『戦後80年の教室──記憶と対話のディベート』

キユサピ

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第八十六話 裁く者、裁かれる者

午後の法廷は、午前よりもさらに緊張に包まれていた。
黒板の前には再び「証言台」が設けられ、今度は日本側の証人役が立っている。
制服の上着をきちんと留め、背筋を伸ばして立つその生徒――吉岡隼(よしおか はやと)。
彼は「元陸軍中佐」という設定で、極東軍事裁判における被告側証人として証言を行う。

「私は……命令に従ったまでです。あの時、個人の意思など存在しなかった」

その静かな声が響くと、法廷全体が息を呑んだ。
弁護側のあかりが、慎重に問いを重ねていく。

「では、あなたは“上官の命令”であれば、どんな行為も許されるとお考えですか?」

吉岡は一瞬、視線を落とした。
「……違います。だが、当時の軍隊では“命令は絶対”でした。拒否すれば、銃殺です」

裁判長役の咲が、黒板に【命令と責任】とチョークで大きく書いた。
「ここが大きな争点です。戦争犯罪の責任は、誰に帰するのか――“命令した者”か、“実行した者”か」

その瞬間、傍聴席にいた生徒の一人が手を挙げた。
「じゃあ、“戦争を始めた責任”はどこにあるんですか? 上からの命令だとしても、誰かが“始めよう”と決めたはずです」

教室がざわめく。
慧(けい)が立ち上がり、検察側として口を開いた。

「そのために行われたのが“平和に対する罪”の追及です。戦争を計画・遂行した指導者たちが裁かれたのは、その責任を明確にするためでした」

しかし吉岡は静かに反論した。
「……それでも、勝者だけが裁く構造では、真の“正義”とは言えません。あの戦争で、一般市民を焼き払った国も、誰も裁かれなかった」

慧は一瞬、言葉を失う。
そして小さく、こうつぶやいた。
「……勝者の正義、か」

咲は両者の間に割って入るように、冷静な声で言った。
「この裁判は、歴史の是非を決めるものじゃない。けれど、“なぜ裁かれたのか”を見つめることは、私たちにとって避けられない課題です」

あかりが、手元の資料を閉じながらつぶやいた。
「命令であっても、良心を捨てることはできない……そう思うんです。
でも、もし私があの時代に生きていたら――従わざるを得なかったかもしれない」

静寂。
教室の窓から、秋の日差しが差し込み、埃が光の筋の中で舞っていた。
誰もが言葉を失ったまま、ただ自分の中の“正義”と向き合っていた。

咲はそっと時計を見て、閉廷のハンマーを打つ。
「本日の審理を終えます。次回は、裁判の結審および評議を行います」

その瞬間、拍手も歓声もなかった。
ただ静かに、生徒たちは立ち上がり、それぞれの胸に何かを抱えて帰路についた。

慧は帰り際、あかりに小さく声をかける。
「……ねえ、君は本当に“正義”って信じられる?」

あかりはしばらく考え、微笑んだ。
「うん。たとえ揺らいでも、信じようとすることが、たぶん“正義”なんだと思う」

慧は何も言わず、その言葉を胸に刻む。
法廷での議論よりも深く――人間としての“責任”とは何か、その問いが静かに残った。
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