業火の果て(アルファポリス版)

みきかなた

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第20章 婚姻の契り

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大学のカフェテリアで彬従は立ち止まった。同じ学部の女の子達とおしゃべりする華音の姿があった。呆然と見惚れていると、ふと目があった。しかし何事も無かったように華音は目を逸らした。

ため息を吐き、彬従はカフェテリアを後にした。

大学に入って2ヶ月が過ぎ、華音とすれ違う日々が続いていた。

なぜこんなことになったのだろう……何が原因なのだろう……

あれほど楽しみにしていた大学生活もすっかり色褪せてしまった。



「アキーーー!」

名前を呼ばれ振り向くと、同じ医学部の鳴瀬が駆け寄ってきた。彼は中学校の同級生でもあった。

「アキ、今日ヒマ?サークルの女子に誘われているんだけど!」

「悪い。バイトがあるんだ。」

彬従はムッとした。鳴瀬の主催するその手の集まりはエッチ目的のタチの悪い合コンで有名なのだ。

「何だよ、付き合い悪いな。今日はヒロトも来るんだ。」

「なんでアイツが?」

「彼女作りたいって言うから声かけたのさ。」

「バイトが終わったら俺も行く。」

「マジで?やったぜ!」

鳴瀬は嬉々として場所を伝えた。



家庭教師のアルバイトが終わり、彬従は指定された店に向かった。学生がいきつけにする安い店では無く、洒落た高級レストランだ。

「キャー!ホントにアキが来た!」

席に案内されると着飾った女の子達が歓声を上げた。思わず笑顔がひきつる。

「本日の主役はこちらへどうぞ!」

鳴瀬は彬従を女の子達の真ん中に座らせた。

「ヒロトは?」

「アイツもバイトが終わったら来るよ。」

鳴瀬や女の子達の相手をしながら、彬従はジリジリと待った。

30分ほどして祐都が現れた。

「悪い、遅くなっ……」

そう言いながら視線を席に流し、彬従を見つけてあからさまにギクリとした。

「じゃあ、ヒロトを連れて帰るから。」

立ち上がると彬従は祐都の首に腕を回した。

「ちょっと待てよ!今日はお前らが来るから女の子達も楽しみにしていたんだぞ!」

「俺はコイツに用があるから来たんだ。」

背後でギャアギャアと鳴瀬がわめき立てたが、彬従は気にせず祐都を引きずり店を出た。



大学から程近いワンルームマンションに彬従は祐都を連れ帰った。3週間前から一人暮らしを始めたのだ。

「なんでアキがいたの?」

祐都は恐る恐る尋ねた。

「お前が鳴瀬のヤリコンなんかに出るからだ!らしくないことするな!」

「ああ、俺も、彼女を作ろうと思ったんだ……」

「なんで急に彼女なんだよ。」

彬従は呆れた。腹が空いていると祐都に言われて冷蔵庫の中の材料でさっと夕飯を作ってやった。

「美味いよこれ!相変わらず、アキは器用だなぁ!」

「つーか、毎日のように俺んちに来てるくせに、何かあるなら俺に話せよ。」

すると祐都はどんよりとした目を彬従に向けた。

「俺のゼミに稲村って4年生がいるんだけどさ。どこかの大企業の重役の息子で、ルックスよし成績よし性格よし運動も出来て女の子にモテモテなんだ。」

「嫌味な奴だな。」

「アキだってそうじゃん!」

祐都は思わず突っ込みを入れた。

「そいつがどうしたの?」

「この前ゼミのコンパがあって、俺も華音も行ったんだ。そしたら稲村が突然みんなの居る前で華音に付き合ってくれってコクったんだよ。」

「それで?」

彬従は密かに慌てた。

「稲村は絶対振られるはずないと思っていたんだろうけどさぁ……」

「だから、華音はどうしたの!?」

「みんなの前なのにビシッと振ったんだよ。好きな人がいるって……」

「なんだ良かったな。」

ホッとして、彬従は嬉しそうに笑った。

「つーか、それでなんでお前が落ち込むんだ?」

「稲村が華音に好きな人ってコイツか?って、俺を指差したんだ。」

「華音は何て言った?」

「キッパリ違うって言われた……」

彬従はゲラゲラ笑い出した。

「笑うなよ!だからアキには言いたくなかったんだ!」

祐都は不貞腐れた。彬従は笑い過ぎて流れた涙を拭いながらまた笑った。

「……華音が好きなのってアキだよな。」

「俺じゃないだろ。」

持っていたカップをコトンと置いた。

「俺が好きなら、なんで話もしない目も合わせない、電話もメールも無しなんだよ。」

「やっぱり……そうなんだ……」

「俺が何かしたか?確かに去年の秋からはずっと受験勉強が忙しくてあんまり逢えなかったけど……」

不意に柊のことを祐都は思い浮かべた。

「何か心当たりがあるの?」

祐都の動揺に気付いた彬従は追求した。

「ヒーロートーー!お前が俺に嘘付けるって思ってるの?」

あわあわと祐都は手を振り、詰め寄る彬従を必死で抑えた。

「去年、風花グループの乗っ取りがあった後から会社の業績が急激に落ち込んで、茉莉花さまもずっと大変で……だからお母さんの言いつけを守っているんじゃない?」

「なんでお母さんの言いなりなんだよ……」

「大体、アキが自分で大学に入ったら他の女の子と結婚するとか言ったんじゃないか!」

祐都に言われ、彬従はガクリと肩を落とした。

「で、本気で結婚するのか?」

「見合い写真はいっぱいもらった。」

「どうなの?」

「好きでもない女と結婚出来る訳無いだろ!」

彬従はふーっと大きく息を吐いた。

「やっぱり。だから華音はアキを避けてるんじゃないの?」

「こんなことなら遠くの大学に行けば良かった。華音に逢えるのに無視されるなんて耐えられない。」

どんよりとテーブルにうずくまる彬従を心配そうに祐都は見守った。

「だったらアキも女の子と知り合おうよ。鳴瀬のやってるフットサルサークル、女子もいるけどフットサルも楽しいよ。」

「女の子はいらないけど、フットサルならやりたいな。」

「決まり!じゃあ今週末空けておいて!俺から鳴瀬に言っておくよ。」

祐都は急にニコニコ笑い、鳴瀬にメールを送った。

「華音も誘ってみようかな?」

「会社の方はいいのか?」

「ああ、父さんが大学生活をもっと楽しめって言ってくれたんだ。ただでさえ、華音は会社のことにのめり込みすぎるから……」

「俺のいない間に、何があった?」

ドキリと目を見開き、祐都は首を横にぶんぶん振った。

「何があったんだよ。」

「アキは知らなくていいことだよ!」

祐都はそう言い、逃げるように布団に潜り込んだ。



次の日の一限目の講義は大講堂で開かれる必須の教養学で、一番後ろの目立たない席で時間を過ごそうと彬従はうずくまった。

昨夜は悶々として眠れずに過ごしたためか、身体中がギシギシ悲鳴をあげている。目を閉じ、このまま眠ってしまおうとした。

「ここ、空いてるかな?」

声を掛けられハッと目を開けると、黒縁メガネの男が隣りに座った。

「君、吉良君だよね。」

「そうだけど?」

「超がつくイケメンの癖に産婦人科を希望している変人の吉良彬従君?」

「そうだって言っただろ!お前こそ誰だよ!」

妙に腹立たしくて、彬従はいつになく冷たい返事をした。

「俺は大神……大神雄太。君と同じ医学部で産婦人科志望だ。よろしくな。」

「超がつくイケメンの癖に産婦人科志望の変人って自分の事じゃないの?」

「君ほどじゃない。」

彬従の嫌みに大神はアハハとおっとり笑って答えた。

教授がやってきて授業が始まったが、教室内はいつまでもザワザワしていた。

「辛そうだね。どうしたの?」

「寝不足なだけだよ。」

「君にも悩みがあるんだな。」

「ヒロトみたいなこと言うなよ。」

彬従は机に突っ伏した。

大神のことは知っていた。馴れ合うことを嫌い、独りで行動していることが多かった。ボサボサの長い髪とメガネの奥には一度見たら忘れられない整った顔立ちが隠れていた。

入学以来、話をするのは初めてだった。いきなり華音の話を持ち出すのもためらわれ、彬従は返事をせずに机にうつ伏せた。

大神は淡々とノートを取っていた。

「成績も優秀で何でも出来る吉良君が、なんでわざわざ誰もやりたがらない激務の産婦人科を志望するの?」

「……志望は変えるかもしれない……医学部も辞めようかな。」

「何か気に入らないことでもあった?」

「俺のこと、よく調べてるんだな。」

「調べなくてもいろいろ耳に入って来るんだよ。君は有名人だから。」

「ありがた迷惑な話だ。」

彬従はどんよりした。

「お前も付き合いの悪さである意味有名人だぞ。いきなり話し掛けてくる奴だとは知らなかった。」

「俺、興味の有ることはとことん追求するんだ。」

ニコリと大神は笑顔を見せた。

「大神こそ、なんで産婦人科志望なの?」

「俺の家は代々続く医者で、産婦人科の開業医をやってるんだ。」

美しい風貌、斜に構えた物言い、誰かに似ていると彬従は思った。

―――そうだ、シュウに似てるんだ。

高校から附属の大学に進学した柊とは、音信不通になっていた。

「だけど開業医には興味が無い。俺は不妊治療の研究がしたいんだ。この大学には不妊治療の権威がいるからね。」

彬従はハッと頭を上げた。

「椋守教授のこと?」

「知ってるの!」

大神は目を輝かせた。

「不妊治療に興味を持って、初めて読んだのが椋守先生の本だったんだ!」

彬従も熱くなった。

「君と話が合うなんて嬉しいよ!」

子供のように大神は笑った。

チャイムが鳴り、授業が終わった。

「良かったら連絡先教えて。」

彬従が携帯を取り出すと大神は応じ、連絡先を交換し合った。

「今度ゆっくり話そうよ。」

「ああ。」

またニコリと笑い、大神は次の授業に移動して行った。

―――この大学に入って良かった……

彬従はふっと笑みを漏らした。



アルバイトを終え、家に帰り着き、携帯を見るとメールが届いていた。

沙良からだ。

毎日のように「おはよう」とか「おやすみ」とか、他愛の無いメールをやり取りしていた。

返事を送ろうとして、文章の途中で止めた。

「もしもし。」

「アキ!電話をくれるなんて珍しいわね!」

「沙良の声が聞きたくなったんだ。」

「嬉しい!」

沙良の声が甘く高まった。

「何かあった?」

「今日、医学部に俺と同じ志望の奴がいるのが分かって、すげー嬉しかったんだ。」

―――華音と話したい……

電話の向こうにいるのは沙良なのに、華音のことばかり考えていた。

嬉しいことも悲しいことも、華音に伝えたい……

―――最低だな、俺は。

沙良のおしゃべりに耳を傾けながら、彬従はベッドに横たわり目を固くつぶった。



大神は馴染むと意外にも人懐こい男だった。

選択講義が合えば、必ず隣り合って座るようになった。アルバイトの無い日には大神のマンションを訪ね、朝まで語り合うこともあった。

大神は、自分が不妊治療の道を選んだ理由を母のためと説明した。

「俺の母親は不妊症だった。代々続く家柄だから後継ぎは必須だ。必死になって不妊治療を続けたそうだ。やっとの思いで俺を産んだのに、姑達は二人目を要求した。元々身体の弱かった母は治療が負担になり、俺が12才の時に亡くなった。」

沢山の医学書に埋もれる部屋で大神は語った。

彬従は自分の身の上と重ね合わせて聞き入った。

「父親はすぐに後妻を迎えて、今じゃ弟が二人妹が一人いる。俺は実家では厄介者扱いさ。研究室に残っても誰にも文句は言われない。だから母みたいな人を一人でも多く助けたいんだ。」

大神はふふと穏やかに笑った。

「お前、偉いな。俺は自分の彼女のことしか考えていなかった……」

彬従はあっとためらった。

「彼女じゃなくて、元カノか。」

「別れたの?」

「一方的に振られたよ。」

「アキを振る女がいるなんて驚きだ。」

大神の思いがけない明るい笑い声に、彬従は意外にもホッとした。



数日後、授業が終わり携帯を見ると、沙良からメールが届いていた。内容を読んで、彬従は慌てて大学の正門に向かった。

「アキに逢いたくて、来ちゃった。」

ニコリと沙良は微笑んだ。

「一人で来たの?」

「まさか。ちゃんと葵が見張ってるわよ!」

うんざりした顔で沙良は答えた。

「アキの大学、案内して!」

沙良は腕を取り、ズンズン歩き出した。

「大きな大学ね!」

「沢山の学部が一緒になってるから。」

「……華音もいるのよね。」

「ああ。」

「仲直りはした?」

「全然。大学に入ってから一度も話してないよ。」

「そんな……アキを悲しませるなんて私が許さない!」

沙良が美しい顔をプクッと膨らませた。

すれ違う学生達が次々に目を奪われる。テレビに出ている女優よりも沙良の方が格段に美しい。

そんな沙良が自分だけを熱く見つめていることが、彬従にはくすぐったかった。

「アキー!」

鳴瀬がやってきた。

「うわっ!すげー美人だな!」

沙良に見とれて鳴瀬が唸った。

「俺の彼女だよ!」

彬従は見せつけるように肩を抱いた。

沙良は嬉しそうに頬を赤らめた。

「マジかよ!」

「だから合コンは誘うなよ!」

「なんだ、看護学部の子達が来るのに。」

懲りない奴だとため息を吐いた。

大学を一通り見て回り、その後はねだられるままに、彬従のマンションに沙良を連れて行った。

「わぁぁ……」

「狭くて驚いた?」

彬従は苦笑いした。

「ううん!アキらしい部屋ね!」

沙良はちょこんとベッドの端に腰掛けた。

―――この部屋に初めて連れてくる女の子は華音のはずだった……

彬従はコーヒーを淹れながら思った。

「お待たせ。」

カップを手にしてキッチンから戻ると、沙良はキョロキョロと部屋を眺め回していた。

「美味しい!」

一口飲んで嬉しそうに肩をすくめる。一見ツンとすまして冷たい印象の沙良の、意外にもあどけない仕草に彬従はグラリと心を惹かれる。二人きりになることは何度もあったのに、妙に意識してしまう。

「沙良、いつもと雰囲気が違うね。」

「由良にお洋服を借りたの。アキに逢うからお洒落してきたのよ。」

「すげー綺麗だよ!」

「ありがとう!」

沙良は彬従に寄りかかった。

「逢いたかった……」

目を閉じ、キスを求めて顔を上げた。

一瞬迷ったが、彬従はそっと唇を重ねた。

沙良はその先を求めて彬従の首に腕を回す。積極的に舌を絡めてくる。求められるままに彬従は唇を合わせた。

突然、玄関をドンドンと叩かれ、彬従は慌ててドアを開けた。

「沙良さま、お帰りの時間をとっくに過ぎています。今夜は天日の大おば様方と夕食会があるのです。」

中に入って来た葵を見て、怒った沙良はベッドに身を投げた。

「もうっ!また、彼氏はいるか結婚はいつだって、うるさく言われるんだから!」

「親族の繋がりとして大切な会なのですよ。」

「アキが来てくれたらいいのに!」

「アキさまにはアキさまのご都合があります。」

葵に説得され、沙良は嫌々車に向かった。

「またおいで。泊まりがけでもいいよ。」

「絶対来るわ!」

飛びついてキスすると、沙良は車に乗り去っていった。

「何やってんだ、俺……」

彬従はその場にガクリと座り込んだ。



沙良の帰った後ぼんやりと部屋で過ごしていると、夜になってガチャガチャと鍵を開ける音がした。

「あぁぁアキィィ……」

祐都が入ってきて、ベッドに転がり込んだ。

「どうしたの?」

身動きしない祐都に声を掛けた。

「ねぇ、アキ、昨日華音に逢った?」

「逢ってないよ。」

「だよな。」

「なんだよ。」

「さっき一緒に仕事してる会社の人達とメシ食ってたんだ……」

「それで?」

「華音もいて、帰り送って行って……」

「お前いいな。」

「ふっと見たら、首の後ろにキスマークがあったんだ。アキがいつもつける辺り……」

彬従はドキリとした。

「キスマークかどうか、分からないじゃないか。」

自分に言い聞かせるようにそう言った。

「アキは華音の好きな奴って誰だと思う……」

祐都はそのまますっと寝入ってしまった。

布団を掛けてやり、しばらく呆然と祐都の顔を見つめていた。

身体の中の血が煮えたぎっていく。

彬従は部屋を飛び出した。



高塔の屋敷に着き、華音の部屋を見上げた。

灯りは消えていた。

呼び鈴を押すと、家政婦の涼花が出てきた。

「まあアキちゃん、こんな時間にどうしたの?」

「華音はいますか?」

「華音ちゃんは……」

涼花は口籠もった。

「華音ならアキの家にいるわ。」

パジャマ姿の美桜が出てきてそう言った。

「俺の家?なんで?」

「自分の目で確かめて。」

不安が胸を締め付ける。

鍵を取り出し玄関から入り、明かりのついているリビングに向かう。そこには華音の姿は無く、テーブルの上に大量の書類が広げられていた。不思議に思いながら、廊下に出て階段を登ろうとした。

華音がパジャマ姿で見下ろしていた。

「アキ……」

怯えた声で華音が言った。

「何をしてるの?」

華音は返事をしなかった。

「俺の家で何をしてるんだ!」

ガチャリとドアの開く音がした。

「よぉ。久しぶり。」

柊が現れ、華音を後ろから抱きしめた。

「俺達、今こういう関係だから。」

柊は華音の首筋に唇をつけた。

カッとなり階段を駆け上がり、彬従は柊に飛びかかった。

「やめて!アキ、やめて!」

華音が柊を庇って彬従の前に立ちはだかった。

「どういうことなんだ!」

「お前は早く他の女の子と結婚しなよ。」

「華音!何とか言えよ!」

柊の身体にしがみついたまま、華音は彬従を見ずに告げた。

「アキ……お母さんとの約束を守って……」

血の気が一気に引いた。

「華音のバカヤロウ!」

彬従は階段を駆け下り家を飛び出した。



次の日、祐都は会社の一室に華音を呼び出した。

「昨日のこと、アキに聞いた?」

「ああ……まだシュウと付き合っていたのか。」

「……アキは大丈夫?」

「大丈夫な訳無いだろ!真夜中に帰ってきてめちゃくちゃだったよ。」

華音は泣きそうに顔を歪めた。

「それより聞きたいことがある。」

「何?」

「何の資料をシュウに見せてるの?」

華音は青ざめた。

「まさか……会社の資料じゃないよね?」

祐都は更に尋ねた。

「那智の資料じゃないよね?」

うつむいたまま、華音は無言を通した。

「社外秘の資料を持ち出すのは背任行為だよ。」

「分かっている……」

「シュウを信用しているのかもしれないけど、あれが天日に渡ると大変なことになるんだよ!」

肩を掴みガクガクと揺さぶると、華音は虚ろな瞳で見返した。

「シュウが……好きなの?」

手を止め祐都は尋ねた。

「違う……」

言葉とは反対に、今までに見たこともない甘くとろけるような表情を浮かべた。

祐都は愕然とし華音を残して部屋を去った。



彬従の家を訪ねたが、またもや留守だった。鍵を掛け、ため息を吐き、帰ろうと振り向いた。

「あっ……」

ボサボサの長い髪を無造作に束ねた黒縁メガネの男が立っていた。

「もしかして、ヒロト?」

「そうだけど……」

「俺は大神。医学部でアキと一緒なんだ。アイツなら俺んちにいるよ。」

祐都は驚いた。大神のことは彬従から聞いて知っていた。

「アキは大丈夫?」

「うーん、彼女にこっぴどく振られたとか言ってグダグダしてる。とりあえず頭が冷えるまで様子見てるよ。今日は着替えを取りに来たんだ。アイツ無駄にデカイから、俺の服じゃ入らなくって。」

飄々と大神は答えた。

「アキはさ、華音が大好きなんだ。そばにいてこっちが恥ずかしくなるくらいベタベタしてたんだ。」

「そうか。失恋なんて一生縁がない奴かと思ってたよ。」

大神はまたのんびりと笑った。



彬従の部屋から着替えを持ち出し、大神に誘われ祐都は彼のマンションに向かった。

ボロボロの彬従が部屋の隅に丸まって転がっていた。

「ああ……」

祐都を見るなり唸り声を上げた。

「何やってんの。しっかりしろよ。」

「大学なんか辞めてやる。」

「せっかく入ったんだ。勉強だってあんなに頑張ってたんだ。辞めちゃダメだよ。」

「大学にいる意味が無い。」

「医学部に入ったのは華音のためなんだろ?不妊治療を勉強してあいつを直してやりたかったんだろ?」

うずくまる彬従の肩を祐都は抱えた。

「アキが医者になって直してあげられる人がいっぱいいるんだ。華音だってその一人だ。辞めないで頑張れよ。」

声を殺して彬従が泣いていた。

大神と祐都は目を合わせ、ふと微笑み、彬従を二人で両側から挟んで慰めてやった。



彬従は茉莉花に呼び出され、高塔財閥の本社を訪れた。

社長室に赴くと、茉莉花の横に華音が付き添っていた。

「彬従、こんな所に来てもらって悪いわね。」

いつもよりにこやかに茉莉花が労った。

「ところで、渡したお見合い写真はみているのかしら?」

「一通り見てますよ。」

「あなたの気に入る子はいた?そろそろお返事もらえるかしら。」

「茉莉花さま。俺は親父の二の舞は踏みたくありません。結婚相手は自分で決めます。」

彬従は話を遮り、一歩近づいた。

「そう言って、はぐらかすのは無しよ。」

「大丈夫です。とにかく華音とだけは結婚しませんから。」

伏せた目を華音は上げようとはしなかった。

「近い内に彼女を連れて挨拶に来ますよ。」

そう言い捨てると、彬従は社長室を出て行った。

「相変わらず強情な子ね。」

茉莉花はふっと息を吐いた。



ノロノロと華音は社長室を出た。コンサルティング事業部に戻ると、祐都が心配そうに出迎えた。

「アキはどうだった?」

「お見合いの話は断った。」

「やっぱり……」

「その代わり、彼女を連れてくるって……」

「華音は誤解されたままでいいの?」

祐都は眉を寄せた。

「いいわよ。アキには関係の無い事だもの。華音とだけは結婚しないって、アキがはっきり言ったのよ。」

「意地を張るなよ。もう一度、アキと話し合った方がいい。」

うつむく華音の頭を、祐都はぐしゃりと掴んで撫でた。



イライラしながらマンションに戻った。

自分の家の前に立つ女の子の姿に、彬従はドキリとした。

「沙良!どうしたの?」

険しい表情で彬従を見つめると、ドンと胸に飛び込んだ。

「だって、電話でアキが元気無さそうだったから心配だったのよ!」

甘えるように身体をこすりつけた。

部屋に招き、コーヒーを出して二人並んで座った。

「何かあったの?」

彬従は迷った。柊と華音が一緒にいたことを沙良には告げたくなかった。

「今日、華音のお母さんに呼ばれて、また早く結婚しろって言われたんだ。」

「アキの結婚相手は決まった?」

「見合い写真を山のように見せられたけど、正直あの中から選ぶ気にならない……」

「相手は誰でもいいの?」

「多分ね。」

「私でもいいの?」

ハッと横を向き、彬従は沙良の瞳に捕らえられた。

「誰でも良いなら私が彼女になる。私ならアキを理解出来る。癒してあげられる。」

沙良の言葉は真っ直ぐ彬従の心を捕まえた。

「アキ……好き……好きよ……」

沙良は彬従の頬に手を添え、唇を重ねた。

はじめ戸惑っていた彬従の唇は、やがて沙良の愛撫に応え、舌を差し入れ自ら沙良を求めた。

着ていた服を脱ぎ捨て、沙良は彬従の前で全裸になった。

―――華音と違う……

無駄な肉の無い沙良の身体は細く硬さを覚えた。

手を這わせ弄る乳房も、華音より小振りでキュッと引き締まっている。

舌を腹から股間に移した。

匂いも味も違うそこに彬従は顔を埋めた。

溺れるように柔らかい華音とは全てが違う。

「比べないで……」

ハッと顔を上げると、沙良の切なげな瞳があった。

「私を愛して、アキ。」

「沙良……」

「私が華音の代わりになる。アキを支える。」

「代わりなんかじゃない。」

理性が全て消え去り、欲情に支配されるのを彬従は感じた。

「愛してる、沙良!」

沙良の身体に自分を繋ぎ合わせ、彬従は狂ったように彼女を求めた。



メールをしても電話をしても、全く返事は無かった。

「またユウタの家に転がり込んでるかな。」

彬従のマンションまで来て、祐都は合い鍵でドアを開けた。

「あっあっ…あぁっ!……アキっ!アキっ!あぁっ!」

女の子の喘ぎ声が耳を襲った。

―――華音……じゃない。

慌てて外に出てドアを閉めた。

「何やってんだよっ!」

怒りが湧き上がった。

「ヒロト?」

ギクリと声のした方を見ると、そこには困惑した華音がいた。

「そこがアキの部屋?」

「そうだよ!でも、今アキはいないからっ!」

「ヒロト、私に嘘ついてもダメよ。」

華音は祐都を押し退けようとした。

「ダメだ!開けちゃダメだ!」

「どいてよ!」

揉み合ううちに、ドアにドンドンと身体がぶつかった。

ガチャリと開いて、上半身裸の彬従が顔を出した。

華音が凍りつくのが祐都には分かった。

「帰れよ。今、彼女といるから。」

彬従の声は冷たかった。

「誰なの?」

消え入りそうな声で華音が尋ねた。

「沙良だよ。」

その時、全裸にタオルケットを巻き付けた沙良が彬従の後ろから現れた。

「俺は沙良と結婚する。それで文句は無いんだろ?」

そう言って、沙良を抱き寄せキスを見せつけ、彬従はドアを閉めた。

「華音……」

祐都は身体が震えた。

「沙良……だったの……」

華音は涙も見せず、くるりと振り向き何事も無かったように歩き去った。


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