魯坊人外伝~魯坊丸日記~

牛一/冬星明

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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

閑話(六十四夜) 洛中帯座頭の角倉与左衛門

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〔天文十八年 (一五四九年)四月〕
 吉田よしだ-与左衛門よざえもん-宗忠むねただは堺を経由して、天王寺屋の宗及そうぎゅうと熱田湊に降り立った。
 与左衛門は五年前に亀屋かめや-五位女ごいじょから洛中帯座頭職と公用代官職を獲得した京の商人である。
 亀屋-五位女は帯の座人を任命する権利を持ち、帯の製造を行っていた大舎人座の直売を禁じることで京の帯販売を独占していた豪商であった。
 与左衛門の祖父徳春は足利あしかが-義満よしみつ義持よしもちの二代に仕え、晩年になると医術を嗜み、嵯峨に退隠した。
 その子忠兵衛ちゅうべい宗臨そうりん)は父から習った医術で足利あしかが-義政よしまさに仕え、与左衛門は父の後ろ盾で日明貿易の品を扱う土倉 (貿易商)をはじめた。
 唐物で与左衛門は巨万の富を蓄えた。
 唐帯を売ったことで五位女とぶつかり、公方様の権威によって洛中帯座頭職と公用代官職を奪い取ることに成功し、豪商へと駆け上がったのだ。
 五位女との争いが数年後であったなら、結果は異なっただろう。
 運が良かった。
 去年の夏を過ぎ頃に嵯峨大覚寺から呼び出され、寺の土倉を商わないかと誘われた。
 祖父、父が二代続けて嵯峨に隠居したこともあり、嵯峨大覚寺より京で豪商となった吉田家の与左衛門に持ち込まれた話を引き受けた。
 角倉村に土倉を建てて拠点を嵯峨に移し、角倉屋と屋号を改めた。
 角倉屋は天王寺屋から酒を納めてもらって京で販売した。
天王寺屋の宗及の誘いで、与左衛門は酒の生産地である熱田を訪れたのだ。

「堺も活気に湧いておりましたが、熱田も活気に満ちておりますな」
「そうでしょう」
「しかし、堺とは違った趣です」
「石でできた桟橋が整備されているからです。堺は土を埋めて桟橋を造っていますが、熱田は石で桟橋を造っているので、土埃が上がりません」
「言われてみれば、その通りです」
「しかもあちらに見えますのが、三千石船を止める桟橋を造成中なのです」
「三千石船ですか?」
「南蛮船が来ても横付けできるように、今から備えているのです」
「宗及殿は自分のことのように語りますな」
「天王寺屋は熱田に支店も構えましたぞ。銭を生む神様がおられる地ですからな」
「また、魯坊丸様ですか」
 
 宗及は魯坊丸様のことを語り出すと止まらない。
 わずか三歳の子供が酒造りをはじめたと言われても、与左衛門は信じられなかった。
 ただ、宗及の御注進ぶりを見て苦笑する。
 嵯峨大覚寺は朝廷が仲立ちとなって熱田の酒を売ることになった。
 比叡山や法華、禅宗にも卸す。
 酒屋は奈良樽、大津樽、百済寺樽、鯰江樽などと三百軒以上もあり、そこに参入するのは至難の業である。
 特上の酒を『柳』と呼び、贈答品として喜ばれた。
 その次の酒を『樽』、露天で売られる酒を『さけつくり』と呼ぶ。
 庶民が口にするには熱田の酒は高かった。
 僧坊酒が盛んでなかった嵯峨大覚寺は、与左衛門に声を掛けて酒を大々的に売ることになった。
与左衛門は嵯峨大覚寺の期待に答えて販路を広げた。
酒を卸していた天王寺屋の宗及が、与左衛門の手腕を見て気に入った。
 そして、宗及に誘われて、与左衛門は熱田に訪れた。
 湊に降り立った与左衛門であったが、宗及は荷を下ろすのに忙しく、案内を付けられて一度湊で別れた。
与左衛門は熱田神宮に参拝してから宿屋に入った。
宿屋の者から旅の疲れを取るのに風呂を奨められ、与左衛門は何も思わず風呂場に向かった。
宿場でも風呂があるところは少ないからだ。
だが、与左衛門は風呂屋で驚いた。
汗を流すサウナではなく、たっぷりと湯を注いだ温泉のような風呂だったからだ。
 のんびりと湯船に浸かって宿に戻ると、宗及が訪ねてきていた。

「与左衛門殿。風呂はどうでございました」
「熱田で有馬の湯に浸かれるとは思っておりませんでした。湯に浸かるのは良い気分でございます」
「そうでしょう。そうでしょう」
 
 宗及は自分のことのように喜ぶ。
 商人として裏表がはっきりするのはどうかと思うが、良い物を見抜く力量が秀でており、宗及はその嗅覚を頼りに商売を行っていた。

「明日は、大宮司の千秋季忠様がお会いになって下さいます」
「早速、面会を取って頂けましたか。ありがとうございます」
「いやいや、大したことはございません。しかし、魯坊丸様は多忙ゆえに五日より先になると思われます」
「大宮司様に会えて、魯坊丸様に会えぬのですか?」
「魯坊丸様は多忙なのです」
 
 与左衛門は首を捻った。
 大宮司より多忙な稚児がいるのだろうか?
 宗及は事情を語り出した。
 先日、三河の安祥城で戦があり、織田家の兵が援軍として駆け付けた。
 戦になると物入りである。
 手柄を立てて褒美をもらった者は別として、ほとんどの武将が手弁当である。
 領主は兵の食料を用意し、武具を揃えねばならない。
 しかし、武将は往々にして銭の勘定が疎い。
 足りない銭を借りて、戦の後に困って飛び回ることになる。

「御武家様はどうして銭勘定ができぬのでしょうな」
「まったくです。戦が起こるのはわかっているのに、正月に見栄を張って銭を使い過ぎ、戦の前に銭を借りに走る。その戦で手柄を立てて返そうと算段して、戦が終わると負債のみ残る」
「毎回、毎回、馬鹿なことを致します」
「まったくでございますな。そして、返せぬ銭は抵当となっている土地を奪われ、寺領が太り、武士は細ってゆく」
「愚かですな」
「しかし、この熱田周辺では起こりません」
「それは何故ですか?」
「魯坊丸様が救いの手を差し伸べるからです」
「魯坊丸様が?」
「中根家が保証人になれば、年三割で銭が借りられるからです」
「格安ですな」
 
 与左衛門が驚いたのは当然であった。
 当時の金利は最低でも年十割であり、『トイチ』(十日で一割)が普通に通用する。
 現代の最高金利15%から20%なので暴利に思えるが、それが当時の常識であった。
 しかも土倉を営む商人の後ろに寺であり、返済不能になると僧兵が抵当の土地を奪ってゆく。
 奪われた土地を奪い返すのは至難の業であった。

「寺が焼け太りすれば、土地の有力者も見て見ぬ振りができません」
「神社や寺、果ては帝の荘園まで横領する地下侍がおります。寺も身を守る為に土地の有力者と親身にせざるを得ません」
「尾張の有力者は、織田-信秀様、熱田は、その子の魯坊丸様という訳です」
「四歳の稚児が有力者ですか?」
「何度も申しますが、魯坊丸様はただの稚児ではございません」
 
 与左衛門はまたかという顔をした。
 それから五日ほど掛けて、熱田商人らと顔を繋ぎ、中根を含む熱田中を案内され、末森の重臣らと挨拶を交わし、那古野では信長とも対面できた。
 熱田の豊かさが浮き彫りとなった。
 特に天白川の見た事もない技法で行われている河川工事は与左衛門を驚かせた。
この五日間で与左衛門の心証が変わった。
皆が魯坊丸を褒め讃えた。
 魯坊丸という存在が熱田を大きく変貌させるきっかけとなっているのがよくわかった。
六日目、与左衛門は千秋邸で魯坊丸との対面が叶った。

「随分と待たせたな。私が魯坊丸だ」
「お初にお目に掛かります。角倉屋の当主、吉田-与左衛門でございます」
「京の豪商と聞いている」
「それほどではございません」
「用件は何だ。酒の取引量を増やしてほしいのか」
「お察しの通りでございます」
「相わかった。角倉屋は上限を無制限とする。好きなだけ要望せよ。但し、他の寺と揉める事を起こすなよ」
「承知しております」

角倉屋は武家や公家に酒を売らず、同じ商家に酒を売っていた。
商人も公家や武家を訪ねるときは酒を贈答品としてもってゆくので、かなりの量を欲していた。
公家や武家に直接売っている他の寺とは、売り先が異なった。
 
「で、天王寺屋。そんな下らない話で、わざわざ角倉屋を熱田に招いたのはあるまい」
「もちろんでございます」
「用件は何だ」
「この角倉屋は幕府から唐物を商う許可をもらっております。琉球交易でも唐物が多ございますから、角倉屋も仲間に引入れては如何と思い、連れて参りました」
「そういうことか」
「魯坊丸様の力になると思います」

 魯坊丸が笑みを零し、宗及もまた笑みを零した。
 敢えて言葉にする必要もなかった。

「角倉屋、南蛮交易には興味はあるか?」
「もちろん、ございます。熱田の料理にも興味がございます。あれは南蛮料理でございませんか」
「南蛮料理を模倣した熱田料理だ」
「やはり、そうでしたか」
「今後、南蛮料理が入ってくれば、香辛料なども取引することになる。うま味がある商材を南蛮人に一人占めさせるのも癪であろう。千代」
 
 魯坊丸が侍女の名を呼ぶと、侍女の千代女の合図で、帆船の模型と、様々な帆船の製図をもって来させて広げさせた。
 そして、魯坊丸が熱く語り出した。

「まず、この模型が我らの目指す船だ。この船を完成させるには、様々な技術を高めてゆかねば辿りつかぬ。ゆえに、まず明の勘合船かんごうせん(ジャンク船)を模した船を造らせ、同時に南蛮船の竜骨を用いた三百石船も造らせている。ある程度の目途が付いたところで、この模型を模した三十石船を造らせる。ここに並べた設計図がそれだ」
「魯坊丸様は織田家で外洋の船を造られるおつもりですか?」
「そのつもりだ」
 
 与左衛門は天王寺屋の宗及を見た。
宗及はニヤリと笑って、与左衛門へ声を掛けた。
 
「与左衛門殿、某と一緒に織田家に賭けませんか。自前の船で唐や南蛮に乗り出し、商材を買ってくる。巨万の富が待っておりますぞ」
「先に言って下さればよろしいのに…………」
「魯坊丸様の許可なしで話すことはできません。この数日で与左衛門殿の人柄は魯坊丸様に伝わりました。先程、魯坊丸様より許可を頂きました」
「成功すると思われるのですか?」
「その模型と製図を見て、心をときめかさない与左衛門殿ではございませんか」
 
 与左衛門は魯坊丸が何者かという興味が失せた。
 誰が後ろで操っていようとも関係ない。
 商人にとって大切なことは、儲かるか儲からないかである。
 与左衛門は魯坊丸へ静かに頭を下げた。
 魯坊丸の傘下に入った瞬間だった。
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