15 / 53
15.作れないんです
しおりを挟む
このまえ俺とアルバートは、友だちの握手をした。
そのあとアルバートは、俺がエミリア嬢かオードリー嬢に興味をもっているのかって訊いてきた。うん興味はもってる、呪われてるかどうか確かめたいからね。
だから肯定したら、どっちに興味があるのかって訊ねられた。あと、協力は必要かそれとも無粋かって。それで、自分が質問を誤解してたことに気がついた。
いや、そういう方面の興味じゃないから! 女の子としてみてるわけでも、おつきあいしたいわけでもないんで!
『なんでも恋愛沙汰に結びつけようとするな! 卑俗な発想しかできないのか!』
否定はしたけど、じゃあどんな興味なのかといわれても答えられないんだよな。俺が呪いを解きたい理由は、俺自身の呪いにかかわってるから話せない。というか、そもそも俺がたぶん解呪できるだろうこと自体、言えないんだ。
だってさ、もしアルバートが呪われてたら?
アルバートが呪いを受けてたら、いつか俺が解呪をすることになる。でもノア・カーティスが呪いを解いたことを本人に知られたら、その呪いが自分に降りかかることになる。だから、いまここで俺が解呪できるかもしれないって知られることは、この先アルバートの呪いを解いたとき、それが俺の仕業だとバレることにつながるわけだ。
下手なことを言えなくて黙ってたら、アルバートがさりげなく授業の話に話題を変えてくれた。俺が困ってることを察してくれたのかな。聖なる祝福、ありがとう。
そういう縛りがあるから、エミリア嬢とオードリー嬢のことは俺一人で探らなきゃならない。誰かの力を借りることはできないんだ。
今日の昼前まで、俺はそんな覚悟をしていました。
「来てくれてありがとう」
「は、はい。あの、わたし、なにか……粗相をしてしまったでしょうか……?」
「まさか。このあいだは楽しい時間を過ごさせてもらったよ」
どうして今日の昼休みに、まえとおなじベンチに俺とアルバートとエミリア嬢と、あともう一人知らない生徒がいるんだろう。
今日も俺は弁当を持ってきてて、中庭の昼飯持参組を見に行くつもりだった。そうしたらアルバートに呼びとめられて、例のベンチのところまで連れていかれた。なんだろうと思ってたら、すぐに初めてみる生徒がエミリア嬢を連れてやってきたんだ。
「彼女はルイーズ、私の知り合いだ。ルイーズ、彼はノアという。エミリア嬢同様、私とおなじ組の生徒だ」
「はじめまして、ノアくん。私は二年のルイーズという。今日は、アルバートから誘われて君たちの昼食会に参加させてもらうことになったんだ。よろしくね」
ルイーズ嬢が気さくに声をかけてくれた。風が吹いて、短い金の髪がさらっと揺れる。俺に向けられた目は、金が散った深い緑色をしてた。アルバートはやさしくて甘めの顔立ちだけど、ルイーズ嬢はそれをキリッとさせて、もっと華やかにしたようなかんじだ。そこにいるだけで、まわりがキラキラしてみえる。ジャケットにズボンを合わせてて、スラッとしてすごくカッコいい。
エミリア嬢は頭を下げて、「こんにちは……」って俺にあいさつをしてくれた。
「なぜ俺が、おまえたちと昼食をともにしなければならない。とんだ時間の浪費だ」
不機嫌な声に、エミリア嬢がキュウッと体を縮ませた。
「私が、エミリア嬢にききたいことがあったんだ。だが、同級生とはいえ異性から呼び出されては迷惑をかけるかもしれない。だからルイーズに声をかけてもらった。ノアは私の友だちだから、つきあってもらっている」
「それでルイーズさまが、教室の外でわたしを待ってらっしゃったんですね……」
要領を得ないかんじの俺とエミリア嬢に、アルバートが説明をしてくれた。
なるほど、ルイーズ嬢はエミリア嬢の名誉を守るための要員か。同性同士の婚姻があたりまえでも、昔からの習慣で結婚前の異性が二人っきりで会うのは奨励されてない。それをやったら、女性側の不名誉になりやすいんだ。ここには俺がいるから二人じゃないけど、エミリア嬢以外に女性がもう一人いたほうがきこえはいい。
それにアルバートは王子だから、余計な勘ぐりをされないための予防線を張る必要があるんだろうな。
「まったく、いきなり昨日の夜に連絡が来たんだよ。エミリア嬢を誘って、昼食をここでとるようにってね。アルバート、わたしにも予定があるんだからね?」
「急な頼みを快く引き受けてくれて、ありがたい」
「これは貸しだよ。まあ、こんなかわいらしいご令嬢と知り合いになれたのは幸運だけどね」
ルイーズ嬢がエミリア嬢に、パチンと右目を閉じてみせた。エミリア嬢が真っ赤になる。おおう、罪作りとはこういうことだっていう見本を見た気がする。
アルバートが自分の昼食をテーブルに広げたから、みんなもそれにならった。緊張してる様子のエミリア嬢は、うつむいてパンをゆっくり噛んでる。
「かしこまった話じゃないんだ。以前ここで会ったとき、エミリア嬢は具合がよくなさそうだったからね。学園で困っていることがないかを、訊きたかっただけなんだ」
「恐れ入ります。わたしは、学園に通うことができて、とても楽しいです。困っていることはございません」
そう話すエミリア嬢は、とうてい楽しそうには見えない暗い顔つきだ。アルバートの前だから神経質になってるっていうのはあるだろうけど、それだけじゃなさそうだ。
アルバートとルイーズ嬢が、彼女の心をほぐすようにあたりさわりのない話をする。そのうち話題が、チャップマン商会があつかう品物のことになった。
「金の宿り木工房の装飾品は、いま人気があるよね」
「ルイーズも持っているのか?」
「自分用じゃなく、贈り物として購入したことがあるよ。老舗の宝飾店のだと、格式が高すぎて軽い集まりなんかには少し使いづらいんだよね。だから、わたしたちくらいの年代に受けてるんじゃないかな。あそこは、エミリア嬢と関係があるんだ?」
「は、はい、ありがとうございます。金の宿り木工房は、チャップマン男爵家の直営になります。……二番目の兄が工房長で、わたしもそこで見習いをさせてもらってます」
「へえ、それならわたしが選んだ品の中に、エミリア嬢の手によるものがあったかもしれないね」
ルイーズ嬢にそういわれて、エミリア嬢の顔色がどーんと悪くなった。
「いえ、わたしは……、工房長のロバート兄さまから、自分で制作する許可をもらっていませんし……。デザインの原案や細工の手伝いをさせてもらうくらいです。わたしが手がけたといえるのは、オードリーさまへのものだけで……」
ルイーズ嬢は、オードリー嬢のことを知らなかった。だからエミリア嬢が、彼女はウェントワース伯爵家の令嬢だって説明して、そのまま自分との関係を話した。
チャップマン男爵は、取引の関係でウェントワース家を訪問することが多かった。あるとき彼は、オードリー嬢の遊び相手になるかもしれないと思って、歳の近いエミリア嬢をウェントワース伯爵家に連れて行った。
エミリア嬢が七歳、オードリー嬢が五歳のときだった。
それ以来、二人は交流を続けているらしい。
へえ、昨日の印象だとエミリア嬢の方が年下だっていわれても納得できたけどな。人は見かけによらないもんだ。あれっ、だったらエミリア嬢っていま何歳なんだ?
大きな黒縁眼鏡をかけた顔をよくよくながめてたら、にらまれたと勘違いしたのか、エミリア嬢がビビッと肩を上げた。
「わわわわたしは、いま、十五歳ですっ。オードリーさまが十三歳で学園に入学されるとき、一緒に学園に行くようにとのお誘いを、伯爵家からいただきました……っ!」
エミリア嬢、俺より年上だった! ぜんぜんそうはみえなかった。
ウェントワース伯爵家からチャップマン男爵家に、オードリー嬢の学友として入学するようにって話がいったのか。昨日のかんじだと、学友としてなのか、それともオードリー嬢が好きに使える使いっ走り的な役割を期待されてなのか、どっちなんだって疑ってしまうな。
「エミリア嬢は、お友だちのオードリー嬢からの依頼なら、工房で作ることが許されているんだね」
「いえ、あの、工房ではなく。わたしが直接……、昔から、そうしていて……」
あまり要領を得ないエミリア嬢の話を、アルバートとルイーズ嬢が根気よく解きほぐしていった。
幼いエミリア嬢とオードリー嬢が初めて会ったとき、会話はまったく弾まなかったらしい。エミリア嬢が、初対面の伯爵令嬢に気おくれしてあわあわしてる姿は簡単に想像できる。困ったエミリア嬢は、部屋にあったリボンとブローチで花のかたちの飾りを作ってみせた。それを気に入ったオードリー嬢が、次からもエミリア嬢が来ることを望んだ。
そうするうちに、彼女が注文してエミリア嬢が装飾品を作るという流れが出来上がった。
「作るといっても、つたないものです……。でもオードリーさまは、お友だちにも広められて、よく注文してくださって。兄は、工房に依頼してほしいそうですが、昔から私が受けてますし、ウェントワース伯爵家とのご縁ということで、わたしに無理にやめさせることはできないようです……」
「つまりあの女は、工房を通さず、素人も同然のきさまに直接依頼しているということか」
「ひっ、そそ、そうです! わたっ、痛っ、わたしは素人です!」
たまに俺がなにか言ったら、エミリア嬢が涙目になって早口になって、舌を噛む。俺は、彼女が素人だってけなそうとしたわけじゃない。ひょっとしてオードリー嬢が正規の手続きを踏まないことで、エミリア嬢にとって損な取り引きになってるんじゃないかって心配しただけなんだ。
エミリア嬢の気持ちを落ち着かせようとしてか、ルイーズ嬢が明るく問いかけた。
「エミリア嬢は、どんな細工物を作るんだい。次の新作を、ぜひみてみたいな」
ルイーズ嬢からの誘いを、エミリア嬢は社交辞令として受け流すか、もしくは大仰にお礼を言うかのどっちかだろうと思った。
エミリア嬢が、食べかけのパンをポトンとテーブルに落とした。
「いえ、わたしは、もう……。作れないんです」
手が震えてる。震えは全身に広がって、エミリア嬢はそれを抑えようとするように両腕で自分を抱きしめた。
「なにもできない、できなく……なりました」
喉から絞り出すような悲痛な声だった。エミリア嬢、うつむいてるからわかりにくいけど、泣いてないか? 急に、どうしたんだ!
立ち上がりかけたら、アルバートに上着の裾をつかまれて引き留められた。彼女の隣に座っていたルイーズ嬢が、エミリア嬢の肩を抱いてハンカチを差し出していた。両目をきつく閉じてるエミリア嬢が気づかないでいると、ハンカチの端で眼鏡の下のほう、涙に濡れた頬をふんわり押さえる。
なにも訊かないで、ただよりそって、しぐさでそっと慰める。
タラシだ、天然のタラシがここにいる。息をするように女の子に優しくできる人種だ。そりゃ、俺が下手にエミリア嬢のところに行かないほうがいいわ。ルイーズ嬢にまかせておくのが一番だ。
「作れない、できない……ムリなんです」
おなじ意味のことを、エミリア嬢がくり返す。作れないって、宝飾品のことだろうか。どうして、できないんだろう。
このあいだオードリー嬢は、エミリア嬢は自分のものだけを作っていればいい、それができないなら学園をやめろとまでいってた。
ひょっとしてオードリー嬢が、エミリア嬢の意に反することをなにかさせようとしたんだろうか。それを拒否されたから、エミリア嬢が制作できないように妨害してるんだろうか。
アルバートも、おなじことを考えたんだろう。その「できなくなった」ことに、オードリー嬢は関係してるのかって訊ねた。
エミリア嬢は、首を横に振った。
「違います、わたしです。わたしが……作れなくなったんです。作りたいものはあるのに、指が、思うように、動かないんです。ぜんぜん……だめで……」
エミリア嬢が、眼鏡を外して目に指をもっていく。ルイーズ嬢が、その手にハンカチを握らせた。
「こすっちゃいけないよ。目を傷めるし、かわいい顔が腫れてしまう」
気づかうようなささやきに、エミリア嬢が頬を赤らめる。俺の顔も赤くなった。真顔でこんなことを言って、さまになる人間って、本当にいるんだなあ。
「指が動かないって、怪我でもしたのかい?」
「怪我とか病気じゃありません。でも、少しまえから、おかしくなって……」
「私には、エミリア嬢の指が動かないようにはみえなかったが」
「アルバート、芸術家の指先は繊細なものだよ」
「げい、げいじゅつか、なんて、そんなことないです……!」
食べてるあいだも、ハンカチを握ったときも、たしかにエミリア嬢の指に異常があるようなかんじはしなかった。
「きさま、なにを隠している」
「かくしてなんか、いませんっ。ただ動かないだけでっ」
エミリア嬢があせって両手を振る。そのとき十本の指を握ったり開いたりするから、残念ながら「動かない」っていう説得力がない。自分でもそれがわかったのか、彼女は困ったようにあたりを見回した。
キョトキョト動いていた視線が、俺のところで止まった。
そのあとアルバートは、俺がエミリア嬢かオードリー嬢に興味をもっているのかって訊いてきた。うん興味はもってる、呪われてるかどうか確かめたいからね。
だから肯定したら、どっちに興味があるのかって訊ねられた。あと、協力は必要かそれとも無粋かって。それで、自分が質問を誤解してたことに気がついた。
いや、そういう方面の興味じゃないから! 女の子としてみてるわけでも、おつきあいしたいわけでもないんで!
『なんでも恋愛沙汰に結びつけようとするな! 卑俗な発想しかできないのか!』
否定はしたけど、じゃあどんな興味なのかといわれても答えられないんだよな。俺が呪いを解きたい理由は、俺自身の呪いにかかわってるから話せない。というか、そもそも俺がたぶん解呪できるだろうこと自体、言えないんだ。
だってさ、もしアルバートが呪われてたら?
アルバートが呪いを受けてたら、いつか俺が解呪をすることになる。でもノア・カーティスが呪いを解いたことを本人に知られたら、その呪いが自分に降りかかることになる。だから、いまここで俺が解呪できるかもしれないって知られることは、この先アルバートの呪いを解いたとき、それが俺の仕業だとバレることにつながるわけだ。
下手なことを言えなくて黙ってたら、アルバートがさりげなく授業の話に話題を変えてくれた。俺が困ってることを察してくれたのかな。聖なる祝福、ありがとう。
そういう縛りがあるから、エミリア嬢とオードリー嬢のことは俺一人で探らなきゃならない。誰かの力を借りることはできないんだ。
今日の昼前まで、俺はそんな覚悟をしていました。
「来てくれてありがとう」
「は、はい。あの、わたし、なにか……粗相をしてしまったでしょうか……?」
「まさか。このあいだは楽しい時間を過ごさせてもらったよ」
どうして今日の昼休みに、まえとおなじベンチに俺とアルバートとエミリア嬢と、あともう一人知らない生徒がいるんだろう。
今日も俺は弁当を持ってきてて、中庭の昼飯持参組を見に行くつもりだった。そうしたらアルバートに呼びとめられて、例のベンチのところまで連れていかれた。なんだろうと思ってたら、すぐに初めてみる生徒がエミリア嬢を連れてやってきたんだ。
「彼女はルイーズ、私の知り合いだ。ルイーズ、彼はノアという。エミリア嬢同様、私とおなじ組の生徒だ」
「はじめまして、ノアくん。私は二年のルイーズという。今日は、アルバートから誘われて君たちの昼食会に参加させてもらうことになったんだ。よろしくね」
ルイーズ嬢が気さくに声をかけてくれた。風が吹いて、短い金の髪がさらっと揺れる。俺に向けられた目は、金が散った深い緑色をしてた。アルバートはやさしくて甘めの顔立ちだけど、ルイーズ嬢はそれをキリッとさせて、もっと華やかにしたようなかんじだ。そこにいるだけで、まわりがキラキラしてみえる。ジャケットにズボンを合わせてて、スラッとしてすごくカッコいい。
エミリア嬢は頭を下げて、「こんにちは……」って俺にあいさつをしてくれた。
「なぜ俺が、おまえたちと昼食をともにしなければならない。とんだ時間の浪費だ」
不機嫌な声に、エミリア嬢がキュウッと体を縮ませた。
「私が、エミリア嬢にききたいことがあったんだ。だが、同級生とはいえ異性から呼び出されては迷惑をかけるかもしれない。だからルイーズに声をかけてもらった。ノアは私の友だちだから、つきあってもらっている」
「それでルイーズさまが、教室の外でわたしを待ってらっしゃったんですね……」
要領を得ないかんじの俺とエミリア嬢に、アルバートが説明をしてくれた。
なるほど、ルイーズ嬢はエミリア嬢の名誉を守るための要員か。同性同士の婚姻があたりまえでも、昔からの習慣で結婚前の異性が二人っきりで会うのは奨励されてない。それをやったら、女性側の不名誉になりやすいんだ。ここには俺がいるから二人じゃないけど、エミリア嬢以外に女性がもう一人いたほうがきこえはいい。
それにアルバートは王子だから、余計な勘ぐりをされないための予防線を張る必要があるんだろうな。
「まったく、いきなり昨日の夜に連絡が来たんだよ。エミリア嬢を誘って、昼食をここでとるようにってね。アルバート、わたしにも予定があるんだからね?」
「急な頼みを快く引き受けてくれて、ありがたい」
「これは貸しだよ。まあ、こんなかわいらしいご令嬢と知り合いになれたのは幸運だけどね」
ルイーズ嬢がエミリア嬢に、パチンと右目を閉じてみせた。エミリア嬢が真っ赤になる。おおう、罪作りとはこういうことだっていう見本を見た気がする。
アルバートが自分の昼食をテーブルに広げたから、みんなもそれにならった。緊張してる様子のエミリア嬢は、うつむいてパンをゆっくり噛んでる。
「かしこまった話じゃないんだ。以前ここで会ったとき、エミリア嬢は具合がよくなさそうだったからね。学園で困っていることがないかを、訊きたかっただけなんだ」
「恐れ入ります。わたしは、学園に通うことができて、とても楽しいです。困っていることはございません」
そう話すエミリア嬢は、とうてい楽しそうには見えない暗い顔つきだ。アルバートの前だから神経質になってるっていうのはあるだろうけど、それだけじゃなさそうだ。
アルバートとルイーズ嬢が、彼女の心をほぐすようにあたりさわりのない話をする。そのうち話題が、チャップマン商会があつかう品物のことになった。
「金の宿り木工房の装飾品は、いま人気があるよね」
「ルイーズも持っているのか?」
「自分用じゃなく、贈り物として購入したことがあるよ。老舗の宝飾店のだと、格式が高すぎて軽い集まりなんかには少し使いづらいんだよね。だから、わたしたちくらいの年代に受けてるんじゃないかな。あそこは、エミリア嬢と関係があるんだ?」
「は、はい、ありがとうございます。金の宿り木工房は、チャップマン男爵家の直営になります。……二番目の兄が工房長で、わたしもそこで見習いをさせてもらってます」
「へえ、それならわたしが選んだ品の中に、エミリア嬢の手によるものがあったかもしれないね」
ルイーズ嬢にそういわれて、エミリア嬢の顔色がどーんと悪くなった。
「いえ、わたしは……、工房長のロバート兄さまから、自分で制作する許可をもらっていませんし……。デザインの原案や細工の手伝いをさせてもらうくらいです。わたしが手がけたといえるのは、オードリーさまへのものだけで……」
ルイーズ嬢は、オードリー嬢のことを知らなかった。だからエミリア嬢が、彼女はウェントワース伯爵家の令嬢だって説明して、そのまま自分との関係を話した。
チャップマン男爵は、取引の関係でウェントワース家を訪問することが多かった。あるとき彼は、オードリー嬢の遊び相手になるかもしれないと思って、歳の近いエミリア嬢をウェントワース伯爵家に連れて行った。
エミリア嬢が七歳、オードリー嬢が五歳のときだった。
それ以来、二人は交流を続けているらしい。
へえ、昨日の印象だとエミリア嬢の方が年下だっていわれても納得できたけどな。人は見かけによらないもんだ。あれっ、だったらエミリア嬢っていま何歳なんだ?
大きな黒縁眼鏡をかけた顔をよくよくながめてたら、にらまれたと勘違いしたのか、エミリア嬢がビビッと肩を上げた。
「わわわわたしは、いま、十五歳ですっ。オードリーさまが十三歳で学園に入学されるとき、一緒に学園に行くようにとのお誘いを、伯爵家からいただきました……っ!」
エミリア嬢、俺より年上だった! ぜんぜんそうはみえなかった。
ウェントワース伯爵家からチャップマン男爵家に、オードリー嬢の学友として入学するようにって話がいったのか。昨日のかんじだと、学友としてなのか、それともオードリー嬢が好きに使える使いっ走り的な役割を期待されてなのか、どっちなんだって疑ってしまうな。
「エミリア嬢は、お友だちのオードリー嬢からの依頼なら、工房で作ることが許されているんだね」
「いえ、あの、工房ではなく。わたしが直接……、昔から、そうしていて……」
あまり要領を得ないエミリア嬢の話を、アルバートとルイーズ嬢が根気よく解きほぐしていった。
幼いエミリア嬢とオードリー嬢が初めて会ったとき、会話はまったく弾まなかったらしい。エミリア嬢が、初対面の伯爵令嬢に気おくれしてあわあわしてる姿は簡単に想像できる。困ったエミリア嬢は、部屋にあったリボンとブローチで花のかたちの飾りを作ってみせた。それを気に入ったオードリー嬢が、次からもエミリア嬢が来ることを望んだ。
そうするうちに、彼女が注文してエミリア嬢が装飾品を作るという流れが出来上がった。
「作るといっても、つたないものです……。でもオードリーさまは、お友だちにも広められて、よく注文してくださって。兄は、工房に依頼してほしいそうですが、昔から私が受けてますし、ウェントワース伯爵家とのご縁ということで、わたしに無理にやめさせることはできないようです……」
「つまりあの女は、工房を通さず、素人も同然のきさまに直接依頼しているということか」
「ひっ、そそ、そうです! わたっ、痛っ、わたしは素人です!」
たまに俺がなにか言ったら、エミリア嬢が涙目になって早口になって、舌を噛む。俺は、彼女が素人だってけなそうとしたわけじゃない。ひょっとしてオードリー嬢が正規の手続きを踏まないことで、エミリア嬢にとって損な取り引きになってるんじゃないかって心配しただけなんだ。
エミリア嬢の気持ちを落ち着かせようとしてか、ルイーズ嬢が明るく問いかけた。
「エミリア嬢は、どんな細工物を作るんだい。次の新作を、ぜひみてみたいな」
ルイーズ嬢からの誘いを、エミリア嬢は社交辞令として受け流すか、もしくは大仰にお礼を言うかのどっちかだろうと思った。
エミリア嬢が、食べかけのパンをポトンとテーブルに落とした。
「いえ、わたしは、もう……。作れないんです」
手が震えてる。震えは全身に広がって、エミリア嬢はそれを抑えようとするように両腕で自分を抱きしめた。
「なにもできない、できなく……なりました」
喉から絞り出すような悲痛な声だった。エミリア嬢、うつむいてるからわかりにくいけど、泣いてないか? 急に、どうしたんだ!
立ち上がりかけたら、アルバートに上着の裾をつかまれて引き留められた。彼女の隣に座っていたルイーズ嬢が、エミリア嬢の肩を抱いてハンカチを差し出していた。両目をきつく閉じてるエミリア嬢が気づかないでいると、ハンカチの端で眼鏡の下のほう、涙に濡れた頬をふんわり押さえる。
なにも訊かないで、ただよりそって、しぐさでそっと慰める。
タラシだ、天然のタラシがここにいる。息をするように女の子に優しくできる人種だ。そりゃ、俺が下手にエミリア嬢のところに行かないほうがいいわ。ルイーズ嬢にまかせておくのが一番だ。
「作れない、できない……ムリなんです」
おなじ意味のことを、エミリア嬢がくり返す。作れないって、宝飾品のことだろうか。どうして、できないんだろう。
このあいだオードリー嬢は、エミリア嬢は自分のものだけを作っていればいい、それができないなら学園をやめろとまでいってた。
ひょっとしてオードリー嬢が、エミリア嬢の意に反することをなにかさせようとしたんだろうか。それを拒否されたから、エミリア嬢が制作できないように妨害してるんだろうか。
アルバートも、おなじことを考えたんだろう。その「できなくなった」ことに、オードリー嬢は関係してるのかって訊ねた。
エミリア嬢は、首を横に振った。
「違います、わたしです。わたしが……作れなくなったんです。作りたいものはあるのに、指が、思うように、動かないんです。ぜんぜん……だめで……」
エミリア嬢が、眼鏡を外して目に指をもっていく。ルイーズ嬢が、その手にハンカチを握らせた。
「こすっちゃいけないよ。目を傷めるし、かわいい顔が腫れてしまう」
気づかうようなささやきに、エミリア嬢が頬を赤らめる。俺の顔も赤くなった。真顔でこんなことを言って、さまになる人間って、本当にいるんだなあ。
「指が動かないって、怪我でもしたのかい?」
「怪我とか病気じゃありません。でも、少しまえから、おかしくなって……」
「私には、エミリア嬢の指が動かないようにはみえなかったが」
「アルバート、芸術家の指先は繊細なものだよ」
「げい、げいじゅつか、なんて、そんなことないです……!」
食べてるあいだも、ハンカチを握ったときも、たしかにエミリア嬢の指に異常があるようなかんじはしなかった。
「きさま、なにを隠している」
「かくしてなんか、いませんっ。ただ動かないだけでっ」
エミリア嬢があせって両手を振る。そのとき十本の指を握ったり開いたりするから、残念ながら「動かない」っていう説得力がない。自分でもそれがわかったのか、彼女は困ったようにあたりを見回した。
キョトキョト動いていた視線が、俺のところで止まった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる