ソナチネ

透子

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第一章

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「九条葵くんです。」

玄関を開けて走って来たさくらに葵くんを紹介する。さくらは葵くんの顔を不思議そうに見つめた後、ニッコリと笑って「こんばんは!」と明るく挨拶をした。

葵くんは少しびっくりしながらも「こんばんは。」と小さな声で挨拶を返した。

「さあ、上がって上がって。」

遠慮がちな彼を私とさくらでほぼ強制的にリビングへと連れて行く。

義理の母が葵くんを見て驚く。

「………どちら様?」

睨むように葵くんを見る義理の母に、

「お隣に住む九条葵くんです。ちょっと事情があって、今晩だけうちで預かることになったんです。」

と、説明する。

「……よろしくお願いします。」

葵くんは義理の母の視線に怯えつつも、小さな声で挨拶をする。

「どうも。」

葵くんの挨拶に素っ気なく挨拶を返した義理の母は、私を一瞬睨み、さくらの元へと歩いて行った。

義理の母が私に対して怒りのようなものを感じているのは分かったが、かと言って葵くんを外へ放り出すことも家へ返すことも出来ない。

「ごめんね、気にしなくていいから。適当に座ってて。夕食、作るから。」

義理の母に聞こえない声で葵くんに言って、私はキッチンへ向かう。

葵くんはどうしたらいいのか分からない様子でリビングに立ち尽くしていた。

確かに、そう簡単に人の家のリビングに座るわけにもいかないか。

「葵くん、キッチンで一緒に夕食作ろっか。」

立ち尽くす葵くんをキッチンへ呼び、二人で夕食を作ることにした。

いつものように、さくらの分と夫の分は義理の母が作っていたから、私と葵くんの分を二人で作ることにした。

「葵くんの家は、九条さんが夕食作るんでしょ?私のパート先のスーパーでよく九条さんに会うんだけど、いつも夕食の食材買って帰ってるよー。九条さん、料理上手そうだよねー。」

私が九条さんの話をするのを葵くんは黙って聞いていた。ふと、手元を見ると、少しだけ手が震えていた。葵くんが家に帰りたくない原因は、九条さん……?そんな考えが頭をよぎったけど、まさかそんなはずはないと自分に言い聞かせる。

何故、あの時あんなに涙を流していたのか、今どうしてこんなに手が震えているのか、私は結局聞けなかった。

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