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ほつれ
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新体制初日は当たり前のように普通に流れていく。
村民は任された仕事をいつも通りにこなしていく。普段とまるで代り映えのしない生活。楽にはならないが苦にもならない。
それもそのはず、トップは変わったがルール変更に一切着手していない。当然だ、何も変えないのがビクトリアの、エミリの公約なのだから。何かを変えるのが政治だが、何も変えないのもまた政治。
エミリもまた普段となんら変わらない生活を送っていた。ただ一つ、とある一点については目を光らせていた。
「すみません、クラトス……さんを見かけませんでしたか」
普段クラトスと仕事をしている男性に話しかけた。
「ははっ、負け犬の顔を拝みに来たのか」
「いえ、そんなつもりでは……少し心配で」
「はは、冗談さ。意外や意外にも普段通り顔出してるぜ。昨晩はコテンパンに負けたってのに」
男性は貴重な休憩時間中だったが気さくに対応した。言葉こそ嫌味らしいが演技でない笑顔を浮かべていた。
「そうですか、いつも通りに仕事をされているんですね」
「ああ、なんだったら前よりも清々しい顔になってるくらいだ。なんでも一人で抱え込む性格だからな、ちょうどよかったのかもな」
「良かった。普段通り仕事をして不満を抱かれていないんですね」
「ん? 不満ってエミリちゃんに対してかい?」
「あ、いえ、なんでもありません。忘れてください。私、そろそろ仕事に戻りますね。ありがとうございました」
「ここまで来たってのにクラトスには会っていかないのかい?」
「会っても気まずくなるだけですから」
「そりゃそうかもな。でもエミリちゃんが心配してたとは伝えてもいいよな?」
「ご自由にどうぞー」
エミリは手を振ってその場を離れる。
「はあ、よかった。クラトスは怪しい動きせずに現状に満足しているようで何よりです。一か八かで暴動なんて起こされたら処理が面倒ですからね」
男に嘘をついている様子はなかった。本気で暴動を起こすなら男に話を回すはず。
「でも気を緩めちゃダメですね。他の人にも聞いて回らないと」
エミリは網を張っていた。クラトスが暴走しないように。
しかし肝心の網には穴があった。その穴とはエミリにとって自然と心理的に忌避したくなる──女性だった。
他にも計算違いがあった。クラトスの暴走は長年リーダーを務めたものとは思えない、子供の家出のように場当たり的で幼稚だった。
クラトスがリーダーを降りて一週間。それは起きた。
発覚したのは早朝のことだった。エミリはビクトリアの慌てた大声で目を覚ます。
「エミリ! 起きて! 大変なの!」
「ん……どうしました、エルフ様……台所にネズミでも出ましたか……」
「そんなことよりよっぽど大変なことよ! クラトスがいなくなった! クラトスだけじゃない、女性もいっぱい!」
「……まさか!?」
エミリはすぐさま身支度を整えて外へと出た。
すでに騒ぎを聞きつけて多くの人が集まっていた。この時間帯はまだ家で眠っている男たちもいる。
その中にはつい先日、エミリに気さくに会話したクラトスの仕事仲間もいた。
「おお、エミリにエルフ様か……まんまとやられちまったな」
「エルフ様から話を聞きました……クラトスたちがいなくなったと」
「ああ、それも失踪じゃなく脱走ってところだな。あいつ、まだ諦めていなかったみたいだ」
異常事態に気づいたのは門番だった。クラトスとその他大勢が突然村の外に出ていこうとした。当然何があったのか呼び止めたのだが、
『ちょっと村の外へ薬草を採ってくる。すぐに戻るよ』
薬草を採りに行くにしては大荷物であったが門番は相手が元リーダーであるクラトスだっただけに特に疑いもせずにみすみす送り出してしまった。
「んで、これがクラトスの家にあった書き置き」
書き置きには村の外に護衛を待たせていること、一部の村民を移転すること、移転先から手紙を送り近況報告するということ……いくら読み進めても謝罪の言葉はなかった。
「……クラトスの考えはだいたいわかりました。移転先が不安だというならまずは自らが飛び込み安全を証明しようと……これが彼の思う誠実さなら……なんて傲慢なのでしょう」
この後抜け出した人数を集計し、その人数は先日クラトスに投票した票の数と一致すると判明した。
クラトスは施政の不安要素であったが排除するべき存在ではなかった。むしろ彼が抜けてしまったことにより、村の運営はより厳しいものになる。
「あの馬鹿野郎……まだ諦めていなかったんだ……なんで、俺に話してくれなかったんだよ……話してくれれば俺は……」
「まさかクラトスがいなくなるとは……お灸を据えるつもりでエルフ様に入れたのにこんなことになるとは……なんて馬鹿なことをしてくれたんだ……それとも私が馬鹿だったのか……」
「どうすんだよ! どうせエルフはだめだからすぐにクラトスがリーダーに復帰するだろうと思ってたのに! こうなるんだったらクラトスのままでよかったぜ!」
クラトスは欠けてはならない保障だったのだ。彼はそのことに気づかず、村民の思いも知らずに突っ走ってしまった。
柱が抜けたことにより村の混乱は加速する。
「今からでも遅くない、追いかけようぜ」
「待って、私も連れて行ってよ!」
中にはクラトスに続いて抜け出そうとする者も現れる。その数は少なくない。
「待って、待ちなさい! 追いかけるたってどこへ!? 移転先の方角もわからないんでしょう!? 無謀よ!」
ビクトリアは冷静に引き止めるも、
「うるせえ! 無能エルフ! 耳が良いくせしてみすみす脱走を見逃してるんじゃねえ!」
「ひぃっ」
大柄な男の本気の怒りに尻込みする。今にも殴りかかってきそうな殺気を浴びて身体が固まる。
混乱の渦が最高潮に達し、バラバラに引き裂かれる直前、
「皆さん!!! お静かに!!!!」
パアン! と拍手付きでエミリが抑え込む。
皆が彼女に注目する。次の言葉を窺がう。
しかし次の言葉は酷く冷たいものだった。
「……それでは皆さん、持ち場に戻ってください。今日も精一杯頑張りましょう」
まるで何事もなかったかのように流してしまう。
極論、そうするしかなかった。
いまさらクラトスを追いかけようとも合流できる見込みは少ない。
ならば今日のため、明日のため、昨日の続きを続けるしかない。
村民のほとんどが理解していた。理解した上で途方もない虚無感に脱力する。
しかし中には理解できない者もいた。
「なんだそりゃあ! ふざけんじゃねえ!」
ビクトリアを驚かせた大柄な男だった。
「私、ふざけたことを言いましたか?」
エミリは毅然とした態度で言い返す。
「今からでも追いかけるべきだ! クラトスも言っていただろう! この村はもうおしまいなんだよ!」
男は怒鳴りながらどんどんエミリに詰め寄っていく。
「準備も護衛もなしに追いつけるとでも? この村は終わりません。エルフ様がいらっしゃいますので」
エミリは一歩も引かない。毅然とした態度を崩さない。
「俺に口答えしてんじゃねえ!」
男は拳を振り上げたその瞬間、二人の間に火柱が立つ。
「ひぃっ!!?」
突然のことに男は尻もちをつく。
「……あんた、エミリを殴ろうとした?」
ビクトリアが魔法で割って入ったのだった。
「いけません、エルフ様。貴重な魔力をこんなところで使われては」
エミリは鼻の先で火柱が立ったというのに涼しい顔。
施政はビクトリアだけでは成り立たない。エミリだけでは成り立たない。二人一緒でなければ成立しない。
「……腰が抜けてしまったのですか? 手を貸しましょうか?」
エミリは男に手を差し伸べるも、
「いらねえよ! くそが!」
男は悪態付きながらその場を去った。
「……間一髪だったわね、エミリ。無茶しないでよ、もう」
深く息を吐くビクトリア。
「……けませんね」
エミリは小さく呟く。それは耳の良いビクトリアにしか聞こえない。
「……ああいう危険分子は排除しなくてはいけませんね」
その日のうちに村に新たな掟が追加された。
それは脱走を禁じるものではなく、エルフの侮辱を禁じるものだった。
村民は任された仕事をいつも通りにこなしていく。普段とまるで代り映えのしない生活。楽にはならないが苦にもならない。
それもそのはず、トップは変わったがルール変更に一切着手していない。当然だ、何も変えないのがビクトリアの、エミリの公約なのだから。何かを変えるのが政治だが、何も変えないのもまた政治。
エミリもまた普段となんら変わらない生活を送っていた。ただ一つ、とある一点については目を光らせていた。
「すみません、クラトス……さんを見かけませんでしたか」
普段クラトスと仕事をしている男性に話しかけた。
「ははっ、負け犬の顔を拝みに来たのか」
「いえ、そんなつもりでは……少し心配で」
「はは、冗談さ。意外や意外にも普段通り顔出してるぜ。昨晩はコテンパンに負けたってのに」
男性は貴重な休憩時間中だったが気さくに対応した。言葉こそ嫌味らしいが演技でない笑顔を浮かべていた。
「そうですか、いつも通りに仕事をされているんですね」
「ああ、なんだったら前よりも清々しい顔になってるくらいだ。なんでも一人で抱え込む性格だからな、ちょうどよかったのかもな」
「良かった。普段通り仕事をして不満を抱かれていないんですね」
「ん? 不満ってエミリちゃんに対してかい?」
「あ、いえ、なんでもありません。忘れてください。私、そろそろ仕事に戻りますね。ありがとうございました」
「ここまで来たってのにクラトスには会っていかないのかい?」
「会っても気まずくなるだけですから」
「そりゃそうかもな。でもエミリちゃんが心配してたとは伝えてもいいよな?」
「ご自由にどうぞー」
エミリは手を振ってその場を離れる。
「はあ、よかった。クラトスは怪しい動きせずに現状に満足しているようで何よりです。一か八かで暴動なんて起こされたら処理が面倒ですからね」
男に嘘をついている様子はなかった。本気で暴動を起こすなら男に話を回すはず。
「でも気を緩めちゃダメですね。他の人にも聞いて回らないと」
エミリは網を張っていた。クラトスが暴走しないように。
しかし肝心の網には穴があった。その穴とはエミリにとって自然と心理的に忌避したくなる──女性だった。
他にも計算違いがあった。クラトスの暴走は長年リーダーを務めたものとは思えない、子供の家出のように場当たり的で幼稚だった。
クラトスがリーダーを降りて一週間。それは起きた。
発覚したのは早朝のことだった。エミリはビクトリアの慌てた大声で目を覚ます。
「エミリ! 起きて! 大変なの!」
「ん……どうしました、エルフ様……台所にネズミでも出ましたか……」
「そんなことよりよっぽど大変なことよ! クラトスがいなくなった! クラトスだけじゃない、女性もいっぱい!」
「……まさか!?」
エミリはすぐさま身支度を整えて外へと出た。
すでに騒ぎを聞きつけて多くの人が集まっていた。この時間帯はまだ家で眠っている男たちもいる。
その中にはつい先日、エミリに気さくに会話したクラトスの仕事仲間もいた。
「おお、エミリにエルフ様か……まんまとやられちまったな」
「エルフ様から話を聞きました……クラトスたちがいなくなったと」
「ああ、それも失踪じゃなく脱走ってところだな。あいつ、まだ諦めていなかったみたいだ」
異常事態に気づいたのは門番だった。クラトスとその他大勢が突然村の外に出ていこうとした。当然何があったのか呼び止めたのだが、
『ちょっと村の外へ薬草を採ってくる。すぐに戻るよ』
薬草を採りに行くにしては大荷物であったが門番は相手が元リーダーであるクラトスだっただけに特に疑いもせずにみすみす送り出してしまった。
「んで、これがクラトスの家にあった書き置き」
書き置きには村の外に護衛を待たせていること、一部の村民を移転すること、移転先から手紙を送り近況報告するということ……いくら読み進めても謝罪の言葉はなかった。
「……クラトスの考えはだいたいわかりました。移転先が不安だというならまずは自らが飛び込み安全を証明しようと……これが彼の思う誠実さなら……なんて傲慢なのでしょう」
この後抜け出した人数を集計し、その人数は先日クラトスに投票した票の数と一致すると判明した。
クラトスは施政の不安要素であったが排除するべき存在ではなかった。むしろ彼が抜けてしまったことにより、村の運営はより厳しいものになる。
「あの馬鹿野郎……まだ諦めていなかったんだ……なんで、俺に話してくれなかったんだよ……話してくれれば俺は……」
「まさかクラトスがいなくなるとは……お灸を据えるつもりでエルフ様に入れたのにこんなことになるとは……なんて馬鹿なことをしてくれたんだ……それとも私が馬鹿だったのか……」
「どうすんだよ! どうせエルフはだめだからすぐにクラトスがリーダーに復帰するだろうと思ってたのに! こうなるんだったらクラトスのままでよかったぜ!」
クラトスは欠けてはならない保障だったのだ。彼はそのことに気づかず、村民の思いも知らずに突っ走ってしまった。
柱が抜けたことにより村の混乱は加速する。
「今からでも遅くない、追いかけようぜ」
「待って、私も連れて行ってよ!」
中にはクラトスに続いて抜け出そうとする者も現れる。その数は少なくない。
「待って、待ちなさい! 追いかけるたってどこへ!? 移転先の方角もわからないんでしょう!? 無謀よ!」
ビクトリアは冷静に引き止めるも、
「うるせえ! 無能エルフ! 耳が良いくせしてみすみす脱走を見逃してるんじゃねえ!」
「ひぃっ」
大柄な男の本気の怒りに尻込みする。今にも殴りかかってきそうな殺気を浴びて身体が固まる。
混乱の渦が最高潮に達し、バラバラに引き裂かれる直前、
「皆さん!!! お静かに!!!!」
パアン! と拍手付きでエミリが抑え込む。
皆が彼女に注目する。次の言葉を窺がう。
しかし次の言葉は酷く冷たいものだった。
「……それでは皆さん、持ち場に戻ってください。今日も精一杯頑張りましょう」
まるで何事もなかったかのように流してしまう。
極論、そうするしかなかった。
いまさらクラトスを追いかけようとも合流できる見込みは少ない。
ならば今日のため、明日のため、昨日の続きを続けるしかない。
村民のほとんどが理解していた。理解した上で途方もない虚無感に脱力する。
しかし中には理解できない者もいた。
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エミリは毅然とした態度で言い返す。
「今からでも追いかけるべきだ! クラトスも言っていただろう! この村はもうおしまいなんだよ!」
男は怒鳴りながらどんどんエミリに詰め寄っていく。
「準備も護衛もなしに追いつけるとでも? この村は終わりません。エルフ様がいらっしゃいますので」
エミリは一歩も引かない。毅然とした態度を崩さない。
「俺に口答えしてんじゃねえ!」
男は拳を振り上げたその瞬間、二人の間に火柱が立つ。
「ひぃっ!!?」
突然のことに男は尻もちをつく。
「……あんた、エミリを殴ろうとした?」
ビクトリアが魔法で割って入ったのだった。
「いけません、エルフ様。貴重な魔力をこんなところで使われては」
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施政はビクトリアだけでは成り立たない。エミリだけでは成り立たない。二人一緒でなければ成立しない。
「……腰が抜けてしまったのですか? 手を貸しましょうか?」
エミリは男に手を差し伸べるも、
「いらねえよ! くそが!」
男は悪態付きながらその場を去った。
「……間一髪だったわね、エミリ。無茶しないでよ、もう」
深く息を吐くビクトリア。
「……けませんね」
エミリは小さく呟く。それは耳の良いビクトリアにしか聞こえない。
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