花鬘<ハナカズラ>

ひのと

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1章

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ゆっくりと開かれたドアの先にいたのは、ゼフィーだった。
相変わらずコスプレみたいな服装のゼフィーは、やっぱり今日も変わらず笑顔の欠片も浮かべていない。
もしかして何か怒っているのかと少し不安に思わないわけでもないが、ゼフィーはこの表情が標準らしい。
ゼフィーは口の端を1ミリも上げることなく、小難しく長い言葉をまるで呪文のように唱えた。多分、おそらく、挨拶なのだろう。

「こんにちは、ぜひー」

いったいどうしたのだろう。ゼフィーも一緒にお茶をしにきたのか?と私も挨拶の言葉を返しながら駆け寄る。
ゼフィーは部屋の中にいたシュヴェルツにちらりと視線をやり、先程と同じ呪文を唱えてから、私に視線を落とした。
「リツ様にこれをお渡ししようと」
ゼフィーは短くそう言って、腕に抱えていた布の塊を、私の横に控えていたリアンに渡す。布?と首を傾げつつそれを見つめると、もぞもぞっと布が動いた。
まさか動くとは思わずに、ぎょっとする。それでも好奇心が勝って、そろそろと布を剥がすと、中に包まれていたのは可愛い黒猫だった。
前に抱っこさせてくれた猫は真っ白の毛並みに青い瞳という猫だったが、今回は毛並みも瞳も真っ黒だ。
きゅるきゅるとした瞳とふかふかの黒い毛並みのその猫は、とても可愛い。

「にゃんにゃん」
「はい、にゃんにゃんです」
「お前かゼフィー!リツに妙な言葉を教えたのは!」

リズムよく3つの言葉が重ねられ、私はシュヴェルツの声を無視して布の中から猫を取り出した。
メイドさんたちも寄ってきて、可愛いですね、とほわほわしながら言葉を紡ぐ。
「かわいい」は先日学習した単語だ。プリティーとかキュートとか、きっとそういう意味のはずである。
かわいいかわいいと子猫を抱きかかえてふにゃふにゃしていると、ゼフィーは「お気に召しましたか」と尋ねてくる。

「おき、……?」
ええと、どういう意味だろう。そういえばこの前もちらっと聞いたような響きだけれど。
首を傾げると、ゼフィーは子猫に視線を落とした。
しばらくだっこしてもいいよということなのだろうか、と思いつつ、にっこり笑って「ありがとう、ぜひー」と言葉を紡ぐと、ゼフィーは珍しく微笑んだ。
ゼフィーはこの1週間で二度ほど珍しいお菓子なんかを持ってきてくれたり、一緒に外を散歩してくれたりしたのだが、こうして微笑みを見せてくれるのは珍しい。ちょっぴり嬉しくなりながら、猫の背を優しく撫でた。

「ぜひー、なに?」
猫を撫でながら、名前は何ていうの?と視線を上げる。
けれどゼフィーは私の問いの意味を理解できなかったらしく、僅かに首を傾げた。
その動作に、少し悩んでから自分を指差して「りつ」、ゼフィーを指差して「ぜひー」、ついでにシュヴェルツを指差して「しゅべるつ」とそれぞれの名前を呼ぶ。最後に猫の背を一撫でしてから「なに?」と尋ねると、ゼフィーはやっと合点がいったというように小さく頷いた。

「まだ名前は付いておりません」とゼフィーの指が子猫をそっと撫でる。
猫は気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らした。
「……なに?」
今の言葉のどこに子猫の名前があったのだろう。
もう一度名前だけ言ってくれ、と困ったように視線を向けると、ゼフィーはゆっくりと首を横に振る。
まだついてない、ということだろうか。子猫のようだし、里親を探している途中だったりするのかな。

いい里親が見つかるといいね、と言いたいけれど、言えない。
何か知っている単語で上手く伝えられないものかと考えつつ、うんうんと唸ると、仲間はずれになっていたシュヴェルツも近寄ってきて、私の腕の中の子猫に視線を落とした。
そして僅かに眉を顰める。

「……ジャーディーではないか。部屋で飼える大きさではないだろう」
ちょっと貸してみろ、というように腕を差し出され、シュヴェルツの腕に子猫を渡す。
こちらの世界では猫も大きいのか、見た目は子猫だが重さは成猫だ。数キロ分、軽くなった腕をぷらぷらと揺らし、かわいいかわいいとシュヴェルツの腕の中の子猫を撫でた。

「リツ様が気に入っていらしたようですので、お贈りしようと」
「気に入ったからと言って何でも渡すな」
撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めるのが嬉しくて、背伸びをして猫を撫でると、シュヴェルツは再び私の腕に猫を戻してくる。もう抱っこは飽きたらしい。
抱いた子猫からきゅるきゅると潤んだ瞳で見上げられ、あまりの可愛さに口元を緩めていると、アリーも「本当に可愛いですね」と優しく言葉を紡ぐ。
そうしてから子猫に向けるのと同じような瞳を私に向けて、聞き取りやすいようにゆっくりと口を開いた。

「リツ様、名前をつけてあげませんと」
「なま、へ?」

“なまえ”はさっき聞いたばかりの単語のはずだ。ええっと、どういう意味だ?と首を傾げると、アリーは自分の胸元を指差して「アリー」と言葉を紡ぎ、次いで猫の頭をそっと撫でた。
その動作で、内心でぽんと手を打つ。

“なまえ”は名前か!

なるほどー!とこくこく頷いて、それで名前がどうしたのだとアリーを見つめる。
アリーはもう一度猫の頭を撫でて、やっぱりゆっくりと名前という単語を口にした。
……どういう意味なのだろう。さっぱり分からない。子猫の名前を私に聞いているのだろうか?え、でも、この子猫にはまだ名前はついていないとゼフィーがさっき言ってたような。
そう思いつつ、ちらりとゼフィーを見上げる。
ゼフィーは私の視線を受けて、小さく頷いた。……うむ、いったいどういう意味なのか、全然分からない。

頭の上にぽんぽんぽんと疑問符を浮かべて、周囲を見渡すと、何やらみんな期待を込めてこちらを見つめている。
頭をフル回転させてみんなの視線の意味について考えて、『はっ、ゼフィー、もしかして私にこの猫をくれるのか?』と思いついた。

「……ぜひー、わたし、にゃんにゃん、どうぞ?わたし、にゃんにゃん、なまえ、どうぞ?」
ゼフィー、この猫をくれるの?私が名前をつけてあげていいの?と確認するように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
知っている単語だけで組み立てたセンテンスは、なんとかみんなに通じたらしい。肯定を表すように頷きが返された。
私の異世界言語習得率も1%くらい上がったものだな、と心の底でこっそり喜ぶ。
いやいやしかし、名前か。そう言われても、私は昔飼っていた2匹のハムスターに“ハム”と“スター”という名前を付けたことがあるくらい、ネーミングセンスが無いのである。今回も全く思いつかない。
ということで、オーソドックスに“タマ”とか“ミケ”でいいのかなぁなんて思いつつ、じっと腕の中の猫を見つめた。

「たま」

三毛猫ではないし、やはりここはタマ!タマでいこう!と大きく頷く。
ふかふかころころしてて可愛いし、と猫に頬を寄せた。
お父さんが猫アレルギーじゃなかったらうちだって猫を飼えたのに、と子供のとき何度も不満に思ったことを思い出す。
絶対に大事にするからね、可愛がるからね、ありがとうゼフィー!

タマ、タマ、と名前を呼んで頭を撫でると、何を思ったのか、シュヴェルツは突然私の頭を撫でてきた。
ちょっと、撫でるなら私じゃなくてタマを撫でろ、とタマをシュヴェルツに差し出す。するとシュヴェルツは今度は空いたほうの手でタマを撫でる。

ち、ちがう!私はいい!

いやしかしもしかしたらこれはシュヴェルツなりの好意の現れなのかもしれない。それを拒否するのは何か申し訳ないような気もしなくもないけれど、いや、でも、ハッ!もしかしてここで油断したらまたちゅーとかされるんじゃないだろうか!
思わずじりりと後ずさると、私の気の乱れが伝わったように、タマもシュヴェルツの手から逃れるように身じろいだ。
その様子にシュヴェルツは小さく吹き出す。

「似ているな」
「……に、に?」

呟くような言葉に、ぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。
さっぱり聞き取れなかったし、おそらく聞いたことのない単語だ。
また『じゃじゃうま』と同じように悪い言葉ではないだろうなと胡乱な視線を向ける。
シュヴェルツはその視線を受けて、今度は溜息を吐いた。

「お前は私に対してそういう表情しかできないのか?」
ちょっと疲れたような言葉の響きに、思わず眉を寄せる。
んん?と今のシュヴェルツの言葉から聞いたことのある単語を見つけようとするけれど、その前に「まあいい」とそっぽを向かれてしまった。

ちょっと、人が言葉を理解しようとしているのに、その態度はないだろう!
噛み付きか飛び蹴りか、と考えて、やっぱりやめた。
そんなことより、今はこのタマとの交流を深めたい。あとでシュヴェルツに「お願いします、タマを抱っこさせてください」と言われても絶対に抱っこさせてあげないことにしようと、こっそり決意しながらタマを抱きしめた。
タマは黒い瞳をこちらに向けて、くるると喉を鳴らす。

よし、これからお前の名前はタマだぞ、と子猫を見下ろしつつ名前を呼ぶと、タマは『ええー』と文句を言うように顔を背けた。
こら、返事は「ニャー」だろう、と頭をぐりぐり撫でると、子猫はやめろと言わんばかりにかぱっと口を開ける。そして私は不思議に思った。

牙?

いや、猫にも牙はあるのかもしれないが、これはちょっと大きすぎるんじゃないか。猫のくせに、ライオンやトラのようではないかハッハッハ。これは大きくなったらきっと立派な猫ちゃんになるに違いない。
がぶがぶと手を甘噛みされつつ、私は「たくましくてよいことである」とにこにこした。
メイドさん達も「可愛いですねえ」とにこにこしているし、ゼフィーも「お気に召していただけてよかった」と言いながら子供の成長を見守る親のような視線を向けてくる。
シュヴェルツだけは「しかし、それは愛玩用ではないぞ」と微妙に表情が険しい。

かくして私の部屋には一匹の猫がやってくることになったわけで、しばらくして、成長した猫が実は猫ではなくて猫科の大型動物だったという真実を知ることになるのだが―――ゼフィー!この子はあんなに大きくなるなんて、そしてがぶがぶ噛んでくるなんて聞いてない!













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