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【番外編1】:仕事とデートと夜のドライブ
3 篠塚
しおりを挟む取引先との話は、特に問題なく終えて帰路につく。
交渉事は得意な方だと思う。至らないところは課長が助けてくれた。課長はこの厳つい顔なのに、妙に上の人間から好かれるたちな様で、以前話したことがあるという上役まで課長に声を掛けに来て、後はとんとん拍子だ。交渉こそ俺がしたが、課長と話して上機嫌だったのが一番上手くいった要因に間違いない。間違いなく俺は必要なかった。俺に経験を積ませるためという大前提は意味がなかったのではと思うぐらい、順調すぎるほど簡単に話はまとまった。
この人が他人に認められているのは誇らしい。これが俺の上司だという誇らしさ、この人に認められているのだという自尊心、この人が俺の恋人なのだという優越感。俺こそがこの人の隣にいるのだと自慢したくてたまらなくなる。
反面、酷く腹立たしいと感じた。俺のものなのにと言う妬心が込み上げて、他の存在から引き離したくなる。俺より先にこの人を知っていた上役の親しげな態度が気に入らない。俺の方がこの人のことを知っていると思い知らせたくなる。
ばかげているという理性とは裏腹に、社外でも認められる課長の能力の高さや人徳に、どうしようもない不安を覚える。もっとこの人が愚かだったなら、俺だけのものに出来たのに。などと考えて、そんな自分に呆れる。……おそらく、そんな課長であったなら俺は興味を抱かなかったくせに、と。
無意味な嫉妬を押さえながらの仕事となった。
「お前は、営業が向いているかもしれないな。オレもあまり詳しくはないが、こんなにスムーズに進むことはめったにないはずだ。……もし、お前がそっちに進みたいというのなら、いつでも言え。オレができる限りサポートしてやる」
取引先を出てどのくらい経っただろう。ほっと息をついてネクタイを緩めた課長がそう言った。
それは、俺に営業に行けって言うことか?
ちらりと横を見ると、課長はうつむき加減でわずかに笑みを浮かべている。
「……俺を、捨てる気ですか」
「あ?」
やるせなさに、思わず不満が口をついて出た。課長が眉間に皺を寄せて俺を振り返ったのを横目で見ながら、低い声を淡々と紡いだ。運転をしながら、叫ばないようにするのが堪えの効く限界だった。
「俺が、あなたの傍にいるのは、そんなに、煩わしいですか。……追い払いたいぐらい」
違うと頭では分かっている。けれど妬心にストレスを溜めた挙げ句のこのセリフに、卑屈な感情が込み上げてきていた。腹立たしくもあったし、不安もあった。もしかしてと考えたくない可能性を否定して欲しくて、不安を苛立ちに変えてぶつける。
「……バカか」
低い声が隣でぼそりと響く。不愉快そうに響く声に、ぐっと喉を詰まらせる。
「……でも」
言い訳を口にしようとしたとき、遮るように課長が続けた。
「そんなわけないだろう。……ただ、オレは、お前にとって良い糧となることなら、何だって力になりたいと思っている。それはオレの感情よりも優先すべき事だ」
「俺は、課長の補佐のままでいたいです」
「……自分にとって有益かどうかを考えろ、バカ」
溜息交じりの叱責と共に、手がふっと伸びてきて、コツンと俺のこめかみを小突く。
課長の何気ないその動作で、ふっと、心が軽くなる。課長のパーソナルスペースは広い。小突くというその近さが課長にとっての俺の立ち位置を感じさせてくれる。他の人より、俺はずっと課長の近くにいることを。
「……有益ですよ。俺は課長と会ってなかったら、真面目に仕事してなかったと思うし」
言い訳がましく言いつのる俺に、クッと隣で課長が吹き出した。
「あの頃のお前は、ホントにふてぶてしかったな」
羞恥心で耳が熱くなる。
そりゃそうだろう。あの頃俺は社会を舐めきっていた。世の中バカばっかりで、適当にやってもバレないと思っていた。自分より出来るヤツがいるとは思ってなかった。少なくともこの会社には。
「ですから、もう少し課長の傍で鍛えてもらわないと」
「……そうだな、お前がそう思える間は、それでも良いな」
まるでそのうち俺の方から離れていくと言わんばかりの言い様が、何となく面白くない。
「ずっとあなたの部下でいたいって言ったら?」
「……無理だろ。お前は、すぐにオレの上にいくさ」
クックと、肩を揺らして、何の気負いもなく当たり前のように課長は言った。
ポカンとする。そんなに高く買ってもらっていたのかという驚きと、それは無理だろうという感覚と。
でも、課長が俺の部下、か。想像して楽しくなる。
「じゃあ、もし俺が課長の上に行ったら、課長を補佐に置きますね」
「……それは楽しみだな」
低く淡々とした声は、何となく笑っているように聞こえた。
「……晩飯、どこで食いますか? 帰ってからでもいいですけど、せっかくなんでドライブ行きませんか。こっから海沿いに回ると、景観が良いんですよ」
「それはかまわないが……お前、疲れないか?」
「このくらいは全然。明日休みですし、ドライブも好きなんで。ほら、俺の車これなんで、友達と遊びに行くときはほとんど俺の運転なんで、慣れてます」
父がファミリーカーはもういらないから買い換えるというので、そのまま譲り受けた八人乗りのミニバンは、大学時代から需要が高かった。その頃からあちこち乗り回したこともあり、海沿い周りの道なら何度も通ったし、食事の後はスカイラインに入るから楽な物だ。有料だから車が少ない分走りやすい。
「お前は、アクティブだな」
「大学出て五年目にもなるとさすがに行くことは減りましたけどね。俺もどうせなら課長と出かける方が良いし」
「……そうか」
「途中に海を見下ろしながら飯食える店があったと思うんですけど、晩飯はそこ寄って良いですか」
「あっちは行ったことがないから、全部お前に任せるよ」
「了解です。楽しみにしてて下さい。飯は普通だと思うんですけど、崖に建ってる店なんで、窓際の席取れたら、結構絶景ですよ」
「へぇ。お前がそう言うのなら、楽しみだな」
課長の何気ない言葉で、バカみたいに浮かれている自分に気付く。
信頼されてるとか、期待してもらえたとか。たったそれだけのことで胸がいっぱいになって、返す言葉が見つからなくて、緩んでしまう表情に任せて、笑ってごまかした。
食事に向かう途中、夕焼けがきれいなのを口実に公園へ車を止めて休憩を取る。
こっそりとオレが、仕事の範疇を超えない内容でデート気分を味わっているのがバレているのだろうか。それとも課長もこの時間を楽しんでくれているのだろうか。特に拒絶はされず、手すりに寄りかかって海に日が沈むのを二人で眺めた。
オレと課長の関係は、会社での上司と部下の関係か、家の中での恋人関係かの二択だ。社会に一歩踏み出せば、特別な関係であることを示すことが出来ない。
認知が進んでいると言っても、わざわざ公にして面倒を背負い込むのは得策でないことは分かっている。だから少しでもバレるような素振りを許さない、危険を排除する姿勢の課長を尊重することに嫌はない。
それでも、ほんの少しでいいから、外でもこの人の隣は自分なのだと感じたかったのかもしれない。冗談に見せかけて、仕事に見せかけてで良いから、特別を甘受したかったのかもしれない。世間一般から見たら「かわいがっている部下」の範疇で良い、その根底にあるのが、恋人同士の気安さだと自分たちが感じていられるのなら。
今までの自分ではあり得ない健気さに笑う。けれど必死にこの人を乞うのが楽しいのだから仕方がない。この恋に浮かれまくって必死になっている自分がばかばかしくも面白い。この人の前では、いつも理性は置き去りだ。
一人で過ごす時間が訪れる度、自分の滑稽さを思って何度も笑った。課長に何かひとつ褒められるだけで犬のようにしっぽを振る自分が滑稽で、一喜一憂する自分が愚かで、思いだしては自分を嗤った。
なのに、やりとりを思いだして込み上げる感情は、課長からの好意を実感する幸福感なのだ。
夕日に顔を赤く照らされて、難しい顔で朱色の海を眺める課長の姿を見るのも楽しい。
あー、重症だ。
そう思うのが楽しいとか、ばからしくて笑えるのに、幸せだ。恋って理屈じゃないんだな。などと、どこかで聞いたような言葉を思い浮かべる自分がいる。うさんくさいとしか思わなかったその言葉が、実感を持って当てはまることに驚く。すごいなと思うと同時に、今まで恋愛と思っていた感情が、単純な所有欲とそう変わらなかったのかもしれないと思い至る。もしくは見栄えの良いステータスか。
誰かと一緒にいるだけで幸せとか、この人に会うまで感じたことがなかったのだと気付かされた。
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