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第7章「温室栽培」
114話
しおりを挟むユリウスがシャワールームを出た後も、私は床にへたりこんだまま、シャワーを浴び続けていた。だが、身体の震えは一向に収まらない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
何処から間違っていたのかと問われれば、答えはきっと最初からだ。
私は勘違いをしていたのだ。
この1週間、ビアンカやエーミール達と穏やかな日々を過ごし、以前の私よりも前向きになれた。だから、彼を前にしても以前のように取り乱すことはないだろう、と。
思い上がりも甚だしい。
現実は、彼を前にした途端、恐怖で身がすくみ、何も言えなかった。
結局、私は何も変わっていなかったのだ。人間はそう簡単に変われるものではない。それなのに、自惚れた私は自分の都合がいいように、勝手に希望を見出して、話し合えば何とかなるかもだなんて……。
我ながら浅はかな考えに、激しい自己嫌悪に苛まれる。
そもそも、話し合いで何とかなる相手なら、300年前の私は処刑されていないはずだ。
圧倒的な力を持つ彼にとって、無力な私の言葉など虫けらも同然。
身体中に、恐怖に近い悔恨が駆け巡る。
神と虫が分かり合えるはずがないのだ。
「姉上、大丈夫ですか?」
「―ひっ、」
突然、シャワールーム内に響いた控えめなノックに、私は情けない悲鳴を上げた。
「先程からシャワーの音だけですが……倒れているとかではないですよね?」
扉を隔てた向こう側から、私を案じるような声が聞こえてきた。
先程の高圧的な彼とは打って変わって、その声は姉を心配する弟の声そのもの。それが、私の心を掻き乱す。
「姉上?……開けますよ。」
その声と同時にドアノブが回る。ぎょっとした私は慌てて声を上げた。
「た、倒れていないわ!少し長めにシャワーを浴びていただけなの…!」
「あぁ、そうだったんですね。安心しました。」
納得してくれたのか、ドアノブの位置が平行に戻る。それを見て、ほっと胸をなでおろした。
「姉上。ここに着替えとバスタオルを置いておきますので、上がったら使ってください。濡れてしまった服は、カゴの中に入れて頂けたら僕が後で洗っておきます。」
「わ、わかったわ。」
「あと、着替えが終わりましたらベルを鳴らしてください。迎えに行きますから。」
「……えぇ。」
「では、入浴中すみませんでした。ごゆっくり。」
ユリウスの気配が消えたと途端、張り詰めていた糸が緩み、私は小さく息を吐いた。
このまま蹲っていたら、また彼が様子を見に来るかもしれない。今回は見逃してくれたが、次は…。
彼に無理やり身体を洗われることを想像し、身体の芯が震え上がった。そんな屈辱は耐えられない。
のそのそと立ち上がった私は、ずっと出しっぱなしだったシャワーを止める。そして、震える手で服を脱ぎ始めた。ぐっしょりと濡れたワンピースや下着が肌に張り付き、とても脱ぎにくい。
いつもより時間をかけながら全て脱ぎ終えた私は、ビアンカが選んでくれたワンピースが無事かを確かめた。ワンピースは背中のボタンが外されているだけで、裂かれてはいなかった。これなら乾かせば、また着ることができるだろう。
「あぁ、良かった…。」と、喜んだのもつかの間、裂けているコルセットを見て心が一瞬にして冷えあがった。
腕の中には、可哀想なぐらいに濡れてしまったワンピースと、無惨な姿に成り果てたコルセット。
―――これは、彼から受けた加虐の残骸だ。
それに気づいた途端に、目から止めどない涙が溢れてきた。
「…っ、あ…」
何とか涙を止めようとするが、心の底から湧き上がる様々な感情が、それを邪魔する。
悔しくて、悲しくて、許せなくて…。
だが、1番許せないのは、泣くことしかできない無力な己自身だ。
私はワンピースに顔を埋め、必死に嗚咽を押し押し殺す。
泣いても何も変わらない。それは300年前に、身を持って思い知ったこと。
ぐっと奥歯を噛み締めた私は、煩わしいもの全てを洗い流すかのように、荒々しく身体を洗い始めた。
特に首筋は重点的に。何度も、何度も、何度も。それこそ、肌が真っ赤に染るまで。彼の『魚臭い』という一言が、私に強迫観念めいたものを植え付けていたのだ。
身体を洗い終えた私は、バスタブの中にお湯が張っていることに気が付いた。
それが魔法なのか、それとも私が気付いていなかっただけで最初からあったのかは分からないが、心が酷く憔悴していた私は吸い込まれるかのようにバスタブの中に身を沈めた。
湯の中に入ると、身体に溜まった疲れが滲み出てくるような気がする。
心地よいお湯に包まれて、暴風雨のように荒れていた気持ちが少しだけ落ち着いてきた。人間がお風呂に安らぎを感じるのは、母親のお腹の中で羊水に包まれていた頃の記憶があるからなのだろうか?
そんなことを考える余裕が生まれてきた私の頭に、ふとエーミールの言葉が過った。
―――『戦略的撤退って知っている?』
「……。」
膝を抱えて、思案に耽る。
ユリウスを前にしただけで竦み上がってしまう今の私では、彼と話し合うだなんて到底無理な話だろう。
だからこそ、彼と対等に話し合う為には、何かしらの準備が必要だ。丸腰のままで勝てる相手ではない。
私は肺に溜まっていた空気を吐き出す。
彼と向き合う為に何が必要なのか、今はまだ分からないが、態勢を立て直すためにも、ここは1度引くべきだ。
―…よし。
ここから逃げる決意をした私は、湯船から立ち上がった。そして、先程脱いだ衣服を拾い上げながらシャワールームを出ると案の定、扉の先は脱衣場に続いていた。
その扉のすぐ横には、洗濯カゴが置いてある。きっとこれが、ユリウスが言っていたカゴだろう。
私は少し躊躇したのち、抱えていた衣服をカゴの中にいれた。本当は持ち帰りたかったが、これを抱えたまま逃げるのは難しいだろうと思ったからだ。
洗面台には、いつも使っている化粧水などのスキンケア用品が並べられていた。これは有難い。
そして、その洗面台の脇にある棚の上には、バスタオルと着替えが用意されていた。
「……。」
私は、まるで売り物のように並んでいる夜着見て、首をに捻る。
何故、夜着が3種類もあるのだろうと。
…もしや好きなものを選べ、ということなのだろうか。
ここまで至れり尽くせりだと、かえって怪しさを感じてしまう。これも何かの罠?それとも、ただ純粋に姉である私を気遣ってくれているのか。…いや、それはないか。
素早くバスタオルを身体に巻き付けた私は、夜着を調べてみることにした。
まずは右端にある夜着だ。
慎重な手つきで夜着を手に取り………思わず顔を顰めた。何故かというと夜着の下に、これまた几帳面に畳まれているドロワーズを見つけてしまったからだ。……彼は一体どんな気持ちで下着を用意したのだろう。
なんとも言えない複雑な気持ちを抱えたまま、手に取った夜着を恐る恐る広げてみると、何の変哲もないただのナイトガウンだった。
首元はデコルテが見えるぐらいゆったりとしたもので、胸下切り替えの部分にはミニフリルやギャザーを寄せてふんわりと仕上げてある。シルエットが女性らしい上品な雰囲気で、いつも好んで着ているような夜着である。
次は真ん中の夜着だ。
まるでバスローブのような形の夜着は、胸の下でリボンを結ぶものらしい。簡易的で1番着替えが楽そうだ。
そして最後。
丸襟ワンピースのような夜着は、フリルがたくさんついており、とても愛らしく、やや幼げなものだった。
どの角度から見ても、3着に怪しいところはない。
だが、果たして短時間でここまで揃えることが出来るものなのだろうか。
―…まさか、よく女性をここに泊まらせているとか……
最悪な憶測に、激しい嫌悪感が胸の中に込み上げてきた。もしそうだとしたら、彼は紳士の風上にも置けない卑劣な人だ。
思いつく限りの罵声を心の中で吐き散らしながら、私は最後に見た丸襟ワンピースのような夜着に腕を通した。
選んだ理由は単純。これが一番防御力が高そうだったからだ。…まぁ、どれも薄っぺらい布なので大して変わりはないが、気持ちの問題である。
私は荒々しい気持ちのまま化粧水を顔に叩きつけ、髪の毛も充分に乾いていないまま、扉に耳を当て外の様子を伺った。
……人の気配はない。
音を立てないよう慎重に扉を押し開け、恐る恐る隙間を覗くと、外は見たことの無い廊下が続いていた。
やはりここは、私の知らない何処かの屋敷のようだ。
知らない場所ではあるが、出口は必ず何処かにはあるはず。
怯みそうになる心を奮い立たせ、私は廊下に足を踏み入れた―――その時、
「何処に行かれるのですか?」
ちょうど扉の死角になっている位置から、青年の穏やかな声が聞こえてきた。
それが誰の声なのか、見なくてもわかる。それなのに私は反射的に、そちらを見てしまった。
やけにゆっくりと閉まる扉の向こう側には、壁にもたれかかった青年が腕くみをして、口元に笑みを浮かべながら、こちらをじっと見据えていた。
前髪の隙間から覗く黄水晶の瞳は、ゾッとするほどに冷たかった。
《おまけ》
お題「異性の好みのタイプを教えてください。」
テオ様「…口が悪くて、気の強い女。…あ?物好きぃ?うるせばーか。」
聖女様「タイプですか…。すみません。私にはよくわかりません。みんな、愛すべき家族ですから。…ですが……異性とか、そういうつまらないものに囚われていたら、いつか大切なものを見落としてしまいますよ?」
ユーリ「ご想像にお任せします。」
エリザ「話す必要性を感じられないわ。…え?それだと上に怒られる?……仕方がないわね。そうね…(思案中)…強いて言えば、エーミールみたいな人かしら。」
――ガタッ×3
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