ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第四章・小さな偶像神

【第十五章・潰える翼】

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 白い螺旋階段から、足先が溶けて消えそうな程黒い地面へ足を着ける。暗い景色と地下のせいもあるが、相変わらずここは息苦しい。五千年以上閉じ込められていたのに対し、仮初めの外で過ごした時間は半日にも満たないのに、既にあの明るい世界が恋しく感じている。……前を歩く【魔女】の言い分が正しいのも癪だが、間違ってもいない。

「イーヒッヒッヒッ!! そういうことダッ!! まだまだ【現実の生】で学ぶことは沢山有ルッ!! その子の記憶を頼りに理解した気分になられても困るのだヨッ!! 知識や経験が無いのニ、知識人や経験者のように振る舞う【ニワカ】って奴だネッ!! 情報に踊らされぬよウ、気を付け給えヨ?」

「……あんたは何がしたいんだ?」

「フム?」

「僕はポラリス司祭達を踏み越え、【現実の生】を掴み取るつもりでいた。司祭達も……きっとこっちを殺してでも【箱舟】から出て行く。なのに、あんただけはどちらでもない、もう一つの選択しようとしている。どこまでが裏なんだ? 何を企んでいる?」

 振り返り、ニヤリと笑った【魔女】はパチリと指を鳴らして頭上に小さな火球を作り、そのまま何かを探すよう床へ顔を付け這いつくばり始める。

「【愛】という感情は実にイイ。与えられれバ、【まだ生きている・まだ必要とされている】と実感できるからネ。乾ききった【地上界】に必要なものハ、神々が唯一与えなかったソレなのだヨ。目には見えズ、形にするのも難しい感情。ごまんといる【天使】達の中で【愛】を手に入れられる個体は少なク、あそこまで歪んでいないのも実ニ――ウゥム、ハズレ」

 ハズレ――そう言うと彼女は十数歩歩いて別の場所へと移動し、再び床へ這いつくばる。目で探しているというより……音を聞いている?

「【魔女】はネ、神々に嫉妬されて住んでいた場所に雷を落とされタ。マァ、一族単位で死んだくらいじゃどうとも思わないガ、【天界】でのうのうとしてる連中に管理されているのは不愉快極まりなイ。進化無くしテ、生き物は繁栄できないというのニ。そういう意味でハ、古代人の君らとウチは同じ立場なのサ――もう少し左かナ?」

「………………」

「だからどうやってひっくり返すカ、実に悩まされタ。手始めに【魔王】と呼ばれた男の一人娘とその従者達につるんダ。結果はマァ……受け入れられてるとは言い難いガ、それぐらいでなきゃ面白くなイ。次に手駒。私用で使えるのが一人と一頭いるけど力不足、決定打になれるほど影響力ハ――もう少し前だネ」

「それで司祭達もお前の復讐劇に加え入れたと」

「自分の創った存在が反旗を翻シ、【地上界】の民草まとめ上ゲ、目に見えない脅威として静かに【天界】へ押し寄せル。なかなか見物だと思わなイ?」

「……派手な研究者達よりも賢いやり方ではある」

「ホホウ、怒らないのだネ?」

「所詮やろうとしてることは同じ。結果的に失敗へと収束しようとして、何億単位の命を利用しているのも何ら変わらない。互いにとって合理的だし、上手くいけば損害無く勝てる戦い方。誰も死なないのなら、その方がいいに決まってる」

「マァネ。その代わり司祭達には人柱――イヤ、【天使】柱か【悪魔】柱、はたまた【魔王】柱かナ? どの道死ぬ程頑張ってもらわないとなのだヨ」

「僕を生かすのも――――」

「――――貴重な手駒にヘソを曲げられたら困るダロォ?」

「……あんたは悪い【魔女】だ」

「イーヒッヒッヒッ!! これでもベファーナちゃんはイイ【魔女】を売りにやってるんだけどネッ!! 一人しかいナ――――ウム、ここダッ!!」

 ベファーナは起き上って両膝を折り曲げた姿勢で座り、両手を何もない地面へつける。頭上の火球は彼女の正面手前の闇へするりと消え――――微かに続いていた塔の振動がひときわ大きくなった。なんだ? 何をしている?

 永遠に続くと思われた闇が徐々に白んでいき――――街や塔と同様の、白い床と壁を露わにしていく。眼前に並ぶ、一つ一つの小さな台座の上に浮遊した黒く小さな四角い物体。ガチガチと内部から鉄の歯車が稼働する機械音を鳴らし、小刻みに震え、今にも側を破壊して出てこようとする箱達が、一本の通路以外の場所へ万遍なく敷き詰められていた。地平線まで続くその光景といくつもの騒音……これが僕でも理解しえなかった【箱舟】の正体。

「ほぉうラ……これが【箱舟】に押し込められた研究者と上流階級民、そして一般人の皆さン、もとい【心臓】兼【脳】サッ!!」

「これが……っ!?」

「君は確かに【箱舟】の機能を利用しているけド、完全ではなかったデショ? 【脳】は重要な部分だガ、制御していたのは一人ではなかったという訳さ【ノア】クンッ!! 無人都市を警備する兵士達の外観モデルハ、君の【将来どうなりたいかという希望の想像】。様々な玩具を与エ、外部から引き込んだ生物の記憶を刻み込ませることでより生への希望を強くシ、塔を伸ばさせル。反乱を起こすことも計算内、泳がされていたのだヨ。彼らト――――あの【偶像神】ニ」


 唯一何もない道が続く先――――ベファーナが指す方向には白い玉座へ腰掛け、退屈そうに頬杖を突きこちらを眺める白い布を巻いた人間が一人。灰色の長髪、肌が病的に白く、この距離では男か女か判別がつかない。奴は……誰だ? 【箱舟】に登録された人間のどれとも一致しな――――

「――――不敬極まりないな。神に向かって汚い指を向けるなど、万死に値するぞ来訪者。本来であれば我が威光で目を潰し、磔にでもするところだが……神は寛大だ。目覚めの時も近い今、些細な罪は赦そう」

 男の声。周囲の騒音を無視し、脳へ直接響く声。神? 何故? どういうことだ? 何故神がここにいる?

「ドーモッ!! でもこれからもっと不敬極まりない事をするんデ、そっちも赦して欲しいんだけどナァ~?」

「ふん。大方その【依り代】を定着させようという試みであろう。ならぬ。……二度は言うまいぞ」

 鋭い視線がこちらに向けられたのが分かる。男は玉座からゆっくりと立ち上がり、裸足でこちらへと歩いて来る。

「我が望みは【依り代】を使った【現界】と【天界】の滅亡。民草を束ね、希望を形にし、【機神】と【箱舟】を造らせ、更に五千年以上の時を待ったのだ。……だが来訪者よ。我と貴様らの望みは非常に近しい。場合によっては偉大なる神も、手や知恵を貸してやらぬことはない。更に時間を掛け完全に【地上界】を統べた後、【天界】へと攻めるのはより堅実な手段。無論、神の提案に仇名すことは赦さぬ」

 淡々と語る無名の神は一方的な会話を行いながら、ゆったりと詰め寄る。
 知らないぞ、僕は知らない。こんな男が五千年以上隣にいただなんて僕は知らない。嘘だ、虚言だ。この男は人の形を成した、研究者の残した傀儡だ。神でなければ人間でもない。僕が【天使】様の記憶から生み出した傀儡達のように、奴らも自衛の為に配――――

「――――違うネ、彼の言ってるのが正史ダ。彼が本当の【偶像神】、現在の【天使】の旧型。【神によって創られた神】サ。……と言っても創るだけ創って、例の如く飽きてポイ棄てられた神だけド。まったく迷惑極まりないヨ。【黄昏】を引き起こしたきっかけもアレのせいなのだかラ」

「!? 【ラグナロク】は行き過ぎた発展をした為に、神々が起こしたんじゃないのかっ!?」

「否。堕とされた我が【地上界】で未だ留まり、民草に知恵を授け、希望を与え、発展して征く様を見た故の判断であろう。我を棄てるだけに飽き足らず、人々の信仰が徐々に我へと向けられ反旗を翻されるのを恐れたのだ。器も胆も小さき神々――否、我が完全なる神。かつての栄華は我によって築き上げられ、我を慕う人々もまた幸福に満ちていた。それを無碍にするなど…………無碍にするなどっ!!」

 無名の神は震えて立ち止まり、怒りに身を任せ傍にあった黒く四角い物体へ右拳を打ち付けた。硝子が割れる音と女の悲鳴と共に、砕けた物体が砂となって台座へと落ちていく。同時に【箱舟】内のエネルギーが一人分、消費されたのが脳へ伝わる。消えた個人情報の検索――――不快感と喪失感が全身を走り――――無名の神へ短機関銃を構えて、引き金に指を掛けた。

「やめろっ!! その人は何の罪もない人だっ!! 研究者でも何でもない……ただ希望を信じて【箱舟】へ乗り込んだ一般人だろっ!!」

「己だけが生き残ろうとした貴様が何を言うっ!? 神の偉功と民草の努力で生き延びられてることも分からぬ恩知らずがっ!! 【地上界】で生きたいだと? 神が愛し、愛された一人の民草を、たかが人間一人分の【エネルギー】としてしか見れない貴様がっ!! 知ったような口を叩くでないわぁっ!!」

 奴がこちらへ右手をかざすと、バチリと身体の中で音が鳴った。なんだ? 何をした? 外見的な変化はないが……息苦しい。この身体はもう駄目か。地上に待機させている次の身体へ波長を合わせる為に耳へ手を当てた。
 ……見つけられない。どこに何があるのか、分からない。……それだけじゃない。【箱舟】そのものの存在を認知できない。先程まで脳に流れて来たエネルギー情報、研究者や上流階級民の顔と名前、一般人達の個人情報、地上で待機している僕の情報――何も……何も――――

「――――お……ぇっ!!」

 急激に空白が増え、真っ白になっていく頭。意識が朦朧とする。動悸が早まり、手足に力が入らず跪く。

「【箱舟】から貴様を隔離した。もはや代用の存在は【箱舟】内にその身一つ。それが貴様の切り捨てようとした命の重さだ。逃れられると思わぬことだ」

「ああ……が……」

 手にした短機関銃を放り投げ、胸を掻き毟る。不快感、精神の苦痛、心臓が痛み脳がギリギリと悲鳴を上げる。この身体だけ? なら頂上に居る僕の本体はどうなる? 別の僕になるのか? 嫌だ、そうじゃない。僕が生きるはずだったのに。そんなの違う――僕が――――

「――――ヤレヤレ、だから付いて来るなって行ったのニ。マァ、人の痛みを知るにはちょうどいいカ。でも殺さないのかイ?」

「即死の苦しみは一瞬でしかない。ソレが自ら死を望んだ時に死ねるようにもした。罰としては十二分に重い」

 ペタペタと、裸足で床を歩く音が近付いてくる。【魔女】は――――駄目だ。こいつは元々アテにならない。

「来訪者、返答を聴こう。神と共に今一度【地上界】を統べ、【天界】で欠伸をする偽りの神々を討ち滅ぼすか?」

「ンー……ウチはどっちでもいいんだけド、頂上にいる彼らに一度会って欲しいナ。君と同ジ、神が創った存在達サッ!! 興味あるだろウ?」

「ほう、それは……よいぞ。不敬な言葉遣いと下賤な笑いを神は暫し赦そう。五千年の間にどう移り変わったか、それらへ尋ねるとする」

「イーヒッヒッヒッ!! そいつは光栄ッ!! ウチはご覧の通り魔力はスッカラカンッ!! とてもじゃないが暴力を振るわれちゃ敵わなイッ!!」

「有能であれば使い様は有ろうとも。発展の為なら些細な不敬など流そう。経験上、その方が民草の為にもなるのでな」

 視界の端を裸足の真っ白な足と、それに続くずるずるとローブを引きずる靴が見えた。

「ま……てぇ……っ!!」

 ガチガチと鳴り続ける箱達。真っ白な床。揺れる意識――――眠る事の許されない精神の世界での意識の終わりは死を意味する。嫌だ。僕は生きるんだ。あの世界を。希望を絶やすな【ノア】。諦めるな……僕は、生きるんだ。

***

 塔の頂上へ辿り着いたはいいが……黒く四角い物体が数個、玉座を思わせる白い簡素な椅子の上へ落ちているのみで、【ノア】本人の姿はどこにも無かった。他に隠し扉のようなものも無く、壁は一面硝子。そこからは巨大な建造物群が【崩壊】し、砂となっていく下界の光景を眺めることができる。

「もうかなりの範囲が崩れてますね。……【ノア】はいったい、何処へ姿を消したのでしょう?」

 スピカが硝子の壁に手を当てながら見下ろし、複雑な面持ちで呟く。

「頂上で待つといった含みの発言でしたし、他の開いていた扉は全て小部屋や研究室らしき場所へ通じていたので、ここが塔の頂上階層であるのも間違いありません」

「アラネアが天井を隅々まで探してはいますが、隠し階段とかも望み薄そうです。古代人は手動とか嫌いそうなイメージですし。あくまでボクの想像ですが」

「入って来た扉も……未だ開かないようですね」

 振り返って入って来た扉を見るが、未だペントラがローグメルクに道具を生成してもらいながら、解錠に苦戦しているようである。全員が室内へ入ると同時に扉は固く閉ざされ、今一度研究室や小部屋を調べようにも引き返せない。彼の【生成術】を使って扉を吹き飛ばす手段もあるが、得体の知れない魔術に強行手段はしない方がいいとアラネアに引き止められ、地道な解錠と頂上階の探索を選択させられた。

「あんなに立派な建物も簡単に崩れて……ボクらが造ろうとしたら何か月、何年と掛かりそうなのに。現実じゃないとはいえ、崩れて全てが砂になっていく光景は……少し怖いです」

「……一度だけ、地震で街の老朽化した家屋が崩れる瞬間を見たことはあります。運よく住人は外出中で、近隣の人々も怪我はしませんでしたが……大都市に巨大な建造物が立ち並ぶのも、災害時には少し考えものです」

「………………」

「スピカさん?」

「え……ああ、なんでもないですっ!! 少しぼーっとしてましたっ!! お兄さんも大丈夫ですか? ここまでずっと頑張り通しで疲れていたりしません?」

「僕は平気ですよ。皆さんの方が――――」

「――――そういう所ですっ!! お兄さんの悪い所はっ!!」

 叫びながらスピカは振り向き、僕のコートの襟を掴み詰め寄る。そうだった。あまり自分の事をないがしろにすると、逆に皆へ心配をかけてしまう。今後の事を考え直していくべき癖だ。

「では、こう……自分が辛かったり、苦しかったりする時の上手な言い方って何なんでしょう?」

「……それ普通に辛いとか苦しいじゃ駄目なんです?」

「い、言っていいんですか?」

「いいに決まってるじゃないですかっ!? 駄目だなんて言う人ここにはいませんよっ!! あーもうっ!! ふーくーしーさーいーっ!! お兄さんの精神状態絶対まともじゃないですってっ!! ブラックにも程がありますよ【天使】業界っ!! こんなの体のいい奴隷と変わらないじゃないですかぁーっ!!」

 彼女は襟首を掴んだまま僕を引きずり、玉座に散った四角い物体を調べるアダムの元へ移動する。大人のスピカの力はとても強く、一人では簡単に負けてしまう。呼び声に気付き一度振り返ったアダムは顔をしかめ、再び玉座へ視線を戻す。

「大変ですが、やりがいはありますよ。給与も食べていくには十分貰えてますし。まあ……今の上司になってからですがね」

「やりがい抜きに、自分達の精神状態がイカレてる事に気付くべきですっ!! もっと休日増やすとか、勤務時間短くするとかですね――――」

「――――あまりウチが改革をし過ぎると、他の教会や【天界】の管理職に目をつけられてしまう。クソ上司が堕天して懺悔室の壁を無くし、昇級が短期間に三人も出ているのに……これ以上目立つことは出来ません。司祭も含め、しばらくは我慢していただきます」

「どのくらいの期間です?」

「他所の異動や昇級、評価の変動諸々を計算して……最低二年位です」

「先に精神病むか過労死しちゃいますよっ!!」

 アダムも僕と同じ言い分だ。現状で目立ち過ぎると返って危い。なんとかしてくれという目で彼はこちらを見るが横に首を振るしかなく、ため息をついて手にしていた物体を玉座へ戻す。

「……戻ったら、皆で提案書と言い訳でも考えるか」

「……そうだね」

「ふふんっ!! 労働者の権利の勝利ですっ!!」

 誇らしげに鼻を鳴らし、スピカは僕の襟からようやく手を放す。

「ところで副司祭。ずっとその金属を調べていますが、何か分かりました?」

「……耳に当ててください。ただし気を付けて、あまり長くは聞かない方がいい」

 アダムは手のひらほどの大きさの四角い物体二つ、玉座から拾い上げて僕とスピカへ手渡す。ずっしりと隙間なく中身が詰まった重さを感じながら、物体を右耳へ当てる。……ガチガチと何かが動く音や金属を引っ掻く音に混じり、男の奇声のような甲高い声が聞こえた。スピカも同様の物が聞こえたのか驚いて小さく悲鳴を上げ、手から滑り落としそうになった物体をアダムが片手で受け止めた。

「おっとっ!! 忠告したそばから……」

「だ、だだだれかこの中に入ってますっ!? 小人とか――――」

「――――はっきりとは言えませんが……私達はまだ【箱舟】に入った古代人達の姿を一度も目にしていません。【黒の一団】の隊長から見せられた資料が嘘の記載と歴史であるならば、人々は始めからこの都市かまだ見ぬ何処かへ押し込められていることになります。【機神】と呼ばれる、神へ対抗する兵器を動かす【薪】として」

 僕の手からも取り上げ、アダムは再び玉座へと四角い物体を戻す。

「嘘の歴史で事務的処理しかできない【箱舟】を誤認させることは出来ても、肝心の【ノア】を欺けず現在に至るわけですが……古代人がどのような形で存在しているか、スピカ嬢はご存じで?」

「いえ……でも【エネルギー】というからには魔力のように、【形の無い流動的な存在】として何処かに収められている可能性が――――もしかして、それがこれです?」

「可能性の一つとしては。ここまで小さいと何十億人分の精神を都市の地下へ収めるのも容易ですし、一ヶ所で管理することも叶うでしょう。何と言っても【逃げられない】。精神と存在までもが崩壊し砂になろうとも、還ることすら許されない。実に合理的で……残酷な方法です」


 アダムは目を閉じて静かに祈り、【信仰の力】で五本の黄金の剣を背後で作り上げる。成形が終ると一本手に取り、両手で握り絞めてそのまま頭上へ振り上げた。残り四本の剣も先端を四角い物体へ向け、狙い澄ます。

「!! ま、待ってアダムっ!?」

「――――ふっ!!」

 制止の声虚しく黄金の剣が振り下ろされ、玉座に乗せられた四角い物体は五本の剣で一つ残らず砕けると――――男女の悲鳴と共に、中から真っ黒な砂が血のように噴き出した。各々の場所で作業していた皆の視線が一ヶ所に集まり、悲鳴の主を確かめに駆け寄る。

「今のは誰の悲鳴だいっ!? アタシらの誰かじゃないよねっ!?」

「……ん? この真っ黒な砂……こいつの中身すか? 微妙に魔力の反応がありやすね」

「あ、あの……副司祭、大丈夫ですか? 顔色が……」

 新人の呼びかける声が聞こえていないのか、振り下ろした状態のままアダムは動かずにいた。視線は砕けた物体と黒い砂から逸らさない……いや、逸らせないのか。新人が彼の肩を揺さぶり、ようやく呼吸が出来るようになったかのように大きく息を吐き、剣を消してこちらへ向き直る。

「ポラリス……私達が成そうとしている行為はこれだ。お前がどれだけ優しく、彼らに情けをかけようとも……生きてここを出る為には、こうするしかない。【箱舟】に一度繋がったスピカ嬢のエネルギー消費も、過程は違えど結果は同じだ。こんな姿になっても尚苦しみ続ける彼らを完全に弔う意味でも、こうするしか方法は無いんだっ!! ああクソ、クソ……最悪な気分だっ!!」

「アダム、少し落ち着いて――――」

「――――落ち着けるものかっ!! 罪の無い彼らを自分の手で殺め、平常心を保てる方がおかしいだろうっ!? 生きる為に動物や魔物を殺すのと背負う重みが違うっ!! 【天使】は人を導く為にあるのだろうっ!? 神々に背く輩を粛清したいと思うことは何度もあったっ!! 手にかけようと衝動にかられたこともあったっ!! 想像もしてきたさ、夢で見るほどなっ!! お前はどうだっ!? 一部の罪深い人間と一纏めに多くの無罪の人間を殺す覚悟はあるかっ!? 私は……私は……っ!!」

 アダムは震える両手で頭を抱え、言葉を最後まで発せないまま俯く。彼は僕よりも人間味が強く、決断力もあるが過度なストレスや恐怖心を感じる心も一際強い。今も罪の無い人間へ手をかけた罪悪感に苛まれているのだろう。

「だからって……何も君が直接手を汚さなくてもいいじゃないか。僕もいるし、他に方法が――――」

「――――それ以上に嫌だと感じた。……救おうとするお前が、人間へ手をかけるのが」

「………………」

「人間へ手をかけた重さがこんなにも最悪なのは、【天使】としての禁忌に触れてしまったからなのかもしれない。だが、【箱舟】の中で彼らは人として数えられてすらいない。神々が見放したからか? それとも彼らは死霊や悪鬼の類となり、最早人ですらなくなっているから? 違う、違う違う違う違うっ!! 私が今奪った存在は間違いなく――人なのだ」

 分かる。分かるとも。君の言いたいことや、伝えたいことも。けれどどうすれば正しかった、手にかけた命の重さを感じるなとも言えない。しかし、この状況で正義や悪という漠然とした個人裁量の概念に囚われてしまっていては、誰もが罪の重さに押し潰されてしまいそうになる。
 命を奪う行為全てを悪とするなら、僕らは間違いなく悪だ。彼らの苦しみをここで終わらせる行為も、それを帳消しするに十分か不十分か、個人の道徳観に過ぎない。

「君の考えは……間違っていない。生を望んだ彼らにとって僕らは間違いなく悪だし、それを弁解できる手段も持たないんだから。でも……僕達は彼らを踏み越えて生きてることを忘れず、彼らの分まで今や未来を生きることが、一番皆の為になる選択だよ」

「そう、です。……私だって、皆さんに迷惑ばかりかけて、押し潰されそうにもなりました。……秤にかける重さが全く違うかもしれませんが……自分が何もしなかったせいで、大事な人、救える人達、今も苦しんでいる人達も……な、何も救えないで全部を失うのはその……」

 新人もどもりながらも、震えるアダムの腕を掴んで説得する。僕の隣に立つスピカも何か言いたげにもごもごと話しているが、背後のローグメルクに口元を押さえられてよく聞こえない。……彼女が言いそうな言葉は予想がつく。だが今のアダムにとってかなり当たりが強く、それを察っした彼が気を利かせてくれたのだろう。

「……アダム。僕は――――」



「――――素晴らしい。実に良い……いや、想像以上の物だ。彼らは感情豊かでより人間に近しいな。【魔女】よ、【地上界】を統べるのはやはり神である我だ。美しくも弱き彼らが偽りの神の気まぐれで苦しまぬよう、我が知識と技術で楽園を築こう」

 聞きなれない男の声が聞こえ、閉ざされた扉の方へ皆が反応する。一人は灰色の長髪。身体には白い布を巻き、聖書や石像のモデルとなっている神の姿と酷似しているが、隣に立っているのは……ベファーナ?

「イーヒッヒッヒッ!! お気に召したようでヨカッタヨカッタッ!! サアサア皆様ご注目ッ!! 【箱舟】の神様のご登場ダッ!!」

 ……神? 何故? 【箱舟】には人間の精神と【ノア】や【防衛機能】の兵士達しかいなかったはず。

「ふむ……そういう事になってはいるな。だが後世に残った歴史が史実と同じとは限るまい。それは諸君らの方がよく理解しているであろう」

 神を名乗る男は裸足で白い床をゆったりと歩き、こちらへと近付いてくる。ローグメルクとティルレットは既に武器を手に警戒してはいるが、男とベファーナは気にしている様子はない。

「用心深いことは良い事だ。【悪魔】が神へ刃を向けるなど不敬極まりない行為であるが、そこの【天使】達に免じて流そう。我は【天使】と同じく、【天界】で胡坐をかいて驕っている偽りの神に創られし存在である。我が愛し、愛された人類がここまで発展し、精神体による世界【箱舟】の構築、神を討ち滅ぼす【機神】を創ることが叶ったのも、我の知識と――――む、玉座が……そうか、奴か」

 こちらの数歩手前で玉座が剣によって破壊され、砂と金属片が散らばっているのが目に入ったのか、神を名乗る男は立ち止まり、その場で背面へ倒れるような動作を行う。――――それに合わせて床から真っ白な玉座がせり上がり、男はそのまま当然のように腰を落ち着かせた。
 【思考】を読み、【箱舟】の力を使って銃器や道具を作り出す力。……僕らと同じ【神々に創られた存在】とも、彼は言った。……本物か?

「んんー? そいつはちょっと初耳だ。確かに一時を境に急速に文明の発展が加速したとはあるが、あなたの存在については聞いたことも見たことも一切無い。神が【地上界】に存在した根拠自体、俺達が発見できてないだけかもだけど……」

 怪訝な表情のアラネアが手帳を取り出し、自身の記録をパラパラとめくって遡っていく。その様子を見て、愉快そうに男は鼻で笑った。

「当然だ。【一切の痕跡を残すな】と伝えてある。髪一本、文献一つでも残っていれば、執拗に無かったことにするのが我々の創造主だぞ。ならば我の名や偉業の記録なぞ残さずとも、我が知恵によって民草が栄えた記録を刻み、圧倒的技術水準の高さを後世へ示す方が良い。だが……どうやら一部の民草は、我の事を快く思っていなかったのであろう。何者かが棺へ触れると同時に我が【依り代】を殺めるよう、本来であれば目覚めまで護衛するはずの【機神】共を仕向けていたようだ。アラネア、貴様は幾度となく我を救ってくれた。改めて礼を言おう」

 男はアラネアへ深々と頭を下げ感謝を伝える。アラネアもシルクハットを取り、丁寧にお辞儀をして応えた。

「どういたしましてっ!! なんで俺の名前が分かるのかってのは後回しにして単刀直入に尋ねるけど、神様は俺達の味方? それとも【ノア】のように俺達の前へ立ちはだかる敵?」

「それは今から我が決める事だ。身勝手な働きをした【ノア】は地下で悶え苦しんでいる。あれは放っておけ、諸君らが気にする存在ではない」

 肘掛けに頬杖を突くと、男は僕を指差す。前髪で少し隠れた鋭い青い瞳と目が合った。

「怯えずとも良い。しかしまぁ……なんとも簡素で隙間ばかりの中身よ。人間の筋肉、骨、臓器、血液、脳、思考回路――――数千分の一程しか未だ真価を発揮できていない。【天使】諸君らの【受肉】の肉体は、いわば拘束具に近い。【昇級】によって力を与えられていると勘違いしているようだが、実はその逆。段階的に力を開放していくことで、より真価を発揮できる仕組みである」

「は、はぁ……それは僕も知りませんでした」

「気にくわぬ。益々気にくわぬ。創り上げた存在は純粋でありながら、偽りの神は未だ己の怠惰さを認めず、自分以外の存在の進化や文明の発展を恐れているのか。だがポラリスよ……貴様は少々壊れかけているように見える」

 男は座ったままやや前のめりになり、覗き込むようにして瞳を覗く。彼からは神々しく近寄りがたい圧や、禍々しい魔力の気配も感じないが……逆に【何も感じない】のが不気味に思えた。

「我も貴様をそう思っている。無色透明で美しくもあり、底の見えない穴へ頭をさらしている気分だ。不気味で危い物は、自然と視線を寄せ付ける。それが良かれ悪しかれな。偽りの神々もいずれ【天使】として破綻している貴様に目を付けよう。どうだ? 我が先導に立ち、人々を導く役割を担うことで幾分か肩の荷は下りよう。人間のように生活をすることも叶い、仲間と幸福な生を歩むことも叶う。今までの過酷な過去など全て忘れ、神の庇護下へ入るつもりは無いか?」

「………………」

 険しい表情だった神を名乗る男は、初めて優しく微笑み語りかけた。……人間のように生きる。皆と共に争いの無い幸福な生を掴むことも叶うのか? 確かにそれは僕の望みであり、皆も僕を心配ばかりしている。壊れて折れそうになりながらも戦い、背負い、赦す必要もなくなるのならきっとそれは幸福だろう。皆も……それを望むはずだ。


 でも彼の言う通り、僕はやはりどこか壊れていて――――感情を上手く自分の中で表現することができない。
 人々を導く【天使】だから?
 神々の手足として働く【道具】だから?
 使命から逃げる事を恐れているから?
 違う。どれも違う。忘れてはならないんだ。繰り返してはならないんだ。
 互いを赦し合い罪を背負い、弱くも強く、歪んだ世界を生きなくちゃいけないんだ。
 そう、僕は――――スピカに教えられた。

「お断りします。【天使】は【地上界】の人々を良い方向へ導きはしますが、自分達の考えを持って生き、選択するのは彼ら自身です。それはあなたが取り決めていい事じゃない。あなたも【天界】の神と何も変わらない――――その愛は歪んでいる」

「残念だ」

 時の流れが緩やかになる。玉座に座ったままの神と僕の間に突如現れ、顔面へ回転しながら迫る黒色の四角い物体。【信仰の力】を両腕へ集中させ、溢れ出した力で【翼の盾】を形作る。大丈夫。視えている。周囲の皆は反応すらしていないが、他の角度からの攻撃はない。僕一人を狙った攻撃。盾が完全に出来上がり、引き戻される感覚と共に時間の流れは戻――――

 ――――盾が砕け弾き飛ばされ、衝撃で突き飛ばされたように後方へ浮遊する。足元には皆が見え――――正面には先程防いだ物より数十倍大きな四角い物体の底面が回転し、僕の全身を押し潰すべく落下している最中だった。

「なるほど。視えているのか」

 頭上から声がして、眼球を動かすと神がいた。興味深げに眉をひそめ、僕の顔を覗き込む。

「何故、我の慈悲と施しを拒むのか。到底理解できる範疇ではない。貴様の脳を引きずり出して【箱舟】へ繋ぎ、その臓物を解剖すれば分かるのか? それとも我が神である故に嫌うのか? 貴様も我も、民草を愛する心は同じであろう。我を愛せよ美しき【天使】よ。我も貴様を愛そうぞ」

「……恐怖による支配と愛は、全く違って分かり合えぬ物ですよ。【×××・×××・×××】様」

「そうか。だが貴様も所詮、【使えぬ道具】よな」

「【使えない道具】だなんて、何処にもありません。僕もあなたも皆さんも――――誰かの為に、【生きている】のですから」

「……慰めの言葉か、くだらぬ」

 彼はそう言って僕の頭を軽く撫でるとゆったりと玉座へと戻っていき、深く座り直す。それを見届けると同時に、引き戻される感覚がした。


 ――――汝らに、【天使】の導きがあらんことを。
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