあんたを責めるつもりはねぇ。だが用心しねぇと、またとんでもない事になる。現に隊士が割れ始めている」
「理解ってるよ。トシ」
そう、もうあの頃とは違う。
ここまで来るのに、何人の血を流してきたか。
「見ろよ、近藤さん。遂に降ってきやがった」
再び空を仰げば粉のような雪が緩やかに、絶え間なく空から降りてくる。
京に再び冬がやって来ようとしていた。
「トシ、久しぶりにやらんか?」
近藤の「やらんか?」という誘いは、木刀を交えないかという誘いである。
「俺じゃなく、総司を誘えよ。あいつなら一つ返事で喜んで乗ってくるぜ」
「はは……、総司は剣となると本気になるからなぁ」
「だらしねぇなぁ……。あんた、あいつの師匠だろうが。勝っちゃん」
「総司の師匠は俺ではなく、親父どの(※近藤周介)だよ」
土方の脳裏に、懐かしい光景が浮かぶ。
今にも崩れるかという江戸の貧乏道場『試衛館』――、新選組の幹部の殆どは試衛館の人間である。
試衛館の開設者にして近藤の養父・近藤周介は、現在は隠居の身にある。
養子・近藤勇に四代目を譲ったものの、その四代目は京に行ったまま。近藤と妻ツネとの間に男子はなく、試衛館は今後どうなるのか――、周介の切実な想いは文を通して屯所に届く。
「親父どのはもう年だ。俺に帰ってきて欲しいらしい……」
最初、近藤は道場を沖田に継がせるつもりだったが、その沖田も今は新選組の一人で欠かせない人物になっている。
つい近藤の昔の名で呼んでいた土方は、軽く舌打ちをした。
近藤のことをもう町道場の若先生ではないと言っておきながら、故郷にいた頃そのままの名で呼んでしまう。
(人の事、いえねぇなぁ……)
土方はふっと笑って、もう一度空を見上げる。
遠い過去――、故郷・武州多摩に流れる多摩川の岸で、土方は江戸を見つめていた。
――いつか俺も武士になり、この川を越えていく。
一農民の小倅にしか過ぎなかった男が、武士になる。
希望と期待に胸を膨らませ、若き土方は多摩川を渡った。
そして現在――、土方は新選組副長となった。
越えねばならないものは多摩川の川幅や深さよりも大きく、障害も大きいだろう。
もう後戻りは出来ない。
これまでの事に、土方は悔いはなかった。
――近藤さん、あんたまで悪者になる必要はねぇよ。
新選組を立ち上げた時、土方は誓った。自分は鬼となると。
新選組は会津藩御預かりと言っても、京都見廻り組と違って幕臣ではなく非正規組織である。
身分も浪士をはじめ、元町人や商人、農民の出身など隊士が育ってきた環境は様々である。
ゆえに、誰にも馬鹿にされぬ武士集団にする必要があった。それには厳しい掟と憎まれ役が必要だった。
近藤の性格では、鬼にはなれない。鬼がいなければ情に流され、判断を狂わせる。
「近藤さん、試衛館のみんなはあんたを信じてついてきた。そのあんたが揺れたら、ついてきた奴らはどうすりゃいいんだ? しっかりしてくれよ」
「すまん、トシ。お前にはいつも辛い役をやらせているな」
去りかけた近藤が足を止め、詫びる。
「俺が好きでやっていることさ。あんたはいつも通り、どーんと構えていろよ。近藤さん」
降り始めた雪は大粒となり、やがて本格的に大雪となった。
京に来て五年目の冬が、まもなく始まろうとしていた。
◆◆◆
慶応二年十二月五日――、江戸では十五代将軍に将軍後見職・一橋慶喜が就いたという。
京の町は一面銀世界に覆われ、新選組の屯所にも雪塊が幾つも出来た。
「うそだろう……?」
雪鋤を手にした鉄之助は、大量の雪を見て衝撃を受けた。
寒いし手は悴むし雪は重いし、雪かき作業というものを鉄之助は甘く見ていたようだ。
しかしこれをしなければ、午の巡察に出られないらしい。
何しろ夜が明けて早々、鉄之助は土方に雪かきをしろと叩き起こされた。
隊士たちの中には、土方の後ろから頭をぶん殴りたいと思った者はいないのだろうか。
「いや、いるな。人使いは荒いし、薄情者だし、殴るのは無理でも――、副長に何とかしてこう、ぎゅっと言わせたい奴。うーん……、落とし穴にでも落とすか?」
恐ろしい想像は浮かぶものの、あとあと怖い事が倍になって返ってくるため、あくまでも想像の中だが。
鉄之助は雪を固め、達磨を一つ拵えた。
「我ながら立派」
少々歪んでいるが、直ぐに破壊にかかるため問題はなかった。
「よぉ! テツ」
声を掛けてきたのは出勤してきた十番隊組長・原田左之助である。
原田は屯所の近くに邸を構え、妻と子で暮らしていた。
「おはようございます。原田さん」
「なんだぁ? こりゃ。随分、下手くそだな。角があるぜ? 節分には早ぇぞ」
原田はそう言って、雪だるまの頭部を槍で小突く。
決して角を作ろうと意識した訳ではないが、雪だるまの頭は確かに丸と言い難く、頭上はまるで角があるように見えた。
まさかその雪だるまが誰を表したかなど、とても言えない鉄之助である。
原田を見送って、鉄之助は気合いを込める。
「鬼副長の馬鹿野郎! おりゃーー!!」
鉄之助は雄叫びとともに、雪だるまに鋤を突き差した。
しかしこの時はいつもなる寺の梵鐘は鳴らず、土方の呼び出しである。
「鉄之助……、俺はお前を怒らせるような事をしたか?」
「特に何も……!」
「頼むから外で馬鹿野郎と叫ぶのもやめろ。文句があるなら面と向かって言え」
どうやら庭で叫んだ「馬鹿野郎」が、またも土方の耳に聞こえたらしい。
「相変わらずの地獄耳で……」
「うるせぇ。お前の声がデカすぎるんだ」
土方はそう言って、再び文机に向き直る。
無防備な土方の背中、いくら勘のいい彼でも今斬りかかれたら刀を掴むまでは間に合わないだろう。
武士が死角となる背中を相手に晒すという事は、相手を信頼しているという事だと沖田はいう。
それは「背中を預ける」という意味なのだと。
「副長。もし俺が副長に凄く恨みがあって、新選組に入ったのは復讐する為だったとしたらどうしますか?」
「そん時は、いつでも相手になってやるさ。俺には、やらなきゃならねぇ事がある。今はやられる訳にはいかねぇんでな。第一、お前には殺気は感じられねぇし、へっぴり腰じゃ俺の頭をぶん殴る事も無理だ」
「ぶん殴るなんてそんな……、はは……」
どうやら試そうとした事も、土方にはお見通しらしい。
「怒ったり笑ったり、忙しい野郎だな? お前は」
馬鹿な奴と呆れられているのか、力のない笑みを浮かべた土方は再度背を向ける。
この日は特にする事もなく、鉄之助は火鉢に張り付いた。
今やすっかり見慣れた、土方の背中。
その背が受ける想いは様々、嫉妬や羨望、期待と憎しみ、信頼などだ。
(眠……)
「おいっ、俺の部屋で寝るんじゃねぇ! 鉄之助!!」
温まった身体に、土方の怒鳴り声が心地いい。
「おひゃふみなはい(※おやすみなさい)」
「馬鹿野郎!! 寝るな! クソガキ!!」
鉄之助とって土方の背中は、誰よりも逞しく思えるのだった。
新選組参謀・伊東甲子太郎が新選組に加入したのは、元治元年の師走の事であった。
江戸で北辰一刀流剣術道場の主となっていた伊東に新選組加入を勧めたのは、嘗て伊東の道場にも出入りしていた新選組八番隊組長の藤堂平助である。
聞けば、新選組の隊士を募りに江戸に来ているのだという。
「君が京に行ったとは聞いていたが、新選組にいるとはねぇ? 藤堂くん」
「伊東先生も、京へ来ませんか? 是非先生のお力をお貸し下さい」
「確か……、何と言ったか? 君がこの江戸で厄介になっていたという道場」
「試衛館ですか?」
「そう、試衛館だ。北辰一刀流の君とは流派が違う。私はね同時、どうして君がそんな所に居着いているのか、聞いた時は不思議だった。しかも今度は新選組だ」
伊東は藤堂の腕をかっている。その気になれば神田お玉ヶ池の千葉道場でも腕は磨ける。それをどうして、無名な道場で腐らせておくのか。しかも今度は新選組にいるという。
「試衛館の仲間は気兼ねがいらないし、道場主の近藤さんも人がいいんですけど……」
藤堂曰く、局長となった近藤は、人望はあるが決断力にはいまいち欠け、更に天狗になりやすいという。
「ほう……」
伊東は目を細め、開いていた扇子をぱちんと鳴らした。
人間というのは、褒め言葉や煽てに弱い。
これは利用できる――、伊東は本心を隠し、新選組加入を承諾した。
藤堂にすれば、伊東の剣の腕と人望を新選組で生かせるかも知れないと思っての事だろうが、伊東は根っからの勤王派である。尊王佐幕である新選組の思想とは、反対の立場だ。
伊東が勤王思想となったのは若い頃に水戸へ遊学し、水戸学を学んだのが始まりだった。
開国以降世は混沌とし、幕府の威信は傾きつつある。伊東の考えは、朝廷による政治回復である。だが一介の武士が勤王と叫んだところで、一笑に付されるだけである。
やはり長州など幕府と堂々と渡り合える藩でもなければ、朝廷すら見向きもしないだろう。
さてどうすべきか――、伊東がそう思案している所に、新選組加入の誘いが来たのである。
その伊東は、祇園の料亭『紅梅楼』の奥まった座敷にいた。
「伊東先生、薩摩は話に乗って来るでしょうか?」
そう言ったのは、伊東の片腕と言ってもいい篠原泰之進である。
「どうだろうね。向こうにすれば新選組が何処まで掴んでいるか知りたいだろうねぇ」
伊東は扇子を広げ「ククク」と嗤った。
伊東はこの時、薩摩藩の協力を得るべくある男に密書を送っていた。
近藤や土方に気づかれる危険があったが、そこは伊東である。用心の上に用心を重ねた。
今回の密談もそうだ。誰と会おうとしているか知られれば、今後の展開に障る。
伊東が協力を得ようとしている薩摩藩は、公武合体(※朝廷(公)の権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論)派として幕府寄りの雄藩であった。
その薩摩の動きが怪しいと、伊東の元に篠原が報せて来たのは一月前の事だった。
世に合わねば古きものは何れ壊される。それがこれまでの歴史だ。
(これからの世は、武士道など通じないよ。土方くん)
伊東は口の中に広がる酒の味を感じながら、脳裏に新選組副長・土方歳三の顔を浮かべた。
伊東は剣の腕はもちろん、話術にも自信があった。
既に局長の近藤は伊東に心を開いていたが、土方は未だ頑として心を開かない。
これが伊東の自尊心に障った。
新選組も変わらねばならない。何も傾き掛けた徳川と心中しなくてもよかろうに――、伊東はそう思った。
「お客はん、お連れさんがお見えどす」
障子越しに女将の声が聞こえ、伊東は口に運ぶ盃の手を止めた。
「通してくれたまえ」
「――伊東せんせ、懐かしかぁ。遅うなりもうした。許したもんせ」
障子を開けるなり伊東の待ち人は、密会しに来たにも関わらず声を張った。
「君と最後に会ったのは、江戸の薩摩藩近くだったか。ま、座りたまえ」
男は薩摩藩士で、名を岡崎という。伊東がまだ江戸にいる頃、伊東が道場主を務める北辰一刀流剣術道場に、藤堂と同じく出入りしていた事があった。
岡崎は最初は嬉しそうな顔をしていたが、直ぐに表情を強ばらせた。伊東が新選組にいるという事実が、気になるようだ。
「伊東せんせ。おいば呼び出したか理由ば、聞かせてもんせ」
「岡崎くん、私の想いは密書に認めた通りだ」
伊東が送った密書には――。
――我、伊東甲子太郎、帝の恩ため赤誠を尽くし候。
この密書も危険な行為だ。他の新選組隊士に気づかれば元の木阿弥。薩摩が反幕府派に転じていない可能性もある。
ゆえに伊東は、顔見知りの岡崎に目を付けたのだ。
岡崎の癖は、態度や顔に正直に出るのだ。案の定、顔色を変えた。
「伊東せんせは、なして新選組ば入ったごわすか? 伊東せんせと考えとは違いもうそ」
「新選組を勤王の徒としたいと思ってね」
「ぞけんこつなったら、幕府ば黙っておりもはん」
「ゆえに――、薩摩の力が必要なのだよ。朝廷の正規組織となれば、幕府は潰せない。薩摩には朝廷との橋渡しになってくれればそれでいい」
「じゃっどん……」
「私はね、岡崎くん。薩摩が徳川を倒そうと企んでいても、邪魔をするすもりはない」
「そげんこつ……」
やはりなと、伊東は思った。伊東はあくまで想像で言っただけだったが、岡崎は明らかに動揺していた。
(やはり、薩摩も徳川を見限ったか……)
第二次長州討伐の時、薩摩藩は兵を出す事を拒んだという。薩摩がどういう経緯で幕府に反旗を翻したのか、伊東は知らない。長州が去ったこの京で反幕府派となりうる藩は薩摩と睨んだ伊東だが、勘は当たっていたようだ。
「おい一人では、どうにもなりもはん」
「理解っている。急いては事をし損じる、だよ。先ずは外堀から埋めていく。嘗て徳川が使った手と同じようにね」
嘗ての天下人・豊臣秀吉の大阪城――、難攻不落と言われた城は徳川家康の命のもと、外堀を埋められやがて炎上し豊臣家は城とともに滅んだ。
伊東には、それがいまの幕府と重なった。もはや外堀は気づかぬ内に埋められているかも知れないと。
「怖かぁこつ、考える御方じゃ」
伊東甲子太郎は策士でもある。念願を果たすためなら味方を欺き弄する事も、彼にとっては策の一つに過ぎない。
「じゃっどん、そううまくいきますかの。新選組の後ろには会津ばあいもす」
「貴様っ!」
今にも抜刀しかねない篠原を、伊東は制した。
岡崎は篠原の剣幕に気圧される事なく、口を開いた。
「おいば、江戸では世話になり感謝しておりもうそ。じゃっどん、不確かな策に薩摩ば乗る訳にはいきもはん」
岡崎は薩摩が今この京で騒ぎを起こせば、長州の二の舞になると思っているらしい。
伊東はそれでも諦めない。勤王の徒となる為には朝廷と繋がる必要がある。
扇子で口を覆った。
(まぁ、みていたまえ。この伊東、狙った獲物は決して逃さぬ)
伊東は扇子の裏で、口の端を「にいっ」と吊り上げたのだった。
◆◆◆
午は男たちの賑やかな声に包まれる西本願寺・新選組屯所――。
夜も更けて、夜間巡察担当の組が出掛けて行けば、聞こえてくるのは過ぎ行く季節を惜しむ虫の声と、夜回りが打ち鳴らす拍子木、夜鳴き蕎麦屋の売り声などだ。
霜降月とは良くいったもので、十一月も終わりに近づけば朝には霜が降り、寒さも増す。
夕餉を済ませても小腹は空くもので、この寒さともなれば暖かい蕎麦はさぞ売れることだろう。
「へ……、へ、へーーくしょんっ!」
人気のない炊事場に、鉄之助の嚏が響く。
竈に火は入っていても、既に九つ(午後十一時~午前〇時)である。賄い方は既に仕事を終えていて、炊事場にいる人間は鉄之助一人しかいない。怖いやら寒いやらで、いつまでもいたくはないのだが。
鉄之助はまだ幽霊などの類いに出会った事は未だないが、何しろ新選組の屯所は寺の敷地内にある。
鼻の下を擦りながら、鉄之助はこの日も愚痴った。
「第一さぁ、こんな夜中に茶などを飲んだら小便に行きたくなるだろうに」
副長・土方歳三は、夜更けだろうが茶を口にする。
夜更けの刻が書物を読んだり文を書いたりするには集中できるらしく、茶も欲しくなるらしい。
新選組隊士全員が床に着くのは夜の巡察が終わる丑の刻(※午前二時)で、巡察組の報告を聞くまでは副長だけは起きて待っていなければいけないらしい。となれば両長召抱人である鉄之助も起きていないといけない訳で、新選組に入った当初は寝不足に悩まされたものだ。
この夜は、久しぶりの月夜である。庭の松や石灯籠を照らした月明かりは文机に向かう土方の所まで伸びて、行灯に頼らずとも書が読めるほどの明るさであった。
鉄之助は土方の文机に茶器を置くと、視線を空に運んだ。軒下からは、丼を二つに割ったような半円の月が顔を覗かせている。
(腹減ったな……)
月が丼に見えてしまうほどである。腹の虫は正直だ。こういう時に限って秋虫も鳴き止み、もう一匹の虫が何とも形容しがたい声で鳴いた。
「冷えてきたましたね。障子、閉めましょうか……? 副長」
焦る鉄之助に、土方の視線が突き刺さる。
「いや、いい。このくらいの風でおかしくなるほど俺は柔じゃねぇよ。何処かのガキと違ってな」
「その何処かのガキって、俺の事ですかぁ?」
土方に鉄之助の腹の音は、しっかり聞こえていたようだ。
「鉄之助、もしここに刺客が現れたらお前はどうする?」
何故土方はそんな怖い話をするのだろう――、鉄之助は思わず周りを見渡した。
「い、いるんですか?」
「以前はよーく、出没していたぜ。何せ新選組は不逞浪士をはじめ、反幕府派の人間も斬っている。現在でも、恨んでいる奴は多いだろうよ。隊士が百も超えりゃあ、一人や二人曲者が混じっていてもおかしくねぇな」
一人いてもまずいと鉄之助は思うのだが、土方は落ち着いたものだ。無理に探そうとはしないらしい。
「こ、怖くないんですが……? そんな恐ろしい奴が混ざっているとしたら……」
鉄之助は自分に置き換えて考えて見た。もし自分ならば、怖くて怖くて仕方がないだろう。もしかしたら、逃げ出しているかも知れない。幽霊に遭遇しても命までは奪おうとしないだろうが、刺客はその命を奪うために現れる。
鉄之助だって死にたくはないし、食べたい物はまだあるしや行きたい所もある。父が適わなかった美濃大垣にも、いつかは帰りたい。煩悩だらけの鉄之助だが、刺客が来ると聞くと怖くなった。
土方は言う。
「そんな奴を怖がっていたら、新選組副長なんぞやってねぇよ。武士ならば襲ってくるかも知れない相手に対して、いつでも刀を抜けるようにしておくもんだ」
「襲ってきたらどうするんですか?」
「そのまま背中を見せたら、間違いなくバッサリだろうよ」
武士にとって、背中は死角となるという。背を向けた瞬間、相手に「斬ってくれ」と言っているようなものらしい。
「それに武士にとって卑怯な事は――」
土方はそう言って、紙面に筆を下ろした。
「何ですか?」
「無防備の相手に、背中から斬りつけることさ」
鉄之助にはまだ難しい事は理解らなかったが、武士にとって背中は重要らしい。
実践に於いて敵に背中を向けることは逃げる事であり、武士ならば恐れることなく刀を抜いて戦わねばならぬという。更にいきなり背中なら斬りつける事もしてはならぬという。
「――そういやぁ、あの野郎は出掛けたらしいな?」
鉄之助が誰の事かと首を傾げれば、伊東甲子太郎の事らしい。
「副長は、伊東さんがお嫌いなんですか?」
「好きじゃねぇな。奴は勤王思想が元々強ぇし、あの胸クソ悪くなるような態度が気にいらねぇ」
理解る気がする、鉄之助であった。
そもそも土方は伊東甲子太郎が新選組にやって来た頃から胡散臭い奴、と感じていたらしい。しかし局長の近藤が、伊東を気に入っているという。勤王思想が強いという事に近藤も眉を寄せたらしいが、腕も確かで弁も立つ。文学師範兼参謀という最高待遇で、新選組に迎えたらしい。
鉄之助は土方ほどはっきりとした嫌悪感はないものの、伊東の事は苦手である。
じっと見てくる上に、鉄之助は伊東との間に妙に気まずいものを感じるのだった。
「副長は伊東さんが何かをすると思うんですか? 同じ新選組なのに」
「鉄之助、うちには厳しい掟があるが、考えまでは縛る事はできねぇ。勤王だろうが佐幕だろうが、そいつがこうと信じたものは、そいつにとっては正義。それを否定する権利はお互いねぇよ。ただ――」
「ただ?」
「伊東がもし、新選組を利用しようなど考えるようならその時は容赦はしねぇ」
その時土方はどうするのか――、鉄之助は聞かなかった。
伊東は勤王、新選組は尊王佐幕。一見同じようで、勤王と尊王は違うらしい。
勤王は帝のために忠義を尽くして戦う事で、尊王は帝を尊び幕府を補佐して戦う事だという。
相反する両者の想いがこの新選組で絡み合うとは鉄之助には思えなかったが、鉄之助は新選組に入ってまだ一月である。
廊下に出れば眠気に襲われて、彼が床に着いたのは巡察隊が戻った丑の刻の事であった。
2
「はい~!?」
午近く――、鉄之助の声に土方が眉を寄せた。
「……変な声を出すんじゃねぇ。飛脚屋に行けと言ったくらいで」
「あ、あ、あの――、俺一人で、ですか?」
鉄之助の方向音痴は相変わらずだが、簡単な道はさすがに覚えた。覚えたが、一人では殺生なと訴えれば「たかが使い」と切り捨てられた。鉄之助にすればその「たかが使い」が問題なのだが、鉄之助に使いに出す気満々の男は容赦がない。
「気をつけて行けよ。ま、馬鹿どもも刺激しなけりゃ、お前に斬りかかって来るとはねぇと思うぜ」
だからこそ生きたくないのだが、土方という男は「可哀想」と思う男ではなかった。
「副長……、人の話、聞いてます……?」
最後ろの訴えも空しく、鉄之助は文を託されて屯所を出た。
しかし悔しさは消えず、鉄之助はこの日も吠えた。
「鬼副長のの、薄情者ーーーーーー!!」
鉄之助の絶叫は寺の梵鐘の音と重なり、辻を曲がれば何処かの犬と目が合った。どうやら用足しをしていたらしい。片足をあげ、寺の塀に小便をかけるという何とも罰当たりな犬である。
土方が利用しているという飛脚屋は、四条木屋町にあるという。
木屋町通りは京の通りの一つであり、北は二条通から南は七条通まで、全長約22町55間(※2.5㎞)の路だという。
通りの近くには鴨川と共に京を流れる高瀬川、道沿いには旅籠や酒屋と店も多く、行き交う人々は老若男女様々だ。
だが鉄之助は、橋のたもとで「う~ん……」と唸った。
橋を渡れば団子に饅頭や、更に飴屋が否応なく視界に入る。
どれも嫌いではないだけに、困りものである。目的地である飛脚屋『伊勢屋』まで寄り道せずに辿り着くかはっきり言って自信はなかった。なんだかんだと云っても、鉄之助はまだ十四歳の少年である。
甘いものは嫌いではないし、寧ろ大好物である。これが頼まれごとではなく私的な散歩なら店に寄りたいが、そんな事をして帰れば土方の、飛び上がるほどの雷が落ちる事が容易に推測できた。
「へっ……、くしょんっ」
晩秋の京、藁草履に素足はさすがに失敗したなと鉄之助は後悔する。
鼻の下を擦り進行方向へ視線を運べば、善哉と書かれた文字が鉄之助を誘惑してくる。餡は汁ありだろうか、それとも汁なしの亀山(※餅につぶ餡)だろうか。心は誘惑に負けかけ、ふらりと身体が揺れた。
(いかん、いかんっ! 寄り道なんぞして帰れば間違いなく副長に怒鳴られる……)
鉄之助の脳裏には、彼を使いに出した副長・土方の顔が再び浮かんでいた。
幸い恐れていた不逞浪士と遭遇する事はなく、鉄之助は『伊勢屋』の暖簾を潜った。
四条木屋町に店を構える飛脚屋『伊勢屋』は、飛脚屋としては大店である。
伊勢屋の主・伊勢屋清兵衛はと聞けば彼は接客中で、彼の前には上がり框に腰を下ろしている羽織袴の武士がいた。
どうやら帰るところらしい。脇に置いた刀を掴み立ち上がった。
「では頼んだぞ。伊勢屋」
「畏まりました。お殿様にはよろしゅう」
飛脚屋『伊勢屋』の主・伊勢屋清兵衛は齢五十七、会津藩出入りの飛脚屋とあって店は繁盛しているらしい。
本来大名家は大名飛脚(※江戸と国元との連絡に従事した飛脚)を使うらしいが、費用がすべて大名自身にかかるために衰微していったという。
新選組は、その会津藩と深い関係にある。
会津藩主・松平肥後守容保はこの京に於いて京都守護職の地位にあり、新選組はその傘下にあったからだ。そんな縁もあり、土方はこの飛脚屋を利用するらしい。
男を見送って、伊勢屋清兵衛が鉄之助の応対を始める。
「お手紙で?」
「土方の使いです」
伊勢屋清兵衛には「土方の」と言えば通じるらしく、何故か鉄之助は大歓迎された。
「土方せんせの? それはそれは。まずはお上がりください。ちょうど《下鴨のみたらし》がおますよって」
下鴨のみたらしとは、下鴨神社の境内で売られている醤油の味が香ばしい串団子である。(※現代では醤油と黒砂糖を使ったたれ)
みたらし団子に興味はもの凄く惹かれる鉄之助だが、返ったらその『土方せんせ』に何を言われるか理解らない。想像しただけで、怖い鉄之助である。
「いえ、これを届けたら帰ります」
「そないな事いわんと。わてからあんじょう言っておきますさかい、新選組のお人には感謝しとるんですわ」
伊勢屋清兵衛は何でも、以前に長州藩の人間に斬られそうになった事があるという。
伊勢屋は過激行為に走る彼らを取り締まる京都守護職・会津藩出入りの店とあって、火付けやら度々襲われたという。
そんな伊勢屋を救ったのが巡察中の、土方だったらしい。
「ほんに、土方せんせには助けられましたわ」
飛脚屋『伊勢屋』の座敷で、伊勢屋清兵衛はにこにこと笑っている。
鉄之助は土方の用事以外に、何かしなければいけない事があったような気がするのだが思い出せずにいた。
(掃除はすんでいるし、あとは――、何かあったか……?)
結局それは思い出される事はなく、鉄之助が新選組の屯所がある西本願寺山門を潜ったのは未の刻であった。
使いに出てから一刻以上は経っているため、鉄之助は副長・土方歳三の部屋には行きたくはなかった。といって行かない訳にはいかない。
「ただいま、戻りました」
入れという土方の声で障子を開けると、案の定土方に睨まれた。
「――随分と、長ぇ使いだったな? 鉄之助。斬られて野垂れ死んでいるかと思ったぜ」
「い、伊勢屋さんが離してくれなくて……」
「鉄之助くん――、みたらし団子を食べたね?」
「え……」
何故か土方の部屋には、沖田もいた。
土方と沖田の前には茶があり、鉄之助が帰っていない為に土方の茶は他の隊士が煎れたようだ。
しかし何故沖田には、鉄之助がみたらし団子を馳走になったのが理解ったのか。
「いいなぁ。私が伊勢屋さんに行った時はお茶しか出なかったのに」
「くだらん……」
「くだらんといいますけどね、土方さん。下鴨のみたらしは絶品なんですよ。何処かの誰かさんは、ご馳走する気は全くないケチだし、こうしていも茶菓子もでないし」
そう言って沖田は、茶をズッと啜る。
どうやら伊勢屋は接客の時には、茶請けにみたらし団子を用意するらしい。
「総司、お前はいったい何をしに来た? まさか、茶だけ飲みに来た――、ンじゃねぇだろうな」
「やっぱり、宇治の最高茶葉は違いますねぇ。永倉さんが言ってたんですが、隊士部屋で飲む茶は馬の――……」
「総司、それ以上は言うな。茶がまずくなる」
二人の会話は明らかに脱線しかけ、鉄之助が説教される事はなかった。
沖田と共に廊下に出れば、庭で稽古着姿の斉藤一が腕を組んで睨んでいた。
「遅い! 市村!!」
「あ、あれ……?」
鉄之助は漸く忘れていた事を、思い出した。
鉄之助は斉藤と剣の稽古をする事を、すっかり忘れていたのだ。
「一くんはまるで、巌流島の佐々木小次郎だね」
「じゃあ、俺は宮本武蔵ですかぁ? 沖田さん」
「市村、お前の何処が宮本武蔵だ。俺たちを負かしてからほざけ」
鉄之助に待たされた挙げ句に沖田に冷やかされ、斉藤の機嫌は悪化を辿ったようだった。
◆◆◆
――カン!
木刀のぶつかる音が庭に響き、鉄之助の木刀は何度も宙を舞う。
「脇が甘い。市村!」
「ひい……」
普段は表情を崩さない斉藤一が、この時は鬼となる。鉄之助が子供だろうが斉藤は一切手加減する事もなく、その木刀は鉄之助に振り下ろされた。
「鉄之助くん、頑張ってね。こういう時の一くんは、怖いから」
「沖田さんの薄情者~」
沖田は縁側に座って頬杖をつき、斉藤に扱かれる鉄之助を楽しそうに見ていた。
「市村っ! お前のそうしたやる気のなさが気に入らん! しかも本日の稽古を忘れるとは」
「忘れるつもりはなかったんですが――」
木刀を持ち直し視線を上げてみれば、斉藤の木刀が鉄之助の頭上めがけ振り下ろされようとしていた。
(駄目だ! 間に合わない!!)
鉄之助はぎゅっと瞼を閉じた。
――カッ!!
(……え?)
これまで聞いた事にない音と確かな重みを自身の木刀に感じ、鉄之助はゆっくりと瞼を開けた。
「凄ーい。一くんの剣を受け止めるなんて」
沖田は手を叩きながら感心している。
信じられないのは、鉄之助自身である。鉄之助の木刀はしっかり両手で握られ、斉藤の木刀を頭上で受け止めていたのである。
(うそだろ……)
「市村、お前もやればできる。しっかり剣を学べば、副長助勤にもなれるんだぞ」
斉藤の言葉は嬉しかったが、鉄之助は喜べなかった。木刀を受け止めたからと、簡単に副長助勤になれるものではない事くらい鉄之助も知っている。
「お、俺が副長助勤!? とんでもないです!」
副長助勤――、新選組の花形。
平隊士たちは、副長助勤になるのが夢だという。幹部であり、常に先頭を歩くその姿に、隊士たちはいつかは自分もと思うそうだ。
「鉄之助くんは、欲がないねぇ。もしかして、ずーっとあの鬼のような土方さんの側にいるわけ?」
「そ、それは……その……」
鉄之助の脳裏に、眉間に小さな縦皺を刻んでいる土方の顔が浮かぶ。
「ま、それも私にしたら羨ましいんだけど」
「羨ましい……ですか?」
副長助勤である沖田が、鉄之助の事を羨ましいという。剣の腕がよく、一番隊を任されている沖田が、である。
鉄之助は首を傾げた。
「だって君は、あの人の背中を長く見ていれられるじゃないか。武士は決して敵に背中は晒さない。特に新選組副長ともなれば尚更さ。いつなんどき、後ろから斬りかかって来られるか理解らないからね」
以前――、土方も同じ事を言った。
――武士は決して向かってくる敵に、背中を向けちゃあならねぇ。その逆も然りだ。無謀な相手を後ろから斬りつける行為は武士はしちゃあならねぇ。
確かに鉄之助は、土方の背中を見る事が多い。武士はなんどきも油断なく、事に備えるのだという。
以前は間者や刺客も紛れ込んでいたという屯所の中、背後に忍び寄る危機を感じながら暮らす事は、は鉄之助には出来そうもない。怖くて怖くて、逃げ出しているだろう。
「市村、お前といる時の土方さんの刀はいつも何処にある?」
斉藤の言葉に、鉄之助は考えを巡らせる。
武士はよほどの事がなければ、刀を側に置くという。腰に差していない時は床の間の刀掛け、寝るときは枕元、人によって刀の取り扱いは様々らしく、大抵は刀掛けか脇に置くという。
「何処って――、刀掛けですか?」
「だから私は君が羨ましいんだよ、鉄之助くん。たぶん、君が後ろからぶん殴りに行っても土方さんは、受け身を取るのが精一杯だろうね。試してみる?」
鉄之助はとんでもないと、ぶるぶると首を激しく横に振った。
何でも沖田は一度土方の背後に忍び寄り、脅かそうとした事があったらしい。
「どうなったんですか?」
「いつもの通りさ。気づかれて馬鹿野郎ってね」
「総司の場合は悪戯の所為だろう。警戒されて当然だ」
「酷いなぁ、一くん」
鉄之助にはまだ理解らなかった。
「市村、それだけ武士にとって背中は大切なんだ。刀と離れれば死角となる背後は無防備になる。刀が近くにあればいいが少しでも距離があり、その間に後ろから来られたらどうなると思う?」
「良くて怪我をするか、最悪死ぬか」
「そうだ。俺たちは常に死と隣り合わせの状態にいる。一歩外に出ればそこは戦いの場。唯一気を抜けるのは自分の部屋に戻った時だ。だがな、市村。あの人は自分部屋にいても気が抜けない。お前が来るまでな」
「俺は、何もしていませんよ」
鉄之助は失敗ばかりで、いつも土方に怒鳴られてばかりだ。
土方が背中を鉄之助に晒すのは、単に鉄之助が子供で襲ってくる訳がないと思っているかも知れない――、鉄之助はそう思った。
「鉄之助くん、たとえそれでも私は羨ましいと思うよ。あの土方さんが背後に人の気配を感じても緊張をせずにいられる。安心して背を晒すことが出来る。それはね、背中を預けるっていう意味なんだよ」
武士にとってそれほど大事な背中、鉄之助にとっては当たり前のように見ている土方の背中には新選組副長という責任の重みと共に、仲間である筈の隊士から怒りや憎しみも向けられるという。
亥の刻(※午後22時)――、いつもの通り茶を持って土方の部屋へ行くと、土方はいつの通り文机の前に座った。
(副長の背中……)
この日も背に流した土方の長い髷が、その背で揺れている。
鉄之助が新選組に入ってもうすぐ一月、何度となく当たり前のように見て来た土方の背中。
彼の打ち刀・和泉守兼定と脇差し・堀川国広は、土方の座るやや後ろの刀掛けにある。
つまり今の土方は完全無防備の背を、鉄之助に晒しているのだ。
沖田が言う通りにぶん殴りに行こうとは思わないが、本当に可能か気になる鉄之助であった。
「なんだ?」
鉄之助の視線を感じ取ったのか、土方が眉を寄せて振り返った。
「えっ、えっとぉ……、お、お茶のおかわりは如何でしょうか? 副長」
「いらん。それよりもう寝ろ」
ぷいっと書面に視線を戻した土方に安堵して、鉄之助は廊下に出た。
明日はいい一日になるだろうか。
見上げた月に問うても、返事は返っては来ない。
「ふぁ……、寝よ……」
鉄之助は欠伸をしつつ、土方の部屋の前を後にするのだった。
3
月が改まり師走――、この日の空はこの時期らしく凍曇で、あと何日かすればこの町は白一色に覆われる事だろう。
このところ事件らしい事件もなく、町は平和である。
師走は僧が走り回るというが、この町で走り回るのは僧だけではない。不逞浪士は相変わらず暴れ、捕縛に向かう新選組も走る。京の町は一見穏やかに見えるが実際は災いの炎が下火になっただけで、鎮火した訳ではない。きっかけさえあれば再び燃え上がり、この町はまた乱れる。
まだ終わっていねぇ――。
西本願寺・新選組屯所――、副長・土方歳三は腕を組んで空を見上げていた。
嘗ては攘夷だ天誅だと叫んでいた長州を初めとする反幕府派が、そう簡単にこの京から手を引くとは彼は思っていない。
それに、何かしそうな人間は、土方の身近にもいた。
この新選組を操り、意のままにしようとしかねない人間――、伊東甲子太郎だ。
土方は最初に伊東に会ってから、気に入らなかった。勤王思想が強いのはもちろんだが、人を見下すような物言いが気にいない。
「――彼は今でも、怪しいと思っているのか? トシ」
土方の隣に、男が立った。局長・近藤勇である。
「あんたの期待を裏切っちゃ悪いが、奴は俺たちを利用するするつもりだぜ? あくまでも勘だがな」
「以前、同じ台詞を聞いたな。あれはそう――、俺たちがこの京に着いて間もない頃だったな」
将軍警護のため浪士組としてやってきた当時、その浪士組を利用しようと動いた人間がいた。
あの時も土方はその男の弁に胡散臭さを感じ、浪士組は解体の危機となった。
当時は近藤も土方もまだ一介の浪士である。だが今は違う。
近藤は新選組の局長であり、土方は副長である。
「あの頃のように路頭に迷う事はねぇが、うちの連中が割れ始めている。百も超す大所帯となると考えが違う人間がいてもおかしくはねぇが、半数となると目も当てられん。伊東は間違いなく第二の清河さ」
浪士組の発案者だという清河八郎は、京に着いた途端に浪士組を勤王の士とし、尊皇攘夷の魁となると言い出した。
当時と現在と状況は違うかも知れないが、伊東甲子太郎は勤王思想が強い。
「半数?」
「仮定の話さ、近藤さん。あんたにはっきり言えるのは、伊東には気をつけろと言う事だ。あんたはもう、以前のような町道場の若先生じゃねぇんだぜ? 近藤さん。局長のあんたを責めるつもりはねぇ。だが用心しねぇと、またとんでもない事になる。現に隊士が割れ始めている」
「理解ってるよ。トシ」
そう、もうあの頃とは違う。
ここまで来るのに、何人の血を流してきたか。
「見ろよ、近藤さん。遂に降ってきやがった」
再び空を仰げば粉のような雪が緩やかに、絶え間なく空から降りてくる。
京に再び冬がやって来ようとしていた。
「トシ、久しぶりにやらんか?」
近藤の「やらんか?」という誘いは、木刀を交えないかという誘いである。
「俺じゃなく、総司を誘えよ。あいつなら一つ返事で喜んで乗ってくるぜ」
「はは……、総司は剣となると本気になるからなぁ」
「だらしねぇなぁ……。あんた、あいつの師匠だろうが。勝っちゃん」
「総司の師匠は俺ではなく、親父どの(※近藤周介)だよ」
土方の脳裏に、懐かしい光景が浮かぶ。
今にも崩れるかという江戸の貧乏道場『試衛館』――、新選組の幹部の殆どは試衛館の人間である。
試衛館の開設者にして近藤の養父・近藤周介は、現在は隠居の身にある。
養子・近藤勇に四代目を譲ったものの、その四代目は京に行ったまま。近藤と妻ツネとの間に男子はなく、試衛館は今後どうなるのか――、周介の切実な想いは文を通して屯所に届く。
「親父どのはもう年だ。俺に帰ってきて欲しいらしい……」
最初、近藤は道場を沖田に継がせるつもりだったが、その沖田も今は新選組の一人で欠かせない人物になっている。
つい近藤の昔の名で呼んでいた土方は、軽く舌打ちをした。
近藤のことをもう町道場の若先生ではないと言っておきながら、故郷にいた頃そのままの名で呼んでしまう。
(人の事、いえねぇなぁ……)
土方はふっと笑って、もう一度空を見上げる。
遠い過去――、故郷・武州多摩に流れる多摩川の岸で、土方は江戸を見つめていた。
――いつか俺も武士になり、この川を越えていく。
一農民の小倅にしか過ぎなかった男が、武士になる。
希望と期待に胸を膨らませ、若き土方は多摩川を渡った。
そして現在――、土方は新選組副長となった。
越えねばならないものは多摩川の川幅や深さよりも大きく、障害も大きいだろう。
もう後戻りは出来ない。
これまでの事に、土方は悔いはなかった。
――近藤さん、あんたまで悪者になる必要はねぇよ。
新選組を立ち上げた時、土方は誓った。自分は鬼となると。
新選組は会津藩御預かりと言っても、京都見廻り組と違って幕臣ではなく非正規組織である。
身分も浪士をはじめ、元町人や商人、農民の出身など隊士が育ってきた環境は様々である。
ゆえに、誰にも馬鹿にされぬ武士集団にする必要があった。それには厳しい掟と憎まれ役が必要だった。
近藤の性格では、鬼にはなれない。鬼がいなければ情に流され、判断を狂わせる。
「近藤さん、試衛館のみんなはあんたを信じてついてきた。そのあんたが揺れたら、ついてきた奴らはどうすりゃいいんだ? しっかりしてくれよ」
「すまん、トシ。お前にはいつも辛い役をやらせているな」
去りかけた近藤が足を止め、詫びる。
「俺が好きでやっていることさ。あんたはいつも通り、どーんと構えていろよ。近藤さん」
降り始めた雪は大粒となり、やがて本格的に大雪となった。
京に来て五年目の冬が、まもなく始まろうとしていた。
◆◆◆
慶応二年十二月五日――、江戸では十五代将軍に将軍後見職・一橋慶喜が就いたという。
京の町は一面銀世界に覆われ、新選組の屯所にも雪塊が幾つも出来た。
「うそだろう……?」
雪鋤を手にした鉄之助は、大量の雪を見て衝撃を受けた。
寒いし手は悴むし雪は重いし、雪かき作業というものを鉄之助は甘く見ていたようだ。
しかしこれをしなければ、午の巡察に出られないらしい。
何しろ夜が明けて早々、鉄之助は土方に雪かきをしろと叩き起こされた。
隊士たちの中には、土方の後ろから頭をぶん殴りたいと思った者はいないのだろうか。
「いや、いるな。人使いは荒いし、薄情者だし、殴るのは無理でも――、副長に何とかしてこう、ぎゅっと言わせたい奴。うーん……、落とし穴にでも落とすか?」
恐ろしい想像は浮かぶものの、あとあと怖い事が倍になって返ってくるため、あくまでも想像の中だが。
鉄之助は雪を固め、達磨を一つ拵えた。
「我ながら立派」
少々歪んでいるが、直ぐに破壊にかかるため問題はなかった。
「よぉ! テツ」
声を掛けてきたのは出勤してきた十番隊組長・原田左之助である。
原田は屯所の近くに邸を構え、妻と子で暮らしていた。
「おはようございます。原田さん」
「なんだぁ? こりゃ。随分、下手くそだな。角があるぜ? 節分には早ぇぞ」
原田はそう言って、雪だるまの頭部を槍で小突く。
決して角を作ろうと意識した訳ではないが、雪だるまの頭は確かに丸と言い難く、頭上はまるで角があるように見えた。
まさかその雪だるまが誰を表したかなど、とても言えない鉄之助である。
原田を見送って、鉄之助は気合いを込める。
「鬼副長の馬鹿野郎! おりゃーー!!」
鉄之助は雄叫びとともに、雪だるまに鋤を突き差した。
しかしこの時はいつもなる寺の梵鐘は鳴らず、土方の呼び出しである。
「鉄之助……、俺はお前を怒らせるような事をしたか?」
「特に何も……!」
「頼むから外で馬鹿野郎と叫ぶのもやめろ。文句があるなら面と向かって言え」
どうやら庭で叫んだ「馬鹿野郎」が、またも土方の耳に聞こえたらしい。
「相変わらずの地獄耳で……」
「うるせぇ。お前の声がデカすぎるんだ」
土方はそう言って、再び文机に向き直る。
無防備な土方の背中、いくら勘のいい彼でも今斬りかかれたら刀を掴むまでは間に合わないだろう。
武士が死角となる背中を相手に晒すという事は、相手を信頼しているという事だと沖田はいう。
それは「背中を預ける」という意味なのだと。
「副長。もし俺が副長に凄く恨みがあって、新選組に入ったのは復讐する為だったとしたらどうしますか?」
「そん時は、いつでも相手になってやるさ。俺には、やらなきゃならねぇ事がある。今はやられる訳にはいかねぇんでな。第一、お前には殺気は感じられねぇし、へっぴり腰じゃ俺の頭をぶん殴る事も無理だ」
「ぶん殴るなんてそんな……、はは……」
どうやら試そうとした事も、土方にはお見通しらしい。
「怒ったり笑ったり、忙しい野郎だな? お前は」
馬鹿な奴と呆れられているのか、力のない笑みを浮かべた土方は再度背を向ける。
この日は特にする事もなく、鉄之助は火鉢に張り付いた。
今やすっかり見慣れた、土方の背中。
その背が受ける想いは様々、嫉妬や羨望、期待と憎しみ、信頼などだ。
(眠……)
「おいっ、俺の部屋で寝るんじゃねぇ! 鉄之助!!」
温まった身体に、土方の怒鳴り声が心地いい。
「おひゃふみなはい(※おやすみなさい)」
「馬鹿野郎!! 寝るな! クソガキ!!」
鉄之助とって土方の背中は、誰よりも逞しく思えるのだった。
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