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第二章: 「龍の試練」
第十六話:「嵐の前の静けさ」
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蒼龍門に籍を移してから、リンの日々は一変した。
朱雀流で培った軽快な足捌きはそのままに、蒼龍門の重厚な構えや打ち込みの稽古に組み込まれ、肉体も心も次第に新たな色を帯びてゆく。
「……踏み込みが甘い、もう一歩沈めろ!」
道場に響く師範代の叱咤。
汗を滴らせながらも、リンは歯を食いしばり拳を突き出す。腕は痺れ、足は鉛のように重い。だが彼は止まらなかった。
稽古を終えると、遠くから見守っていた彩琳が静かに歩み寄る。
「あなたの動き、だいぶ馴染んできましたね。けれど……まだ蒼龍門の“重さ”を体現してはいません」
その声に、リンは額の汗を拭いながら深く頷いた。
「はい。まだまだ……です」
交流試合まで残された時間は三か月。
だが、その三か月が決して長い猶予ではないことを、リンも、そして門下の誰もが知っていた。
道場に吹き込む風が、どこか嵐の予兆を含んでいるように感じられた――。
蒼龍門の稽古は、朱雀流で育ったリンにとってあまりに異質だった。
朱雀流は「速さ」「柔らかさ」「受け流し」を尊ぶ。
対して蒼龍門は「重さ」「堅牢さ」「地を踏み締める力」。
――それはまるで、水と岩のように相反していた。
道場に立つリンの足は、何度も師範代に叩かれる。
「沈めろ! 腰が浮いている! その足では龍の力は伝わらん!」
「……っ!」
低く構えようとすればするほど、動きが鈍くなる。
速さを犠牲にしたような感覚に、リンの呼吸は乱れていった。
休憩の折、彩琳が近づき水を差し出す。
「朱雀の足運びは確かに軽快。でも、それだけでは“大地を砕く拳”は生まれない。
あなたは速さを殺す必要はないわ。ただ――速さに、重さを乗せるの」
「……速さに、重さを……」
リンは繰り返し、その言葉を胸に刻んだ。
翌日の稽古。
拳の突きは百本。だがただの反復ではない。
地を踏み締め、腰を沈め、背中から肩、腕、そして拳へ――全てを一つの線に通す。
「百八の龍突き」と呼ばれる蒼龍門伝統の鍛錬であった。
一撃ごとに足裏は痺れ、拳は裂け、血がにじむ。
だがリンは歯を食いしばり、最後の一突きを放った。
「……はあっ!」
板張りの床に衝撃が響き、道場に沈黙が訪れる。
師範代はわずかに目を細め、頷いた。
「……まだ荒削りだが、ようやく龍の骨格に触れたな」
彩琳も傍らで微笑む。
「その調子。交流試合までに、あなたの拳が蒼龍の名に恥じぬものとなること……私も楽しみにしている」
荒い息を整えながら、リンは拳を握りしめた。
――自分は、蒼龍門の一員として胸を張れる日を必ず掴む。
空は晴れていたが、門下生たちの心には嵐に備える緊張が、着実に芽生え始めていた。
雷玄首長からの言葉を胸に、リンの蒼龍門での日々が始まった。
朝は道場にて厳しい鍛錬。基礎の型、重りを持っての体力作り、そして彩琳や弟弟子たちとの実戦稽古。朱雀流で培った速さに、蒼龍門の「重み」を取り込むべく、雷玄首長直々に組まれた課題は容赦がなかった。
「体を沈めよ。力は地より生まれる」
師範代の声が響き、リンは歯を食いしばりながら木槌のような拳を幾度も打ち込む。足裏から伝わる衝撃に、次第に体の軸が整っていくのを感じた。
昼になると、リンは町へ下り、薬屋「清蘭堂」へ向かう。
老薬師の夫婦に仕え、薬草を刻み、煎じ薬を調合し、時に山野へ出て薬草を採りに行く。
道場で擦り傷や打撲を負った弟子たちが彼を訪れることも多く、リンは見よう見まねで手当を施す。
「不思議だな。おまえに包帯を巻いてもらうと、痛みが和らぐ気がする」
そう言って笑う仲間の顔に、リンは小さく笑みを返す。
蒼龍門の修行で体を鍛え、薬屋で人を癒す。
その両輪が、少しずつ彼の中に「武人」としての軸を築き始めていた。
清蘭堂は門前町でも評判の薬屋で、店主・陳良(ちん・りょう)とその妻・梅香(ばいこう)が営んでいた。夫婦は人柄もよく、武門に身を置く者たちにも信頼されている。
「リン、こっちの薬草は日陰で干すんだよ。陽を当てすぎると効きが落ちてしまう」
「はい、陳良さん」
道場での修行に加え、薬草を扱う細やかな作業はリンにとって新鮮な経験だった。毎日、道場と薬屋を往復する生活の中で、彼の眼差しは少しずつ落ち着きを増していった。
その夜、梅香が奥の調合室から小さな包みを持ってきた。
「リン、これは私たちが古くから伝えられてきた調合薬。内功の巡りを助ける働きがあるの。疲れた時にだけ飲むといいわ」
恐る恐る口にした瞬間、温かな火が喉から胸へと広がり、全身の経絡を駆け抜けていく感覚があった。
「……っ!」
思わず息を呑んだリンの掌に、自然と気が集まっていく。
翌朝の稽古。
基本の歩法を繰り返すだけで、かつてはすぐに乱れていた呼吸が不思議と持続する。拳を振るたびに、体の芯から力が湧き上がるようだった。
「……おや?」
稽古を見ていた黄震が、わずかに目を細める。
「昨日までより……動きが軽やかだ。何をした?」
リンは慌てて首を振り、ただ稽古に励んでいるとだけ答えた。
だが胸の奥では、清蘭堂の薬が確かに自分を変えつつあることを、彼は悟っていた。
道場での修行と薬屋での仕事。その二つが重なり合い、リンの歩みは確実に次の段階へと進み始めていた。
朱雀流で培った軽快な足捌きはそのままに、蒼龍門の重厚な構えや打ち込みの稽古に組み込まれ、肉体も心も次第に新たな色を帯びてゆく。
「……踏み込みが甘い、もう一歩沈めろ!」
道場に響く師範代の叱咤。
汗を滴らせながらも、リンは歯を食いしばり拳を突き出す。腕は痺れ、足は鉛のように重い。だが彼は止まらなかった。
稽古を終えると、遠くから見守っていた彩琳が静かに歩み寄る。
「あなたの動き、だいぶ馴染んできましたね。けれど……まだ蒼龍門の“重さ”を体現してはいません」
その声に、リンは額の汗を拭いながら深く頷いた。
「はい。まだまだ……です」
交流試合まで残された時間は三か月。
だが、その三か月が決して長い猶予ではないことを、リンも、そして門下の誰もが知っていた。
道場に吹き込む風が、どこか嵐の予兆を含んでいるように感じられた――。
蒼龍門の稽古は、朱雀流で育ったリンにとってあまりに異質だった。
朱雀流は「速さ」「柔らかさ」「受け流し」を尊ぶ。
対して蒼龍門は「重さ」「堅牢さ」「地を踏み締める力」。
――それはまるで、水と岩のように相反していた。
道場に立つリンの足は、何度も師範代に叩かれる。
「沈めろ! 腰が浮いている! その足では龍の力は伝わらん!」
「……っ!」
低く構えようとすればするほど、動きが鈍くなる。
速さを犠牲にしたような感覚に、リンの呼吸は乱れていった。
休憩の折、彩琳が近づき水を差し出す。
「朱雀の足運びは確かに軽快。でも、それだけでは“大地を砕く拳”は生まれない。
あなたは速さを殺す必要はないわ。ただ――速さに、重さを乗せるの」
「……速さに、重さを……」
リンは繰り返し、その言葉を胸に刻んだ。
翌日の稽古。
拳の突きは百本。だがただの反復ではない。
地を踏み締め、腰を沈め、背中から肩、腕、そして拳へ――全てを一つの線に通す。
「百八の龍突き」と呼ばれる蒼龍門伝統の鍛錬であった。
一撃ごとに足裏は痺れ、拳は裂け、血がにじむ。
だがリンは歯を食いしばり、最後の一突きを放った。
「……はあっ!」
板張りの床に衝撃が響き、道場に沈黙が訪れる。
師範代はわずかに目を細め、頷いた。
「……まだ荒削りだが、ようやく龍の骨格に触れたな」
彩琳も傍らで微笑む。
「その調子。交流試合までに、あなたの拳が蒼龍の名に恥じぬものとなること……私も楽しみにしている」
荒い息を整えながら、リンは拳を握りしめた。
――自分は、蒼龍門の一員として胸を張れる日を必ず掴む。
空は晴れていたが、門下生たちの心には嵐に備える緊張が、着実に芽生え始めていた。
雷玄首長からの言葉を胸に、リンの蒼龍門での日々が始まった。
朝は道場にて厳しい鍛錬。基礎の型、重りを持っての体力作り、そして彩琳や弟弟子たちとの実戦稽古。朱雀流で培った速さに、蒼龍門の「重み」を取り込むべく、雷玄首長直々に組まれた課題は容赦がなかった。
「体を沈めよ。力は地より生まれる」
師範代の声が響き、リンは歯を食いしばりながら木槌のような拳を幾度も打ち込む。足裏から伝わる衝撃に、次第に体の軸が整っていくのを感じた。
昼になると、リンは町へ下り、薬屋「清蘭堂」へ向かう。
老薬師の夫婦に仕え、薬草を刻み、煎じ薬を調合し、時に山野へ出て薬草を採りに行く。
道場で擦り傷や打撲を負った弟子たちが彼を訪れることも多く、リンは見よう見まねで手当を施す。
「不思議だな。おまえに包帯を巻いてもらうと、痛みが和らぐ気がする」
そう言って笑う仲間の顔に、リンは小さく笑みを返す。
蒼龍門の修行で体を鍛え、薬屋で人を癒す。
その両輪が、少しずつ彼の中に「武人」としての軸を築き始めていた。
清蘭堂は門前町でも評判の薬屋で、店主・陳良(ちん・りょう)とその妻・梅香(ばいこう)が営んでいた。夫婦は人柄もよく、武門に身を置く者たちにも信頼されている。
「リン、こっちの薬草は日陰で干すんだよ。陽を当てすぎると効きが落ちてしまう」
「はい、陳良さん」
道場での修行に加え、薬草を扱う細やかな作業はリンにとって新鮮な経験だった。毎日、道場と薬屋を往復する生活の中で、彼の眼差しは少しずつ落ち着きを増していった。
その夜、梅香が奥の調合室から小さな包みを持ってきた。
「リン、これは私たちが古くから伝えられてきた調合薬。内功の巡りを助ける働きがあるの。疲れた時にだけ飲むといいわ」
恐る恐る口にした瞬間、温かな火が喉から胸へと広がり、全身の経絡を駆け抜けていく感覚があった。
「……っ!」
思わず息を呑んだリンの掌に、自然と気が集まっていく。
翌朝の稽古。
基本の歩法を繰り返すだけで、かつてはすぐに乱れていた呼吸が不思議と持続する。拳を振るたびに、体の芯から力が湧き上がるようだった。
「……おや?」
稽古を見ていた黄震が、わずかに目を細める。
「昨日までより……動きが軽やかだ。何をした?」
リンは慌てて首を振り、ただ稽古に励んでいるとだけ答えた。
だが胸の奥では、清蘭堂の薬が確かに自分を変えつつあることを、彼は悟っていた。
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