上 下
2 / 31
第一章

第一話 アージェント -2-

しおりを挟む
 アージェントたちは宣言した通り、おおよそ2時間後である昼過ぎに姿を表した。
 銀を基調としている金属製の鎧に身を包んだアルと、上質な革の装備の上に関節や枢要部を金属製の鎧で覆うだけという特殊な装備に身を包んだアブゾルフが肩を並べている。


「やあやあやあヴァラン。彼女はバッチリさ」
 アブゾルフのような実力もあり、付き合いの長い冒険者を立会人として雇うのは冒険者の実力を見極めてもらうためというのが理由の半分としてある。
 もう半分は、不測の事態への対処である。観測手というなり手の少ない役割を担うアブゾルフが同行することでおおよその危険は事前に察知しうることや、そもそものアブゾルフの実力の高さから仮に危機に直面してもなんとか生還しうるだろうという点からアブゾルフは貴重な存在である。

 立会人をやる人間との間には色々とその仕事について事前に決めておくことが多い。例えば、その冒険者の実力についてを間接的に伝えてもらうことになっている。
 「バッチリさ」とアブゾルフが言う場合は対象の実力が平均以上である場合だ。仮に実力を下回ってる場合は「上出来」と、話にならない場合は「今日は野犬が少なくて1匹しか狩れなかった」など、様々だ。
 アージェントに関しては、銀としては実力は平均以上だということが保証された。これで彼女も晴れてこの酒場において仕事を受けることができるようになったということである。


 一向に上機嫌が収まる気配の見せない、というよりも行きより上機嫌さをまして帰ってきたアブゾルフはいつものテーブルに我が物顔で座り込む。
「さーて、それじゃあ早速お楽しみのエールを頂こうじゃあないか!」
「そういう思ってな。お前さん好みの常温のエールだ」
「おっ、悪いねー。流石はヴァラン!」
 アブゾルフは受け取ったエールを机に置いてから鎧を外してまとめ始めたのを見てアージェントの方へ向き直る。

「さて、コイツがお前さんの実力を保証しているということで、だ。お前さんにも明日から仕事を斡旋しようと思う。手間を掛けてすまないな」
「いえ、これがこちらのお店でのやり方なのでしょうから。明日からよろしくお願いします。それとアブゾルフさん。ありがとうございました」
 アージェントは既に鎧をまとめ終えたアブゾルフに対し頭を下げた。

「いいってことよ、お陰で美人のいいものが見れたし!」
 美人のいいもの、つまりはそういうことだろう。アージェントの装備が珍しいスカート型であることからして、何を拝んだのかは想像がつく。
「アブゾルフさん」
 アージェントは微笑んでいるが、その目は笑っていなかった。声の冷たさに思わず作業をしていた手を止めてしまう。
「実を言いますと私、貴族の娘として育ちまして。貴族は未婚の娘に対して、その純潔を散らそうとする方への対抗策を授けることはご存知かしら」
 笑顔に凄みを増していくアージェントとは対照的にアブゾルフの笑いが引き攣り始める。
「いざというときのために肌着や服の裏にはある呪文を記しているんです。どんな呪文か想像できますか」
「何が、とは言いませんが徐々に腐り落ちるそうですよ」
 思わず惚れてしまいそうなほどの美しい笑顔でアージェントがアブゾルフに語りかけると、アブゾルフは真っ青になった顔のまま奥へと駆け込んでいった。
 感心するほどの逃げ足の速さである。私物を1つも残していない。


「アルさん、うちのバカが失礼した。俺からのサービスだ。お口にあうかはわからんが」
 事前に注文をされていたサンドイッチをアージェントの方に置く。
「あら、マスターさんありがとうございます。あと、私は呼び捨てでアルで構いませんよ」
「ならそう呼ばせてもらおう、アル。俺はヴァランデル、ヴァランでいい。改めてよろしく頼む」
「こちらこそお願いしますね。できれば今後は単独の討伐依頼をお願いします」
「わかった、明日から手配をしておく」
「ありがとうございます。それと、しばらくしたら彼に先程のは冗談だと伝えてください。確かに呪文は記してありましたが発動はしていなかったんです」
「アイツもそれは知ってるさ。バカとはいえ、そこまでバカじゃない」
 あまりに殊勝に謝るのでつい本音を出してしまった。

「あら、だとしたらどうして席を立ったのかしら」
「おや、お前さんは鏡を見たことがないようだな。そりゃ美人にあんな笑顔で微笑まれたら恥ずかしくって逃げたくもなるさ」
 アブゾルフが席を立った真意は別にあるが、それを伝えるのはまだ早いため適当にはぐらかす。
「あら、お上手ね。ところでこの辺りに宿はあるかしら。できればここから近いところがいいのだけど」
 サンドイッチをいつの間にか食べ終えたアルが問い掛けてきた。
「あるにはあるが、この辺りの宿はどこも男女混合で雑魚寝だ。お前の実力なら個室で鍵付き、夜間は玄関及び裏口を施錠、食事は別途料金を払えば出してくれるといった程度の宿は十分取れるだろう。少し遠くにはなるがこの条件の宿でどうだ」
「あら、随分と心配してくれるのね」
「そりゃお前さんの外見は人目を引くからな」


「それに服の呪文も本当はもう効力を失ってるだろう。自衛はすべきだ」
 アージェントが目を丸くするのが見えた。
「随分と鋭いのね。なぜわかったのかしら」
「外見が人目を引くというのは鏡を見ればわかるだろう」
「お世辞でも嬉しいわ。でもおわかりだと思いますが呪文が効力を失っていることに気がついた理由について答えてほしいの」

 その目は真剣だった。だがこういった類いの相手としては知られたくないことだというのはわかっていたので、素直に迂闊に口を滑らせたことを反省する。
「喋っても、本当にいいのか」
 多分だろうがあまり触れてほしくない話題であろうということは想像に難くないため確認を取る。
「ええ、あなたがどうしてそう考えたのか、それが私は知りたいの」
 アージェントの射抜くような目は変わらない。


 意見を変えることはないだろう。決意をして、理由を話すことにした。

「服に直接呪文を記したとしてもその効力はもって1年。そんなことができるのはいいとこのお嬢さんくらいだ。だがお前さんの冒険者カード自体は5年前に発効されてる。毎年呪文の記された服を買うことのできるような裕福な家だとして、5年も冒険者をやらせているのは通常考えられん」
「だから次に考えられるのはお前さんが家出娘であることだ。だがそんな家の娘が逃げ出した、それも5年も見つからずにやっていけるとなるのは無理だろう。他にも、お前さんがその服の本来の持ち主から服を奪ったことだろうが、もちろんこれも違う。なにせ貴族のお嬢さんから服を奪ったとしても、貴族の服はだいたい一点物だ。冒険者としての活動時に着る服であるなら尚更自分に合う服でなければならないから、他人の服なんてもってのほか」
「となると考えられるのは一つ。家が無くなったから冒険者になった。違うか」

 しばらく沈黙をして、アージェントは頷き言葉を返してきた。
「ヴァランデルさんの言う通り、私の家は5年前にとある魔物に襲われ、使用人も含めて皆死にました。でも私は運良く死ななかった。だから私はあの魔物に復讐するために冒険者になったの」
 アージェントの手に赤みが増し、彼女の心を代弁するかのように手甲が小さく軋んだ音を立てた。
「とはいえ、女性の嘘を暴くのはいただけないわ」
 怒気など微塵も感じさせないように取り繕った笑顔で彼女が言うので、手甲の音には気が付かない振りをする。

「ははは、それはそうだ。詫びにエールはどうだ。いや、お嬢さんにはワインの方がいいかな」
「あら、優しいのね。でもお気持ちだけ受け取るわ。お酒は飲まないの。それよりも紅茶が好きよ」
「なるほどな。なら今度から紅茶でも用意しておくよ、それでいいかな」
「ありがとう、でも紅茶の淹れ方を知っているかしら」
 俺の教養のなさを馬鹿にするでもなく、純粋に心配そうな声音で訪ねてくる。その声はまるで人を疑いということを知らない良家のお嬢様のものそのものであり、どこぞの箱入り娘だったんだなと勝手に決めつけてしまう。
 あきれ返るほどお人好しそうな彼女は俺の答えを待っているようで、無教養であることを素直に白状する気になる。

「なるほど、淹れ方なんてあったのか。教えてもらってもいいかな。あいにく教養がなくてな」
「もちろんよ。完璧に仕込むわ。お詫びの証、ですものね」
「ははは、お手柔らかに頼むよ」



 しばらく談笑をしていたところ、気がつけば外は太陽が沈んでいた。思いの外長く話し込んでいたようだ。
「アル、そろそろ宿に向かったほうがいいだろう。さっき言った条件のところでいいか」
「ええ、そちらでお願いするわ」
「わかった、道を説明する。ただ、くれぐれも裏路地には行くなよ」
「あら、私の実力は先程わかったんじゃないのかしら」
「それでも、だ。何が起きるかわからないからな」
「心配性なのね、貴方は」
「いや、そうでもないさ」
しおりを挟む

処理中です...