『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
15 / 146
第二章: 「龍の試練」

第十六話:「嵐の前の静けさ」

しおりを挟む
蒼龍門に籍を移してから、リンの日々は一変した。
朱雀流で培った軽快な足捌きはそのままに、蒼龍門の重厚な構えや打ち込みの稽古に組み込まれ、肉体も心も次第に新たな色を帯びてゆく。

「……踏み込みが甘い、もう一歩沈めろ!」
道場に響く師範代の叱咤。
汗を滴らせながらも、リンは歯を食いしばり拳を突き出す。腕は痺れ、足は鉛のように重い。だが彼は止まらなかった。

稽古を終えると、遠くから見守っていた彩琳が静かに歩み寄る。
「あなたの動き、だいぶ馴染んできましたね。けれど……まだ蒼龍門の“重さ”を体現してはいません」
その声に、リンは額の汗を拭いながら深く頷いた。
「はい。まだまだ……です」

交流試合まで残された時間は三か月。
だが、その三か月が決して長い猶予ではないことを、リンも、そして門下の誰もが知っていた。

道場に吹き込む風が、どこか嵐の予兆を含んでいるように感じられた――。


蒼龍門の稽古は、朱雀流で育ったリンにとってあまりに異質だった。
朱雀流は「速さ」「柔らかさ」「受け流し」を尊ぶ。
対して蒼龍門は「重さ」「堅牢さ」「地を踏み締める力」。

――それはまるで、水と岩のように相反していた。

道場に立つリンの足は、何度も師範代に叩かれる。
「沈めろ! 腰が浮いている! その足では龍の力は伝わらん!」
「……っ!」
低く構えようとすればするほど、動きが鈍くなる。
速さを犠牲にしたような感覚に、リンの呼吸は乱れていった。

休憩の折、彩琳が近づき水を差し出す。
「朱雀の足運びは確かに軽快。でも、それだけでは“大地を砕く拳”は生まれない。
 あなたは速さを殺す必要はないわ。ただ――速さに、重さを乗せるの」
「……速さに、重さを……」
リンは繰り返し、その言葉を胸に刻んだ。

翌日の稽古。
拳の突きは百本。だがただの反復ではない。
地を踏み締め、腰を沈め、背中から肩、腕、そして拳へ――全てを一つの線に通す。
「百八の龍突き」と呼ばれる蒼龍門伝統の鍛錬であった。

一撃ごとに足裏は痺れ、拳は裂け、血がにじむ。
だがリンは歯を食いしばり、最後の一突きを放った。

「……はあっ!」
板張りの床に衝撃が響き、道場に沈黙が訪れる。

師範代はわずかに目を細め、頷いた。
「……まだ荒削りだが、ようやく龍の骨格に触れたな」

彩琳も傍らで微笑む。
「その調子。交流試合までに、あなたの拳が蒼龍の名に恥じぬものとなること……私も楽しみにしている」

荒い息を整えながら、リンは拳を握りしめた。
――自分は、蒼龍門の一員として胸を張れる日を必ず掴む。

空は晴れていたが、門下生たちの心には嵐に備える緊張が、着実に芽生え始めていた。

雷玄首長からの言葉を胸に、リンの蒼龍門での日々が始まった。
朝は道場にて厳しい鍛錬。基礎の型、重りを持っての体力作り、そして彩琳や弟弟子たちとの実戦稽古。朱雀流で培った速さに、蒼龍門の「重み」を取り込むべく、雷玄首長直々に組まれた課題は容赦がなかった。

「体を沈めよ。力は地より生まれる」
師範代の声が響き、リンは歯を食いしばりながら木槌のような拳を幾度も打ち込む。足裏から伝わる衝撃に、次第に体の軸が整っていくのを感じた。

昼になると、リンは町へ下り、薬屋「清蘭堂」へ向かう。
老薬師の夫婦に仕え、薬草を刻み、煎じ薬を調合し、時に山野へ出て薬草を採りに行く。
道場で擦り傷や打撲を負った弟子たちが彼を訪れることも多く、リンは見よう見まねで手当を施す。

「不思議だな。おまえに包帯を巻いてもらうと、痛みが和らぐ気がする」
そう言って笑う仲間の顔に、リンは小さく笑みを返す。

蒼龍門の修行で体を鍛え、薬屋で人を癒す。
その両輪が、少しずつ彼の中に「武人」としての軸を築き始めていた。

清蘭堂は門前町でも評判の薬屋で、店主・陳良(ちん・りょう)とその妻・梅香(ばいこう)が営んでいた。夫婦は人柄もよく、武門に身を置く者たちにも信頼されている。

「リン、こっちの薬草は日陰で干すんだよ。陽を当てすぎると効きが落ちてしまう」
「はい、陳良さん」

道場での修行に加え、薬草を扱う細やかな作業はリンにとって新鮮な経験だった。毎日、道場と薬屋を往復する生活の中で、彼の眼差しは少しずつ落ち着きを増していった。

その夜、梅香が奥の調合室から小さな包みを持ってきた。
「リン、これは私たちが古くから伝えられてきた調合薬。内功の巡りを助ける働きがあるの。疲れた時にだけ飲むといいわ」

恐る恐る口にした瞬間、温かな火が喉から胸へと広がり、全身の経絡を駆け抜けていく感覚があった。
「……っ!」
思わず息を呑んだリンの掌に、自然と気が集まっていく。

翌朝の稽古。
基本の歩法を繰り返すだけで、かつてはすぐに乱れていた呼吸が不思議と持続する。拳を振るたびに、体の芯から力が湧き上がるようだった。

「……おや?」
稽古を見ていた黄震が、わずかに目を細める。
「昨日までより……動きが軽やかだ。何をした?」

リンは慌てて首を振り、ただ稽古に励んでいるとだけ答えた。
だが胸の奥では、清蘭堂の薬が確かに自分を変えつつあることを、彼は悟っていた。

道場での修行と薬屋での仕事。その二つが重なり合い、リンの歩みは確実に次の段階へと進み始めていた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...