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第一章 魯坊丸は日記をつける
九夜 魯坊丸、石鹸をつくらせる
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〔天文十五年 (一五四六年)冬十二月〕
師走、普段は落ち着いている師(僧侶)でも走るほど忙しい月なので『師走』という。
中根南城も例外に漏れず、正月を迎える為に大忙しだ。
福は俺の侍女に昇格したが、新しい女中を雇った訳でもなく、侍女の中でも新人の下っ端なので仕事が減った訳ではない。
自分の部屋を貰い、待遇が良くなっただけである。
福が担当していた水汲みや掃除の仕事が無くなった訳ではなく、それらの合間に俺の世話をしており、逆に忙しくなったかもしれない。
ただ、他の侍女らが自分らの仕事を福に押し付けてくる。または、徹夜明けに俺の世話をするような無茶なシフトは無くなった。
先輩の女中らも福に気遣うようになって、仕事がやりやすくなったと喜んでいた。
ただ、師走になると、話は別だった。
正月を迎えると多くの家臣が城に訪れるので恥をかかないように、男衆は総出で屋根や壁の埃を落し、女衆は家の隅々まで綺麗に磨く。
その指揮を執っているのが母上だ。
日々の報告にくる養父も顔を出せないほど忙しく、蔵を調べて帳簿を合わし、正月の土産を決めて注文を出す。もちろん、武具の手入れと在庫の確認も忘れない。
昼前に手を赤く腫らした福が戻ってきた。
「ばいびびうぶか」(大丈夫か)
「大丈夫です」
「でがばでてるぞ」(手が腫れているぞ)
「お気を遣わせて申し訳ありません」
大掃除をすれば、煤や埃が手に付いて真っ黒になる。
そんな手で俺に触れる訳にいかない。
俺の下に来る度に、ごしごしと井戸水で手を洗ってからやってくるので、あかぎれで手が真っ赤になっていた。
「でぶぐろばだいのだ」(手袋はないのか)
「それはどんなものでございますか?」
「どぶだもどで」(どんなものって?)
籠手のような小具足はあっても掃除で使うようなものはなかった。
後で考えよう。
では、ごしごしと洗わないでも手の汚れを落とす道具はどうだろうか?
「ばぶ、ぜぶげぶばだいのだ」(では、石鹸はないのか?)
「石鹸とは、何でございますか?」
「でぼばらぶぼのば」(手を洗ったりするものだ)
「それはおそらく志也保牟ですね。そんな高価な唐物は買えません」
石鹸が唐物?
福の話では、灯明の煤の汚れを洗ったり、洗髪に使ったりする石鹸の代わりに米のとぎ汁やムクロジの実を使っているそうだ。
ムクロジの実は十二月に取れるので師走に重宝し、熱田神宮から近い所に樹齢四百年のムクロジの木々があり、それを皆で拾いに行ったこともあったとか。
なるほど、色々と工夫がされている。
だが、石鹸はオイル、苛性ソーダ、精製水、精油があれば簡単に作れる。
苛性ソーダは海水を電解分解すれば、陰性に苛性ソーダ(NaOH)が集まるので簡単に作れるのだが、電気を手動で発生させるには、磁石と銅コイルを準備せねばならず、すぐには出来ない。
そこで代用品として重曹か、灰でも問題なく作れる。
洗浄力を増す為に、よりアルカリ性が高い布海苔を燃やした灰を使う。
その灰を水に浸して灰水を取り出し、それと油と混ぜて鍋で火を通して混ぜれば『ソフト石鹸』が作れるのだ。
石鹸を固めるのにグリセリン(アルコールの一種)が必要だが、今回はなくてもいいだろう。
福に手順を伝えて作らせた。
簡単と言っても手間はかかるので、福に人手を取られたと母上が文句を言いにきた。
「魯坊丸。何を始めたのか知らないけれど、今は忙しいから後にしなさい」
「ば・ば・う・エ゛」
「ははうえではありません。ふぁふぁうえです」
「ば・い」
「ばぁ・ばぁ・う・エ゛」
「何ですか。魯坊丸」
福のように早口ではなく、一音一音に気を付けて『はは』というと、『ふぁふぁ』と訂正させられた。だが、ここは引けないと母上を説得した。
手をごしごしと擦って赤く張らしている福の手が不憫なので『石鹸』を作らせていると説明した。
しかし、一気に発音できないから喋るのも疲れる。
石鹸が福のいう唐物というと、母上が目を白黒させた。
母上が何か考え出し、ちょうど母上に説明を終えた頃に福が石鹸を完成させて戻ってきた。
「魯坊丸様。これで宜しいでしょうか。あっ、奥方様」
「福。それが石鹸ですか」
「はい。魯坊丸様に言われた通りに作りました」
「では、さっそく使ってみましょう。使い心地が良ければ、父を呼んで作り方を売りますよ」
「えっ?」
「早く付いて来なさい」
福が急展開に付いてゆけないようで戸惑っていたので、俺は母上に付いて行けと手を振った。
そして、誰も居なくなった。
おっとり美人と思っていたが母上は商家の娘らしく、『石鹸』が作れると知ると大喜爺ぃに売ると言い出した。
明国から来る舶来品の唐物は非常に高価な商品らしく、自分で作れるなら非常に高価で売れると言う。
中根家では正月に向けて物入りだが、銭が足りなくて困っていた。
だが、石鹸の製造法と交換なら大喜爺ぃがいくらでも銭を融通してくれると喜んだのだ。
石鹸が高価なものと思っていたが、製造方法を売るという発想に行き着かなかった。
炭団で製造方法を売っていただろう。
気付けよ、俺。
すぐに、その発想に至った母上の商魂に驚かされた。
次は『軟膏』だな。
石鹸はごしごしと洗う回数を減らすだけで、あかぎれた手を治す訳ではない。
あかぎれには『軟膏』が一番だ。
軟膏はワックスとビタミンEを混ぜるだけで簡単に手造りできる。
ビタミンEは、麻の実から取り出す。
麻の実には、ビタミンEが豊富に含まれ、亜鉛やマグネシウムも多く、肌の荒れを直す効果が高い。
一緒に混ぜるワックスは、蜂蜜と油を溶かして混ぜるだけだ。
簡単だろう。
大喜爺ぃに頼んで作らせて、福にプレゼントしよう。
福は喜んでくれるかな。
師走、普段は落ち着いている師(僧侶)でも走るほど忙しい月なので『師走』という。
中根南城も例外に漏れず、正月を迎える為に大忙しだ。
福は俺の侍女に昇格したが、新しい女中を雇った訳でもなく、侍女の中でも新人の下っ端なので仕事が減った訳ではない。
自分の部屋を貰い、待遇が良くなっただけである。
福が担当していた水汲みや掃除の仕事が無くなった訳ではなく、それらの合間に俺の世話をしており、逆に忙しくなったかもしれない。
ただ、他の侍女らが自分らの仕事を福に押し付けてくる。または、徹夜明けに俺の世話をするような無茶なシフトは無くなった。
先輩の女中らも福に気遣うようになって、仕事がやりやすくなったと喜んでいた。
ただ、師走になると、話は別だった。
正月を迎えると多くの家臣が城に訪れるので恥をかかないように、男衆は総出で屋根や壁の埃を落し、女衆は家の隅々まで綺麗に磨く。
その指揮を執っているのが母上だ。
日々の報告にくる養父も顔を出せないほど忙しく、蔵を調べて帳簿を合わし、正月の土産を決めて注文を出す。もちろん、武具の手入れと在庫の確認も忘れない。
昼前に手を赤く腫らした福が戻ってきた。
「ばいびびうぶか」(大丈夫か)
「大丈夫です」
「でがばでてるぞ」(手が腫れているぞ)
「お気を遣わせて申し訳ありません」
大掃除をすれば、煤や埃が手に付いて真っ黒になる。
そんな手で俺に触れる訳にいかない。
俺の下に来る度に、ごしごしと井戸水で手を洗ってからやってくるので、あかぎれで手が真っ赤になっていた。
「でぶぐろばだいのだ」(手袋はないのか)
「それはどんなものでございますか?」
「どぶだもどで」(どんなものって?)
籠手のような小具足はあっても掃除で使うようなものはなかった。
後で考えよう。
では、ごしごしと洗わないでも手の汚れを落とす道具はどうだろうか?
「ばぶ、ぜぶげぶばだいのだ」(では、石鹸はないのか?)
「石鹸とは、何でございますか?」
「でぼばらぶぼのば」(手を洗ったりするものだ)
「それはおそらく志也保牟ですね。そんな高価な唐物は買えません」
石鹸が唐物?
福の話では、灯明の煤の汚れを洗ったり、洗髪に使ったりする石鹸の代わりに米のとぎ汁やムクロジの実を使っているそうだ。
ムクロジの実は十二月に取れるので師走に重宝し、熱田神宮から近い所に樹齢四百年のムクロジの木々があり、それを皆で拾いに行ったこともあったとか。
なるほど、色々と工夫がされている。
だが、石鹸はオイル、苛性ソーダ、精製水、精油があれば簡単に作れる。
苛性ソーダは海水を電解分解すれば、陰性に苛性ソーダ(NaOH)が集まるので簡単に作れるのだが、電気を手動で発生させるには、磁石と銅コイルを準備せねばならず、すぐには出来ない。
そこで代用品として重曹か、灰でも問題なく作れる。
洗浄力を増す為に、よりアルカリ性が高い布海苔を燃やした灰を使う。
その灰を水に浸して灰水を取り出し、それと油と混ぜて鍋で火を通して混ぜれば『ソフト石鹸』が作れるのだ。
石鹸を固めるのにグリセリン(アルコールの一種)が必要だが、今回はなくてもいいだろう。
福に手順を伝えて作らせた。
簡単と言っても手間はかかるので、福に人手を取られたと母上が文句を言いにきた。
「魯坊丸。何を始めたのか知らないけれど、今は忙しいから後にしなさい」
「ば・ば・う・エ゛」
「ははうえではありません。ふぁふぁうえです」
「ば・い」
「ばぁ・ばぁ・う・エ゛」
「何ですか。魯坊丸」
福のように早口ではなく、一音一音に気を付けて『はは』というと、『ふぁふぁ』と訂正させられた。だが、ここは引けないと母上を説得した。
手をごしごしと擦って赤く張らしている福の手が不憫なので『石鹸』を作らせていると説明した。
しかし、一気に発音できないから喋るのも疲れる。
石鹸が福のいう唐物というと、母上が目を白黒させた。
母上が何か考え出し、ちょうど母上に説明を終えた頃に福が石鹸を完成させて戻ってきた。
「魯坊丸様。これで宜しいでしょうか。あっ、奥方様」
「福。それが石鹸ですか」
「はい。魯坊丸様に言われた通りに作りました」
「では、さっそく使ってみましょう。使い心地が良ければ、父を呼んで作り方を売りますよ」
「えっ?」
「早く付いて来なさい」
福が急展開に付いてゆけないようで戸惑っていたので、俺は母上に付いて行けと手を振った。
そして、誰も居なくなった。
おっとり美人と思っていたが母上は商家の娘らしく、『石鹸』が作れると知ると大喜爺ぃに売ると言い出した。
明国から来る舶来品の唐物は非常に高価な商品らしく、自分で作れるなら非常に高価で売れると言う。
中根家では正月に向けて物入りだが、銭が足りなくて困っていた。
だが、石鹸の製造法と交換なら大喜爺ぃがいくらでも銭を融通してくれると喜んだのだ。
石鹸が高価なものと思っていたが、製造方法を売るという発想に行き着かなかった。
炭団で製造方法を売っていただろう。
気付けよ、俺。
すぐに、その発想に至った母上の商魂に驚かされた。
次は『軟膏』だな。
石鹸はごしごしと洗う回数を減らすだけで、あかぎれた手を治す訳ではない。
あかぎれには『軟膏』が一番だ。
軟膏はワックスとビタミンEを混ぜるだけで簡単に手造りできる。
ビタミンEは、麻の実から取り出す。
麻の実には、ビタミンEが豊富に含まれ、亜鉛やマグネシウムも多く、肌の荒れを直す効果が高い。
一緒に混ぜるワックスは、蜂蜜と油を溶かして混ぜるだけだ。
簡単だろう。
大喜爺ぃに頼んで作らせて、福にプレゼントしよう。
福は喜んでくれるかな。
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