竜宮島の乙姫と一匹の竜

田村ケンタッキー

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英雄の褒美 夜

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「うわあおぼれ死ぬ!?」

 蹴り上げた布団が天井まで届き、竜之助の頭に落ちる。

「地獄にこんなふかふかな布団はねえよな……っつうことはまだ生きてるわけだ」

 布団をよけると部屋に照明はなく、はこぼれる月明かりのみ。
 暗さで部屋の隅々まで見渡せないのにやけに落ち着く。
 
「ここは……広間とは違うか……」

 畳と障子だけの殺風景な部屋と違い、掛け軸や置物、書物が積まれている。
 食べ物の匂いはこびりついておらず、ほんのりとお香が上品に漂っている。

「お、起きたか」

 机に向かっていた美女が竜之助の目覚めに気づく。

「……今度は間違えないぞ、お姫さんだろ」
「ん? 何を当たり前なことを言ってるんだ?」
「……あんま当たり前じゃないんですけどね」

 一日に春夏秋冬が巡るように、乙姫の容姿雰囲気は妖艶に変化する。
 今は寝巻の姿だ。風呂上りなのだろう、髪は湿り気を帯び、女の芳香を漂わせている。

「昼間については本当に悪かったな。父上たちが帰ってきてたのでつい浮かれてしまったようだ……体調に問題はないか」
「姫さんでも肩の荷が下りたら浮かれるんですね……特に吐き気はしませんが……どうしてだか、首回りがいまだに痛むんですよね」
「うっ!? それは、すまないことをした……」
「え? なんで謝るんです?」
「すまない、とにかくすまない……」

 居心地悪そうな乙姫。彼女の背中には机と書きかけの紙。

「こんな夜まで勉強ですか?」
「あぁ、これのことか。勉強とは違う。これは趣味で続けている日記だ」
「日記ですか。俺も小さい頃は読み書き覚えるために書かされましたね。修行の二文字で片づけられるのに紙いっぱいになるまで書かないと駄目と条件付けられて必死に書きましたよ」
「どうやって紙いっぱいに書き込んだのだ? 修行の内容を事細やかに書いたのか?」
「まさか。嘘を書いたんですよ、嘘」
「嘘……?」
「そうですよ。今日はおいしいものを食べたとかお師匠様に優しくされたとか。筆が乗った時は河童と相撲を取ったとかツチノコを捕まえたとかも書きましたね。おかしなことに、ずっと一緒にいて嘘だとバレバレなのにお師匠様はそれで認めてくれたんですよ。まあ今となって考えてみると嘘でもいいから数をこなせってことだったのかもしれませんね」
「あはは! なんだそれは! 嘘でたらめを書くのか、日記なのに!」
「普通じゃないってのはわかってますよ。お姫さんの日記と違って俺のは出鱈目だらけなんですよ」
「出鱈目だらけ、か……よく考えてみると私は竜之助のことを笑えないのかもな……」
「お姫さん?」
「私は日記にとりとめのないことを書き綴っている。民たちとこんな話をしたとか、珍しい鳥を見たとか、季節外れの花を見たとか。そして最後には決まって竜宮家の人間として責務を全うしたいと締めくくっている」
「それのどこが出鱈目なんです?」
「竜之助ならわかるだろう。私は……口だけで肝心な場面で逃げ出そうとしたのだ。私はこの日記を、あの日から欠かさずに書き続けている。ずっと、ずっと自分を欺いて──」
「だぁかぁらぁ、それのどこが出鱈目なんです?」
「竜之助?」
「姫様はしっかり責務を全うしましたぜ。少なくとも俺はこうして生きている。あなたは最後の最後に踏ん張ってくれたからだ。あの時くじけていたら間違いなく俺はあの世に行っていた。感謝してる。あなたは立派ですよ」
「立派なものか……長らく連れ添っていた家臣に手痛い裏切りを食らったのだからな」
「そういや浦し……桐生の野郎はどうしたんです? 聞きそびれていましたが」
「奴は……龍神様の裁きにあった」
「あぁ……そいつは……ご愁傷様です……」

 乙姫であれば裏切者である浦島を殺さずに制圧し反省を促すと考えていた。しかし現実はそこまで甘くなかったようだ。

「隙を突かれて逃げ出されてしまった……よりにもよって沖のほうに……」
「じゃあ自業自得じゃねえですか。姫様は悪くないですよ」
「慰めはよしてくれ。奴の恨みの原因や、腹の内を見抜けなかったこと、裏切る隙を見せた、どれも私の未熟さからだ。そしてそのせいで……何一つ悪くない……さよりを……失ってしまった……」

 今回の騒動で唯一の傷にして致命傷。それがさよりだ。彼女の被害は桐生にとっても計算外だった。思えばあそこは分岐点であったのかもしれない。全てが計算通りに行かないと知り、裏切りを思い止ませる、最後の良心の砦だった。だが彼女は警告を無視して傾国となり身を滅ぼした。

(そんな奴の当然といえる最期も……この人は胸を痛めちまうんだな……死ぬならあずかり知らないところで死ねよな、ったく……)

 ぼろりぼろりと涙を流す乙姫を見て、竜之助は恨めしく思う。
 まじめな人の涙は苦手だ。見ていても辛い気持ちになるだけだから。

「さよりは……きっと私とこの島を嫌っていたんだ……それでも生きるためにずっと吐き出せずに辛い思いをしていたに違いない……私のわがままで生かされ、私の不始末で犠牲になった……生きてる間も今際もきっと、私のことを憎んでいたに違いない」
「そりゃあ違うぜ!」

 ここぞとばかりに竜之助は乙姫の手を取る。

「何が違うものか……どうしてお前がそんなことを言える……」
「すまねえ、あれからいろいろあったから言いそびれていた……さよりのばあさんの最期の言葉だ……俺はちゃんとあの人の意志を聞き届けたんだ」
「……さよりはなんと言っていたのだ?」
「この島と……おとちゃんを守ってくれだってよ」
「おとちゃん……本当に、おとちゃんと、さよりが言ったのか!?」

 鼻先がぶつかりそうになるほど乙姫は竜之助に詰め寄る。
 ふわりと芳香で目を回しそうになりながら答える。

「お、おう……やっぱり、おとちゃんってのは……」
「あぁ、私のことだ……二人きりの時にしか使わない呼び方だ。おそらくばあやですらこのことを知らない……二人だけの秘密の呼び方で……そうか……まだ、覚えて……」

 あふれていた涙が加速する。
 今度の涙は見ていても辛くはなかった。
 乙姫がわずかに笑顔を取り戻していたからだ。

(よかった……少しは元気出してくれたようだな……これで俺は……)

 不意打ちで竜之助の手が乙姫の胸に抱き寄せられる。

「なっ、はっ!?」

 とんと女経験のない童貞のような反応をしてしまう。

「竜之助……本当に、本当にこの島に来てくれて、ありがとう……お前がいなければこの島は何一つ守れなかった……」

 寝巻は薄い生地。乙姫の温かく柔らかい感触が直に伝わる。
 いまさらながら竜之助は当たり前の事実に気づく。

(っつうか、もしや、ここはお姫さんの寝室か!?)

 うまくいきすぎな期待、妄想を膨らませてしまう。

(いやいや落ち着け俺……いつぞやの二の舞だぞ……)

 身体の一部を膨らませてしまう前に冷静さを取り戻す。

「さ、さて、夜も更けてきたし、そろそろ広間に戻りますかね~」

 だが乙姫の手は離れない。むしろ竜之助を側に寄せる。

「広間に布団はない。酔いつぶれた家臣たちが寝転がっていてとてもじゃないが寝るのは無理だろう」
「へ、へえ、俺は別に廊下でも眠れるんですけどね」

 引き寄せる力はさらに強まる。

「……竜之助。お前がこの島に来た理由はなんだ」
「えっと、そりゃ……」

 女を抱くため。そんな邪な気持ちでこの島に踏み入った。
 死の淵から蘇った身だがしっかりと性欲は残っている。あれだけ血を流したというのにいまや睾丸は破裂寸前。
 いまさら白状するほどのことではないが、乙姫にしっかりと欲情している。胸にも尻にも髪にも足にも、男として何とも思わないわけがない。
 もう一押し。もう一押しがあれば仙人のもとで修業して培った理性が吹き飛ぶ。

「竜之助」
「は、はい、なんでしょう……」
「私も子供ではない……あんまり……恥をかかせないでくれ」

 あざとさすら感じさせる照れの仕草に女を感じずにはいられなかった。

「っ……!」

 理性が吹き飛び、獣のように押し倒す。
 服をはぎ取ろうとしたときにはっと我に返る。

「お、俺は、なんてことを!」

 眼前に乳首をあらわにして横たわる乙姫。

「……なんだ、私は魅力不足ではなかったか?」

 笑みを見せ、余裕を見せようとしているが声は震えている。
 片方の乳首をさらしただけでも顔を赤く染めていた。

「っ~!」

 喉が渇く。どんな水や酒でも決して潤わない喉の渇き。この渇きは乙姫にしか潤せない、癒せない。

「お、おれは! あんたが思っているほど立派な人間じゃねえ! あんたのことを抱いていい、いや好いてもいい資格はないんだ!」
「なんだ、その資格とは」
「……心がないんだ。人を切っても、心が痛まねえんだ。最低な人間なんだ。そんな男が、あんたみたいな人に触れていいわけが……」
「……あるではないか」

 乙姫が竜之助の胸をつつく。

「……人を切っても心が痛まないと気を病んでいるのだろう。なら、それこそが心がある、なによりの証拠ではないか」
「っ……! いや、やっぱ俺は最低だ……こんな優しくて、こんな俺を受け止めてくれる人を……今は、めちゃくちゃにしたいと思っている……」

 棍棒は極限まで腫れあがっていた。乙姫の身体にはやや不釣り合い。

「竜之助」
「……なんでしょう」
「……このままでは風邪をひいてしまう。早く温めてくれ」
「っひめさん!!!」

 竜之助は乙姫の柔肌にしゃぶりつく。

「竜之助、ひとつ、お願い、があるっ」

 暴虐をありのままに受け止めながら痺れながら願いを言う。

「名前で、ん、名前で、よん、で」
「乙姫!」
「んんん、ああっ」

 名前を呼ばれて痺れが増す。


 この夜、竜之助は女を、乙姫は男を知った。
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