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第5章「正義の履き違え」
84話
しおりを挟む彼に対する戸惑いを隠すように、私は眉間に皺を寄せた。
「…ふざけないでください。」
「ふざけてねーよ。俺なりにお前との約束を守ってんの。」
そう言う彼は何故か得意げな顔をして、再び私の隣に腰を下ろした。
―また出た。殿下お得意の〝俺なりに〟っていうやつ…。
私はまたため息をついた。
この2日間、殿下と色々と話し合った。
殿下の考えは残念ながら最初と変わっていない。全ての元凶である義弟を殺そうと考えている。
私の考えは、殿下とは真逆だ。義弟を殺したくない。義弟を殺すことによって、なんの罪もない殿下が、その十字架を背負うことになるのが嫌なのだ。それを言う度に「綺麗事を言うな。」と詰られる。
このままでは、話は平行線のままだ。
殿下の嘘のおかげで生まれたこの僅かな時間を無駄にはしたくない。皇族でない上に仮病である私が、いつまでも皇宮に居続けることはできないのだから。
なので、私は訴え方を変えてみた。「あの人を殺せば、この負の連鎖は断ち切れない。」と。
その言葉に、殿下は明らかに反応が変わった。彼は300年前の歴史の犠牲者だ。自分のような犠牲者が今後現れてしまう可能性に気付いたのだろう。
しばらく考え込んだ殿下は、「…わかった。」と渋々頷いてくれた。が、「アイツが何かしてきたら、その約束は守れないぞ。」と付け加えてきた。
彼に偉そうなことを言っているが、結局の所、何の解決策も見い出せていないのが現状だ。ただ理想論を唱え続けている私に、彼の意見を否定する権利はない。今度は私の方が渋々頷いた。
だが、この状況を打破する方法はきっとあるはず。彼が私を守ると言ってくれたように、私も彼を守りたいのだ。
本当は、もう少し今後のことを殿下と話し合いたいのだが、彼は年末の政務に追われているため、なかなか時間が取れない。それでも、こうして時間を作っては会いに来てくれている。本当に、感謝しかない。
そんな優しい彼の手を汚すぐらいなら、私の手で……
そこまで考えて、はっとする。
私まで物騒な思考になってしまって、どうするのだ。冷静になれ、エリザベータ。
人を殺めても、なんの解決策にならないことは重々理解しているだろう。300年経った今、こうして悲劇が生まれているのだから。また悲劇を生むつもりか。
「本当は聖女の野郎にかけられた魅了の残滓を見つけるつもりだったんだけどなぁ。」
検査結果の用紙を眺めながら、殿下は呟く。……どうやら話しが戻ったようだ。
「お前の情緒不安定の原因がクソベルトの血のせいだってことがわかったけどよ、聖女についてはまだ謎のままだ。」
聖女ベティ。
脳裏に彼女の愛らしい笑顔が浮かぶ。
「アイツが何らかの魔法で、学校の奴らを洗脳しているのは明らかだ。お前だって気付いているだろ?」
彼の言葉に頷く。
聖女に向ける、あの生徒たちの恍惚の表情…。まるで、300年前の時と同じだ。
「300年前の記憶を持っている上に警戒心の強いお前が、聖女に対して好意的なのはどう考えても不自然だ。だから、絶対に変な魅了の魔法をかけられている……って思ってたんだけどなぁー」
ため息をついた殿下はガジガジと頭をかき、腕組みをしてソファに強く背をつけた。そして、そのまま足を組み、しかめっ面で何やら深く考え込んでいる。
私も彼の横で、聖女マリーについて考えている。
なぜ、聖女を拒めないのか。
彼女は聖女だ。
300年前、私を処刑に導いた憎むべき相手。本来ならば、心を許すことなんて有り得ない。なのに、何故か私は彼女に弱い。特に彼女の悲しむ顔に弱い。彼女を悲しませたくない、彼女を守りたい…だなんて…。自分を殺したのも同然の相手に、そんなことを思うだなんて狂気の沙汰だ。
だが、そう思ってしまうのは私の中で、聖女マリーと聖女ベティが繋がっていないから。彼女と接する度、彼女が聖女マリーではなく、別人だという可能性が私の中で確立しつつある。
それに、あの瞳…
「…あ!」
思考の海に深く潜っていた私は、殿下の声に現実に引き戻される。はっと隣りに居る殿下の方を向けば、何かを閃いたかのように顔を上げていた。
「お前さ、聖女にカップケーキを貰ってただろ。」
彼はぐっと顔を近づける。その顔と顔が触れてしまいそうな、遠慮のない距離に思わず後ろに仰け反った。
一瞬、彼が何を言っているのか分からなかったが、直ぐに聖女と義弟とランチをした光景が頭に浮かんだ。
―…あぁ、あの時の、
「確かに貰いましたが、それが?」
「あの聖女が作ったケーキだぞ?どう考えたって怪しい。その中に何かを仕込んだんじゃねーの。」
ありえなくはない可能性に、急激に胃が重くなった。
「確かめてみよーぜ。もし何か仕込んであったら、それが証拠になるだろ。」
「そう、ですが…、カップケーキは邸に置いてきてしまっていますし…。」
確か、鞄に入れたままだ。
「ばっかだなァ。俺にかかれば、場所なんて関係ねーよ。」
ニヤリと笑った彼の瞳が煌めく。その瞬間、彼の手のひらの上にカップケーキが現れた。
「ほらな?」
「…本当に便利ですね。」
目の前にある可愛らしくラッピングされたチョコレートのカップケーキは、聖女が私に差し出したもので間違いない。
彼はラッピングをやや乱暴に剥がし、そしてなんの躊躇いもなく、そのカップケーキにかぶりついてしまった。
「で、殿下!何をしているのですか!!」
自分で、何か仕込んであるかもと言っていたくせに、それを食べるだなんて何を考えているのだろう!!
私は悲鳴に近い声を上げたが、彼は平然としていた。
「何って、食べてんだけど。」
「見ればわかります!毒が入っていたらどうするつもりですか!!」
「問題ない。ある程度の毒には耐性があるから。」
「そういう問題ではなく、もっと慎重に…」
「はいはい。安心しろ、毒は入っていない。」
毒は入っていない。
それを聞いて、一気脱力した。
「けど、生焼けだ。まじぃ。」
「…生焼け…」
そういえば、聖女は焼き上がるのが待てなくてオーブンの蓋を何度も開けてしまった、と言っていた。
「あんなトロそうな顔をしているくせに、意外とせっかちなんだな。はぁ…。証拠になると思っていたのに、ただ不味いだけ。食い損じゃん。」
そう言いながらも、殿下はそのカップケーキを完食した。
こういう所は律儀だと思う。
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