魯坊人外伝~魯坊丸日記~

牛一/冬星明

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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

百十五夜 信秀の死

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 〔天文二十一年 (一五五十二年)三月三日まで〕
 三月に入ると親父の状態が急変した。
これまで寝たきりであったが意識ははっきりしており、京に帰った公方様への対応など、様々な対応を指示していた。
言葉が少なくなり、眠る時間が増えていった。
 起きた時に無理矢理にお粥などを食べさせていたが、遂にそれも出来なくなった。
 まだ息をしているが危険な状態だ。
 二日に千秋季忠に呼び出されて千秋邸に入った。

「末森より大殿の状況が悪いと知らせが届き、三度目の回復祈願をこれより行いたいと考えております」
「そうか、感謝する」
「魯坊丸様も参加されますか」
 
 季忠がまっすぐに俺を見据える。
 前回まで祈祷はどこか気楽さが窺えたが、今度は俺の目を真剣に見据えている。
 昨日、岩室宗順が信光叔父上の命で親父の状況を知らせにきた。
 はじめての事だ。
 宗順の前に親父が食事すら取れなくなってきた知らせは届いていたから察した。
 信光叔父上も覚悟を決めたのだ。
 宗順の問いは俺に家督を継ぐ気があるかという問いであり、俺にその気があるならば、信光叔父上が舞台を整えてやると言ってきた。
 もちろん、断った。
 どうやって舞台を整えるか、考えるだけでぞっとする。
信長兄ぃと信勝兄上は邪魔な存在だ。
 信長兄ぃが大人しく俺に従うとは思えないし、信勝兄上の側近が納得すると思えない。
 どう排除するつもりか知らないが碌な事にならん。
 俺は尾張一国の民の安寧を考えるような“いばらの道”を歩く気がないのだ。
 俺の手が届く熱田だけでいい。
 断ると宗順は信光叔父上の伝号を伝えた。
 織田弾正忠家の家督は信長と定めて動く。だが、正式な家督は信長と信勝の合意で決める。しばらくは那古野と末森で東西に分断して統治するという事だ。
先に定めた親父の遺言らしい。
 俺に家督を継ぐ気があるかと聞いたのは、俺が危険かを試したのか?
 その点がよく判らなかった。
 そんな事を思い出している間も季忠の目がまっすぐに俺を捉えた儘だった。

「季忠様は前回まで違うことを察していらしゃるようですね」
「熱田にも独自の情報網がございます」
「隠者でしたか」
「一緒にご祈祷をお願いします」
「季忠様。呪いや悪霊の類いは祈祷で祓えますが、病魔と病気には効きません」
「違うのですか」
「病魔と病気は医師の領域であり、生き残るかは天命なのです」
 
俺は季忠に説明する。
 寝不足、栄養失調、過労は体を休め、消化のよい食事を取るしかない。虎狼痢(コロリ)、疱瘡、結核などは予防で免疫力を付けるしかない。川や田んぼにいる寄生虫は防げず、手洗い、うがい、生水を飲まないなどケアーしかできない。
 
「なるほど、手洗いや風呂や神水にそんな意味があったのですか」
「人にできる事は知れています。天命に逆らう事はできないのです」
「天命でございますか」
「親父の天命が残っていれば、助かります。祈りで天命を変える事はできません」
「雨を降らす事ができてもですか?」
「俺は雨が降る予感がするまで雨乞いを待ちました。揺らぎがあれば、祈りが届く事もあるでしょう」
「では、大殿の命に揺らぎはないという事ですか?」
「判りません。俺には親父の天命が見えないのです」 

 俺は判らないと言ったが、季忠は悲しそうな笑みを浮かべた。
 親父の健康管理は徹底したつもりだ。
 俺が知る知識は織田おだ-信秀のぶひでが三月三日に亡くなったという史実だ。
 親父の事ではない。
 鉛が体に残っており、その毒が原因で患ったかを疑って曲直瀬道三に調べさせた。甘い濁酒を飲み過ぎ、アルコール中毒か、糖尿病からくる合併症も疑った。
 酒は清酒に変わり、飲む量も制限させた。
 偏食の原因も疑って、栄養にも気を付け、大根おろしなどでビタミンCと摂取させた。
 手洗いと消毒で不浄なものも排除した。
 やれる事をすべてやったつもりだったが、親父は倒れた。
 脳卒中、心筋梗塞などは防ぐ手立てがない。
 歴史の強制力を疑いたくなる。
 俺を祈祷に参加させる事を諦めた季忠は肩を下ろして部屋から出ていった。

 三月三日、昨日に続き、本殿では親父の回復祈願の祈祷が続いている。
 本殿には俺の影武者が参加している。
 背丈の低い者が季忠の横で祈っていれば、俺が参加していると勘違いする。
 俺は頭巾を被って蔵書倉に入ると、蔵書を読みながら整理を続けた。
 バタン、激しく扉が開けられ、息を切らしたさくらが入ってきた。

「さくら、埃が立つのでそういう入り方は止めて下さい」
「判っている。だが、紅葉、急用だ」
「何か、ありましたか」
「大殿が身罷られた」
「…………」

紅葉が絶句する。
 俺が平然と蔵書の整理をしているので、今回も大丈夫と思っていたようだ。
 紅葉は俺をちょっと神格化し過ぎている。
 紅葉と話していると、「若様は何でもご存じなのですね」という言葉が飛び出す。
 商人から求めたトマトに始まり、白菜、人参、じゃが芋、薩摩芋、ほうれん草、かぼちゃ、さとうきび、香辛料を輸入し、投網、抱っこ紐、汲み上げ竹ぽんぷ、紙、鉄砲、火薬、たたら鉄、羅針盤という技術を確立した。最近は鉱山を言い当て、雨も降らす。
紅葉は俺に神の知識と千里眼を持つと信じて疑わない。

「若様、大殿が……」
「そうか、行かれたか」
「…………」
「どうかしたか?」
「若様は知っていらっしゃったのですね」

 紅葉が悲しそうな顔をして身を縮めた。
 俺は紅葉の頭に手を乗せようとしたが、少し不格好なので肩に手を置いた。
 小さな紅葉の頭に手を乗せられないほど、俺も小さい。
 慢心するな。俺のできる事は知れている。

「さくら、紅葉、城に戻るぞ」
「畏まりました。準備をします」
「私も蔵書倉を片付けます」
「急がなくともよい。本殿の祈祷が終わって、影武者が戻ってきてからだ」

 さくらの一報より少し遅れ、早馬が熱田神宮に届き、本殿は騒然となった。
 しかし、季忠は冷静に指示を出した。
 親父の回復を祈りながらも、今後の対応を考えていた。
 影武者はその場で崩れ、侍女に支えられて千秋邸に戻ってきた。
 俺は皆の前で声を上げた。

「落ち着け。すでに岩室殿が来た時点で覚悟していた。其方らも察していたであろう。特に不測事態ではない。楓が末森の状況を見定めて戻ってくるまで待機だ。千代、季忠様と今後の対応をまとめてくれ」
「畏まりました。千秋様と今後の事をまとめた後に、熱田商人を集めて、今後の対応を指示しておきます」
「任せる。さくら、津島の様子を探れ」
「承知しました。若様、美濃、近江、伊勢の様子は探りますか」
「こちらの手勢を割く必要はない。だが、津島の商人には探るように命じておけ」
「では、商人に命じて、各大名の動きを探らせておきます」
「美濃は探る必要はない。どうせ、十三桜町から報告がくる。紅葉、三河から今川の動向に注意しろ」
「尾張甲賀衆を放っておきます」
「皆のもの。城に戻るぞ」

 俺は慌てるように中根南城に戻ると、城にも親父の訃報を知らせる使者が届いており、城は混乱していた。養父が登城の準備を終えていた。

「魯坊丸、大変な事となった」
「すでに聞いております。城の事は任せて下さい。忠貞義兄上と一緒に城の守りを固めておきます」
「頼んだ」

 戦国時代は厄介だ。
 当主が倒れると、良からぬ事を考える者が現れる。
 俺は平針、島田に使者を送り、東からの脅威に備えて中根家は兵を用意していると伝えた。
 平針の加藤家や島田の牧家に命令する訳にいかない。
 さり気なく、兵を集めておけと忠告を発した。
 尾張に潜伏中の間者の動向にも注意するように命じた。
民の動揺に乗じて、火付けや盗賊行為などさせない。
 次に注意するのは清須の織田-信友だ。当主が亡くなった直後に兵を上げるのは常套手段であり、警戒くらいは必要だ。
会心したと詫び状を書いた犬山の織田-信清も要注意だ。
 織田弾正忠家をよく思っていない有象無象が、これを機会に姿を現す。
 次期当主でもない俺が何ら行動を起こす必要もないが、その動向を見定め、敵と味方のみははっきりさせる。
 その程度は、最後の親孝行と思ってやっておこう。
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