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第9章「愚者の記憶」
170話
しおりを挟むアルベルトside
僕は叔父から、叔父の足元に転がっている男達に視線を移す。
見るからに泥臭そうな、2人のゴロツキ。
おそらくコーエン家に金銭目的で入り込もうとした輩を、叔父が僕の言い付け通りにその侵入を防いだのだろう。
卑しい死骸を苦々しく眺めていると、突然それは青い炎に包まれた。
「こんなモノ、貴方の瞳に映す必要はありません。」
叔父が言い終わるのと同時に、死骸は跡形もなく消えた。
初めから、何も無かったかのように。
「ここでの用事は済みましたか?」
叔父がいつもの調子で尋ねてくる。
そのいつも通りの中に浮かび上がる奇妙な違和感。
「…まぁね。」
「ではそろそろ皇宮に戻りましょう。日が暮れてだいぶ冷えてきました。」
「その前に、ラルフに聞きたいことがある。」
「聞きたいこと?それでしたら皇宮に戻ってからーーー」
「どうしてお前は僕に嘘をついていたの?」
「…。」
一瞬の沈黙。ガチリとぶつかる視線。
まるで深海に潜ったような重い空気の中、叔父が眼鏡を押し上げながら口を開いた。
「嘘、とは。一体何のことを仰っているのですか?」
相変わらずの無表情と無機質な声。
本音のようにも聞こえるし、こちらを煽っているようにも聞こえる。
「子供の頃からラルフに頼んでいたエリザベータの定期報告だよ。」
「心外ですね。私はありのままを貴方に伝えていましたよ。」
「けれどエリザベータの日記と内容が明らかに食い違っている。」
「日記?」
叔父の口頭での定期報告と、エリザベータが遺しいった日記。
眼鏡の奥で僅かに眼を眇めた叔父に、僕はいくつかの矛盾点を指摘した。
「…私の報告よりも、その得体の知れない日記とやらの方を信じるのですか?」
呆れたかのように、失望するかのように、僕の話を聞き終えた叔父が溜息混じりで呟く。
叔父とエリザベータ。正直に言ってしまえば、信頼は雲泥の差で叔父の方が圧倒的に上だ。
けれどーーー
「自分の日記に嘘をつく必要はないでしょう?」
死人に口なし。あの日記が虚偽か真実かはもう誰にもわからない。けれど彼女の踊るように掠れた文字が、全てを諦めたかのように滲んだ文字が、それら全てが真実であると僕に訴えかけていた。
「…。」
数秒間、僕の顔を見つめた叔父は、夕暮れに染まっているのであろう空を仰ぐ。そして短く溜息を吐き捨てた後、ポツリと呟いた。
「…実に、残念です。」
叔父は顔を天に向けたまま、何処か機械的な流し目を僕におくる。再び交わる視線。けれど叔父の無機質な瞳は、不穏げに煌めいていてーーー
ザワリと首筋に虫が這うような感覚を覚えた次の瞬間、叔父の拳が、僕の鳩尾に、深く、めり込んでいた。
「ゴフッ…!?」
僕の口から黒い液体が飛び出す。果たしてそれが血液なのか、胃の内容物なのか、僕にはわからない。今の僕にわかることは、飼い犬に手を噛まれた事実にみ。今まで従順だった叔父に牙を向けられたことに酷く動揺した僕は、何も抵抗できないまま叔父に頭を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。
顔面に火を押し当てられたような激痛が走り、目と鼻の奥で火花が散る。
一瞬、意識が飛んでいた僕は、頭上に叔父の片足が乗っているという信じ難い現状に遅れて気づき、そして愕然とした。
「自分の日記に嘘をつく必要がないだなんて…いつからそんな人間じみたことを言うようになったのですか?アルベルト。」
それはあまりにも淡々とした口調だった。そして叔父は蔑むように、その足で僕の顔面をグリグリと地面に押し付ける。
あまりにも衝撃的な展開に、何も考えられず頭の中が真っ白になっていたが、段々と腹の中で怒りの炎が燻り始めた。
「ラルフ…これは一体どういうつもりだ…!」
地を這うような声を吐きながら、僕は叔父を睨み上げる。だが叔父は怯むことも動揺することもなく、ただ残念そうに眉を顰めた。
「あぁ、嫌な目ですね。不純物だらけで…見ているだけで吐き気がする。」
まるで汚物を見るかのような視線と吐き捨てられた言葉。格下に見下された僕は、カッと頭に血が昇る。屈辱、殺気、負の感情の赴くくまま、僕は叔父を燃やし殺そうとした。
だがしかし。
「ぐぁっ!?」
突如、頭をキツく締め上げるような感覚と酷い耳鳴りが同時に襲いかかってきた。これには堪らず、僕は地面に這いつくばったまま、両耳を手で押さえる。
いたいいたいいたいいたいいたいたたたたたたいいいいいいいぃぃぃ!!!!
転げ回りたいほどの痛み。だが頭にのしかかる叔父の足がそれすらも許さない。叔父の足の下でジタバタともがく僕の背中に、叔父の呆れたような溜息が落とされた。
「まったく…。昔、教えましたよね?魔力欠乏症を起こしている今の貴方では、私を燃やすどころか虫一匹ですら燃やせませんよ、と。」
「うぐぐぐぐぐぐぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃ」
「その歳になっても、ご自分が欠乏症を起こしていることに気付かないなんて…何も成長していないじゃないですか。」
「うううううぐぐぐぅっぅ」
「本当に、残念です。」
僕は奥歯をギリギリと軋ませる。痛みと怒り、そしてそれらを上回る屈辱感で、頭の血管がはち切れそうだった。
「…何が、目的だ…!」
何とか痛みを堪え、僕を見下ろす叔父を睨みつける。
「目的、ですか…」
「まさかお前、皇位の座を…?」
皇帝である僕が消えれば、序列的に次期皇帝は叔父で確定だ。長年従順な側近のフリをして、裏では虎視眈々と皇位を狙っていたのだろうか。
だが叔父は僕の憶測を否定するように、小さく首を振った。
「そんな畑の肥やしにもならないモノに興味はありません。」
「だったら…」
一体なんだというのだ。
世界の管理者となる僕を怒らせ踏みつけるなど愚の骨頂。今まで従順だった叔父が、ここまでの暴挙に出る理由が何ひとつ思いつかない。
今の叔父を掻き立てているモノは一体……
「貴方と同じですよ、アルベルト。」
僕の内心を見透かすようなことを言ってきた叔父は、こちらを静かに見下ろしている。
いつもと変わらない無機質なサファイアの瞳で。
「私も、この世界に心底失望していました。」
そして叔父は、まるで他人事のように、淡々と語り出した。
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