君が死んだ夏、銀色の猫。

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6 首を絞められる

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そして、七月。
あと一ヶ月もせずに一学期が終わり、夏休みになる頃……。
夏生といつもの神社で話をしていた。
梅雨が終わり、とても暑い日だったから、蝉がうるさく鳴いていた。
賽銭箱の前の石段に座り、夏生が駄菓子屋で万引きして来たアイスを二人で食べる。
アイスと言うと夏生はソーダ味ばかりを好んで食べていた。
俺には何故かいつもあずきバーをくれる。
あずきは別に好きでも嫌いでもないけど、黙ってそれを舐め崩し口に含んだ。
アイスを食べながら、夏生が口を開く。


「ねえ、八重。僕のこと好き?」

「好きだよ」

そう言っておかないと、夏生はヒステリックに騒ぎ出す。
だから俺は、嘘を吐いた。
夏生の扱い方なんて、理解してしまえば簡単なもんだ。

「僕のこと愛してる?」

「うん」

「それって恋愛? 友情?」

「それは………… 分からない」


夏生に友愛を抱いていたかと言えば、素直にはいなんて言えない。
友達にしたいタイプかと聞かれれば、絶対にそうではない。
友達に対してこんな質問を投げかけてくる時点で、もう普通の友人ではない。

――だけど、だからこそ。
だからこそ、俺がそんな夏生を完全に嫌いになれない理由は……。
俺が夏生に、恋に近い感情を抱いていたからではないのか?
夏生とセックスがしたいだなんていうわけじゃなかった。
だけど夏生を完全に突き放さず、ずるずると関係を続けていたのは……
ただ単に夏生が怖いからというだけじゃなかったような気もする。
もちろん、夏生を怒らせたら何をしでかすか分かったもんじゃないから、
それが怖くて拒絶できなかったというのもある。
だけど、本当にそれだけだった?
夏生に対する俺の気持ちは、一言では言い表せない複雑なものだった。
そんな気がするんだ。
今となってはもう、ぼんやりとした曖昧な記憶だけれど。


「友達と恋人の境目ってどこにあるの? 八重は知ってる? 分かる?」

「分からないってば」

「僕は八重を自分だけのものにしたいけれど、八重のこと女の子みたいに思ってるのかな?
 でも僕って女の子に全然興味ないんだ。
 こないだクラスの男子がみんなでエッチな本を読んでたんだけど、僕はそういうのに興味がなくってさ。
 なんでかな? おかしいのかな? 八重は女の人に興味ある?」

「……ないよ」

これは、嘘だった。


「オナニーってしたことある?」

「ない」

これも、嘘だった。
本当は年相応に女性に興味があったし、自慰だって何度もしたことがあった。
だけど『ある』と言ったら夏生の機嫌を損ねてしまいそうだったから嘘を吐いた。


「僕、八重のこと好きだよ。僕はきっと男の子が好きなんだ。
 こないだね、八重と変なことする夢を見たんだ。
 八重とキスをして、それから身体を触り合うんだ。
 ……えっちな夢見ちゃったんだ。そしたら、その、起きたとき、パンツに…………
 夢精って言うんだっけ。僕、変態かな。ごめんね、八重」

「…………な、夏生は、勘違いしてるんだよ。
 ほら、うちって男子校だし……。
 女の子が居る環境に行けば興味出てくるんじゃないの。
 ちゃんとした恋をまだしたことがないから、恋愛と友情の区別が付かないんだろ」

「……僕んちね、お母さんが居ないんだ。
 僕が小学生の時、浮気して男作って、家を出て行っちゃったから。
 それから僕はお父さんとふたり暮らし。
 お母さんの連絡先は知ってるけど、もう全然会ってない。
 お父さんはお母さんが原因で重度の女嫌いになっちゃったみたい。
 それで男子校の星彩に僕を通わせたんだ。でね、僕はこんな顔でしょ?
 僕の顔は女みたいだし、お母さんにそっくりだから……。
 お父さんはそれが気に入らないみたいで、僕に毎日嫌味を言うんだ」

それは、初めて聞く話だった。
夏生の雑談は基本的には中身がなく、意味不明だった。
電波とでも言おうか。
とにかく脈絡なく話題がころころ変わるし、変なことばかりを言う。
俺はその夏生の話にいつも適当に相槌を打っていた。
こんな風に真面目に真剣な話をされたのは初めてだった。
俺も真剣に聞いたが、なんて答えればいいのか分からず声が出ない。
何かをごまかすように、とけかけたアイスを一気に全部口へ入れて、飲み干した。
キン、と頭に痛みが走る。


「……お父さん、イヤだな。嫌いだ。家に帰りたくない。
 お母さんのところに行きたいけど、お母さんは再婚して、僕じゃない別の子供も居るんだ。
 もう僕だけのお母さんじゃないんだよ。僕が行ったら迷惑だし、受け入れてもらえるはずがない。
 僕には居場所がないよ。僕が居ていい場所なんて、この世にあるの?」

「夏生……」

「大人って卑怯だと思わない?
 勝手に僕を産んどいて、要らなくなったら捨てるんだよ?
 まともに面倒見れないのなら、産まないで欲しかったよ。
 そういう親に求められなかった子供がこの世界にはたくさん居るんだよ。
 大人って無責任だよ。愛が冷めて離婚するなら結婚するな!
 育てられないなら子供なんか産むな! 大人になんて、なりたくない。
 僕なんか赤ん坊のうちにでも殺しておけば良かったんだよ。
 中絶しろよ。なんで産むんだよ。
 大人ってみんな馬鹿ばっかり。僕は大人になりたくない。ねえ、八重……」

「……な、に?」

「死んでくれない?」

「――ッ」

夏生は呟くようにそう言うと、
持っていたとけかけのアイスを地面に捨てて俺に抱き着いてきた。
そのまま地面に体重をかけて、押し倒され首に手を添えられる。

――ついに、殺される。
いつか俺は夏生に殺されるだろうと、そう思っていた。
だから衝撃はあまりなく、抵抗する気もなかった。
ぐぐっと強く親指で喉ぼとけを押される。
殺される。殺されてしまう。
夏生が今まで殺して来た虫や猫たちのように、俺も殺される。

「八重……八重が大人になるのが嫌だよぉ。
 ずっと僕と遊んで居てほしいよぅ……。
 八重が大人になったら僕との時間がどんどん減っていくんだ!
 仕事をするようになったら八重は僕と遊ぶ暇がなくなる!
 女の人と付き合うようになったら僕は要らなくなる!
 僕は捨てられるんだ! お母さんやお父さんが僕を捨てたように八重も僕を捨てる!!
 八重が最近僕のこと避けてるの知ってるよ! 気づいてたよ!
 やだよぉ、八重…… 捨てないで……
 う、ひっく、ぐす、ずっと遊んで居ようよ……」

「かっ、はッ……アッ……!」

夏生は泣きながら、俺の首を絞め続けた。
夏生の瞳から溢れ出した涙は頬を伝い、俺へと降り注ぐ。
抵抗する気はなかったはずなのに、本能で勝手に体が暴れだす。
夏生から逃れようと、勝手に体が動く。
首を絞める夏生の手をガリガリ引っ掻いて、俺へと馬乗りになっている夏生の背中を膝で蹴った。


「なんで僕のこと避けるの? 避けないでよぉ……。
 寂しいよ、一人じゃつまんないよッ……
 かまってよ! 遊んでよ!」

「う、あああ!!」


渾身の力で身を捩り、夏生を振り払う。
なんとか夏生から逃れることが出来てしまった俺は、
石段に倒れた夏生を放置して、一目散に走って逃げた。
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