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32.エミリア嬢の作業小屋

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 チャップマン男爵家の居間では、エミリア嬢が迎えてくれた。
 そのあとすぐに俺たち三人は、裏庭に通された。侍女のキャサリン嬢は別室で待機だ。
 これはあらかじめきいていたことだった。来客をもてなすのは普通は居間だけど、人目があってやりにくい。かといってエミリア嬢の自室に、護衛に扮してるとはいえ異性の俺たちが入るのは申し訳ない。適当な空き部屋がないかってルイーズ嬢が相談したら、エミリア嬢が自分の作業小屋を使えばいいって言ってくれた。

「本当に、本当に小さくて、ごちゃごちゃしてるんです。その、申し訳ありません」

 エミリア嬢が何度も頭を下げながら案内してくれたのは、小さな木の小屋だった。たぶん元は使用人が住んでいたか、物置だったんだろう。
 中は二間で、入口に近いほうの一室にはテーブルと椅子がある。オードリー嬢に紹介された令嬢が、たまにこの部屋で宝飾品の作成について相談するらしい。そのせいだろう、エミリア嬢作だっていう首飾りや刺繍が額に入れて壁に飾られている。床の絨毯も窓のカーテンも小屋の造りに反して安っぽいものじゃないし、貴族をもてなすのに無礼にならない程度のしつらえがしてあった。

「奥が、わたしが宝飾品を作る部屋です。前は自分の部屋で作業してたんですけど、ときどき家具を焦がしたりびしょ濡れにしたり、その、いろいろあって。ほとんど使っていなかったこの小屋を貸してもらえることになったんです」

 それ、わかる。俺も、自分の部屋を魔法の実験でめちゃくちゃにしたことがある。
 小屋には賃料を払っているらしい。格安らしいけど、すごいなチャップマン男爵家。さすが商人の家というべきか。
 手前の部屋がお客さま用なら、扉の向こうの部屋は舞台裏っていうかんじだ。三方の壁には棚が造りつけられてて、俺には用途がわからない道具や箱、金属片に本なんかがぎっしりつまってる。もう一方の壁は大きな窓で、その下に石造りの長い机がおいてある。焼け跡があるから、この上で金属を加工するのかな。炉は見当たらないけど、物を作る職人の多くは魔法で細工をするらしいから、エミリア嬢もそうなんだろう。
 とにかく物があふれてる。散らかってることにエミリア嬢が恐縮してたけど、無理をいって使わせてもらってるのはこっちだからね。
 作業部屋にある見慣れない道具について俺たちが質問してるうちに、オードリー嬢が到着した。
 どうやら二人が会うのは、初花の集い以来らしい。エミリア嬢は、眼鏡がズレて落ちそうになるくらい頭をカクカク振った。

「あああのあの、お越しいただいて、ありがとうございみゃちゅっ」

 エミリア嬢が噛んだけど、オードリー嬢も俺たちもきかなかったことにした。

「ごきげんよう、ルイーズさま、エミリア。……アルバートさまとノアさまは、ご一緒ではなかったのですか?」

 オードリー嬢には、俺たちがルイーズ嬢の護衛にみえたんだろう。付与魔法がちゃんと働いてるってことだ。
 アルバートがいたずらっぽく右の頬で笑って、眼鏡と上着を取った。俺もそれにならった。

「えっ、アルバートさまと……ノアさま、ですか。まったくわかりませんでした」

 オードリー嬢が目を丸くする。最初、エミリア嬢もおんなじ反応をしてくれた。二人のびっくりがうれしい。夜を徹して魔法を付与したかいがあったってもんだ。
 これで全員そろった。
 アルバートが一同の顔を見回した。

「では、確認しよう。今日、チャップマン男爵家は、エミリア嬢の友人が来るとだけきいているはずだね。それがルイーズ・グレンヴィル侯爵令嬢だとは知らない。そして、今日たまたまオードリー嬢もエミリア嬢を訪問し、学園の生徒同士という縁で交流をもつことになった」
「はい。家の者には、ルイーズさまのことはそれだけしか話してません。オードリーさまがいらっしゃるのは、その、これまではよくあったことですし……。オードリーさまのご紹介でお友だちが来られることもありますから、学園で知り合った貴族令嬢だといえばそれ以上詳しくきかれることはありませんでした」

 エミリア嬢には、友だちが今日来るっていうことだけ男爵家に伝えてもらってる。ルイーズ嬢の身分についてはボカしてもらった。別にバレてもいいんだけど、侯爵令嬢が来たっていうので家人によけいなもてなしをされたら面倒だ。だから今日の馬車は、わざわざ家門がついてないのを使ったそうだ。

「それで、あの、みなさん今日はなにをされるんですか?」

 この五人の中で、エミリア嬢が一番事情がわかってない。
 エミリア嬢が言われてるのは、この面子で学園ではできない話があるから、彼女の家を使いたいっていうことだけだ。よくそんな曖昧かつ横暴な内容で、了承してくれたもんだ。エミリア嬢は押しに弱そうだし、ルイーズ嬢が本気で承諾させようとしたら陥落するしかなかったのかもしれない。
 アルバートが、エミリア嬢の手をとった。そばかすのある頬が、ボンッと赤くなる。

「本当に申し訳ない、エミリア嬢。いま、話せることはないんだ。けれど用事が終われば、きちんと説明をする。私の誠意を示すのに、それでは足りないだろうか」
「まま、まさかっ、いえ、それで充分ですっ」
「ありがとう。では、ルイーズ?」

 王子さま力で乗りきったアルバートに、ルイーズ嬢がうなずいてみせる。

「このあとは三人の密談になるんだよ。だからわたしたちは席を外そう、エミリアちゃん。チャップマン家なら、毛色の変わった輸入品や、見ごたえのある細工物を飾ったりはしてないかい?」
「それでしたら展示室があります」
「いいね。アルバートのほうは時間がかかるらしいから、わたしたちは二人でデートを楽しもう」

 エミリア嬢が、デート!? ってすっとんきょうな声を上げる。そんな彼女をエスコートして、ルイーズ嬢は小屋を出て行った。
 椅子に座るオードリー嬢は、膝の上で拳をかたく握りしめてる。
 かなり緊張してるんだろう。これからなにをするのか、具体的には知らないんだから無理もない。扉をにらんでるのは、逃げ出したいっていう気持ちの表れだろうか。
 アルバートが彼女の隣に腰かけた。

「では、オードリー嬢。始めよう」

 アルバートの声はいつもよりやわらかくて、きいてるだけで落ち着きそうだ。これ、意識して出してるんだろうな。

「どうすればいいのでしょう」
「大丈夫、楽にしてくれるだけでいい。あなたにとって不利益になることは決してしない。私を信じてくれるかい」
「もちろんです。アルバートさまに、心よりの信頼を誓います」

 そんなやりとりをしてるあいだに、俺はオードリー嬢の背後に回った。彼女は警戒したように振り向こうとしたけど、そのまえに金色の頭がガクッと落ちた。予期してたから肩をつかんで支えて、意識がなくなった上体を椅子の背にもたれさせる。

「なにをしたんだ?」
「見てわかれ。眠らせただけだ。俺が魔法を解くか、強い刺激があるまでは、このままだ」

 テーブルのまわりに防音壁を作る。大声を上げる予定はないけど、念のためにだ。それから壁と扉に沿って、物理と魔法の両方への防護壁を張りめぐらせた。これで、ある程度の魔法攻撃にも物理攻撃にも耐えられるはずだ。あと扉は、俺の許可がないと開かないようにしておこう。
 作業が終わってから、この部屋にかけた魔法をアルバートに説明した。

「防音壁は一方向性だ。外の音は中にきこえるが、中から外に音はもれない。魔術式の構造はきくな、どうせ理解できん」

 この魔法は、俺のいままでの失敗への反省によって改良されたものなのだ。まず、ただの防音壁にしてしまうと外からの音がこっちに伝わらない。たとえばルイーズ嬢やエミリア嬢が扉を開けてほしいって言っても、俺たちに聞こえないわけだ。あと防音壁を部屋いっぱいに張ってしまうと部屋の外に音がもれないから、帰ってきた二人に「ちょっと待って」とか「入っていいよ」って伝えられなくなる。
 俺が自分の部屋で作業してるときに防音壁を張ったら、ティリーの呼びかけや俺の返事が聞こえないことがあった。それを解決するために新しく魔術式を組んだのが、このノアくん仕様防音壁魔法なのである。
 俺はオードリー嬢の隣に座ると、邪魔な眼鏡と上着をとってテーブルに置いた。

「いまから俺は、黄巻バネヅタにかけられた呪いを解く。まず呪いの内容を解析するが、どれくらい時間がかかるのかはわからない。そのあいだ俺も黄色も意識がないが、一切俺たちに触れるな。おまえにできるのは、ただマヌケ面をさらして座っているだけだ」

 俺がオードリー嬢の呪いに集中しているあいだ、アルバートは退屈だろう。でも部屋に意識のない人間しかいないのは不安だから、ここにいてもらいたい。だからルイーズ嬢はエミリア嬢を連れ出す要員で、アルバートは待機要員っていう役割分担にしたんだ。

「わかった。だが、この扉はノアしか開けられないと言ったな。では、君の意識がないあいだになにかあればどうすればいい?」

 たしかに、不測の事態が起きるかもしれない。

「しかたない、ありがたく思え、おまえも扉を開ける許可を出せるようにしてやる」

 扉の魔法をいじって、アルバートも管理者にした。
 オードリー嬢の体表上の魔力を探って、魔法紋が刻まれた場所を探す。普通に左手首か、よかった。俺がさわったらマズイ場所に魔法紋があったら、困ったことになるところだった。
 オードリー嬢の右腕をとって、袖口のボタンを外す。テーブルに腕をおくと、彼女の魔法紋を俺の手のひらでおおった。
 保護鍵を攻撃する魔法を発動させる。
 今回は一〇分で解除できた。オードリー嬢の保護鍵は、「他者の運命を己が運命とする恍惚と恐怖」だった。たしか有名な小説か芝居の一節だったような気がする。
 鍵が外れる。
 俺は自分の魔力をオードリー嬢の魔力に接触させて、その中に意識を飛びこませた。
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