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第一章

第二話 アブゾルフ -5-

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 彼女とは長い間を過ごした。
 いつしか野営地のようだった寝床はちょっとした家のようになっていて、布団も少しだけ厚手で立派な毛皮になっていた。床に木の葉を敷いただけのものが2つではなく、木で枠を作ったものに革を貼った立派なものが1つに変わっていた。
 それでも俺は相変わらず人間世界のことを話し、彼女は俺に様々なことを教えてくれた。

 彼女が教えてくれた中で最も俺にとって新鮮だったのは肉体の動かし方と物の観察の仕方だった。
 彼女はどうやら直接的な戦闘力に乏しいものの五感が鋭敏で、そして何かを観察ことに長けていた。そんな彼女に観察の仕方や五感の上手い使い方などを教えてもらってからは世界が異なって見えるほどであった。


 だが、そんな幸せな時間は唐突に終わりを告げた。
 ある冬の夜のことだった。妙な胸騒ぎがして目を覚ますと隣で寝ているはずの彼女も起きていた。
「これさ、多分囲まれてるよね」
 音は聞こえないが、不快な視線を多方から感じる。
「うん。囲んでいるのは人間だね。それも5人。多分、強い人たちだと思う」
「なんでここに来てるか、とかはわかるかな」
「ちょっと待ってて。会話を拾ってみるよ」

「知能のある魔物と人間に擬態できる魔物の2体があの建物にいる。それを討伐する。だってさ」
 彼女は淡々と告げているつもりなのだろうが、その声は震えている。
「そっか」
 だから俺は努めて冷静な声を出すよう意識をした。そして枕元にあるナイフを引き寄せ、干していたマルファの作ってくれた革の服を纏う。
「君は逃げて。僕が戦う。忘れてると思うけど、僕は魔物だからね」
 マルファの目は真剣で、譲る気はなさそうだった。
 でも、それじゃあ意味がない。俺は二人で助かりたいから。

「マル、魔物は2体って伝えてくれたよね。つまりは俺も招いてすら居ないのに来たお客さんからしたら魔物らしい。ってことは首を2つ取るまでは帰らないんじゃないかな」
「確かに、そうだね。うん、確かにそうだ。だとしたら僕と一緒に戦ってくれるかな」
「もちろん!」
 そう言いマルファは木の槍を置いて弓の用意を始めた。
 俺と共に住み始めてから、マルファに自衛のためとして弓を教えたのだが、既に弓の扱いに関しては俺を超えている。
「作戦、どうしよっか」
「僕に任せて。考えがあるんだ」

 彼女の言う策とは、彼女が生み出す毒を活用することだった。彼女の出せる筋肉毒と神経毒。それを混ぜ合わせ俺のナイフと彼女の鏃に塗り、1人か2人の動きを止めてそこから一点突破。
 単純かつ明快で、相手を傷つけない策だ。

 ただ、少しだけ訂正をした。彼女は事前に近くの樹上に潜んでもらい、俺はこの家を背にして戦うことにしたのだ。
 あたかもこの家に誰かが居て俺がそれを守っている風を装う。そうすることでこの家に2人とも居ると相手に錯覚させ、その鋤に隙に彼女が後ろから狙い撃ちをする。 彼女には背後から襲うことの重要性を説いて納得してもらったが、実のところ彼女を危険に晒させないために頼み込んでの訂正だった。


 だが、せっかく考えた策は無駄となった。「伏せて!」と彼女が叫んだと同時に家ごと吹き飛ばされたのだ。魔法師がいたのだ。
 となると最低でも相手は銀のチームだろう。
 
 幸い俺は家の下敷きにはならなかったがマルが見当たらない。まさか。
「ちっ、仕留め損ねたか、おい、アホ野郎、まだ一匹生きてんぞ」
 新しそうな装備に身を包んだ剣士の男が吐き捨てる。
「なんだよ、一匹仕留めたんだから十分だろ。俺は十分仕事をしたぞ」
 杖を持っている、魔法師であろう男が言う。
「ま、4対1なら楽勝だろ」
 そして拳を籠手で固めた男が一歩前に出た。
「ってなわけで、死んでもらおうか、モンスターさんよ」槍を持った男が構えた。

 これで4人。だがマルは5人と言った。ならばどこかにもう1人いるはずだ。そいつを探さねば。

 しかし相手は既に臨戦態勢であり、囲まれている。とてもじゃないが、4人を躱しながら5人目を探すことはできないだろう。どうしたものか。

 そう思っていたところ、背後で人が小さく悲鳴を上げ、高いところから人が落ちる音がした。
 マルだろう。生きていたのかと安心する。

「んだ? おい、ユアル! ユアル!」
 籠手の男が叫んでいる。だが、剣士の男は冷静に「ちっ、殺られたか。まあいい、それでも4対2だ。お前ら、行くぞ!」と叫んだ。
 その掛け声により籠手の男も落ち着いたようで、こちらに一斉に襲いかかってきた。
 真っ先に肉薄してきたのは籠手の男だった。だが、そいつの拳は非常に遅く単調で読みやすいものだ。躱しながら相手の耳朶を薄く切る。
 そいつの後ろに重なるように迫ってきていた剣の男の動きは拳の男よりは少し早いものの、それでも遅く、単調であった。
 鎧に覆われていない足首の隙間目掛けてナイフを振るう。

 マルに教えてもらった、相手を見るということがここまで役に立つとは思わなかった。

 そして他の2人の方へと振り向く。槍の男は魔法師を守るように動き、魔法師が詠唱を始めたのが見えた。
 しかし、魔法師の頬を矢が掠めていった。マルだろう。槍の男が矢の放たれた方向を振り向くと同時に男の頬を矢が掠める。
 
 4人はしばらくすると誰も動かなくなった。息はしているから生きてはいるのだろう。
 少し遠くの木が不自然に揺れている音がした。多分マルが呼んでいるのだろう。
 そちらに向かうと案の定マルが出てきた。だが、その顔は沈んでいた。

 そこそこ歩いているためこの距離ならば今回襲ってきた5人にも声は聞こえないだろう。
 息を潜めることをやめる。
「よかった、マル! 生きてたのか」
「うん。でも」
 何かがに言い淀んでいた。きっと家がなくなったことへの心配なのだろうか。
「家、無くなっちゃったけどさ、またどこかで一緒に暮らそう」
「ダメ、だよ」
「だって、アブゾルフは僕といるとまた人間に襲われちゃうかもしれないじゃん。僕は君が人間と戦うのを見るのが、嫌だったんだ」
「だから、だから」
 マルの声は震えていて、小刻みに震える肩に手を乗せて一歩だけ近づいた。
「マル。聴いてくれ」
「俺は確かに冒険者で、モンスターを倒すこともあるけれど、人間と戦う仕事だって受けたことがある。だから人間と戦うことをそんな心配しないで大丈夫だよ」
 だから安心させたくて言葉を紡いだ。
 
「でも、でも! 君が依頼で受けてきたのは悪い人たちと戦うためめだよね。さっきの人たちは、いや、今後もし僕たちが一緒だった場合に襲ってくる人たちはきっと普通の人だよ。僕は君に普通の人を殺させたくないんだ! それだけは僕、耐えられないんだよ」
 多分マルの言う通り、なんだろう。魔物の討伐に来るのは基本的に善良な冒険者だ。

「その通りだと思う。でも、だからこそ俺の考えを聴いて欲しいんだ。いいかな」
 小さくマルが首肯したので言葉を続けた。
「確かに、今回の奴らは普通の人だったと思う。それに、今後モンスターを討伐に来る依頼を受けて俺達と戦う人たちも普通の人だと思う。でも、俺はそれでもマルと一緒に居たいんだ。でも、このまま2人で一緒にいて依頼されて俺たちを討伐しに来る冒険者を撃退していったらさ、どんどん強い冒険者が依頼を受けることになるだろうし、そのうち倒せないような冒険者がやってきて二人共殺されると思う。だから確かにマルの言う通りマルはマルでどこかに、俺は俺で別の場所に行くほうがいいと思う」

 わかっているのだ。これが正解なのだ、と。
 だが、そんな現実はクソくらえだ。
「でもさ、マル。俺は正直どうしてもマルと離れたくないし、マルもきっとそうだと思う。だからしばらくしたらまた一緒に暮らそう。でも、また狙われたとしても安全に逃げられるように俺のカードが金になってからでいいかな。3年、いや1年もしないで絶対になってみせる。そしたら迎えに行く」
「迎えに、ってどうやるの」
「実はこんなものを俺は持ってるんだ」
 鞄から輝く石を取り出し、2つに割る。片方をマルに渡し、もう片方を俺が持つ。
「この石はさ、元の1つに戻ろうとする力が凄い強いんだ。ちょっと見ててね」
 彼女の方から20歩ほど離れ、石を地面に落とす。すると真下に投向かうはずの石は彼女の方に引寄せられ、本来の落下地点よりも彼女の側に落ちた。
「俺のカードが金になったら、これを何回も繰り返して探しに行く。完璧でしょ」
「そうね」
 マルの笑いには呆れが入っている。 
 この方法だと呆れるほど時間がかかるというのは俺もわかっているから、似たような笑いをしてしまう。

「でもさ、どれだけ離れてても見つけ出すから。それまでちょっとだけお別れしよう」
 だけど、こんな方法であっても俺は必ず彼女を見つけ出すつもりだ。
「ちゃんと見つけ出してよね。遅かったら探し出して、噛み付いちゃうから」
 小さな牙を見せてマルが笑う。今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。
「ははは、そりゃ怖い。マルの毒がよく効くことはさっき実感したからね」
 だから俺も今までで一番だろう笑顔を見せる。せめて覚えてもらうのは笑顔がいいから。


「じゃあ、またね」
 彼女の小さな唇に自分の唇を重ねる。
「うん、またね。じゃあ、ちょっとだけバイバイだ」
 彼女も同じことをする。
「あとそうだ。これ、お守り」
 彼女はそう言い小さな革の袋を取り出した。
「私の牙と鱗、私のことを忘れないでね、ってためだからお守りとはちょっと違うかもしれないけど……」
 中には緑色の透き通った鱗と、白磁のような牙が革の袋に入っていた。
「持ってるだけで多分魔物避けになると思うよ」
「そっか、ありがとう。だったら、俺からはこれだ。俺の名前の入ったナイフ。あげるよ。アイツらの持ってた剣を奪ったから武器はあるし、武器がないとかの心配はしないでいいよ」
「人の物を取ったら泥棒、じゃなかったの」

 彼女はそう言いながらも嬉しそうにナイフを受け取った。
「アイツらは二度と手に入らない俺の大事なものを奪おうとしたじゃん。でも俺はそこらでまた手に入るものを奪っただけにしたからいいのいいの。問題ない」
「それもそうだね」
 マルも笑っている。本来なら返り討ちにした相手は殺されても仕方ない。そのことをマルも知っているのだ。それなのに身動きを封じるだけというのは本当に甘い対応だと思う。
「じゃあ、今度こそ、またね」
「ああ、また会おう」
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