黒猫と白い歯車

ぱしぇる

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[2]視点の国と知恵の国

11.青い瞳

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 タイムはその場に腰を下ろした。静かに深く吐いた息が雨音に溶ける。
「…僕の、本当の名は、タイム・ヴィート・ブロー。」
 『タイム・ヴィート・ブロー』。メリアは口の中で呟いた。美しい響き。『ブロー』、『青』だ。タイムの瞳の色。二つ以上名があるのは、長くその血筋を残してきた、強い家系の生まれである証だ。そして『ヴィート』という名は、タイムが王の子である証だ。
 タイムはメリア達四匹と短く視線を交わすと、再び緊張の混じる息を吐き、自らの生まれについて話し始めた。
「僕は…ロベリアが言った通り、ヴィート王国の王子として生まれた。…と言っても、十七番目で、落ちこぼれだったけれどね。」
「落ちこぼれなんてことないわ!」
「本当の事なんだ。」
 タイムは我慢出来ず身を乗り出したメリアを尻尾でそっと制すると、前足で右目を押さえて言った。
「この瞳だって…父上や兄上達はみんな金色だ。今までの父の家系の猫達も。それなのに、僕だけは青だった。」
 タイムは足を下ろすと俯いた。
「父上…王は、金の瞳を優遇する。生まれつき能力が高いと言われているんだ。実際その通り。グルドには金目の白猫しか入ることが出来ないように、白猫の中でも金目とそれ以外と、大きく二つに分かれている。金目は特別なんだ。僕は、その中から外れていた。論外さ。体力も、メオを操る力も、頭の回転だって…始めから何もかも落ちこぼれ。父上にも兄上にも見捨てられていた。それが悔しくて、いつか追いついてやろうって、追いつけるかもしれないって…最初はそんな気持ちで。でも…」
「ねえラタ、王子は十六匹だよ。変だね。」
 唐突にチュラカが口を挟んだ。メリアはチュラカの言っていることがよくわからなかったが、プラタナスは頷いた。
「ああ。王子、先程君は十七番目と言ったな?しかし王子は十六匹だと聞いたことがある。君は、王の子であることを隠されていた。もしくは、そのを隠されていた。そのどちらかということだな?…君が王や王子を父や兄と認識している辺り、おそらく後者だと思うが。」
 タイムはプラタナスの目を見ると小さく目を見開いたが、再び俯いた。
「…その様だね。僕が城の外に出ることは無かったし、城の中を行き来することも殆どなかった。僕の存在を知っている猫も僅かだと思うよ。…僕は、それが…青目だから隠されていることが、ずっと嫌で、許せなかった。」
 タイムの声が微かに震えた。
「…許せなかったんだ。」
 タイムはもう一度同じ言葉を呟き、素早く息を吸い込むと、早口に話を続けた。
「同じように、毛色のせいで差別されている猫を見るのも嫌だった。自分を見ているようで…城の中では、黄金の瞳でなければ白猫でないのと同じだ。期待されることも、愛されることも無い…でも、でも、嫌だと思っているだけで…何もすることは出来なかった。…最低だろう?僕は、白猫なんかに生まれなければ良かったって思っていたのに、白い毛ではない猫達からしたら、安全な寝床に豊富な食料のある、恵まれた環境だ。その中で、僕は…」
 タイムの少し震えた声から感じるのは、後悔や白猫達への怒り、そして何より、自分への怒りだった。
 タイムは城の中で、全てを動かしている王の側で、どんな光景を見てきたのか。メリアには想像することは出来なかったが、それがタイムにとってどんなに辛いことだったのかは、タイムの表情から痛い程に伝わって来た。辛く、悲しそうで、今にも溢れ出しそうな何かをぐっと押さえ付けているような。我が子を奪われた母猫や、マトリカリアが学校で時折見せた顔と同じだった。メリアの頭の中から離れない表情。きっと一生忘れることは出来ないだろうと、メリアは思った。
「…ごめん。取り乱してしまって。僕はそれから、どうしても耐えられなくて逃げ出したというだけさ。…情けない王子だと、笑ってくれていい。僕は逃げただけなんだ。メリアが言ってくれたような、かっこいいものじゃない。」
 タイムは悲しそうな笑みを浮かべると、俯き目を閉じた。顔を上げたときには、いつもの優しい笑顔。でもメリアには、タイムが笑っているような気がしなかった。タイムは笑顔の仮面を被っている。もしかしたら、タイムは今までずっと仮面を被っていたのかもしれなかった。
「笑わないわ。逃げたっていいし、あなたのした事は間違ってない。タイムは情けなくない。」
「…ありがとうメリア。でも…僕は」
「タイムはちょっと黙って!」
 部屋の中に再び沈黙が訪れる。強くなった雨音が響いた。
「タイムって結構頑固よね。」
「……そうかもね。メリアはよくわかっているよ。」
「ええ。タイムが実は頑固な事は知ってる。でも、タイムの事は、そんなに知らないわ。今言えるのは、私にとって、王城から逃げ出したタイムはかっこいいって事だけよ!これは私の意見だからタイムは否定しない!」
 つい声が大きくなってしまった。しかしメリアには声を抑える気も、主張を和らげる気も無い。タイムとメリアの視線がぶつかる。タイムの深い瞳に押し負けまいと睨んでいると、タイムがやっと目を逸らした。
「そのくらいにしておけ。」
 プラタナスが二匹の間に流れる緊張と何か分からないものの混じった空気を押しやった。
「タイムの負け!」
 チュラカが押しやられた空気を吹き飛ばした。
「まだ、君の“力”について聞いていない。続きはその後だ。」
「力…?」
 タイムは薄く眉間にしわを寄せた。メリアには、もう自分の事は話したくないというように見えたが、プラタナスは気にする様子もなく、タイムの二つの瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「ああ。」
 プラタナスは素早く息を吸う。
「先程白猫と対峙した際、周りにメオは無かった筈だ。白猫が半径約二十歩以内のメオを使い、俺達を拘束していたからだ。基本的に、猫が操る事の出来るメオは、広くて半径十から二十歩以内。視界に映り、なおかつ意識を集中させることの出来る範囲のものだ。今あるだけの記録で、それより広範囲のメオを動かすことの出来た猫は…いなかった。」
 プラタナスはタイムを見て目を細める。
「しかし、君はメオを動かした。それは、君が半径二十歩より広範囲のメオを操ることが出来たということだ。…実に興味深い。」
 プラタナスは満足気な表情で、タイムを見る。プラタナスの目がきらりと光った。先程までのかたい表情とはうってかわって、好奇心に満ち溢れた目。こちらが本当の目当てだったみたいだ。
「申し訳ないけれど…そのことについては僕にも話すことは出来ない。」
「なぜだ?責任を果たすと言っただろう?」
 プラタナスの目力が強くなる。今にも光を放ちそうだ、と、メリアは思った。
「確かに僕は…普通よりも多くのメオを操ることが出来る。でもそれはたまたま、少しだけ普通よりもメオを視ることの出来る範囲が広かった。それだけだ。何も特別なことはないし、話せるようなことも無いよ。」
かもしれないだろう?」
「どういうこと?」
 プラタナスの怪しげな言い方にメリアは思わず聞き返した。タイムも訝しげな顔をしている。
「確かに王子の能力は『普通より少し』違うだけかもしれない。しかし、先程述べたように、『半径二十歩より広範囲のメオを動かすことの出来た猫は今までの歴史上いない』。ということは、例外がいるということだ。その例外が、「力」の英雄ウィンドエバー。」
 「力」の英雄と聞いて、三匹は素早く耳を立てた。部屋の中の空気が変わる。プラタナスは厳かに口を開いた。少なくともメリアには、そう感じられた。
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