『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
27 / 146
第二章: 「龍の試練」

第二十八話:「清渓村の恩人」

しおりを挟む
夜明け前の薄明かりの中、リンは足を止めた。
景嵐との決戦は刻一刻と迫っている。だが、胸の奥で何かが囁く――「どうしても、会わねばならぬ人がいる」。

それは清渓村での幼き日々。賊に両親を奪われ、村人たちから親無し子として冷遇される中、ただ一人、自分の存在を認め、心を支えてくれた男。若き頃、村で教師をしていたというその人物。

リンの胸は、郷愁と感謝で熱くなる。
「……あの人に、今の俺を見せたい」

月光に照らされた林道を進む足取りは、どこかぎこちない。孤独と試練の中で培った力と覚悟はある。だが、心の奥で長年封じ込めてきた想いが、決戦前の緊張と混ざり合う。

陰影の中、藍鋒の気配がさりげなく追随する。
言葉も声もなく、ただ見守るその影――守護者としての自覚が、胸の奥で静かに震える。

そして、林を抜けた先に佇む人物の姿が見えた。
年老いた姿だが、あの頃と変わらぬ眼差しでリンを見つめる。
「リン……よく来たな」
その声が、凛の胸を深く揺さぶる。

数十年ぶりの再会。リンは拳を握り、そして深く頭を下げた。
「……私は、あの頃の私ではありません。ですが、あなたのおかげで、ここまで来ることができました」

目の前の男は微笑み、リンの肩を軽く叩く。
「よくぞ、ここまで育った。だが、これから先は己の力で道を切り開くのだぞ」

その言葉が、リンの胸に一筋の光を灯す。
決戦に向けた覚悟と、過去の支えが重なり、彼の心は凛と研ぎ澄まされる。

そして、再び進む足。
「私は……私の道を、必ず貫く」
藍鋒の影が後ろで静かに揺れる。守護者としての存在感が、リンの心をさらに力強く支えていた。

恩師はリンの肩に手を置き、静かに語りかける。

「強さとは、他者を倒す力ではない。己を貫く覚悟、そして守るべきものを護る意志――それがあって初めて、拳は真に価値あるものとなる」

「忘れるな、リン。お前の拳はお前自身の道標だ。人にどう見られるかではなく、己が信じる正しき道を歩め」

リンはその言葉を胸に刻む。
長年の孤独と試練の中で、支えとなった恩師の言葉が、決戦前の心に確かな灯をともす。


恩師との別れを経て、リンは再び歩き出す。
決戦の地を求める心は揺るがず、ただ進む先に「兄の影」があるのを直感していた。

街に足を踏み入れた時――異様な静けさが漂っていた。
往来に人影はあるのに、誰もが息を潜めるように立ち止まり、視線は一点へと集まっている。

その中心に、黒き衣を纏い、冷徹な眼差しを光らせる男がいた。
――景嵐。

人々は道を開き、二人の間には自然と「決戦の舞台」となる空白が生まれる。
胸の奥で鼓動が激しく鳴るのを感じながらも、リンは一歩前に進み出た。

「……兄さん」
「やはり来たか、リン」

景嵐の声は冷え切っており、温情の欠片もない。


リンは恩師の言葉を胸に刻む。
――拳は己の道標。守るための意志があってこそ価値を持つ。

拳を握り締めたその瞬間、街の空気が張り詰め、周囲の人々の息が止まる。
藍鋒は人波の奥に身を潜めながら、この運命の邂逅を見つめていた。

いよいよ、兄弟の宿命が交わる刻が訪れた――。

街の中心、兄弟は向かい合った。
景嵐の眼差しは氷のように冷たく、リンを射抜く。

「蒼龍門の弟子が、俺に立ちはだかるつもりか」
「兄さん……俺は、あなたを止める」

その言葉と同時に、景嵐が一歩踏み込んだ。
大気が揺れる。次の瞬間、鋭い掌打がリンを襲う。

「――ッ!」
咄嗟に身を翻し、リンは拳で受け返す。火花のように衝撃が弾け、周囲の瓦屋根まで震わせた。

観衆は息を呑み、遠巻きに見守る。
兄弟の影が月光の下で交錯し、刹那ごとに拳と拳がぶつかり合う。

だが、僅か数合ののち――景嵐はリンを強く弾き飛ばし、距離を取った。

「……まだその程度か」
冷徹な声が響く。
「だが少しは面白い。次に相まみえる時こそ、命を懸けてもらうぞ」

黒い外套を翻し、景嵐は人混みの中に姿を消す。
リンは荒い呼吸を整えながら拳を握りしめた。
胸の奥に、悔しさと同時に燃え上がる決意。

「必ず……必ず、兄さんを止めてみせる」

その言葉を聞き届けるように、陰に潜む藍鋒の瞳が光った。

路地裏に身を寄せ、リンは膝をついていた。
肩で荒く息をつき、拳は震えている。

「……駄目だ。兄さんの前じゃ……俺は、まだ何もできない」

拳を地面に叩きつける。
修行の日々、老師たちの奥義、独自の型を求めて積み重ねたすべてが、一瞬で打ち砕かれた気がした。
胸の奥に広がるのは、悔しさと無力感――そして、深い悲嘆。

その時だった。

「お兄ちゃん……凄いね!」

小さな声が背後から響いた。
振り返ると、まだ十にも満たぬ少年が、怯えた様子もなく無邪気な笑みを向けていた。

「だって、あんな怖そうな人に、一歩も引かなかったじゃないか! 僕、見てたんだ。お兄ちゃんの拳、すごく光ってた」

リンの胸に、熱いものがこみ上げる。
涙がこぼれそうになるのを必死に堪えながら、少年の言葉を反芻する。

――俺は、無力じゃない。
――まだ届かない。けれど、立ち向かうことはできる。

「……ありがとう」
震える声でそう告げるリン。

少年はにっこりと笑い、駆けて去っていった。
残されたリンは、静かに拳を握りしめる。

「俺は負けない。どんなに差があろうと……必ず、兄さんを止めてみせる」

夜空に浮かぶ月が、その決意を照らすかのように輝いていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...