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八章 異形の主

異形との対話

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 細い切り立った道をおそるおそる渡り、つばさは館の前に立った。
 すぐ前なのに霧が深すぎて館の全貌が見えない。
 でも洋館を思わせる作りだと思った。
 大きな扉の前に立つ。
 手で触れようとしたら、勝手に内に開いた。
 少しだけためらったものの、つばさは堂々と館の中へと足を踏み入れた。
 館の中は物音一つなく、ずいぶんと静かだった。
 建物内だというのに霧が立ちこめている。
 学校の廊下のようにまっすぐに回廊が続いていた。
 左右の壁には時折閉じた扉があった。テレビゲームのダンジョンだと宝物が置いてあったりするのだが。
 宝はどうだかわからないけど、異形の気配はある。
 あの独特の腐ったにおいが、時折どこからか漏れ出るように鼻を刺激していた。
 レントにもらった杖を失ってしまったことが、不安をかきたてる。

「大丈夫だ。交渉に来ただけなんだ。危ない事なんてないさ」

 自分に言い聞かせながら歩き続けると、渡り廊下のような所に出た。
 その先には大きな扉がある。
 まっすぐ扉に向かうと扉はまた自然に開く。つばさはごくりとつばを飲み込むとその先へと進んだ。
 部屋の中は真っ暗だった。
 懐中電灯を取り出そうとすると、周囲に明かりが現れた。
 ろうそくの光だ。
 赤々と照らされ、周囲にフードをかぶった例の人型の異形がつばさを囲むように立ち並んでいる。
 そしてつばさの正面の、ひときわ大きな椅子に同じようなフードをかぶった異形が座っている。顔は見えないがシルエットは人間らしく、つばさと同じぐらいの背格好だ。

「大使どの、遠路はるばるよく来られた」

 鷹揚な感じで、眼の前の異形が口を開く。反響していてわかりづらいけど、想像していたより高い声だ。
 頭をあげて立ち上がると、顔がいまいちわからない主を、正面から見据える。

「つばさと言います。ぼくは今日、ヤマのクニ、女王アゲハの大使として交渉に参りました」
「女王の、か。その女王が信用出来るかな」

 顔は見えないけど、にやりと笑ったような気がした。
 あんたらがそんな不安を煽るから大変な目にあったんだぞ!
 そんな怒りが一瞬わき上がったが、すぐに消えた。
 女王さまや仲間たちを疑って不安になったのは、つばさが勝手になったことだ。
 そもそもそんな不信を、互いの考えを言葉に出して話合うための大使だ。
 理解し合うことが対話であり、コミュニケーションだとつばさは学んでいた。


「信用して頂けるために、ぼくがあなたたちの所にやってきました」
 静かにつばさが話を続けると、主は続けろというようにこちらを見たまま黙る。

「あなた方がこの世界に来た理由は訊きません。ただあなた方がヤマのクニに住むというのならば同じ仲間です。我々障りやこの世界の植物、動物をむやみに腐らせることはこの国の女王として心が痛みます。もしあなた方に理由があって行っているのならばそれは何でしょうか? もしあなた方に何か要求があり、それを飲むことでやめて頂けるのならばこちらで差し出せるものであれば飲むつもりでおります。どうか話合いで解決いたしましょう。これが女王の言葉です」

 つばさは女王から託された言葉を告げた。
 意思の通じる相手であることを確認するのが最初の目的なので、それは充分達成されている。
 一回の交渉で全て決まらなくてもいい。
 何度も話し合うことこそが対話なのだから。
 主の返答を待っていたつばさの耳に、笑い声が聞こえ始める。
 人をいじめて、それが面白くて仕方がないような暗い笑い声。
 それは眼の前の異形の主から発せられていた。

「このヤマの国は美しい。汚い物などまるでないかのように。霧に包まれても美しさに陰りがない。森は豊穣に恵まれ、食べるものに困ることもない。障りたちはみな友好的で、それぞれが得意なことをいかし、互いに協力し合って生きている。誰もが親や隣人から楽しく学べ、仕事に生き甲斐をもち、幸せに過ごしている。まさしく理想郷と言っても過言では無いだろう」

 主が突然どうしてそんなことを言うのかわからない。
 でも理想郷というのはわかる気がした。
 この世界にはゲームもマンガも無いけども、そんなものがなくても充分楽しく生きていける。

「だからこそ汚したいのだ! 自分の周囲が美しく、輝いている。それが憎らしい! 腹立たしい! 自分以外のみんなが幸せで自分だけが不幸なら、自分以外のみんなも不幸になればいい。ああ、自分以外のものが壊れていくのはなんて愉快なんだろう。なぜ、この世界を腐らせるのか理由があるかだと? そうすると気分がいいからだ」

 憎々しげな言葉を、楽しげに主は発し続けている。
 聞いているだけで、ひどく気分が悪くなりそうだった。
 でもつばさは大使だ。なんとか交渉を進めなければならない

「それをやめることはできないでしょうか。出来ることなら女王は協力するでしょう。他に何か楽しいことを一緒に見つけるお手伝いならぼくも手伝います」

 主は座ったまま右手をあごの辺りにそえた。

「女王が与えようとする物などいらないが、他ならぬつばさどののお願いなら考えなくもない」
「お願いします。ぼくにできることなら何でもします」
「それならばつばさ、人間界にいるお前の両親と妹の命と引き替えだ」
「そんなこと!」

 できるわけがない。
 あまりにも突然で予想外の言葉に、つばさの心臓はどきりと跳ね上がった。

「できないと。おまえは考えていただろう。自分のことをわかってくれない両親。そして可愛がられるのが上手な妹。みんな死んでしまえばいいのにと」
「あ、あるわけが・・・・・・」

 確かに思ったことはある。
 でもそれは思っただけで本当にそうなってほしいと願ったわけではない。
「ぼくにはわかっている。つばさ、君は誰も認めてくれない現実世界よりこの世界にいる方がいいのではと思っていることも。だったらいらないだろう? そんな連中の命なんか」
 主の心が耳からではなく、直接心に飛び込んでくる。
 額から流れる汗が目に入ってしみた。
 でも目を閉じることができなかった。

「おまえのことはすべてわかっている。ただおまえは首を縦にふるだけでいい」
「おまえにぼくの何がわかるって言うんだ!」
「わからないわけがない。なぜなら」

 異形の主はフードを取り払い、その下にある顔を露わにする。
 それを見た瞬間、つばさは全身が硬直し、息をすることもできなくなった。
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