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19.今日は「紐靴の日」

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 数人の少女たちが、茶器を手におしゃべりを楽しんでいる。花が飾られたテーブルには、小さな茶菓子が上品に盛られた皿がおかれている。
 茶会の主催者である令嬢は、参加者たちにまんべんなく笑顔をふりまいている。胸元を飾っているのは、明るい青の宝石がはめこまれたブローチだ。台座に散らされた小さな石は外に向うにつれ色合いが薄くなり、遠目からはブローチ全体が澄んだ水色にみえる。それは令嬢の瞳の色合いとおなじだった。
 参加者の一人が、その水色のきらめきに目を留めた。

『なんてすてきなブローチでしょう。オードリーさまのご趣味の良さがうかがえますわ』
『ありがとうございます、キャサリンさま。これは、去年のわたくしの誕生日に合わせて作らせたものですの』

 参加者たちがひとしきりブローチを誉めそやす。別の令嬢が、ブローチをみつめて言った。

『そちらも、うわさの職人に作らせたものですの?』
『ええ、そうですわ、ケイトさま。エミリア・チャップマンという宝飾師ですのよ』
『腕のいい職人をおもちなんて、うらやましいかぎりです』
『興味がおありでしたら、わたくしから紹介させていただきますわ』
『よろしいのかしら?』
『もちろんですとも。今日、ケイトさまとお近づきになれました記念に、なにか作らせましょう』

 最初にブローチを褒めたキャサリンが、わけ知り顔でケイトにほほ笑みかける。

『オードリーさまのお茶会にいらっしゃった方だけが、その職人に注文できますの』
『ですからこのお茶会は、令嬢方の羨望の的ですのね!』
『まあ、そんな。たかが職人一人に、みなさま大げさですわ。ええ、たしかに、あの者を紹介できるのはわたくしだけですけれど』
『すばらしいお茶会ですわ、オードリーさま。わたくし、ご招待いただけて本当にうれしいですわ』

 茶会の常連であるキャサリンが、もちろん王都の老舗宝飾店であるレイトラックやヒンストンとは比べるべくもないけれど、ちょっとした気分転換にはなるアクセサリーだと笑った。
 伝手がなければ注文できない特別感と、そんな宝飾品を自分たちだけが手に入れられる優越感に、テーブルにいる令嬢たちが目を細める。
 茶会の終わりには、手土産が渡された。小さな箱の中に入っていたのは精巧な髪飾りで、参加した令嬢たちはみな、その見事さに主催者であるオードリーへの評価を高めたのだった。


*****


「――こういったかんじの茶会を、オードリー嬢はよく開いているようだね」

 ルイーズ嬢が、そう締めくくった。
 昼休みには、小道の先の小空間に集まる。放課後は碧の間に集合する。
 というのが恒常化しつつある今日このごろだった。なぜだ。ちなみに小空間は「陽だまりの小庭」っていう名称だった。
 いま俺は、陽だまりの小庭でアルバートやルイーズ嬢と昼食をとっている。食べてるあいだにルイーズ嬢が、この数日間でオードリー嬢について集めた噂を教えてくれた。
 噂によると、オードリー嬢は交流好きで、自分の茶会に多くの令嬢たちを招いていた。彼女は成人前だけど、いまから社交界に出たあとの自分の勢力を着実に拡大しているというのが周囲の見方らしい。
 オードリー嬢の茶会は人気があって、その大きな理由は彼女を通してだけ注文できる宝飾品にあった。出来がよくて手ごろな価格だから、欲しがる人が多いらしい。もちろん、それを作ってる職人はエミリア嬢だ。

「オードリー嬢は、お気に入りの職人の作品をシャインフォード公爵の『輝く水辺の音色』に出すと、前々から吹聴していたらしいよ」
「『輝く水辺の音色』? 口をきくことを許してやる、それがなにかを説明しろ」
「ノアくんは、知らないと言うだけにも、そんなにまわりくどい文句になるんだねぇ」

 あきれながらも、ルイーズ嬢が説明してくれた。
 シャインフォード公爵家は、代々芸術を愛してきたことで有名な大貴族だ。とりわけいまの当主は、芸術家への後援者として有名だ。現公爵がその座を継いだのが十一の月だったから、記念してその月に友人や芸術家たちを邸宅に招いて、「輝く水辺の音色」と称する芸術の集いを催すようになった。それが年を重ねるにつれ規模が大きくなり、ついには王都でも有名な芸術祭にまで発展した。
 十一の月の最初の三日間、公爵邸の一部が開放されて、貴族はもとより平民も入ることができるようになる。そこで披露されるのは、玉石混交のさまざまな芸術作品だ。
 この祭りには、腕におぼえのある者たちがこぞって作品を出展する。応募するための資格は、自分が創ったものであることと、盗作ではないことだけだ。ただし、事前に作品に問題がないことを検査はされる。
 芸術祭の最終日には、優れた作品に褒賞があたえられる。賞の数は年によって違って、一つも選ばれない年もあれば、何十点もがその栄誉を授かる年もある。
 この芸術祭で賞をもらうことは、出展した作者にとって大きな名誉となる。

「それはウーンデキム祭のことか? なんだ、そのもったいぶった名称は」
「ウーンデキム祭は通称だよ」

 「輝く水辺の音色」っていわれたから、わからなかった。十一の月ウーンデキムに開かれるからウーンデキム祭って呼ばれる催しなら、芸術にまったく興味がない俺でもきいたことがある。両親は、毎年見に行ってるんじゃないかな。ティリーが一緒に行くときもあったはずだ。
 シャインフォード公爵家とつき合いがあったり、芸術に造詣が深い人は、ウーンデキム祭のことを元々の呼び方である「輝く水辺の音色」っていうらしい。知らないよ、そんなこと。

「そもそもが大きな催しだけど、今年はさらに特別でね。シャインフォード公爵が、賢歴になられるのさ」

 十二の月が集まって一年になる。十二の年があつまって一歴になる。歴を迎える人は、それまでの生を十二柱の神がみに感謝して捧げものをする。イスヴェニア王国では百歳くらいまで生きる人が多いから、六十歳が賢人である老年の仲間入りをする年齢だとされている。だから五の歴、つまり六十歳からは、長く生きたことを尊んで特別な呼ばれかたをするようになる。六十歳は賢歴、七十二歳は敬歴っていうふうにだ。
 いまのシャインフォード公爵は、今年で六十歳になったそうだ。

「だから今回の『輝く水辺の音色』は、これまでで一番規模が大きくなるといわれている。もし賞を授けられたら、さぞ注目を浴びるだろうね」

 ウーンデキム祭――俺にとってはこっちの名称のほうがなじみがある――で、もしエミリア嬢の作品が認められたらすごいことになるんだろう。それはオードリー嬢の名を売ることにもつながるはずだ。だからオードリー嬢は、エミリア嬢の作品を芸術祭に出したいのかな。

「エミリア嬢本にきいてみたら、芸術祭に出品するのは恐れ多いっていってたけどね」
「それ以前の問題を、あの無能は抱えているだごうが」
「『作れなくなった』かぁ。それを知っている人間は、ほとんどいないらしい。工房なんかは別だろうけどさ。さてオードリー嬢は、この状況をどうするつもりなんだろうね」

 オードリー嬢としては、人前で芸術祭に出展するっていった以上、引っこみがつかないんだろうか。大きな機会を逃したくないっていう思いもあるだろう。だからエミリア嬢を叱責したり、つらくあたっているのかもしれない。それが、このあいだみかけた罵倒につながるのかな。
 あのときオードリー嬢は、エミリア嬢が勉強をやめてすべての時間を自分が命じた仕事に使えっていってた。あれは、学園を辞めてウーンデキム芸術祭に出す作品を作ったり、お茶会の令嬢方への贈り物を作ったり、そういうことだけしていろっていう意味だったのか。
 知るにつれ、オードリー嬢への好感度が下がっていく。元からいい印象はなかったけど、どんどん悪い方に傾いていくなあ。
 エミリア嬢に、オードリー嬢のことをもっと訊いてみたい気がしてきた。そう思ったら、アルバートが言った。

「ルイーズ、オードリー嬢と話す場を設けることはできるか?」

 ルイーズ嬢が、面倒そうにうなずく。
 えっ、どうしてここでエミリア嬢じゃなくてオードリー嬢なんだ?

「私たちは、オードリー嬢とまともに話したことがない。他人の話だけで人柄を判断しては、間違いが起きやすい」

 おお、まっとうな考えだ!
 アルバートは、ちゃんと本人と接して見極めようっていう姿勢なんだ。こういう人間が国の上にいるのは、イスヴェニア王国民として心強いぞ。自分のいる国が信頼できるってかんじられるのはうれしいな。
 俺もオードリー嬢に確認したいことがあるから、助かるや。
 そろそろ教室に帰ろうってみんなで歩き始めたら、ルイーズ嬢が立ち止まって身をかがめた。今日はスカートを履いてる。すごいなって思うのは、ズボンだろうがスカートだろうが、キラキラ王子さま度は変わらないことだ。

「この靴、デザインはいいけど紐が解けやすいんだよね。次からは、違う素材で紐を作ってほしいよ」

 ルイーズ嬢が履いてるのは、ふくらはぎの半ばくらいまである編み上げ靴だ。靴は光沢のある黒い素材でできてて、細いリボンが細かく交差してる。ヒールの部分には、小さな透明の石がいくつかはめこまれてた。カッコよくて、大人っぽい。そういやさっき、靴がみえるように服装をスカートにしたって言ってたな。
 今日は、「紐靴の日」なのだ。

「歴史が古いせいか、学園には変わった規則がときどきあるな」
「王家の人間にいわれたくないね。王宮には、それこそ由来もわからなくなった奇妙なしきたりがたくさん残っているだろう」
「たしかにな」

 イスヴェニア学園には、「なんで?」って思うような規則がわりとある。その一つが「紐靴の日」だ。
 この日、すべての生徒は靴紐のある靴を履いて来なきゃならない。
 昔、まだ学園内で身分の上下が厳しかったころ、貴族の生徒が履いてきた靴の紐が解けたら平民の生徒が結ぶことになっていた。貴族にとって平民は、「学園のおなじ生徒」ではなく「使用人もどき」っていう感覚だったらしい。それに貴族の大半は自分で靴の紐を結んだことがなかったから、「靴紐を結べる」のは「身分の低い者」の証だっていう高慢さもあった。
 この習慣は、結ぶっていうことだけを意味しなかった。自分の靴紐を結ばせるっていう口実で、気に入らない生徒を跪かせたり、その頭を反対の靴の底で踏みにじったり、靴の先で顔面を蹴り飛ばしたりっていうのが日常茶飯事だったらしい。
 この悪習は、かなりまえに撤廃された。同時に、新しい規則が二つできた。
 規則の一つは、「生徒は他の生徒の靴紐を結んではならない」だ。もう一つは、誰しも自分の靴紐は自分で結ぶべしということで、「靴紐のある靴を履いてきて、人前で解いてから結んでみせる日」が作られたことだ。
 だから今朝、最初の授業が始まったとき、俺たちはいっせいに靴紐を解いてから結び直させられた。これがイスヴェニア学園の伝統だってきかされた。
 伝統って、わけがわからないものなんだなあ。

「規則では、年に三回、『紐靴の日』に履いてくればいいだけだったな」
「そうだよ。だけど、紐靴は生徒に人気があるからね。決められた日以外でも、みんなよく履いてるよ」

 「紐靴の日」を知ったある靴屋が、子ども向けの紐靴を売り出したせいらしい。俺たちくらいの年ごろの子が履きたいような靴って、じつはあんまりないんだよね。大人用のデザインのサイズを小さくしたのばっかりなんだ。
 もちろん貴族の正式な集まりでは、定番が無難かつ最強だ。だけど「学園用の紐靴」として、カッコよかったりかわいかったり、奇抜だったりする靴が売りにだされたら、たくさんの生徒たちが購入したらしい。みんな、ちょっとしたおシャレに飢えてたわけだ。
 という事情を、俺はティリーからきかされた。
 俺が学園に入学するって知ったティリーは、「兄さま、いま男子生徒に人気がある紐靴を教えてあげるね!」って張りきった。俺がいま履いてる靴は、ティリーが見立ててくれたやつだ。「最初だから、あんまり冒険しないでおこうかな。でも、いつもとはちがうデザインがいいよね」って選んでくれたけど、俺にはどこがちがうのかよくわからない。

「アルバートの靴、いいね。ノットンナーシ氏の新作かな。おカタい彼にしては、遊び心が入ってる」
「学園用には、いいと思ってな」

 俺にはわからない会話が交わされている。ルイーズ嬢は俺の靴も、かたちがよくて似合ってるって褒めてくれた。
 俺の呪いが解ける日がきたら、ティリーにお礼を言うことにしよう。
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