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第一章

第三話 アル -4-

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 カウンター横の扉を開けて奥に続く通路を進む。
 元々ここが酒場と宿屋を兼業していたため空き部屋自体は5つほどあるが、そのうちの2つは全く手入れをしていない。となると実質3つだ。
 1つは前のマスターの荷物等を保管していて、1つは俺の自室として使っている。となると1つしかないのだが、そこは心情的には一番使わせたくない部屋でもある。

 そこはかつてここがまだ俺の店ではない時にある女性と2人で借りさせてもらっていた部屋であるからだ。
 あの日から止まったままだった時計の針を進めるしかないだろう。


 少しだけ錆びついてしまったため鍵穴が上手く回らないが何度か試すことで解錠でする。年に一度、彼女が亡くなった日にしか立ち入らないため部屋は少々埃臭く到るところが色褪せていた。
 窓を開け、ある程度掃除をしてから新品の寝具を運び込み終えてからアルに声を掛ける。


「アル、すまんがマットレスは少し埃っぽいかもしれん。流石に替えのマットレスは無くてな」
「大丈夫よ、そのくらい気にしないわ」
 アルはそう言い部屋に入っていき、その広さに目を見張っていた。
「凄い広い部屋なのね、ここは」
「ここの部屋を借りていたのは2人組の冒険者だったからな」
「随分と変わってるのね。2人用の部屋がある宿屋なんて」
 基本的にチームで動く冒険者は、酒場や飯処の近くにある集合住宅を借りて生活するため、宿屋は基本的に1人用である。

「前のマスターがわざわざ改築してくれたからな。いい人だったよ、多少どころではなく変わっている人だったがな」
 未だに倉庫には先代の所有物が残されている。燃やすと新品同然に再生する雑巾なんていう便利なものも極稀にはあるが大体は碌でもない物である。
「なんだか、ヴァランの顔を見る限りは相当な方なのね」
 アルが半ば同情するように笑いかけてくる。先代とその友人たちの突拍子もない行動を思い返していたところ、どうやら呆れているというように顔に出ていたらしい。
「本当に、まあ、なんというか。愉快な人だったよ。死んだなんて信じられないくらい人はな」

「ところでアル。湯浴みの用意と替えの服は持っているのか」
 今日アルは討伐依頼を2つほどこなしてきた。そのため汗を流すのか、という意図で尋ねる。
 そもそも基本的に冒険者は仕事中に大きく汚れた際に替えの服を用意しているはずであり、質問をするまでもないことかもしれないが一応確認をする。

「あら、これから抱くから身体を綺麗にしてこいってことかしら」
 妖艶な笑みをアルがこちらに向けてからかってくる。
「馬鹿なこと言うな。お前今日もモンスターを狩ってきたんだろ。寝る前に汗や汚れを落とせってことだ」
「ふふ、わかってるわよ。でも服は薄手のローブしかないの。仕方がないから湯上がりはそれだけでいいわ。貴方のこと、信頼してるから」
 再び妖艶な笑みを向け、俺の反応を楽しんでいるようだ。面倒なことになる前に背中をアルに向ける。

「お前なぁ……」
「だって最初会った時私を子供だって言ったじゃない。子供だったらそういう目で見ないでしょ」
「それとも貴方は子供の身体に興味があるのかしら」
 既に装備を外していたアルが目の前に回り込み、薄いボディスーツの胸元を開《はだ》けさせたため、彼女の白磁のような肌が丸みを帯びている様が露わになる。
 再び背を向けながら「馬鹿言ってないでで早く行け、湯殿は突き当りを左だ」とぶっきらぼうに告げた。今度は目を閉じているので安心だろう。

「ねえヴァラン、一緒に入りましょうよ」
 アルからの思いもよらない提案に思わず目を見開いてしまった。アルは先程の開けたままの格好で俺の目の前に立っていた。
「遠慮しておく。俺は朝に入る主義なんでな」
「あら、残念。紳士なのね」
「婚約していないうちはしない、それだけだ」
「あら、そういうこと。それじゃあ今日はお預けかしら。それじゃあお湯を借りるわ」
 そう言うやいなや彼女は身体を反転させ部屋を出ていった。


 アルが湯を浴びている間に店の戸締まりをし、途中で放り出してしまったカウンターの片付けを終えてから俺の自室として使っている部屋に向かった。
 そして、アルがまだ湯を浴びている音を確認してから、机の中からペンダントを取り出す。

「すまんな、お前によく似た人をあの部屋に上げたよ。こんな俺をお前は軽蔑するか、セレル」

 当然、答えはない。
 だが、返事の代わりにアルの「ヴァラン」と呼ぶ声が聞こえた。小箱に丁寧にしまってから戸を開ける。

「何か用か」
 宣言通り生地の薄いローブ一枚のアルが扉の前に立っていた。
「ヴァラン、寝るまでは少しお喋りしましょうよ」




 結局俺は彼女の部屋のベッドで共に朝を迎えた。理由はアルが寝るまで手を握って欲しいというから手を握ったはいいものの、そのまま朝まで離してくれなかったからだ。
 そして、そんな状態のままアルが寝返りを何度か打ったことで身体を引っ張られたためベッドで隣になるしかなかったのだ。しばらくするうちに、気がつくと俺も眠りに落ちていた。




 ただ、太陽が昇る頃に目を覚ますという習慣はもはや身体に染み付いていたため、環境が変わっても寝坊をするということはなかった。
 もし寝坊をしようものなら店が開くと同時にやってくるアブゾルフに何を言われるかわからない。それにアルと寝ていたと耳にすれば囃し立ててくることが必定だから一刻も早く開店の準備をしなければならない。
 右手を離さないように気をつけたまま、アルに声をかけながら揺すり起こそうとする。
「アル、朝だ。起きてくれ。店の準備をしないといけないんだ」
 だが、無情にもアルからの反応はなかった。完全に熟睡しているのだろう。こうも安らかな寝顔を見ると起こすのも忍びない。


 仕方ない、か。


「アル、頼むから起きるなよ」
 手を離さないように気をつけながら、毛布ごとアルを抱え上げる。そして指には本日臨時休業と書いた立板を足で押して運びながら、口で玄関の鍵を咥えて扉を開けた。
 しかし、既にアブゾルフは店の前で開店を待っていたようで、運悪く鉢合わせをした。
 俺とアルを見るなり好奇心に満ちた顔ですり寄ってくるなり、耳打ちをするような体制になる。アルを起こさないための配慮であろうが、その配慮が今はただただ不快に思えて仕方ない。

「なになになになになーにー? 見せつけちゃってさー。ヴァランも隅に置けないねー」
 そう言いながらも扉の隅から少しだけ顔を覗かせている臨時休業の立板に気がついたようで、それを店の前に置いている。
「これでOKっと。まあ昨夜はお楽しみでしたねっと。それじゃーあ、まだまだ今日は長いし一日楽しんでね、ヴァーラン!」
 最後に一度だけ背中に蹴りを入れてアブゾルフを見送る。そして先程と同じように口を使って再び鍵を閉め、アルと共にベッドに戻った。
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