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52.エピローグ

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 ウーンデキム祭が終わったあとも、俺はエミリア嬢と会っていた。
 宝飾品を作るための魔法を彼女がある程度ひとりで使えるようになるまで、教える約束をしたからだ。場所は、引き続き第八魔法演習室を借りている。

「師匠は、どうやって温度を一度単位で調節できるようになったんですか?」
「俺はきさまの師匠になったおぼえはない。いつになったらその出来の悪い頭は、この事実を認識するんだ。そもそも俺は、必要なら〇・一度単位で温度の調整をする」

 〇・一度以下は試したことがないけど、やろうと思えばできるんじゃないかな。
 エミリア嬢は、魔法を教わるようになってから俺のことを師匠と呼びだした。たいしたことは教えてないし、気恥ずかしいからやめてほしいんだけど、エミリア嬢は「だって師匠はわたしの師匠ですからっ」と謎の押しの強さで呼び方を変えてくれない。

「さすが師匠です!」
「やめないか、このウスラバカスズメが!」
「やあエミリア嬢、ノア師匠との訓練は順調かな」
「こんにちは、アルバートさま。師匠の教え方は、わかりにくいけどためになります!」

 アルバートは、ときどきからかって「ノア師匠」って呼んでくる。ムッとしたら、楽しそうに笑われた。

「ノアくんが師匠でもくじけないって、エミリアちゃんは強いよねえ」
「言い方はひどいですけど、師匠はちゃんと理屈に適ったことを教えてくれますから。言い方はひどいですけど」

 二回も、ひどいって言われた。
 どうもエミリア嬢は、工房やロバートからはほとんどなにも教わってこなかったようだ。理論立てて説明するんじゃなくて、見ておぼえろとか工房の伝統だから疑問をはさむなとか、質問するのは生意気だとか、そんなふうに言われてきたらしい。
 俺のやり方がいいかのかどうかはわからない。でも塔の、とくに俺がいたところでは、「理論化しろ、話はそれからだ」、「誰でも使える魔術式におとしこめ」、「再現性のない魔法はクズ」があいさつ代わりだったからな。俺もそういうやり方が身についてる。
 ただなー。どっちかというとエミリア嬢は、理論立てるより感覚的に教わるほうが合ってる気がする。そういう魔法教授の方法もあるんだけど、その教え方は俺ができないのだ。ごめんね。

「みなさまに報告がございます」

 アルバートとルイーズ嬢に続いて、オードリー嬢も演習室に顔をみせた。

「昨日、エミリアとともにチャップマン男爵と交渉をいたしました。チャップマン男爵は、ウーンデキム祭の結果を認めて、次の一年間の支援を了承しました」

 おお、よかった! なんせそのためにがんばってたんだからね。
 みんながエミリア嬢に拍手をする。

「これでエミリアは、成人しても工房に入らなくてすみます。それに男爵が、ロバート・チャップマンがエミリアに干渉しないように動かれるそうです」
「当主がさっさとそうしていれば、俺がスズメだのバネヅタだのに迷惑をかけられることはなかった。状況把握が遅すぎる。チャップマン男爵はもうろくしているのか?」

 オードリー嬢とエミリア嬢が、困ったように顔を見合わせた。
 オードリー嬢によると、チャップマン男爵は息子が娘に横柄に振る舞っていることも、盗作をしていることもぜんぶ知っていたそうだ。男爵は、そのうえで放置していたわけだ。

「エミリアちゃんの父君は、家庭を顧みない人なのかい」
「そうではないと思いますが……あの、わたしが悪いんです」
「エミリア嬢、自分を卑下しすぎていないかな」
「説明をとばしすぎよ、エミリア。すみません、アルバートさま。チャップマン男爵は、ロバートの盗作をエミリア自身が問題にしたことがあったのかとおっしゃったのです」

 昨日の交渉の内容を、オードリー嬢がみんなに説明する。チャップマン男爵はこう言ったらしい。

『盗作? それをエミリアが一度でも主張したことがありましたか? 自分で訴えることもできないようじゃ、金の宿り木工房以外に勤めたっていい喰い物にされるだけです。それなら、まだ身内に喰われてたほうがマシってもんです。チャップマン家の利益になりますからね。あなたがそれを阻止する? オードリーさま、率直にいっていまのあなたにそんな力はないでしょう』

 ついでに、チャップマン男爵のロバート評はこんなかんじだったそうだ。

『工房長としてのロバートの手腕は、悪いというほどじゃないんですよ。エミリアの意匠は、自分にしか作れない一品物です。だが、それを商売にできるだけの資金源も顧客先も販売手段も、エミリアはたいしてもっていない。ロバートは、その意匠を腕のある職人ならあつかえる程度までおとしこんでいる。金の宿り木工房は、一人の天才が唯一無二の作品を手がける場所じゃない。凡才たちが集まって、そこそこの品物を作る工房です。それはそれで需要があるし、実際売れる商品になっている』

 そうきいたオードリー嬢は、男爵に言わずにはいられなかった。

『男爵は、ロバート工房長のことを高く評価されているのですね』

 彼女は皮肉のつもりだったけど、男爵に鼻で笑われた。

『まさか、ですな。私がアイツなら、金の卵を産む鳥をきちんと活かしますよ。エミリアを上手く使えさえすれば、工房もエミリア本人ももっといい仕事ができるのに、つまらない嫉妬でつぶそうとしている』
『それがわかっていて、なぜ男爵はロバート工房長を放っておくのです!』
『エミリアがロバートの使いっ走りになるなら、どっちもそれだけの力しかなかったということです。まあね、エミリアが正式な工房職人になってもあつかいがひどければ、私が拾うことを考えてもいました。だが、エミリアはオードリーさまという協力者を得て、ウーンデキム祭で成果をみせた』

 男爵はエミリア嬢に、支援にかんする契約書を渡した。

『いいだろうエミリア、おまえに猶予期間をやる。生活費も学費も、ある程度の制作費も出してやる。一年契約だが更新は可能で、期間は最長で四年だ』
『ははは、はいっ……。ありがとうございます!』
『おまえがいいカモになって世間からむしられるかどうかは、今後の動き方次第だな。それにしてもオードリーさま、忌憚なくいわせてもらえば、あなたの事業計画は甘すぎてまったく現実味がありません。このままなら、学園卒業と同時にエミリアは私が囲いこみます。いい工房をあたえてやりますよ』
『男爵ではありません。わたくしが、エミリアに、最高の環境を提供いたします!』

 豪快に笑う男爵を、オードリー嬢はにらみつけた。

『最後に、気になるでしょうからお教えしましょう。ロバートは、無能ではないがとくに最近まわりが見えなくなっている。あいつは商人ではなく職人だからと目こぼしをしていましたが、調子にのりすぎた。仕置きをしてやりますよ、エミリアのことをかまえなくなるくらいにね。手始めに、家から追い出して住居を独立させましょう。チャップマン商会にしている借金も、尻を叩いて返却させます。エミリアがいなくなったことで、新作の数も人気も落ちてきているんですよ。金の宿り木工房は、ここが踏ん張りどころでしょうな』

 それがチャップマン男爵と二人の交渉のあらましだった。
 オードリー嬢が話し終えると、エミリア嬢は気合いをみせるように胸の前で両手を握りしめた。

「師匠から学んだ魔法があれば、きっと、もっといい物が作れます。次の契約も更新できるように、わたし、がんばります……!」

 エミリア嬢は新作の構想を楽しそうに語って、オードリー嬢は男爵にコケにされない事業計画を作り上げると息まいてる。ちなみに結婚話は進展していないらしい。いまは信頼関係と将来計画の再構築を優先しているんだとか。
 ルイーズ嬢はそんな二人に、「エミリアちゃんの作品、予約できる?」と約束をとりつけて、「二年生になったら、オードリー嬢はバーンズ先生の授業を選択するといいよ。商業関連の生徒たちのあいだでは、裏の必修科目と呼ばれてるそうだからね」って助言をしてる。そんな三人に、ときどきアルバートも気安く口をはさむ。
 演習室に集ったみんなをながめてると、肩から力が抜けた。椅子の背にもたれると、しぜんに大きく息を吐いてた。
 呪いを一つ解き終わったんだって、ようやく思えた。
 最初は、呪いはただ解けばいいと思ってた。だから、なんなら目星をつけた人間の意識を失わせて、そのあいだに解呪してしまえば解決するって考えてた。
 そんな目論見に疑問を抱いたのは、トレヴァーが自分の呪いを話したときだ。俺がもしトレヴァーの事情を知らなくて、勝手に呪いを解いてたら、彼はパティ嬢と婚約できなかったかもしれない。
 呪いをかけられた人は、いまは否応なしにその呪いとともに生きるしかない。そして呪いが、いつ、どう解かれるかによって、その人の人生は変わってしまうかもしれない。そもそも解呪したいかどうかも、本人しだいなんだ。
 オードリー嬢の場合だってそうだった。もし俺が彼女を強制的に解呪したら、どうなってただろう。ひょっとしたらオードリー嬢は、自分の呪いのせいでエミリア嬢につらい思いをさせたっていう罪悪感に押しつぶされていたかもしれない。恨まれるのが怖くて、呪いのことをエミリア嬢に話せなかったかもしれない。たとえ解呪されても、元のような親しい関係にはもどれなかったかもしれない。
 今日、みんなは笑ってる。でも、こんな終わり方じゃなかったかもしれないんだ。

「なあノア、私は思うんだが」

 ずーんと重い気分になってたら、アルバートがこそっと話しかけてきた。

「君は、ときどき考えすぎるきらいがある」
「なんだ、突然。俺の普通の振る舞いが、程度の低い人間には深謀遠慮にみえるだけだな」

 俺は、呪いを受けた人のことをそこまで心配することはないのかもしれない。相手の事情にかかわらず解呪すればいいのかもしれない。俺がなにかすることで、その人に影響が出るっていうのはおこがましい考えなのかもしれない。
 でも、呪いを解くっていうのは、相手の人生を左右するかもしれない覚悟がいることなんだ。
 うう、どうもモヤモヤして心が滅入る。

「ノアにできることは多く、その分見える範囲が広くなってしまうんだろう」

 だけどね、とアルバートがいたずらっぽく笑んで、両腕を広げてみせた。

「なんと君には、お得な友人がいるんだよ」
「誰が友人だ、だれが!」
「その友人は王族でね。だから彼も、それなりに人や人間関係をみてきてはいる。だから君がいま考えていることを、多少は想像できるかもしれない」

 アルバートは王子だ。十三歳の平民より、十三歳の貴族より、いま十三歳でいる誰よりも、広く遠く見ることが求められるし、それができちゃいもするんだろう。優秀だもんな、こいつ。

「行いには、すべて責任がともなう。それを理解してしまうと、そして行いのおよぶ広大な範囲がみえてしまうと、恐ろしくなるかもしれない。自分のすることが、多くの幸と不幸に影響をおよぼすことがわかるからだ。帝王学で、そう学んだよ」

 俺がぼんやり感じてたことを、アルバートがことばにしていく。そういやコイツは、祝福のせいで俺の本心をだいたいわかるんだった。

「見えすぎると、なにかを決めることや行うことから逃げたくなるかもしれないな。ノアがそうするなら、それでいい」

 アルバートの声には妙に重みがあった。なんとなく、実際に逃げた人間を知ってるのかもしれないって思った。

「でも、そうでないならね。おぼえておくといい、人間は神ではないんだ」
「当然だ。俺をのぞいてはだがな。俺は神にひとしいのだ」
「私たちはそのことをたまに見失って、なにもかも自分で背負わなければならないと勘違いしてしまうことがある。見えるのだから、できるのだとうぬぼれてしまうことがある。だけど、人間にできることはごくわずかにすぎない。それを忘れてはならないんだ」

 なんだこいつ、本当に同じ歳か。実は十倍くらい歳をとってるんじゃないか。
 不気味なものを見る目を向けたら、きまり悪そうに顔をそらされた。

「まあ、これはぜんぶお爺さまからの受け売りなんだけどね。私にはよく理解できていない部分もある」

 賢者の金言かと思ったら、前国王陛下からの忠告だった! そりゃ深いわ。

「……おまえの王子としての資質を上方修正しようかと思ったが、ただの借り物か」
「理解できないことでも、おぼえておくべきだと感じたし、いまノアに言いたいと思ったんだよ」

 照れ笑いをうかべたアルバートが、俺の胸を拳で叩いた。

「考えすぎるなということだ」
「おまえ流に言うと、とたんに軽くなるな」

 俺を励まそうとしてくれてるんだよな。たしかに、呪いを解くことで起きる事態が想像以上に大きそうで、弱気になってた。でもなあ、放っておいたら最後にはぜんぶ自分に呪いがくるんだから、解かないっていう選択肢は俺にはない。
 解呪するって決めてるなら、悩みすぎてもしかたないか。
 そう思ったら、気が楽になった。ありがとう、アルバート。この感謝を、俺のひねくれた口をとおしてどうにか伝えられないかな。

「おまえ、さっき自分のことを、俺にとって得な友人だといったな」
「そうだろう?」
「……友人に得も損もあるか。友人は友人でしかない。そんなことさえわからないのか、このバカが」

 アルバートが真顔になった。
 凝視されて、いたたまれなくなる。クサいことをいった自覚があるから、顔が熱くなっていく。今度は俺が顔を横に向けた。
 視線の先で、机に向かったエミリア嬢がむんっと両の拳を肩の高さに上げていた。

「師匠、わたし、今度こそ火の温度を正確に一〇〇度ずつ上げてみせますね……! 今日の目標です」
「志が低すぎる。だいたい、その程度の魔法がなぜ修得できないんだ。サボっているのか」
「あらノアさま、エミリアは毎日魔法を練習しているでしょう」
「エミリアちゃんは勤勉だよね」
「訓練しても魔法が上達しないといいたいのか? つまり教えている俺が無能だといっているわけだ」
「そんなっ。ルイーズさまもオードリーさまも、そんなこと言ってません、師匠!」
「俺はおまえの師匠じゃないっ!」
「師匠だから師匠なんですっ」
「諦めが悪いな、ノア師匠」

 チロッと向けた目の隅に、うれしそうに笑う友人の顔が映った。
 俺の人生は、夏の大茶会からあと大きく変わった。
 グラン・グランの呪いを受けた。九十九の呪いと縁づけられた。精霊と知り合った。塔を出た。王立イスヴェニア学園に入学した。
 呪いを解くために、他人の力を借りた。
 初めて人の呪いを解いた。
 呪いを解くことが怖くなった。
 だけど、呪いのせいで知り合ったみんながいま楽しそうだから、なんだかんだ残り九十七の呪いも解けるんじゃないかなって思えた。

 ノア・カーティス、十三歳。
 この年、俺は初めて同い年の友人ができたのだった。


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次の「挿話」で一区切りです
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