花鬘<ハナカズラ>

ひのと

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1章

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さて、約3日前、私は異世界からやって来たという年若い娘を娶ることになった。
見目麗しく聡明な女を期待していなかったといえば勿論嘘になる。男として当然のことだ。
しかし、実際に妻となった娘は間違いなく子供で考えなしのじゃじゃ馬である。街の娘でもあのような振る舞いはせまい、というほどのことをやってのける。
だったらせめて絶世の美女であればもう少し面白かったかもしれないが、相手はむしろぴーぴーと煩い雛鳥である。いや、この表現では雛鳥が可哀想か。じゃじゃ馬、無鉄砲、猪突猛進……ふむ、猪と言っておくことにしよう。

猪に例えたものの、顔の造りがひどいわけでもない。
美しいかと言えば否で、愛らしいかと言えば、大変悩むところである。少なくとも年頃の少女らしい初々しさが愛らしいなどというわけでは無い。
顔の作りは平々凡々の十人並みだが、黒い瞳はくるくると動いてなかなか愛嬌があるし、拙い言葉を紡ぐ唇は花びらのようだ。
もうあと10年したら傍に置くのもいいかもしれないとは思うが、もう10年したらの話である。
今の妻には全く色気というものがなく、言葉も分からず、相当なおてんばで、正直こんな娘を選んだ神とやらが憎い。
それでも勿論妻として大事にしていくつもりではあるが、せめてあの手の早さ―――勿論、色っぽい意味ではなく、すぐに拳が飛んでくるという意味だ―――だけはどうにかならないだろうか。それと、あの食い意地もどうにかして欲しい。

一般的に初夜と呼ばれる夜を共に過ごした後、朝食を一緒に摂った際に拳大のパンをちぎりもせずに頬張ったときの口の大きさには、まったく辟易した。
口いっぱいにものを頬張るなと散々言ったが、言葉が理解できない妻には全く伝わらないらしい。
それどころか不思議そうに首を傾げ、欲しいの?と言わんばかりに、食べかけのパンを差し出してくるのである。
呆れながら「いらん」と軽く跳ね除けると、その拍子にパンは妻の手から離れ、ひゅんと空を飛び、ついでに妻の拳も空を切った。
そうしてから散々何かを怒鳴られて、私に用意されたはずのパンは全て奪い取られたのである。
そんなに食べて腹を壊すぞと呆れながら言ったが、妻は頑としてパンを返そうとしなかった。せめて一つ寄越せと手を出せば噛み付かれそうになる始末である。
そして妻に付いている侍女の話では、予想通りあの後腹を壊したようである。本当に頭が悪いとしか言いようが無い。

そんな妻と婚儀を済ませてから3日が経過したわけだが、未だに妻についてほとんど何も知らないと言っても過言ではない。
何の花が好きで、どのような楽器が得意で、どんな風に甘く言葉を紡ぐことが出来るのか。
後宮で気に入りの女のそれならすぐと思い出せるが、妻が花を愛でているところも楽器を手にしている姿も見たことはなく、甘い言葉などもっての他だった。
いつか悲鳴や怒声ではなく嬌声を聞くことが出来るのだろうかと考えて、首を横に振った。―――今のところ全く考えられない。

人に平手を食らわせるわ、噛み付こうとするわ、ぎゃあぎゃあと煩いわ、そんな奇妙な娘が自分の妻だというのだから、悲劇以外の何物でもなかった。
しかも、名前さえも不可思議な響きをしている。
この国では平民階級以上であれば、普通これほどに短い名前は無いのだ。だからリツというのも愛称か何かだと思ったのだが、どうやら本当にこれだけらしい。
あまりにも短い名は、まるで正式な名を奪われた奴隷のようだということで、最近の議会の話題はもっぱらリツの新しい名前についてである。
現在はたしかに他国との関係も良好で、国もよく治まっているとは思うが、もう少し建設的な議題は無いのだろうか。
国の重鎮ばかりが集まり、一人の娘の新しい名前について真剣に議論をしている様子はなかなかに珍妙なものだった。


それにしても、何故神はあんな何の価値もなさそうな娘を私の妻に選んだのだろうと呆れながら思う。
今まで何度か行われた異世界からの妻選びだが、この方法で選ばれ、王の妻となった娘は誰もが何らかの特出した点があったと聞いている。

たとえば国同士の争いが頻繁に起こっていた頃、全ての言語を理解することができる娘が喚ばれ、他国との関係を良好にしたという。
たとえば魔術が未発達だった頃、異世界の魔女だと名乗るものが妻として喚ばれ、多くの新しく画期的な魔術の開発に携わったという。
たとえばその時代の王が相当な色狂いだった頃、それはもう目も眩むような美しさの聡明な娘が現れ、たちまち王を虜にして国を豊かにしていったという。
それなのに、私の妻にと喚ばれた娘は何の変哲もない娘である。あれならばそこらの街娘でも貰っておいたほうがどれだけかましだったかもしれない。

言葉は分からなければ文字も読めない。ゼフィーの話では魔術の才能は全く無し。美貌は無論、無い。
国を更に繁栄させるどころか、むしろお荷物にしかならない妻である。

さすがの神でも選定を間違うことはあるらしい、と溜息を零し、書類に視線を落とした。
噂の妻に肘を打ち込まれたばかりの腹が鈍く痛み、小さく眉を寄せる。
それと同時に「シュヴェルツ、俺もリツ様にご挨拶したいんだけど」と笑みを含んだ言葉が聞こえた。
じろりとそちらを睨みつけると、そこには自分の腹心の部下である男、アーノルドがにやにやと笑みを浮かべている。どうやら早速噂を聞きつけたらしい。
思わず手にしていた書類をその顔に投げつけそうになったが、そんなことできるはずがない。
私は「勝手にしろ。庭園でもふらつけば会えるんじゃないか」とだけ言葉を紡ぎ、羽ペンを握った。

アーノルドもやはり視線を手元の書類に落とし、「いや~、でもやっぱりシュヴェルツに紹介してもらいたいだろ?姫が怖がってもまずいし」と何やら楽しそうな様子で羽ペンを紙面に滑らせる。
そう言うアーノルドは、ダークブラウンの髪と瞳をしており、がっしりとした体躯はたしかにリツの2倍はありそうに見える。
しかし女の前では歯の浮くような甘いセリフも吐いてみせるし、警戒心を抱かせないような笑顔もお手の物なのだから、あの妻がアーノルドを怖がるとは思えない。
むしろきゃっきゃと声を上げながら背中に飛び乗りそうである。馬鹿と煙は高いところが好きだというので、肩車までねだりそうな妻を思い出し、重く息を吐いた。
アーノルドはそれをどうとったのか、「いや、さすがに俺もお前の奥さんに手は出さないって」と神妙な表情で言い放つ。
この馬鹿はそれしか頭に無いのかと呆れた。

「そもそもあんな子供に欲情するなら私はお前との縁を切るぞ、アーノルド」
「安心しろ。あれはさすがに俺も管轄外だ」

さすがに小さすぎると言葉を紡いだアーノルドに、面倒に思いながらも了承の意を返す。
アーノルドなら妻の傍においても馬鹿げたことはしないと信じているし、これで結構子供好きだから妻の言葉の勉強にも付き合ってやるかもしれない。
もうしばらくしたら紹介するか、などと思いつつ、書類に判を押した。








神の“間違い”とは言え、自分の妻になった娘だ。それなりに幸せにしてやりたいとは思うし、望むならできるだけのことを叶えてやりたいとも思う。
しかし、まずは早々に言葉だけは完璧にして、マナーも覚えさせねばと外を見やる。
外出許可を得た妻とその侍女はおそらくどこかで花でも愛でているか、東屋辺りで休憩でもしているのだろう。
もしくはティーサロンにでも出くわしたかもしれないが、まあ王宮中どころか城下にも娘が言葉を理解できないことは知れ渡っているだろうし、特に執拗に誘われることもないだろう。
王宮の敷地内で大勢の侍女といれば、それほどの危険もなさそうだ。念のため騎士も2人つけたのだから、心配する必要は全く無い。


そういえばそろそろ娘の部屋を私の隣に移させるべきか、と思いつつ、書類に判を押す。
基本的には挙式以降すぐに塔を降り、部屋を移るのだが、あのじゃじゃ馬は塔に居るくらいの方が静かでいいかもしれない。
しかし不仲だと疑われては困る。やはり早々に部屋を移させよう。
それととりあえず口付けくらいはさせてもらわねば、数年たっても拳が飛んでくるままでは困る。あの娘が妻になったというのなら、あの娘との間に子は必要なのだ。
あと数年も経てば、色気は出てくると信じたい。
心底そう思いつつ、そろそろ疲れてきたと窓の外に視線を向ける。

どこまでも青く広がる空を、近くで妻も眺めているのだろうか。
そんなことを思った私は、まさかその妻が騎士宿舎などに迷い込んだとは、勿論思いも寄らなかった。


あのじゃじゃ馬!どこをどうしたら一人はぐれて、しかも騎士宿舎などに迷い込むんだ!










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