ニセモノの婚約指輪

桜井正宗

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ニセモノの新生活

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 一日が終わり、はじめてお店での暮らしが始まった。
 イベリスのお店は二階に部屋があって、本来は従業員用の寝床にするつもりだったようだ。でも、このお店はまだオープンするつもりがなく、どちらかといえば工房アトリエ的な役割を担っているようだった。

「とても生活感のあるお部屋ですね」
「気に入っていただけたようで良かったよ、プリムラ」
「アロマキャンドル、それに花瓶もきちんと置いてありますね」

「そのキャンドルはね、蜜蝋……ビーズワックスなんだ。蜂が分泌するという蝋で出来ているんだよ。香りがとても上品でね、気にっているんだ」

 本棚もしっかりしている。
 錬金術師の本に、基礎的な魔導書……宗教に神話までたくさんの書物。イベリスが勤勉なのは知っていたけど、ここまでとは。

「これは快適に眠れそうですね」
「あー…あと、プリムラ……」
「はい?」
化粧台ドレッサーもあるんだが……必要なら引っ張り出してくる」
「そんなものまであるのですね。ちょっと意外でした」

 前のイベリスとは大違い。
 前に婚約していた頃は、秘密主義で何も教えてくれなかった。いつも一歩引いていたというか、わたしのことなんて嫌いなんだと感じていた。
 でも……。
 今は少しだけ違うかも。

「じゃあ、僕はそろそろ……。プリムラ、そのパライバトルマリンの婚約指輪はつけていて良い。ニセモノの婚約とはいえ、せめてもの気持ちだ」

「ありがとうございます、イベリス。ニセモノの優しさでも嬉しいです」
「…………っ! き、君はいつもそうだ。肝心なところではダメダメなのに、こういうさりげないところで僕を翻弄するッ」

 背を向け部屋から出ていくイベリスは、なんだか混乱した様子だった。……よく分からない。


 * * *


 ふと起きると、眠ってしまっていたことに気づく。
 朝陽がまぶしい。もう朝だ……。

 フカフカのベッドにアロマの香りで居心地が良すぎた。おかげで久しぶりに快眠できた気がする。

 身嗜みを整え、わたしは一階へ。
 階段を下りていくと良い匂いがした。

 キッチンの方に誰かいるみたい。

「そこにいるのはイベリス?」
「おはよう、プリムラ。今、朝食を作っている」
「あなたが?」
「意外だったかい。そうだよ、僕が作ってる。これでも料理が得意でね」
「そ、そうだったんですね」

 そんなこと一度も教えてくれなかったのに。

「ほら、特製のスクランブルエッグと帝国製の紅茶だ」

 お皿には黄色の卵、それにベーコンも盛り付けられている。シーザーサラダまで……これ全部手作りだなんて。

「いいのですか?」
「もちろんだよ、プリムラ。君に食べて欲しい」

 椅子に腰を掛け、わたしはただただ驚いていた。
 イベリスにこんな料理の特技があったとは……。あとは味だけど。

 フォークを手に取り、さっそくスクランブルエッグをひと齧りしてみた。……ふわふわでケチャップの味も程よい薄味。濃すぎず、とてもバランスが取れている。

「とても美味しいです」
「良かった。マズイと言われたらどうしようかと思ったよ」
「でも、イベリスってば酷いです。どうして教えてくれなかったのですか」
「料理を始めたのは最近だよ。本当だ」
「そうなのですか?」
「ああ……。前の僕は君を幸せにしてやれなかったからね。あの時は自分に力と自信がなかったから……。だから、まずは料理を始めようと努力したんだ。それがこの結果さ」


 そっか。わたしの知らないところでイベリスはがんばっていたんだ。普段はなんでも出来る商人を演じているのに、本当は何事も真面目に取り組んで、技術を磨いているんだ。それが彼なんだ。
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