17 / 30
語られた生い立ち
しおりを挟む
すべて言い訳になるが、と再度前置きをして颯は口を開いた。
「結婚を躊躇っていたのは、オレが親と一緒の道を歩んでいるからなんだ」
「颯さんが?」
あかりは首を傾げる。あまり家のことは話したがらない颯ではあるが、あかりの記憶が正しければ、彼の両親はどちらも警察官ではないはずだ。
あかりの疑問に答えるように颯は続きを口にする。
「あかりにも何度か話していた両親は、実は戸籍上は養父母になるんだ」
突然の颯の告白に、あかりは絶句する。そんな話、今まで聞いたことないからだ。
驚いているあかりにフッと笑うと颯は続きを口にする。
「といっても、実の両親のことはほとんど覚えていないんだ。物心がつく前に殉職しているから」
「殉職……」
「そうだ。二人とも警察官だったらしい」
颯は一瞬遠い目をする。見たことのない表情だ。
「一歳頃までオレの家は神戸にあった。……意味はわかるな?」
「阪神淡路大震災……」
「そっ。被災者なんだ、オレ。まぁ、覚えてはいないし、運よく大阪市内の祖父母のところに預けられていたから被害には遭わなかったけど、共に夜勤の任についていた両親はアウトだったらしい。結婚している関係上、それぞれ別の所轄での勤務だったんだが、運悪くどちらも被害が大きい場所だったそうだ」
言葉を失っているあかりに苦笑した颯は向かいから手を伸ばして頭を撫でる。
「そんな顔するなって。今の両親は、母親の姉夫婦で、実子と分け隔てなく育ててくれていた。だから俺自身、中学の時に偶然戸籍謄本を見るまで、養父母が実の親だと思っていたくらいだ」
颯はそう言うと、胸ポケットから電子タバコを取り出して口に咥えた。一口二口吸うと、すぅ、と吐き出す息と共に言葉を押し出した。
「それまでも薄々はおかしいと感じることはあった。養父の方の祖父母の態度がオレと従兄弟で若干違うこと、そしてオレにだけ定期的に会いに来る年寄り夫婦。……戸籍謄本を見た後で腑に落ちたよ。その夫婦が父方の祖父母だと。彼らに面会している時に実父のことを尋ねて、それで両親の死因を初めて知った」
「知って……どうしたんですか? その、……育ててくださっている伯母様夫妻には」
別れた男に聞くには立ち入った質問である。が、あかりは思わず尋ねてしまっていた。
颯は気を悪くした様子もなく淡々と答える。
「まぁ、知ったところで言えないよな。黙っていた。ただ、実の両親が育ての親と違う事実に変に納得はしていた。幼い頃から何故か無性に警察官という仕事に憧れを抱いていたんだ。使命感といってもいい。親は……養父母はさり気なく警察官という職業をオレから遠ざけようとしていたが、そうすればするほど、焦がれていった。採用に有利だと知ってずっと柔道を続けていたくらいだしな」
ふぅ、と一息ついた颯は喉を潤すかのようにビールを一気に飲み干した。酒の勢いを借りないと話せないといった様子の颯は追加で同じものを頼むと、店員が運んでくるのを待って続きを口にした。
「高校に入ってから警察官になりたい、と告げた時は、養母に泣きながら引っぱたかれたよ。「なんで同じ道を歩もうとするの!?」ってな」
「颯さん……」
思わず声をかけたのは、颯が一瞬ツラそうに眉を寄せたからだ。
颯は軽く首を振ると、新しいタバコを咥えなおした。吐く息と共に続きを話し出す。
「しまった、という顔した母に、知っているというとまた引っぱたかれてな。「なんですぐ言わないの」って。……あの時はエラい目にあった」
思い出したように笑う颯は遠い目をしたきり黙って残ったタバコを吸いはじめた。しばらく沈黙した颯が何を考えていたのか、あかりには読み取れなかった。
颯もあかりに何かを言ってほしいとは思っていなかったようで、吸い終わるなりサラリと続きを口にする。
「まぁ、泣かれてもシバかれても警察官になりたい意志は変わらなかったし、最終的には家族は折れてくれた。だけど、その時母親が言ったんだ」
「なにをですか?」
「「警察官になるならアンタは一生独り身でいなさい」って。それくらいの覚悟を持って奉職しろってことだったんだろうが、当時のオレはまだ高校生で、結構ガツンと響いた」
「……そう、ですか」
颯の言葉にあかりは、どう答えたらいいかわからなかった。
颯の生い立ちに初めて聞くことで驚いたのは事実だ。同時に腑に落ちた。なぜ結婚に乗り気じゃないのかを。
育ててくれた養母に警官でいるなら独身でいろと言われたから。颯はあかりが結婚を口にした際に別れを選んだのか。
どちらも颯の心の奥に深く刺さったことからの行動である。
だが、とあかりは疑問に思う。そうであるならば、別れた後プロポーズしてきた颯の行動の辻褄が合わなくなるからだ。
颯は訝しがっているあかりの様子に気づいて、フォローするように口を開いた。
「当の本人はスッカリ忘れていて、今は「早く結婚しろっ!」って煩いんだがな……。だから、あかりが結婚したいと伝えてくれた時に別れを選んだのは、親は関係ない。オレ自身の意志だ」
「……っ!」
改めて颯の口から別れたのは彼自身の考えだと告げられると、あの時の足元が崩れ落ちる感覚が即座に蘇る。
無意識に手のひらを固く握りしめたあかりの手を包むように、颯の手が重ねられた。
「もちろん、養母の言った言葉が全く影響していないとは断言しない。だが、この職について思ったんだ。子どもが出来たら夫婦共に現役で居続けるのは難しい仕事だと。忙しいのは当たり前だし、家庭より現場優先だ」
「それは……」
颯の言うことは一理ある。結婚を機に激務を続けられないと辞めていく層は男女問わず一定数いる。
警察官である以上、一定期間での転勤はつきものだ。通える範囲で異動なら問題ないが、転居を伴うとなれば家族毎引っ越すか、単身赴任かを選択しないとならない。
昨今は配慮されてきているとはいえ、祖父母の助けなしに夫婦だけで子育てするのは厳しいものがある。
職務上仕方ないとはいえ、家庭を顧みない働き方を求められる場面も多い。昇給試験に合格し、責任のある立場になればなるほど、家庭が犠牲になる可能性は高まる。
だから警察官はバツイチも多いし、家庭の事情で忙しい部署から異動を希望する人も増えてきている。それが出世コースから外れたとしても。
もちろん、警察官は腐っても公務員だ。産休育休時短勤務など、福利厚生は整っているし、夫婦共に警察官の場合は配属先も考慮されるようになっている。
そんな状況にも関わらず、環境は劇的に変わっていないところをみると、まだ旧態依然とした環境が残っているせいであろう。
それが悪いことだと断じ切れないのは、あかりも現状をよく知っているからだ。
警察官は事件や事故が起こらないと忙しくならない。でも、そんな日は皆無である。
毎日大なり小なり事件や事故は起こっている。この瞬間にも。今でも小さい出来事には手が回らないくらいなのに。
平和な日常を求めているのは市民も警察官も同じだ。皆が少しでも安全に暮らしていくためには、ある意味仕方ない部分もあるのだ。
それで自らの家庭が壊れるのは本末転倒だと思わなくもないが、一警官として勤めているあかりは仕事熱心な人ほどバツがついたり、独身だったりする状況を痛いほど知っていた。
あかりの思考を読んだかのように、颯が話しだした。
「オレは器用な人間じゃない。付き合っていたから知っているだろが、今の仕事を全うしながら、家庭を両立する器用さは持ち合わせていない。気になる事件があれば自主的に残業するし、帳場が立てば何日も家には帰らない。そのことを当たり前だと受け入れてプライベートを犠牲にしているという感覚もない。わかるだろう?」
「……はい」
あかりはうなずく。颯の性格は嫌というほど知っているのだ。あかりが見てきた颯は優秀な警察官にはなれるだろうが、家庭を大事にする夫や父親という役割には向いていないのは事実である。
「決して中途半端に付き合ってきたわけじゃない。結婚だって考えていた。だけど、オレの根っことでもいうのかな、奥深くの部分に職業柄家庭を持つことにためらいもあった。必要な仕事だと分かっているが、自身の両親のように勤務中に死ぬ可能性だってゼロではない。そもそも今の働き方をしている自分に家庭を築けるか。そう思うと、どうしても二の足を踏んでしまっていた。……出世には結婚している方が有利だとわかっていたけれど、決断は出来なかった。……いい夫で父親になるイメージもなかったしな」
「そんな……」
颯はあかりの言葉に「事実だろう」と首を振る。
「そしてオレほどではないが、あかりも器用じゃないのは知っている」
不本意だったが、事実でもある。あかりはしぶしぶながらうなずいた。
「そんな仏頂面するなって。そこに惹かれたんだから」
一言で赤くなったあかりに、フッと颯は噴き出した。
「真面目で仕事熱心で、妥協を知らない。少々手を抜けば、と思うこともあるが、お前は優秀だよ」
手放しの称賛にあかりは照れてしまう。今日の颯はおかしい。こんなに直球を口にするタイプではないはずなのに。
あかりが戸惑っているのに構わず、颯は続けた。
「オレの血には記憶にすら残っていないけれど、職に殉じた両親と同じ血が流れている。思い出も残っていないのに同じ職についている身として任務を全うした両親のことを一人の警察官として尊敬するし、誇りに思っている。だが、その一方で同じ血が流れていることが怖かった。結婚はともかく、子どもを持つには向いていない証拠なのだから」
「……」
「だから誰とも結婚する気はなかった。不適合者なのは自分自身、痛いほど知っているんだからな。……本来ならあかりと付き合った時に伝えないといけなかったんだ。いや、そもそも付き合うべきではなかったのかもしれない。それでも……」
いつになく雄弁に話す颯は、半ば思い詰めた顔を浮かべながら、残っていたビールを飲み干した。
「オレはあかりが欲しかった。あかりが想いを伝えてくれた時、断ることも出来たのに。どうしてもオレのモノにしたかった。他の男に取られたくなかった」
「……っ!」
あかりは再び息を飲む。颯のぶつけてくる言葉の衝撃で、目の奥が熱くなる。
「覚悟は決めていたんだ。あかりと付き合うのは、将来を見据えての付き合いになる。分かっていて、自分の意志を曲げてまで手に入れたいと強い衝動に駆られていたのに、いざあかりに結婚を仄めかされ、怖気付いた。足がすくんだんだ」
自嘲するように笑うと颯は、ふぅと息をついた。
「結婚を了承する言葉が出てこない自分に愕然とした。だが、きっと本音なのだろうと。だから一旦距離を置こうと別れを受け入れたんだ」
自嘲するように笑った颯にあかりはかける言葉が見つからなかった。颯の口調は、自身を責めるようなものに変わる。
「それに高をくくっていたところがあった。一度離れたとしてもあかりはまだオレに気持ちが残っているだろうと。オレを差し置いてあかりを口説く男なんか現れないだろうと」
「……颯さん」
震える声で呼びかけたあかりを振り払うように、プロポーズをした時と同じような決意を秘めた顔をした颯は、真っ直ぐにあかりを見据えた。
「もう遅いかもしれないが、別れて、他の男が現れて、やっと覚悟が決まった。……今の仕事とあかり、一つしか選べないなら。オレはあかりを選ぶ」
颯の言葉に、堪えきれずあかりの目から涙が溢れ出る。
別れ話をした時も、別れた後も涙など流さなかったのに。溜めに溜めていた雫はダムが崩壊したかのように、止まらない。
何に対して涙が流れてくるのか、あかり自身にもわからない。だから颯に見られたくなくて目を伏せる。
ボタボタとテーブルの上に大粒の水滴が落ちるが、あかりにはどうしようもなかった。
そんなあかりの頭にそっと手を置いた颯は静かに訊ねた。
「二ヶ月前に決断できなくて、済まなかった。……まだ間に合うか?」
頷くことも首を振ることもできないあかりは、ただ、自身が零している雫をジッと見ているしか出来なかった。
「結婚を躊躇っていたのは、オレが親と一緒の道を歩んでいるからなんだ」
「颯さんが?」
あかりは首を傾げる。あまり家のことは話したがらない颯ではあるが、あかりの記憶が正しければ、彼の両親はどちらも警察官ではないはずだ。
あかりの疑問に答えるように颯は続きを口にする。
「あかりにも何度か話していた両親は、実は戸籍上は養父母になるんだ」
突然の颯の告白に、あかりは絶句する。そんな話、今まで聞いたことないからだ。
驚いているあかりにフッと笑うと颯は続きを口にする。
「といっても、実の両親のことはほとんど覚えていないんだ。物心がつく前に殉職しているから」
「殉職……」
「そうだ。二人とも警察官だったらしい」
颯は一瞬遠い目をする。見たことのない表情だ。
「一歳頃までオレの家は神戸にあった。……意味はわかるな?」
「阪神淡路大震災……」
「そっ。被災者なんだ、オレ。まぁ、覚えてはいないし、運よく大阪市内の祖父母のところに預けられていたから被害には遭わなかったけど、共に夜勤の任についていた両親はアウトだったらしい。結婚している関係上、それぞれ別の所轄での勤務だったんだが、運悪くどちらも被害が大きい場所だったそうだ」
言葉を失っているあかりに苦笑した颯は向かいから手を伸ばして頭を撫でる。
「そんな顔するなって。今の両親は、母親の姉夫婦で、実子と分け隔てなく育ててくれていた。だから俺自身、中学の時に偶然戸籍謄本を見るまで、養父母が実の親だと思っていたくらいだ」
颯はそう言うと、胸ポケットから電子タバコを取り出して口に咥えた。一口二口吸うと、すぅ、と吐き出す息と共に言葉を押し出した。
「それまでも薄々はおかしいと感じることはあった。養父の方の祖父母の態度がオレと従兄弟で若干違うこと、そしてオレにだけ定期的に会いに来る年寄り夫婦。……戸籍謄本を見た後で腑に落ちたよ。その夫婦が父方の祖父母だと。彼らに面会している時に実父のことを尋ねて、それで両親の死因を初めて知った」
「知って……どうしたんですか? その、……育ててくださっている伯母様夫妻には」
別れた男に聞くには立ち入った質問である。が、あかりは思わず尋ねてしまっていた。
颯は気を悪くした様子もなく淡々と答える。
「まぁ、知ったところで言えないよな。黙っていた。ただ、実の両親が育ての親と違う事実に変に納得はしていた。幼い頃から何故か無性に警察官という仕事に憧れを抱いていたんだ。使命感といってもいい。親は……養父母はさり気なく警察官という職業をオレから遠ざけようとしていたが、そうすればするほど、焦がれていった。採用に有利だと知ってずっと柔道を続けていたくらいだしな」
ふぅ、と一息ついた颯は喉を潤すかのようにビールを一気に飲み干した。酒の勢いを借りないと話せないといった様子の颯は追加で同じものを頼むと、店員が運んでくるのを待って続きを口にした。
「高校に入ってから警察官になりたい、と告げた時は、養母に泣きながら引っぱたかれたよ。「なんで同じ道を歩もうとするの!?」ってな」
「颯さん……」
思わず声をかけたのは、颯が一瞬ツラそうに眉を寄せたからだ。
颯は軽く首を振ると、新しいタバコを咥えなおした。吐く息と共に続きを話し出す。
「しまった、という顔した母に、知っているというとまた引っぱたかれてな。「なんですぐ言わないの」って。……あの時はエラい目にあった」
思い出したように笑う颯は遠い目をしたきり黙って残ったタバコを吸いはじめた。しばらく沈黙した颯が何を考えていたのか、あかりには読み取れなかった。
颯もあかりに何かを言ってほしいとは思っていなかったようで、吸い終わるなりサラリと続きを口にする。
「まぁ、泣かれてもシバかれても警察官になりたい意志は変わらなかったし、最終的には家族は折れてくれた。だけど、その時母親が言ったんだ」
「なにをですか?」
「「警察官になるならアンタは一生独り身でいなさい」って。それくらいの覚悟を持って奉職しろってことだったんだろうが、当時のオレはまだ高校生で、結構ガツンと響いた」
「……そう、ですか」
颯の言葉にあかりは、どう答えたらいいかわからなかった。
颯の生い立ちに初めて聞くことで驚いたのは事実だ。同時に腑に落ちた。なぜ結婚に乗り気じゃないのかを。
育ててくれた養母に警官でいるなら独身でいろと言われたから。颯はあかりが結婚を口にした際に別れを選んだのか。
どちらも颯の心の奥に深く刺さったことからの行動である。
だが、とあかりは疑問に思う。そうであるならば、別れた後プロポーズしてきた颯の行動の辻褄が合わなくなるからだ。
颯は訝しがっているあかりの様子に気づいて、フォローするように口を開いた。
「当の本人はスッカリ忘れていて、今は「早く結婚しろっ!」って煩いんだがな……。だから、あかりが結婚したいと伝えてくれた時に別れを選んだのは、親は関係ない。オレ自身の意志だ」
「……っ!」
改めて颯の口から別れたのは彼自身の考えだと告げられると、あの時の足元が崩れ落ちる感覚が即座に蘇る。
無意識に手のひらを固く握りしめたあかりの手を包むように、颯の手が重ねられた。
「もちろん、養母の言った言葉が全く影響していないとは断言しない。だが、この職について思ったんだ。子どもが出来たら夫婦共に現役で居続けるのは難しい仕事だと。忙しいのは当たり前だし、家庭より現場優先だ」
「それは……」
颯の言うことは一理ある。結婚を機に激務を続けられないと辞めていく層は男女問わず一定数いる。
警察官である以上、一定期間での転勤はつきものだ。通える範囲で異動なら問題ないが、転居を伴うとなれば家族毎引っ越すか、単身赴任かを選択しないとならない。
昨今は配慮されてきているとはいえ、祖父母の助けなしに夫婦だけで子育てするのは厳しいものがある。
職務上仕方ないとはいえ、家庭を顧みない働き方を求められる場面も多い。昇給試験に合格し、責任のある立場になればなるほど、家庭が犠牲になる可能性は高まる。
だから警察官はバツイチも多いし、家庭の事情で忙しい部署から異動を希望する人も増えてきている。それが出世コースから外れたとしても。
もちろん、警察官は腐っても公務員だ。産休育休時短勤務など、福利厚生は整っているし、夫婦共に警察官の場合は配属先も考慮されるようになっている。
そんな状況にも関わらず、環境は劇的に変わっていないところをみると、まだ旧態依然とした環境が残っているせいであろう。
それが悪いことだと断じ切れないのは、あかりも現状をよく知っているからだ。
警察官は事件や事故が起こらないと忙しくならない。でも、そんな日は皆無である。
毎日大なり小なり事件や事故は起こっている。この瞬間にも。今でも小さい出来事には手が回らないくらいなのに。
平和な日常を求めているのは市民も警察官も同じだ。皆が少しでも安全に暮らしていくためには、ある意味仕方ない部分もあるのだ。
それで自らの家庭が壊れるのは本末転倒だと思わなくもないが、一警官として勤めているあかりは仕事熱心な人ほどバツがついたり、独身だったりする状況を痛いほど知っていた。
あかりの思考を読んだかのように、颯が話しだした。
「オレは器用な人間じゃない。付き合っていたから知っているだろが、今の仕事を全うしながら、家庭を両立する器用さは持ち合わせていない。気になる事件があれば自主的に残業するし、帳場が立てば何日も家には帰らない。そのことを当たり前だと受け入れてプライベートを犠牲にしているという感覚もない。わかるだろう?」
「……はい」
あかりはうなずく。颯の性格は嫌というほど知っているのだ。あかりが見てきた颯は優秀な警察官にはなれるだろうが、家庭を大事にする夫や父親という役割には向いていないのは事実である。
「決して中途半端に付き合ってきたわけじゃない。結婚だって考えていた。だけど、オレの根っことでもいうのかな、奥深くの部分に職業柄家庭を持つことにためらいもあった。必要な仕事だと分かっているが、自身の両親のように勤務中に死ぬ可能性だってゼロではない。そもそも今の働き方をしている自分に家庭を築けるか。そう思うと、どうしても二の足を踏んでしまっていた。……出世には結婚している方が有利だとわかっていたけれど、決断は出来なかった。……いい夫で父親になるイメージもなかったしな」
「そんな……」
颯はあかりの言葉に「事実だろう」と首を振る。
「そしてオレほどではないが、あかりも器用じゃないのは知っている」
不本意だったが、事実でもある。あかりはしぶしぶながらうなずいた。
「そんな仏頂面するなって。そこに惹かれたんだから」
一言で赤くなったあかりに、フッと颯は噴き出した。
「真面目で仕事熱心で、妥協を知らない。少々手を抜けば、と思うこともあるが、お前は優秀だよ」
手放しの称賛にあかりは照れてしまう。今日の颯はおかしい。こんなに直球を口にするタイプではないはずなのに。
あかりが戸惑っているのに構わず、颯は続けた。
「オレの血には記憶にすら残っていないけれど、職に殉じた両親と同じ血が流れている。思い出も残っていないのに同じ職についている身として任務を全うした両親のことを一人の警察官として尊敬するし、誇りに思っている。だが、その一方で同じ血が流れていることが怖かった。結婚はともかく、子どもを持つには向いていない証拠なのだから」
「……」
「だから誰とも結婚する気はなかった。不適合者なのは自分自身、痛いほど知っているんだからな。……本来ならあかりと付き合った時に伝えないといけなかったんだ。いや、そもそも付き合うべきではなかったのかもしれない。それでも……」
いつになく雄弁に話す颯は、半ば思い詰めた顔を浮かべながら、残っていたビールを飲み干した。
「オレはあかりが欲しかった。あかりが想いを伝えてくれた時、断ることも出来たのに。どうしてもオレのモノにしたかった。他の男に取られたくなかった」
「……っ!」
あかりは再び息を飲む。颯のぶつけてくる言葉の衝撃で、目の奥が熱くなる。
「覚悟は決めていたんだ。あかりと付き合うのは、将来を見据えての付き合いになる。分かっていて、自分の意志を曲げてまで手に入れたいと強い衝動に駆られていたのに、いざあかりに結婚を仄めかされ、怖気付いた。足がすくんだんだ」
自嘲するように笑うと颯は、ふぅと息をついた。
「結婚を了承する言葉が出てこない自分に愕然とした。だが、きっと本音なのだろうと。だから一旦距離を置こうと別れを受け入れたんだ」
自嘲するように笑った颯にあかりはかける言葉が見つからなかった。颯の口調は、自身を責めるようなものに変わる。
「それに高をくくっていたところがあった。一度離れたとしてもあかりはまだオレに気持ちが残っているだろうと。オレを差し置いてあかりを口説く男なんか現れないだろうと」
「……颯さん」
震える声で呼びかけたあかりを振り払うように、プロポーズをした時と同じような決意を秘めた顔をした颯は、真っ直ぐにあかりを見据えた。
「もう遅いかもしれないが、別れて、他の男が現れて、やっと覚悟が決まった。……今の仕事とあかり、一つしか選べないなら。オレはあかりを選ぶ」
颯の言葉に、堪えきれずあかりの目から涙が溢れ出る。
別れ話をした時も、別れた後も涙など流さなかったのに。溜めに溜めていた雫はダムが崩壊したかのように、止まらない。
何に対して涙が流れてくるのか、あかり自身にもわからない。だから颯に見られたくなくて目を伏せる。
ボタボタとテーブルの上に大粒の水滴が落ちるが、あかりにはどうしようもなかった。
そんなあかりの頭にそっと手を置いた颯は静かに訊ねた。
「二ヶ月前に決断できなくて、済まなかった。……まだ間に合うか?」
頷くことも首を振ることもできないあかりは、ただ、自身が零している雫をジッと見ているしか出来なかった。
0
あなたにおすすめの小説
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜
野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」
「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」
この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。
半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。
別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。
そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。
学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー
⭐︎第3部より毎週月・木・土曜日の朝7時に最新話を投稿します。
⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。
※表紙絵、挿絵はAI作成です。
※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。
時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】
remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。
佐倉ここ。
玩具メーカーで働く24歳のOL。
鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。
完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。
【完結】ありがとうございました‼
氷雨と猫と君〖完結〗
カシューナッツ
恋愛
彼とは長年付き合っていた。もうすぐ薬指に指輪をはめると思っていたけれど、久しぶりに呼び出された寒い日、思いもしないことを言われ、季節外れの寒波の中、帰途につく。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる