偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ

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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・1

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 人間には、体内時計というものがあるという。

 私の身体にもそんな機能が備わっているのだろうか、何かに呼ばれたようにふと顔を上げると、眼前の窓に広がっていた闇に横一文字の白い線が浮かんでいた。
 遠くに見える、クレーターの縁が白く輝いている。
「もう、朝か」
 口の中で呟く。
 黒檀のデスクに手をついて立ち上がり、窓のそばまで歩く。眼下にはネオンに満ちた不夜城の街が広がっている。喧騒は聴こえないが、色とりどりに瞬く光に生き生きとした命を感じる。
 夜は、暁前が1番暗く、街はまだ炯々と夜の顔をしている。しかしあと半刻もすれば、強い陽の光にネオンはくすんでしまうだろう。
 朝日を恐れた時期もあった。私が幼少だった時分で随分と昔の話だが。未だに脳裏に潜む何かが「朝が来るぞ」と私に囁く。さあ。急いで影に隠れるんだと。
 だから、今でも朝の気配を感じるとほんの少し心が沈む。
(身についた習慣というものか)
 街をぐるりと取り囲む高い防壁のようなクレーターの縁が、次第に明るくなるのを眺めつつ内心苦笑した。
 古いホラー小説のように、日を浴びて灰になることなどないのに、日を避けようとしてしまうのには訳がある。
それは、朝が人間の営みが始まる合図だったからだ。彼らと我々は長い間、そうして住み分けをしていた。人は夜の闇を恐れ、我々は日の光から身を隠した。
 昼と夜を折半し、ある意味では「共存」と言えただろう。
(恐怖を伴うものだったし、解り合えず誤解も多く生じたが)
 長命種族特有の思考癖に首を振る。考え始めるとすぐに感傷的に昔を回想してしまう。時に物事は単純に考えた方がいいものだし、その方が心も穏やかでいられる。
(欝々としてしまうのは、疲れているせいだろう)
 空腹感はもう麻痺してしまっている。
 虚な感覚しかない腹を撫でる。


 血を飲まなくなって、どれくらいだろうか。


 いや……
 飲めなくなって、と言う方が正しい。
 人間らしい食事から摂るエネルギーでも、それなりに肉体は維持できるし、実際この何百年はそうして生きてきた。「仲間達」は私を哀れみ、枯れ木のような脆いものに触れるように、慎重に言葉や態度を選んで接してくれる。だが同時に(それでもこいつは死なないなんてやはりおそろしい)という好奇や畏怖が混じる視線も感じる…まあそれにももう慣れたが。
 肉体的な不都合があるとしたら、慢性的な倦怠感と時折感じる酷い眩暈、何もかもがもう面倒だと思う厭世観だろうか。
(そんなものを抱いたとして、死ねるわけでもないんだが)
 ぼんやりと見ていた鮮やかな街を唐突に疎ましく感じ、踵を返してデスクに戻る。仕事に関するあれこれが映し出されたままだったラップトップのモニターを閉じる。
 自室に帰って熱いシャワーを浴びよう。柔らかい毛布に体を沈めて眠ろう。小さな喜びをつないで生きてゆくしかないのだ、それが私の運命なのだから。
 デスクの上で冷たくなっていたモバイルを取り上げて、オフィスルーム直通になっているエレベーターの前に立った時、手に握っていたそれが振動する。
「もしもし」
 自分でもわかるほど、そう応じた声は疲れていた。
 相手が誰かは解っていたし、何の誘いかも見当がついていた。
「レオニスぅ、まだ仕事か? たまにはクラブにも顔を出してくれよ」
 ねっとりと絡みつくような声。
「やあ、クリスチャン」
 私は応じた。
 背後からはひどい喧騒。言葉通りクラブにいるのだろう。少し耳を離す。
「最近、まったく連絡もよこさないし姿を見せないからさぁ。心配してるんだぜ、これでも」
「わかってる。ありがとう」
 声音は相変わらずべっとりと耳障りだが、悪い男ではない。それは解っている。ただクリスチャンはいつでも血の臭いをさせている。それは我々一族にとっては「当たり前」なのだが、今の私にとっては吐き気を催す悪臭だった。
「今日は疲れてるし、また今度」
 そう言っても、彼は「あ? なんだって!?」と聞き返すばかりだ。聞こえていないはずはないし、その返答にため息をついた私にも気づいたはずだ。
「なぁレオニスぅ…、諦めんなよ。お口に合うやつがこれから見つかるかもしれないだろ? 『食事』をしなくても死なないとはいえ、お前いつもマジでひでぇ顔してんだから」
「……」
 エレベーターの鏡面仕上げの扉に映る自分の顔を見る。
 見た目の歳の頃は人間でいうところの30歳くらいだが、整えてはいても白い髪はパサつき、目の周りは燻んでいる。肌もただ白いばかりだ。
 ひどい顔なのは誰よりも知ってるさ、この私が。
「な? ちょっとでいいからよォ。気晴らしにでも来いよ。まぁ…ほら、ワインやフツーの飯も用意しておいてやるから」
 耳障りな声だが、真摯な心配も滲んでいた。
「……わかったよ」
 そう返事をしたが、それはクリスチャンの気持ちを汲んでのことだ。「食事」をしに行く気は1ミリたりともなかった。ただ、彼の出すワインはいつも上物だった。
 通話を終え、開いたエレベーターに乗り込む。
 下降する浮遊感に軽い目眩を感じつつ、どう早く切り上げて帰ってこようかを考える。
 そもそも具合が悪くならなければいいが。
 クリスチャンの経営するクラブには、大勢の客が来る。
 そう…人間も大勢。
 今や、私にとっては脅威でしかない存在が。


 吸血鬼(ヴァンパイア)が何を言ってると思われるだろうが――


 そう、私は。
「人間アレルギー」なのだ。





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