スポンジ

グルペット宮城

文字の大きさ
上 下
1 / 5

42歳男

しおりを挟む
コイツラは何を考えて、いつも規則正しい動きをしているんだろう。しかも普段は休んだまま、一年で半分も働いているのだろうか。しかし彼らが正しい動きをしているからこそ私の安全が守られている。一生巡り合うこともないだろう二人が、せっせと私のために動いていてくれる、なんてありがたいことだ。まるでジキルとハイド・・・違うだろ、ロミオとジュリエット・・・いや、ちょっと待て、この時間は現実の方に注意を向けていなければならない。こんな薄暗い雨の日は一番危ないのだ。それにしても月曜の朝からこんな天気だと、モチベーションがますます下がってしまう。下り坂をほふく前進したまま滑落してしまうようなものだ。それは言いすぎかな。まあ、でも世の中の8割の人は共感できるだろうと、教室で、おそらくはじめに答えはわかっていたが言い出せず、ちょっと足が速くて調子に乗り始めた佐々木に、浴びるであろう女子の視線をさらわれてしまった私ですら自身を持って言える。

そうこうしている間に赤信号に捕まった。忙しい時間帯なのだから、車の中で色々やっている人もいる。今日はどうだろう、女性のようだ。雨なのにサンバイザーをおろしているが、バイザーについている鏡を見ているようだ。そういえば、本来その鏡は何のためにあるのだろうか。考えられるのは、ワケアリの美人を助手席に乗せ、任務を遂行する運び屋が、後続車に尾行する車が居ないか確認するためのものか。いや、バイザーの位置からじゃ、自分のしかめっ面しか見えないんじゃ、そもそもTVではルームミラーを見て「ずっとついてきている車がいる。スピード上げるぞ」ってなもんだ。その役目はルームミラーにある。前の女性は何をするのだろう。あっ、助手席に手を伸ばして何かとったぞ。目のあたりをずっと見ている。取り出してたのはマスカラじゃないか。なんて器用な人が居るものだ、だけど危ないよな、車間開けて走らねば。うわ、やべぇ、鏡越しに目があってしまった。ここはバイパスを横切る道だから、信号もそれなりに長い。中々気まずいので、対向車見てみようかな。信号が青になり、ちょっと助かった。

前の人は車が走っているのにまだチラチラ自分とにらめっこをしているようだ。そこまでにらめっこしているのだから、そろそろ自分自身を見つめ直している頃かな。答えが出たようならこれからの生き方変えるかもしれない。それくらい向き合っている。チラチラ左のサイドミラーを見ている。どうやら彼女は左に曲がりたいようだ。左手の奥の小道にピンクのコンパクトカーは吸い込まれていく。新しい生き方が見つかったのかな。私とは違う道を進むが、安全に気をつけて頑張って人生を走って行ってください。

こんな天気の月曜は心も体もスロースターターだ。より一層、自分の前頭葉を活性化させなければならない。まだまだ先は長いのだから。

いつもきまった時間になると、すれ違う車、その中の人物が決まった顔ぶれになってくる。すれ違う場所と車で、自分が今どのポジションにいるのかわかってくる。人気のある車種だと、それなりに台数が走っているため、同じ色、車種の車ともすれ違うこともしばしばある。

一週間前も、今日と同じような日だった。雨はさほど降っていなかったが、素晴らしくどんよりとした、今にでも落ちてきそうな、または想像でしかないが、登山をアシストするシェルパが見ている空そのものだった。今と同じく、調理場の油が外壁にまで滲み出てきていそうな、テイクアウトの揚げ物屋さんを過ぎたあたり、左側に街路樹が並ぶゆるい右カーブを曲がっている頃、赤いクーペ、この車は往年の名車の名を冠していて、今では珍しくそれなりのスポーツカーのような作りのため、昔を知るおじさん方に売れている車だ。財力があれば所有してみたいが、それなりスペックで車に走らされている人間より、私はその車の限界を見極め、車のスペックを使い切れる人間で有りたい。ちなみに今の愛車はマニュアルの軽である。負け惜しみではない…。

この場所でこの車ということは、このあと5分くらいしたら同じ色、車種の車とすれ違う。ただ違うことは、運転しているおじさんだ。第一おじさんは、運転しているときでも、ダンロップの帽子を被っている。ダンロップ関係の人じゃない限り正直ダサい。かぶる人を「選ぶ」である。しかし、今日は被っていないようで、やっと私の半年にも及ぶ、貴方への思いが届いたのだ。塞ぎ込んだ気持ちの中に、キラリと光る希望のようなものを貴方は与えてくれたと、少しほっこりしてしまった。カーブを曲がり終えると、左手にコンビニがあるので、ちょっと余裕もあるし休憩用に食べる小分けされたチョコを買っていこう。

コンビニに入って、急いでもいないので店内の時計なんて見ないし、腕時計もしていない。もっぱら携帯で時間を確認するのみだ。自発的に時間を知ろうとしなければ今何時かだなんて分からない。ましてや余裕があると悟っているときは。チョコを買っても余裕でタイムカードを押せるはず。いつもより5分早いということは、コーヒーもいっちゃおうかな。最近のコンビニのコーヒーかなり美味しくなってるし、駅前に飲みに行かなくてもいいくらいになっている。あえて駅前まで行くことは、ただのステータスになっていると言ってもいいかも。

 少しスムーズに通勤できていると気持ちがいい。車に戻る前に周りを見渡す余裕もできてくる。めったにないことだから、いつもの朝と雰囲気が違う。このコンビニは住宅街に面していて駅から遠いこともあり、どの家も車2台分の駐車場を備えている。出勤しているのか2台揃っているうちは少ないように見えるが、角の家は2台停まっている。今日は休日なのか、朝のこの時間から洗車なんて私と同じく車好きなのかな。などと思っていると、その人物は帽子を被っている。『ダンロップ』だ!若干鼓動が早くなってきたが、その目線の先の車を見てみると確定した。すべてが繋がりました。私がすれ違った車は第一おじさんではなく第2おじさんで、そこから計算すると、5分遅れとコンビニの余裕の10分弱、暗算も怪しくなってきたので携帯の時計は…。明らかな遅刻である。浮気している彼女の部屋に本命が突然来たときの、服を着て靴も持ちつつベランダから降りるような超人的なスピードでロッカールムでの身支度を済ませたとしてもだ。コンビニで先程買ったチョコは、自分の小腹を満たすことはなく同僚へ謝意を届ける貢物になってしまった。大袋を買っておいてよかった。

一週間前はこのように、朝からジョギングをしたような一日だった。人は失敗を経て学習していく。世の中には失敗を味合わなくても物事を円滑に進められる人と、失敗を味合わないといけない人の2パターンあると思う。私は明らかに後者だ。そう考えると私のような人間は損ではないか。神は二物を与えずというが、本当にそうなのだろうか。楽曲を何曲もリリースし輝かしく芸能生活を送っているアイドルと、私のように失敗ばかりしているサラリーマンの人生は全てを包括してみるとプラマイゼロでバランスが取れているのだろうか。いや、違う。アイドルはプラスがでかいのかもしれないし、その分、マイナスの人がいるのかも知れない。そこでバランスが取れてるのかも知れないし、その不公平を含んだ上でプラスにしようとする志が本質なのかもしれない。ということで、失敗を恐れず人生を突き進むという結論に至っている。また2週間後くらいに失敗をして、同じ思考で問答するかもしれないが、同じ結果だろう。

街路樹が続いているところはずっと住宅が並んでいて、次の十字路の手前にゴミ捨て場がある。今日はゴミの日のようで、女性3人が話している。表情しか伺えないが、何やら深刻な話をしているように見える。朝から深刻な話をできるなんて、よっぽど頭の回転が速いのか、早起きしてアイドリングを済ませているのだろう。寝起き超スロースターターな私には到底真似できない。朝も家を出る前はアイドリング時間を十分設けている。

世間じゃ井戸端会議などというが、現代には井戸端などあまりないから、言うなれば「ゴミ捨て場会議」「ゴミ出し会議」となるだろうか。しかし、ごみの分別についての会議に取れなくもない。やはり、適切なネーミングは「井戸端会議」なのであろう。ごみの分別については、何処の自治体も問題を抱えているだろう。燃えるものの日に缶を出すやつがいたり、2日くらい前にゴミを出してみたり。これについては、旅行などで家を開けるから置いているのかもしれないが、カラスがつついて散らかすかもしれないので、私だったら出さないかな。一時期、ゴミ袋に名前を書いて出すところがあったが、どういう意味だったのだろう。名前を出すことで責任感が出るからなのか、今のインターネットの投稿と毛色が似ている。だが、ある程度のところで性善説が成り立っている日本の文化はすばらしいと思う。

十字路をすぎると交差点があり、右に曲がって200メートルほど進むと私の会社、一応製薬企業「菜の花製薬」がある。そう聞いて思い描くのは今話題の再生治療薬とか癌とかの薬を作っている企業だが、うちが作っている主力製品は切れたときや、出てきたときに塗る市販品のおしりの薬だ。おしりの上に菜の花なんて、ひと笑い求めに行った感がある。おしりの薬と聞くと、誰もが表情の奥でニヤリとしている。小学生にはお尻ネタは鉄板だが、大人になってもそのセオリーは変わらないようだ。という感じて、少々ポップに捉えられがちな我が社のヒップ、これは社内の相性で、患部の名称をそのままだと露骨なので、英語読みにしているのである。ヒップを5ロット製造、ヒップを自主回収(会社の歴史上、起こっていない)というように呼んでいる。腐っても医薬品のため厳格なルールの下製造されている。私は製造されたヒップが品質をクリアしているのか試験をする部署にいて一日に何十ヒップを相手にしている。実際に相手にしているのはベテランのお姉さん方で、私の仕事はお姉さん方のご機嫌を取り業務を円滑にすすめることだ。先日も、性にアグレッシブな新人の女の子がいて、入社4ヶ月にして3人と関係があったことが発覚した。問題は全て我が社の社員ということ。一人目は製造課の同じ新人小泉くん。まぁ、これは自然な流れと言える。二人目は営業課の瀬谷さん。こちらも独身だし、女好きというのはあるが問題にはならない。問題は3人目である。瀬谷さんの上司であり今度営業部長になるのではないかと噂されている課長の近藤さんである。この近藤さん、結婚こそしていないのだが本社の江口さん、近藤さんより10歳年下の32歳。近藤さんは42歳で実は私と同期で、かたや部長になろうとしている人材だ。会社内でもトップクラスの昇進ペースで、この人だからこそ、江口さんと付き合えているのだろうか。江口さんは入社した頃より、我が社のアイドル的存在で、交際が発覚した当時は全社的に男子がいわゆる『江口ロス』字面は卑猥な感じがするが、文字通りの虚無感に襲われ、ヒップの売上が通常の2割減となった。売上減の本当の要因はグループ親会社の横領スキャンダルに起因するものだったが、タイミングと江口さんの影響度から伝説的に我が社の歴史として『江口ロス恐慌』と呼ばれている。

というくらいのビックカップルのスキャンダルなのだから、社内、ましてや社内の女性の長であるお姉さんリーダー田口さんには、自分の島の女の子が騒動の原因だとすれば気分が悪いのは凄く同感できる。これにより、新人の女の子(何の因果が近藤という姓なので女の子と呼ぶ)が村八分にされている。これではいけないので、二国間協議を私が取り持った。当の本人は非常にあっけらかんとしているので、少しは気にしてほしいが、仕事があればその場の人間関係などあまり気にしないというスタンスだ。新人の女の子は本当に性にアグレッシブなだけで、近藤さんと江口さんの関係は到底分からなかったし、田口さんもその辺の事情をわかった上で村八分を解いてくれた。

しかし、近藤さんと江口さんの今後が非常に気になる。前者は、この一件があったからかは定かではないが、近藤さんの営業部長の話はなくなり、東京本社の営業課から富山の営業支店長へとなった。一方江口さんはというと、おそらく近藤さんとは別れたのだが、その後の恋愛の話題はタブー視され、「江口ロス恐慌」とともに今では隠語のような扱いになっている。

我が社の勤務時間は8時から17時で、これからの季節は日も伸びてきたことから定時で上がればまだ日没前だ。やはり冬の真っ暗な中を帰るより、まだ夕暮れの明るいうちに帰られる日は気持ちが良い。会社があるところは工業団地のようになっていて、我が社の他に近くにはパン工場とねじ工場がそれぞれ、迎え側と隣に並んでいる。どの工場も終わる時間が一緒のせいで、隣接の国道はその時間帯の15分間くらい大渋滞を引き起こす。定時で帰る場合には、いかに早く車を発進させるかが重要となる。したがってロッカールームから駐車場までの静かなタイムレースが始まる。みんな大人だから、あからさまに急いだりはしない。あくまで紳士的な振る舞いだ。少なくとも我が社ではこの秩序が守られている。

今日は私の歴史上最高タイムが出た。すべてがうまく行ったのである。ユニフォームの上着を脱ぐときのなめらかなジップの解放及び羽衣を羽織るかのように、軽やかな上半身の身のこなしでボーリングシャツを着る。寸分のズレもなくズボンの脱ぎ履きを行い、ロッカーの鍵を締めたときは、いつも帰りが早く「菜の花のスピードスター村上」との異名を持つ村上さん、一時期はタイムカード偽装疑惑まで持ち上がったが、これはどのように偽装するかがかなり謎なため、あくまで『うわさ』なのだろう。彼と同タイムでのロッカールム退出となった。あくまで急ぐ素振りを見せず紳士的に。

駐車場に止めてある車までは私のほうが近く国道までの距離も短いため、今週の『菜の花GP初戦』は私の鼻差での勝利により幕を閉じた。片側2車線になった途端に村上さんに追い抜かれてしまったが、あくまで場外。華々しい初戦勝利には変わらない。

この交差点を左に曲がるのだが、曲がった途端にサンバイザーを降ろしサングラスもかけ準備万端にしなければならない。西に向きながら家路につくわけだが、この頃は日が伸びたせいで西日がもろに私の視力1.5の眼球に浸透する。角度といい、微妙にサンバイザーに隠れたり隠れなかったり。今の時代は小学校の健康診断で測らないそうだが、私の座高が太陽の気まぐれに応じて伸び縮みする。北関東の平野というものは本当に空が広い。
しおりを挟む

処理中です...