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第三章「孤独の幸魂」
第35話 そして、闇に染まって
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『海斗、ちょっといい?』
美波がお手洗いへ、御琴がジュースを買いにその場から離れたタイミングでミサキがやって来た。深雪とまどかに話し声が聞こえない様、海斗も少し離れたところへと移動する。
「どこ行ってたんだ?」
『さっき、邪気を感じ取ったのよ』
「ほんとか!?」
『しっ、声が大きい』
ミサキに咎められ、慌てて口をふさぐ。面会時間も終わり、病院内は関係者以外に誰もいないので誰かに聞かれる心配はほとんどないが、声は響いてしまう。
「だから離れていたのか……で、見つかったのか?」
『ええ……豊秋さんの中に』
「な――っ!?」
『豊秋さんの中では今、邪気が渦巻いて体に悪い影響が出てるわ。体の機能が狂って、全部が悪い方に働かされているって言えばわかる?』
「なんだよそれ……それじゃおじさんは」
『……このままだと死ぬわ』
海斗は目を伏せる。その反応も当然と言えた。
これまでの事件で邪気にあてられた人たちを彼は見ている。吸っただけであの惨状を作れる邪気が体の中にあるのだ。体調不良だけで済むとは思えなかった。
「でも、どうしてそんなことに」
『わからない。勝手にあんな邪気が人の中に生まれるとは考えられないの。だから考えられることって言ったら……』
「誰かが、やったって言うのか?」
ミサキは苦い顔でうなずいた。彼女のように邪気を祓うことのできる存在がいるのならまた、邪気を用いて人を脅かす存在がいても不思議ではない。
『これまで私たちは、深雪さんと御琴さんを祓って来た。その原因は、どれも辛い思いや溜め込んだストレス、言ってしまえば「心の闇」が妖となったもの。今日の美波さんの異変も、あのままだと妖が出現するんじゃないかって思ってた』
だが、その認識を改めざるを得なかった。美波の心の闇をさらに増幅させようとするような豊秋への襲撃。彼女をどうあっても絶望の底に叩き込もうとするような流れ、何かの意図を感じざるを得なかった。
『そもそもがおかしいのよ。心の闇なんて誰でも抱えてる。それがミサキになるのなら、この世にいったいどれだけのミサキが溢れると思う?』
「……つまり、心の闇をミサキにして、外に出せる奴がいるってことか」
『お芝居が始まる時、豊秋さんの中に邪気は全く見えていなかった。なのに今は豊秋さんを邪気が苦しめている。何者かがやったとしか思えない』
「ちょっと待ってくれ。それじゃ、この病院にそいつがいるってことか?」
『美波さんを狙ったのであれば……そう言えば美波さんと御琴さんは?』
「美波はトイレだよ。御琴はジュースを買いに――」
「あ、海斗見つけた」
自分の名前を呼ばれ、海斗はその方向へ目をやる。御琴が両手にジュースを持ち、首をかしげていた。
「ねえ海斗。美波んがお手洗いにいなかったんだけど、どこ行ったか知ってる?」
「――え?」
海斗の背筋に寒気が走った。廊下には海斗とミサキがいた。通ればわかるはずだ。だが、そもそも海斗たちは美波がお手洗いに入った瞬間を見ていない。
『――――っ!?』
ミサキが何かに気付いたように目を見開く。上階を睨み上げ、何かを感じ取っている。この反応には海斗も覚えがある。突如現れた禍々しい気配。怪異の前触れ。
『やられた!』
「まさか……」
『屋上に、いる。邪気も感じるわ』
「……冗談じゃないぞ」
今、豊秋は必至に生きようとしている。病院の人々もそれを救うため、奔走している。邪気が病院内に広まれば、多くの人が倒れてしまう。このままでは最悪の事態を招きかねない。
『……海斗、こんな時に悪いけど、しばらく時間を稼いでもらっていい?』
「ミサキ?」
『豊秋さんは私が何とかする。あの人が死んだら本当に美波さんは戻ってこれなくなるから』
「そうだな……頼む」
『うん。何とかしたら、すぐに追いかけるから。だから海斗は……美波さんをお願い』
恐らく屋上には妖もいるはずだ。海斗一人では立ち向かうのは難しいだろう。それでも、時間を稼いだり、深雪や御琴の時みたいに説得することはできるはずだ。
『そうだ海斗。そのネギ、持って行って』
ベンチの脇に置いておいた紙袋をミサキは指す。その中には海斗が芝居の前に美波からもらったネギが入っている。
「なんでネギを?」
『……たぶん、今の海斗は邪気に耐性が無いはずよ。だって、今のあなた、邪気を感じ取れていないもの』
この一週間、ミサキが視えるようになってから二人は一緒になって行動をしていない。その中で海斗は一度も怪異の気配を感じ取っていなかった。
これまで、邪気の中を動けたのも、怪異を視ることができたのも全てミサキが彼の中にいたからだ。単独で動き、感覚を共有できない今、海斗は一般人と同じ状態と言える。
『先週、ここで咲耶さんが言っていたこと覚えてる? ネギの厄除けの効果。粗塩と言い、食べ物の魔除け厄除けの力ってのも馬鹿にはできないのよ。少しの時間ならそれを持っていれば緩和できるはず。私が行くまで、何とか持ちこたえて』
「……わかった。行ってくるよ」
「ねえ海斗、美波んは――」
「任せろ御琴。すぐに美波を捜してくる!」
「え、ちょっと海斗? ……もう、何なのよ」
ネギの入った紙袋を抱え、一目散に走って行った海斗の血相を変えた様子に、御琴はさらに首をひねる。
「あ、あれ……?」
唐突に御琴の手から力が抜け、ペットボトルが床に落ちた。気が遠くなり、その場に立っていられない。
「変だな……寝るのには、まだ……早い、の…に」
深雪やまどかも壁にもたれかかるようにして眠りに落ちている。御琴も、不思議に思いながら近くのベンチに倒れ込むようにして意識を手放した。
『頼んだわよ、海斗……』
邪気が漂い始めた病院内で、ミサキは壁を通り抜け、処置室へと入る。豊秋が繋がれている機械はいずれも彼の生命が危機にさらされていることを数値で示している。
『私も、できることをしないと』
これまで戦ったミサキは邪気の塊だった。豊秋を苦しめているのも邪気。ミサキにそれらを祓う力があるのならば、彼の邪気を祓い救うこともできるはず。
『岐の御名にて魂幸う――』
頭の中に浮かぶ祝詞を唱える。なぜこんな力を使えるのか、そしてこんな祝詞を知っているのか、ミサキにはまだわからない。
海斗の祖父が見つけ出した、かつての伊薙が関わった「岐」に連なる者なのか。それとも怪異の元凶と同じ存在なのか。同じミサキという名を持つ者として不安は尽きない。
『禍霊の禍事無く――』
だが、それでも海斗が信頼をしている。邪な存在ではないと、人を守る存在であることを信じてくれている。彼の信頼に応えたい。彼の大切な深雪を、御琴を、美波を、まどかを、そしてその人たちが大切にしている人たちを守ってあげたい。この力で。
『幸く真幸く守り恵み給え!』
ミサキの中の霊力が清浄なる力を帯び、言霊となって邪気に注がれる。
『くっ……凄い邪気』
人一人を死に至らしめるほどの濃い邪気。膨れ上がるそれを外から押さえつけ、清めの力で浄化していく。
『それでも、絶対に守ってみせる!』
さらに力を注ぎ込む。処置室全体を覆うほどの力を放ち、医師や看護師らも邪気の侵攻から守る。
清めの力が間に合うのか、豊秋の命が尽きるのが先か。時はそう残されていなかった。
そして、海斗も屋上へ向かって階段を走っていた。次第に邪気が濃くなってきたのだろうか、不快感も強くなってきた。
病院は静まり返り、患者の声も聞こえない。海斗自身もすでに不快感にさらされているが、倒れるほどではない。ミサキの忠告通り、ネギの魔除けの効果が出ているのかもしれない。
「美波……」
料理部が襲われた時、部員たちと一緒に倒れていた美波のことを思い出す。いつもほんわかとした雰囲気でみんなを明るくさせてくれる美波が、あの惨状を作り出そうとしている。怪異の中心になるなんて海斗にも信じられない。
「くそっ!」
それでも、美波だけは何とかなりそうだった。蘇った母親の死の記憶、それでも海斗たちが支えることで彼女の心は平穏を取り戻した。それなのに、この事件を起こしている元凶は美波を闇に落とすために豊秋を狙った。
「許せない……」
強く唇を噛み締めた。妻を失い、それでも娘のためにと頑張っていた豊秋。そんな父親を料理や家事でサポートしてあげようとした美波。小さくとも温かい家庭を二人は守ろうと支え合っていたのだ。
それを壊した何者かを、海斗は許せそうになかった。
「はぁ……はぁ……」
屋上の扉を開き、外に出た。既に日は沈み、空はわずかに夕焼けの名残を残すのみだ。そんな西の空を見つめながら、美波は立っていた。
「……こんなところで、何してるんだ」
「別に、ただ夕陽を眺めてた……あはは、なんだかお芝居の台詞みたいだね」
海斗に背を向けたまま美波は笑いをこぼした。
「それじゃあ、次はこう言った方がいいかな――?」
美波が振り向く。そして、心底悪戯を楽しむような、そんな無邪気で残酷な笑顔で、海斗に言った。
「私には家がございません。親も死んでしまい、独りぼっちなのでございます」
それはこの一週間、彼女の口から何度も聞いた台詞。だが、その言葉に込められた感情があまりに神経を逆なでする。
「やめろ……不謹慎だぞ」
「そうかな? だって、お父さん死んじゃうんだよ?」
「まだ死んでない」
「どうせ時間の問題だよ」
「何言ってるんだよ……美波」
あれだけ豊秋を心配していた美波の言葉とは思えなかった。そして、彼女の首からはやはり黒ずんだ勾玉が下げられていた。
「でも大丈夫だよカイくん。私、もう悲しまないから。これからは一人で生きていけるよ。誰にも頼らずに」
「誰にも……」
やはりいつもの美波とは真逆だった。芝居の最中、皆で作り上げる舞台を彼女は嬉しがっていた。その美波の口から出た「誰にも頼らない」という全てを拒絶する言葉。
「だからね、カイくんにお願いがあるんだ」
「……何だよ」
「カイくんもね、死んで欲しいんだ」
いつものような柔らかな笑顔で、いとも簡単にその言葉を美波は吐く。そして、美波の周りで異変が起き始める。
「カイくんだけじゃない。御琴ちんも、深雪先輩も、まどかちゃんも……私と関わった全員、みんないなくなってもらわなくちゃ」
その足元に淡い青色の火が点る。それはたちまち彼女の足周りを巡り、燃え広がる。
「誰もいらない。誰にも頼らない……」
「ダメだ、やめろ美波!」
「でも大丈夫。だって、妖がずっと一緒だから!」
美波がその首に下げられていた勾玉を外す。そして頭上に掲げる。
「さあ来て! 私と一緒に行こう!」
「美波ーっ!」
海斗の言葉はもう届かない。炎が燃え上がる。大気が震え、勾玉を中心に風が集い始める。邪気が集い、その身を形作る。霊視ができない海斗ですら、その姿をはっきりと見ることができるほどに。
そして、勾玉を核に新たな存在がそこに出現する。全身を覆う赤みを帯びた褐色の毛、黒い耳、黒い脚。全長は美波の身長とほぼ同じくらいの大きさで、長い尾が振られるたびに、その先からは薄い青色の火が燃え上がる点は明らかにこの世のものではないことを示している。
『日本霊異記』、『遠野物語』、『和名類聚抄』、日本だけでも挙げればきりがないほどに数多くの昔話で現れ、ある時は敵として人を惑わせ、ある時は味方として人に寄り添う。その多くで怪しい術を使い、人に化ける話も数多く残る有名な妖怪――。
「ね? この子が一緒なら、もう悲しまないで済むでしょ?」
そして、美波は妖狐を抱き寄せ、冷たく笑うのだった。
美波がお手洗いへ、御琴がジュースを買いにその場から離れたタイミングでミサキがやって来た。深雪とまどかに話し声が聞こえない様、海斗も少し離れたところへと移動する。
「どこ行ってたんだ?」
『さっき、邪気を感じ取ったのよ』
「ほんとか!?」
『しっ、声が大きい』
ミサキに咎められ、慌てて口をふさぐ。面会時間も終わり、病院内は関係者以外に誰もいないので誰かに聞かれる心配はほとんどないが、声は響いてしまう。
「だから離れていたのか……で、見つかったのか?」
『ええ……豊秋さんの中に』
「な――っ!?」
『豊秋さんの中では今、邪気が渦巻いて体に悪い影響が出てるわ。体の機能が狂って、全部が悪い方に働かされているって言えばわかる?』
「なんだよそれ……それじゃおじさんは」
『……このままだと死ぬわ』
海斗は目を伏せる。その反応も当然と言えた。
これまでの事件で邪気にあてられた人たちを彼は見ている。吸っただけであの惨状を作れる邪気が体の中にあるのだ。体調不良だけで済むとは思えなかった。
「でも、どうしてそんなことに」
『わからない。勝手にあんな邪気が人の中に生まれるとは考えられないの。だから考えられることって言ったら……』
「誰かが、やったって言うのか?」
ミサキは苦い顔でうなずいた。彼女のように邪気を祓うことのできる存在がいるのならまた、邪気を用いて人を脅かす存在がいても不思議ではない。
『これまで私たちは、深雪さんと御琴さんを祓って来た。その原因は、どれも辛い思いや溜め込んだストレス、言ってしまえば「心の闇」が妖となったもの。今日の美波さんの異変も、あのままだと妖が出現するんじゃないかって思ってた』
だが、その認識を改めざるを得なかった。美波の心の闇をさらに増幅させようとするような豊秋への襲撃。彼女をどうあっても絶望の底に叩き込もうとするような流れ、何かの意図を感じざるを得なかった。
『そもそもがおかしいのよ。心の闇なんて誰でも抱えてる。それがミサキになるのなら、この世にいったいどれだけのミサキが溢れると思う?』
「……つまり、心の闇をミサキにして、外に出せる奴がいるってことか」
『お芝居が始まる時、豊秋さんの中に邪気は全く見えていなかった。なのに今は豊秋さんを邪気が苦しめている。何者かがやったとしか思えない』
「ちょっと待ってくれ。それじゃ、この病院にそいつがいるってことか?」
『美波さんを狙ったのであれば……そう言えば美波さんと御琴さんは?』
「美波はトイレだよ。御琴はジュースを買いに――」
「あ、海斗見つけた」
自分の名前を呼ばれ、海斗はその方向へ目をやる。御琴が両手にジュースを持ち、首をかしげていた。
「ねえ海斗。美波んがお手洗いにいなかったんだけど、どこ行ったか知ってる?」
「――え?」
海斗の背筋に寒気が走った。廊下には海斗とミサキがいた。通ればわかるはずだ。だが、そもそも海斗たちは美波がお手洗いに入った瞬間を見ていない。
『――――っ!?』
ミサキが何かに気付いたように目を見開く。上階を睨み上げ、何かを感じ取っている。この反応には海斗も覚えがある。突如現れた禍々しい気配。怪異の前触れ。
『やられた!』
「まさか……」
『屋上に、いる。邪気も感じるわ』
「……冗談じゃないぞ」
今、豊秋は必至に生きようとしている。病院の人々もそれを救うため、奔走している。邪気が病院内に広まれば、多くの人が倒れてしまう。このままでは最悪の事態を招きかねない。
『……海斗、こんな時に悪いけど、しばらく時間を稼いでもらっていい?』
「ミサキ?」
『豊秋さんは私が何とかする。あの人が死んだら本当に美波さんは戻ってこれなくなるから』
「そうだな……頼む」
『うん。何とかしたら、すぐに追いかけるから。だから海斗は……美波さんをお願い』
恐らく屋上には妖もいるはずだ。海斗一人では立ち向かうのは難しいだろう。それでも、時間を稼いだり、深雪や御琴の時みたいに説得することはできるはずだ。
『そうだ海斗。そのネギ、持って行って』
ベンチの脇に置いておいた紙袋をミサキは指す。その中には海斗が芝居の前に美波からもらったネギが入っている。
「なんでネギを?」
『……たぶん、今の海斗は邪気に耐性が無いはずよ。だって、今のあなた、邪気を感じ取れていないもの』
この一週間、ミサキが視えるようになってから二人は一緒になって行動をしていない。その中で海斗は一度も怪異の気配を感じ取っていなかった。
これまで、邪気の中を動けたのも、怪異を視ることができたのも全てミサキが彼の中にいたからだ。単独で動き、感覚を共有できない今、海斗は一般人と同じ状態と言える。
『先週、ここで咲耶さんが言っていたこと覚えてる? ネギの厄除けの効果。粗塩と言い、食べ物の魔除け厄除けの力ってのも馬鹿にはできないのよ。少しの時間ならそれを持っていれば緩和できるはず。私が行くまで、何とか持ちこたえて』
「……わかった。行ってくるよ」
「ねえ海斗、美波んは――」
「任せろ御琴。すぐに美波を捜してくる!」
「え、ちょっと海斗? ……もう、何なのよ」
ネギの入った紙袋を抱え、一目散に走って行った海斗の血相を変えた様子に、御琴はさらに首をひねる。
「あ、あれ……?」
唐突に御琴の手から力が抜け、ペットボトルが床に落ちた。気が遠くなり、その場に立っていられない。
「変だな……寝るのには、まだ……早い、の…に」
深雪やまどかも壁にもたれかかるようにして眠りに落ちている。御琴も、不思議に思いながら近くのベンチに倒れ込むようにして意識を手放した。
『頼んだわよ、海斗……』
邪気が漂い始めた病院内で、ミサキは壁を通り抜け、処置室へと入る。豊秋が繋がれている機械はいずれも彼の生命が危機にさらされていることを数値で示している。
『私も、できることをしないと』
これまで戦ったミサキは邪気の塊だった。豊秋を苦しめているのも邪気。ミサキにそれらを祓う力があるのならば、彼の邪気を祓い救うこともできるはず。
『岐の御名にて魂幸う――』
頭の中に浮かぶ祝詞を唱える。なぜこんな力を使えるのか、そしてこんな祝詞を知っているのか、ミサキにはまだわからない。
海斗の祖父が見つけ出した、かつての伊薙が関わった「岐」に連なる者なのか。それとも怪異の元凶と同じ存在なのか。同じミサキという名を持つ者として不安は尽きない。
『禍霊の禍事無く――』
だが、それでも海斗が信頼をしている。邪な存在ではないと、人を守る存在であることを信じてくれている。彼の信頼に応えたい。彼の大切な深雪を、御琴を、美波を、まどかを、そしてその人たちが大切にしている人たちを守ってあげたい。この力で。
『幸く真幸く守り恵み給え!』
ミサキの中の霊力が清浄なる力を帯び、言霊となって邪気に注がれる。
『くっ……凄い邪気』
人一人を死に至らしめるほどの濃い邪気。膨れ上がるそれを外から押さえつけ、清めの力で浄化していく。
『それでも、絶対に守ってみせる!』
さらに力を注ぎ込む。処置室全体を覆うほどの力を放ち、医師や看護師らも邪気の侵攻から守る。
清めの力が間に合うのか、豊秋の命が尽きるのが先か。時はそう残されていなかった。
そして、海斗も屋上へ向かって階段を走っていた。次第に邪気が濃くなってきたのだろうか、不快感も強くなってきた。
病院は静まり返り、患者の声も聞こえない。海斗自身もすでに不快感にさらされているが、倒れるほどではない。ミサキの忠告通り、ネギの魔除けの効果が出ているのかもしれない。
「美波……」
料理部が襲われた時、部員たちと一緒に倒れていた美波のことを思い出す。いつもほんわかとした雰囲気でみんなを明るくさせてくれる美波が、あの惨状を作り出そうとしている。怪異の中心になるなんて海斗にも信じられない。
「くそっ!」
それでも、美波だけは何とかなりそうだった。蘇った母親の死の記憶、それでも海斗たちが支えることで彼女の心は平穏を取り戻した。それなのに、この事件を起こしている元凶は美波を闇に落とすために豊秋を狙った。
「許せない……」
強く唇を噛み締めた。妻を失い、それでも娘のためにと頑張っていた豊秋。そんな父親を料理や家事でサポートしてあげようとした美波。小さくとも温かい家庭を二人は守ろうと支え合っていたのだ。
それを壊した何者かを、海斗は許せそうになかった。
「はぁ……はぁ……」
屋上の扉を開き、外に出た。既に日は沈み、空はわずかに夕焼けの名残を残すのみだ。そんな西の空を見つめながら、美波は立っていた。
「……こんなところで、何してるんだ」
「別に、ただ夕陽を眺めてた……あはは、なんだかお芝居の台詞みたいだね」
海斗に背を向けたまま美波は笑いをこぼした。
「それじゃあ、次はこう言った方がいいかな――?」
美波が振り向く。そして、心底悪戯を楽しむような、そんな無邪気で残酷な笑顔で、海斗に言った。
「私には家がございません。親も死んでしまい、独りぼっちなのでございます」
それはこの一週間、彼女の口から何度も聞いた台詞。だが、その言葉に込められた感情があまりに神経を逆なでする。
「やめろ……不謹慎だぞ」
「そうかな? だって、お父さん死んじゃうんだよ?」
「まだ死んでない」
「どうせ時間の問題だよ」
「何言ってるんだよ……美波」
あれだけ豊秋を心配していた美波の言葉とは思えなかった。そして、彼女の首からはやはり黒ずんだ勾玉が下げられていた。
「でも大丈夫だよカイくん。私、もう悲しまないから。これからは一人で生きていけるよ。誰にも頼らずに」
「誰にも……」
やはりいつもの美波とは真逆だった。芝居の最中、皆で作り上げる舞台を彼女は嬉しがっていた。その美波の口から出た「誰にも頼らない」という全てを拒絶する言葉。
「だからね、カイくんにお願いがあるんだ」
「……何だよ」
「カイくんもね、死んで欲しいんだ」
いつものような柔らかな笑顔で、いとも簡単にその言葉を美波は吐く。そして、美波の周りで異変が起き始める。
「カイくんだけじゃない。御琴ちんも、深雪先輩も、まどかちゃんも……私と関わった全員、みんないなくなってもらわなくちゃ」
その足元に淡い青色の火が点る。それはたちまち彼女の足周りを巡り、燃え広がる。
「誰もいらない。誰にも頼らない……」
「ダメだ、やめろ美波!」
「でも大丈夫。だって、妖がずっと一緒だから!」
美波がその首に下げられていた勾玉を外す。そして頭上に掲げる。
「さあ来て! 私と一緒に行こう!」
「美波ーっ!」
海斗の言葉はもう届かない。炎が燃え上がる。大気が震え、勾玉を中心に風が集い始める。邪気が集い、その身を形作る。霊視ができない海斗ですら、その姿をはっきりと見ることができるほどに。
そして、勾玉を核に新たな存在がそこに出現する。全身を覆う赤みを帯びた褐色の毛、黒い耳、黒い脚。全長は美波の身長とほぼ同じくらいの大きさで、長い尾が振られるたびに、その先からは薄い青色の火が燃え上がる点は明らかにこの世のものではないことを示している。
『日本霊異記』、『遠野物語』、『和名類聚抄』、日本だけでも挙げればきりがないほどに数多くの昔話で現れ、ある時は敵として人を惑わせ、ある時は味方として人に寄り添う。その多くで怪しい術を使い、人に化ける話も数多く残る有名な妖怪――。
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