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新生活と詐欺と借金と

やさしいぼっちゃま

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 二人はベッドに腰を落ち着かせていた。

「もう平気か? 身体は動くか?」

 フォルテはピアニーの身体を労わる。

「……今日のぼっちゃま、すごく優しいですね」
「気味が悪いか? だったらまた鼻をつまんでやる」
「もう、それはいいですから!」
「ったく、手間のかかる女だ……」

 そう言うと彼女とは逆方向の誰もいない空間に顔を向ける。

「ぼっちゃま……さっきから幽霊が見えているのですか?」
「あ? どういう意味だ、それ?」
「それとも……私の顔を見たくありませんか」
「……どうしてそういう解釈になる」
「だって……いっぱい迷惑をおかけしました。私なんかのために大金まで失ってしまいました」
「……そうだな。お前が一生働いても返せないだろう金額を払った」
「そんな私に、嫌気がさしてしまったんですよね!? 視界に入れたくないほど嫌いになってしまわれたんですよね!?」
「……んなわけあるか」

 フォルテは振り向き、ピアニーの額に頭をぶつける。
 そして額を押し付けたまま説教を始める。

「良く聞け、ピアニー。俺は確かに大金を払った。しかしちっとも無駄遣いだなんて考えていない。お前にはそれだけの価値がある」
「一介の田舎育ちの私にですか?」
「そういやまだ言ってなかったな。お前を家庭教師として雇った理由」
「……私以外に受け持つ人がいなかったからですか?」
「コネを持とうと家庭教師として名乗り出る輩なんて腐るほどいるわ」
「じゃあ、どうして」
「言わなきゃわかんないか、この馬鹿は」
「……はい。言われないとわからないです。馬鹿なので」
「……惚れたからだ」
「ふええ!? 惚れた!!? ぼっちゃまが私にですか!!?」
「……お前の、ピアノに」

 男フォルテ、ごまかす。

「あ、そっちですか……」
「残念か?」
「……はい、少し」
「そうかそうか」
「なんで嬉しそうなんですか?」
「まあとにかく、俺は惚れたんだ。お前に……ピアノに」
「でも、審査員にも観客にも低評価でして」
「ああ、それは仕方ない。くそったれの事実だがあの場所ではお前の音楽は評価されない」

 時代は、風潮は富をもたらす戦争を良しとしていた。高く評価される人気曲はどれも兵隊を鼓舞したり、同盟国をもてはやすための軍歌ばかり。
 演奏会に招待された客の中には隣の工業国の士官もいた。
 その中でピアニー・ストーリーは前代未聞の大逆走を見せた。
 それは弾き始めて前奏も終わらぬ五秒の出来事。

「すみません! このピアノ、調律が甘いです!!」

 そう言って演奏する手を止めて、舞台裏に引き下がったかと思うと工具を持ってきてその場で調律を始めた。
 舞台の上には奏者しか上がることは許されない。魔法を発動する気配を見せればすぐさま幕が下りて矢の雨が降るが、主催者も予想外の出来事に困惑して見守ることしかできない。
 奏者に許された時間は三十分。そのうちの二十分を調律に当てる。つまり二十分も観客を待たせた。ないがしろにしてしまった。彼女は完璧な演奏を求めた。しかし観客は完璧な演奏を求めていなかった。どんなに下手であれ音楽を聞きたかった。この認識のズレの悲劇は音楽分野以外でもたびたび起きている。
 工具を足元に置いたまま演奏を始める。元々演奏するつもりだった曲を紙に書かず脳内で編曲し十分にまとめる。
 テーマは四季。豊かな自然に感謝を捧げる田園曲。即席で編曲したと思えぬ美しい演奏だったがしかし捉え方によっては平和を愛する、反戦争のメッセージに聞こえてしまった。
 ゆえに演奏を止めたからだだけでなく、流行、世論、政治的な計らいもあってピアニーは演奏会史上最低得点を叩き出してしまった。

「お前を見てると馬鹿に限界はないんだなって思い知らされたぜ」

 演奏会にはフォルテも同席し、一連の流れを目撃していた。
 場の空気に飲まれガチガチに緊張してピアノに座ったくせに、調律が甘いと言い出す気の弱いのか強いのかわからない完璧主義者。
 即席でアレンジをする高い能力を持ちながら、時勢をまったく読まないで己が信念を突き通す滑稽な愚か者。
 あの時、あの場所、パトロンを得ようと利口ぶる実力者たちよりも、誰よりも音楽を愛し楽しんでいた。
 その姿を見てフォルテは忘れていた何かを思い出した。

「世間知らずなのは認めますがあんまり馬鹿って言わないでくださいよ! けっこう傷ついてるんですからね!」
「あはは、悪い悪い」

 フォルテは自然と手のひらをピアニーの頭の上に乗せてしまう。

「あっ……」

 撫でられたピアニーは声を漏らす。

「あ、すまん、嫌だったか」
「い、いえ、むしろ逆です。その……よろしければもう一度頭を撫でててくれますか」
「お前が良いなら、まあ……」

 フォルテの指が栗毛色の頭の上で滑る。

「……お前、髪の毛の色、こんなだったんだな……」
「……ああ、はい……いつもは頭巾を被っていましたものね……」
「……けっこう、きれいなんだな」

 異性に容姿を褒められ、顔を赤くする。

「……なんだか髪を晒すだけでも気恥ずかしいです」

 髪の毛よりももっと恥ずかしい部位を晒してる、などとムードをぶち壊すような発言をフォルテはしない。
 言った本人も自分の格好を思い出し、さらに顔を赤くする。
 お互い、格好には触れないように気配りする。

「……そ、それにしてもぼっちゃまがそこまで私のピアノを高く評価してくれているとは思いませんでした。いつも怒ってばかりだったので迷惑かとばかり」
「……怒ってばっかで悪かったな。楽しくてつい、調子に乗ってしまう」
「……今日のぼっちゃま、いつもより素直です。本当にあのぼっちゃまですか」
「お前な……」
「待って! 鼻はストップです! もうお鼻は店じまいです!」
「なんだよ、それ。ははは」

 怒ってばかりの、誰も寄せ付けようとしない貴公子。
 それが木漏れ日のような温かな笑顔を浮かべる。
 それを見てピアニーは心を痛める。

「……ぼっちゃま、謝りたいことがあります」
「謝りたいことだらけじゃないか、いつも」
「その通りすぎて返す言葉もないんですが、聞いてください。私はぼっちゃまを疑っておりました。本当に優しいお方なのに裏で何か企んでいるのではないかと何度も考えてしまいました」
「……それは、仕方ないことさ。いいや、その疑いは正しい。うちはそういう家系だ。お前が思うよりもずっと血塗られた……それは俺も変わりなくて」
「でも、ぼっちゃまは私を助けてくれました!」

 ピアニーはフォルテの手を掴む。

「私はこの恩を絶対に忘れません。お金は……全額返せないかもしれませんが代わりにぼっちゃまのためだったら、なんでもします!」
「なん、でも……」

 ピアニーは無自覚に大人の女の色香を振りまいてしまう。
 自分の身体が、言葉が、引き金になるとは夢にも思っていなかった。
 フォルテの身体が熱くなる。熱が排出しようと暴れ出す。

「っあ、くそ! もう、我慢の限界だ!」
「ぼっちゃま?」
「ピアニー。なんでもするって言ったよな」
「確かに言いました」
「じゃあ、早速やってもらおうか」
「はい、なんでも言ってください」
「じゃあ手始めに、俺のちんこをしゃぶれ」
「はい、わかりました。ぼっちゃまの……え?」
「……いいか、ピアニー。俺がお前の思っているような聖人じゃないと教えてやるからな、覚悟しろ」
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